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ナマステに笑顔を添えて  (第三章・ピーナッツ一家とバスの旅)

サイババ・パワー


 ニワトリが鳴くまでグッスリと眠った。
 昨夜に買った靴下のお陰だ。

 まだ陽が昇る前の暗いゲストハウスのロビーには、旅行社の人が車で迎えに来てくれていた。
 今日はバスでネパール中央部のチトワンに向かうのだ。
 バスはツーリストバスを手配しており、そのバス乗り場は歩いても5分ほどの場所にあるのだが、親切にも旅行社の人がワゴン車で送ってくれた。

 路上に何台か停められたバスの1台に案内され、荷物を係員に預けて乗車した。
 車体はかなりオンボロだ。
 このバスを運行するのは 「サイババ・トラベル」 と言う旅行会社で、バスの車体には大きなサイババの顔が描かれていた。
 ツーリストバスと言っても地元の人々が一般的に利用する交通機関で、外国人観光客はこの中型バスの乗客の半分ほどだった。
  
 ネパール人は時間に正確で、バスは定刻どおりに少し明るくなってきたカトマンズの町を出発した。
 車窓から眺める市場や商店などは、買い物や食事をする人で賑わいを見せ始めた。

 カトマンズの街はそれほど広くないので、すぐにデコボコの山道になった。
 風景は日本の山や川と非常に似ていて、どことなく安心感のある車窓だ。
 やがて最初の峠にさしかかると、そこでは大規模な検問がおこなわれていた。
 道路にはバリケードが築かれ、土嚢を積み上げたやぐらの上には機関銃が据え付けてある。
 幾重にも重ねた輪を作った有刺鉄線が、緊張感をさらに増していた。
 ここを通過する車両はすべてが停止させられ、運転手や乗客は自分の荷物を持って小屋に並ばせられていた。ここで荷物検査をおこなっているようだ。
 しかし、我々のバスには兵士が2人ほど乗り込んできて、乗客名簿を確認しながら一人一人の顔を覗き込んだだけで、すぐに通行を許可された。
 さすがはサイババ≠フ威力… か?
 まぁ、何にしても面倒な荷物検査は免れた。

 車内では、自分の座席の隣と前はフランス人家族が座っていた。
 彼らも自分と同じ行程で、チトワン、ポカラを周遊する予定とのことだ。
 バスでは停車のたびに物売りが寄ってくるのだが、フランス人家族はそのたびにピーナッツを買って食べていた。
 バスに乗っている間じゅうピーナッツを食べており、よほどピーナッツが好きな一家のようだ。
 「そんなに食べて、鼻血出ないの?」
 と聞いてみたかったが、フランス語で何と言うのか分からないのであきらめた。
 ネパールでたくさん収穫されるピーナッツは、どこに行っても売っていて、かなり安く買うことができる。
 そんなこともあり、ピーナッツ一家は思う存分その味を楽しむことができるのだが、バスの中がピーナッツ臭くなるのは迷惑だ。



山道での大渋滞


 しばらくの間バスは快調に走っていたのだが、狭い山道で大渋滞に出くわした。
 はるか先の方まで、延々と車が連なっているのが見える。
 何の説明も無く、運転手はエンジンを切って様子を見に行ってしまった。
 すぐにバスの周囲には物売りたちが集まってきて、熱心な営業活動を始めた。
 当然のようにピーナッツ一家は、彼らから大量の殻付きピーナッツを買い込んで補充した。
 「検問渋滞かな…?」
 あちらこちらでおこなわれている検問では、その直前でこのような大渋滞を引き起こしていたので、今回もその影響なのかと思った。

 しかし、1時間近く経っても車はまったく動く気配がない。
 他の車のドライバーや乗客たちも、ただただ車外に出て動き出すのを待つばかりだ。

 やがて、車はほんの少し動いては停まりを繰り返し、少しづつではあるが前に進み始めた。
 そして相当の時間をかけて渋滞の根源を見た。
 それは、スレ違いが困難な狭い山道で、譲ったり待つことを知らないネパール人ドライバーたちが、対向車とハチ合わせになっていて渋滞を起こしていたのだった。
 この道は崖崩れの箇所や悪路で立ち往生した大型車が多く、一車線がかろうじて確保されている状況だった。
 そこに双方からの車が往来するため、通行困難になってしまっていたのだ。
 そしてハチ合わせになった車は、バックをすることを知らないために、無理矢理に前進しようとしてさらに身動きがとれなくなっていたのだ。
 
