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メコンデルタに暮らす人々  (第三章・豪雨のミトー)

退 屈


 カントーを経ち、ホーチミン市に近いミトーに向かうことにした。
 ホテルからバイクタクシーに乗り、バスターミナルへ行く。
 ホーチミン市を出発した時と同じように 「ミトー、ミトー」 と騒いでいるうちに、周囲の人々が切符の購入から乗車までを手伝ってくれ、何の苦労も無く車上の人となった。
 今回のバスは大型の公共バスだ。
 車内にはすでに多くの乗客がいて、車内テレビを呑気に観ながら出発を待っていた。
 満席となったバスは定刻にカントーの町を出発。
 すぐにフェリー乗り場に到着した。
 ミニバスとは違い、このバスは乗船待ちの車列を横目に見ながら、優先的に船に乗り込んだ。

 ミトーまでは約3時間かかった。
 終点のバスターミナルはやはり町の郊外にあった。
 なぜベトナムのバスターミナルはどこも不便な場所にあるのだろうか?
 バスを降りるとすぐに大勢のバイクタクシーに囲まれ、その中の1台にまたがって町の中心を目指した。
 「どこのホテル?」
 バイクタクシーの兄ちゃんは英語が話せた。
 目指すホテルはガイドブックで目星を付けていた、川岸に建つ中級ホテルだ。
 そのホテルの名を告げると、
 「それはとっても高いホテル。僕がチープホテルを紹介するよ」
 と、小遣い稼ぎのできるホテルに連れて行こうとした。
 しかし、今回の旅で川の見えないホテルはどんなに安くても意味がない。
 断固として誘いは断り、予定通りのホテルに向かった。
 
 今日も吹く風が冷たい。
 「雨がもうすぐ降るよ」
 と、バイクタクシーの兄ちゃんが遠くの空を指差した。

 ホテルは新しくて綺麗な建物で、コンベンションもできる大型ホテルだった。
 部屋も清潔で広々しており、これでは中級≠ナはなく高級<zテルだ。
 しかし、料金は中級≠セった。 ラッキ〜☆

 チェックインするのとほぼ同時に、雷を伴った激しい雨が降り始めた。
 風も強く吹き、木々が大きく揺れている。
 目の前を流れる川が大きく波立ち、その水はホテルの敷地にまで浸水してきた。
 雨は大きな音を立てて、川に面した大きな窓を激しく打つ。
 黒雲の流れが異様に早い。
 天気予報によれば、ベトナム中部に大型の台風が上陸し、メコンデルタ地帯のこの先1週間の天気は雨が続く予想だ。

 部屋を出られぬまま半日が過ぎた。
 風雨の激しさは依然として変わらないが、折りたたみのか弱い傘を差して外出した。
 腹が減った…
 昼食を食べそびれたまま、夕方になってしまったのだ。
 「雨はまだ激しく降ってるぞ」
 とフロント氏は忠告してくれたが、部屋にいても退屈だし、腹がグーグーとなって力も出ない。
 激しい風雨の中では、折りたたみの傘は気休めでしかなかった。
 ビショ濡れになりながら人気の無い町をさ迷う。
 食堂はあるにはあるのだが、そのほとんどが営業を休んでいた。
 「ううっ… 餓死しそう…」
 
 ミトーの町の歩行者用信号は、青になるとランバダのチャイムが鳴る。
 「だからどうした?」 ってことは無いのだが、何故か耳に残った。

 船着場のある公園では、この暴風雨の中でもボートツアーの客引きが頑張っていた。
 観光客など誰一人として歩いていない今、当然