 そんな渋滞を幾度となく繰り返し、チトワンの町に近付いて行った。
 町が近付いてくると今度は検問が多くなり、その渋滞に巻き込まれることになる。
 でも、カトマンズとは異なり、地方の検問は比較的のどかな雰囲気だった。
 厳重な検問所の造りは同じなのだが、地方では螺旋状におかれた有刺鉄線のバリケードには洗濯物が干してあり、機関銃を構えた兵士の目の前では、子どもたちが楽しいそうに遊んでいた。大勢の物売りたちもここで商売をしている。
 地元民は検査を受けることなく自由に検問所を往来しているし、警戒にあたっている兵士の表情もどことなくのんびりとしている。
 昼寝をしている若い兵士もいた。
 緊張感≠ニ生活感≠ェ混在したような場所だ。



河原の夕暮れ


 サイババのパワーで、すべての検問を下車させられることなく通過できた。
 それでも渋滞の影響で、通常は5時間ほどの所要時間が9時間もかかり、夕方の4時に終点・ソウラハ村のバスターミナルに到着した。
 バスターミナルと言っても、ちょっとした空き地に掘建て小屋があるだけの質素なもので、大量の客引きたちが手にプラカードを持って待ち構えていた。
 その中に 『Welcom Mr.POKARA』 と手書きのボードを持ったおじさんがいた。
 彼がこのチトワンでの3日間の世話をしてくれる、ガイドのピーノさんだった。
 彼は日本語はまったく話せないが、英語は非常に達者だ。
 ピーノさんは素早くバスの運転手に指図をし、真っ先に自分のバックパックを屋根から降ろすと、待機していたジープに案内してくれた。
 乗客の誰よりも早く、ホテルに向けて出発! と思いきや…
 「ブルンブルンブルン〜 プスプスプス…」
 ジープのエンジンがかからない…
 何回かエンジンキーを回してみるが、そのたびにジープは身震いをしておとなしくなってしまう。
 「ノープロブレム!」
 ゆっくりと自分にそう言うと、工具を片手に運転手と車を降り、ボンネットを開けて修理を開始した。
 モタモタしていた他のバスの乗客たちも各自のホテルに去ってしまい、客引き合戦に負けた男たちが心配そうにジープに集まってきた。
 「☆▲∞£#☆○§◇∋◆∠…」
 男たちは口々に何かを叫びながら、そしてボンネットをみんなで覗き込みながら工具を動かした。
 しかし、彼らの努力も空しく、ジープは言うことを聞いてくれなかった。

 「レッツ、ウォーキング オーバーゼアー (向こうまで歩きましょう) 」
 ピーノさんは運転手を残し、バックパックを背負って歩き出した。
 どこまで歩くのか分らないが、彼の後ろについて行った。
 すぐにラプティー川の広い河原に出た。
 崩れそうな木の小さな橋を渡る。
 対岸からは自転車を押した多くの人たちが、一日の仕事を終え、この橋を渡って家路へ急いでいた。
 西の空では、赤く大きな太陽が一日の終わりを告げようとしていた。
 それは、強い郷愁を誘う光景だった。
 「ビューティフル サンセット…」
 ピーノさんは河原の真中で足を止め、しばらくここで待てと言う。
 こんなに美しい夕陽を眺めることができたのだから、ジープの故障に心から感謝した。

 しばらくの間、この素晴らしい夕景の中に佇んでいると、
 「別のジープが来ましたよ」
 と、ピーノさんは遥か河原の遠くを指差してそう叫んだ。
 「へぇ? どこ? どこ?」
 自分には車らしい姿はまったく見えない。
 ピーノさんは一生懸命に指を指してくれるが、それでも発見できない。
 しばらくすると、砂煙が見えてきた。
 「やっと見えた… それにしても、ピーノさんは目がいいね〜」
 アフリカ人のような視力だ。さすがにジャングル育ちは違うな… と、しばし感心。

 代わりの車に乗り込んで、集落の狭い道を走ること約15分、『アドベンチャー・サファリ・ロッジ』 に到着した。
 ロッジはプールもある豪華ホテルだった。
 部屋はテラス付きの広いツインルームでエアコンも完備されていて、熱いシャワーの出る広々としたバスタブもあった。

 荷物を部屋に置くと、すぐにピーノさんが迎えにきた。
 プールサイドのテラスで温かいミルクティーを飲みながら、これからの3日間のスケジュールについてレクチャーを受けた。
 
 ホテルのレストランには大きな暖炉があり、パキパキと音を立てて赤々とした炎が燃え上がっていた。
 夕食後はもう一組の宿泊客であるシンガポール人カップルと、ガイドやホテルのスタッフたちと雑談をする。スタッフには日本語ができる者が数名いた。
 英語、ネパール語、日本語が入り乱れての会話だが、火を囲んだ不思議な安らぎの中、全員で仲間意識が芽生えていった。



タルー族の踊り


 すっかり日も暮れてから、シンガポール人カップルとジープに乗ってホテルを出発した。
 ホテルの周囲の集落にはほとんど明かりが無く、家々も道路も真っ暗闇だ。
 ジープの前照燈だけが、かろうじて我々の行く先の視界を確保していた。
 しかしこんな暗闇の中でも、地元民は何事も無いかのように普通に自転車を走らせていた。
 道はデコボコで、崖崩れのためにその半分が川へ落ちてしまった箇所もあり、街灯があったとしてもかなり危険な道である。
 それを、燈火もぜずにかなりのスピードで自転車に乗っているのだ。
 やはり、ネパール人の視力はタダものではない…

 この一帯はタルー族と呼ばれる、ネパールの先住民族が集落を形成している。
 彼らは象を巧みに操り、農業や林業などをおこないながら自給自足の生活を営んでいる。
 そんな彼らの民族舞踏が見学できる小屋があるので、我々はそこに向かってジープを走らせているのだった。
 「カルチャー・プログラム」 と呼ばれるそのショーは、田舎の芝居小屋のような簡素な掘っ立て小屋の中でおこなわれていた。
 各ホテルから外国人観光客が集まってきており、この一角だけが異常な賑わいをみせていた。
 客席は固い木のベンチがいくつか並び、正面には大きな舞台が色とりどりのライトに照らされて、ショーの始まりを待っていた。
 自分のすぐ後ろには、ピーナッツ一家も大きなカメラを持ってやってきていた。
 こちらに気付くと、
 「は〜い!」
 と陽気に声をかけてきた。
 ちなみに、ピーナッツは食べていなかった…

 何の前触れもなく、突然、舞台の上に気の弱そうな開襟シャツのおやじが登場した。
 そして、なかなか流暢な英語でこれから始まるショーの説明をおこなった。
 開襟シャツのおやじが舞台から引っ込んだ後、やや中途半端な間が開いた。
 「あれ〜?」
 と思っていると、大音響の音楽と共に、大勢の白シャツのお兄ちゃんたちが登場した。
 「ドンドコ〜ドンドコ〜♪」
 シンプルな音楽に合わせて輪を作り、滑稽なステップを踏んだり、チャンバラのように棒を振り回したりして踊り始めた。
 踊っている彼らはとても楽しそうだ。
 民族舞踏と言うよりも、高校生がただオチャラケているようにも見える。
 
 時折、村のガキどもが舞台を横切ったりしながらも、張りぼての孔雀やおかま、ファイアーダンスの登場で舞台はヒートアップしていった。
 最後のショーでは観客の欧米人を数人ほど舞台に上げ、全員で輪になって乱痴気騒ぎ状態になった。
 ビーナッツ一家のおやじも間抜けな顔をして踊り狂っていた。
 「さすがは欧米人だ。ノリが違う… シャイな日本人には恥ずかしくてとてもできないな」
 と、しみじみ思う。
 
 約45分のエキサイティングなショーだったが、登場したのが男ばかりで、キレイどころが一人もいなかったのは少々、いや、かなり残念である。

(第三章 終)



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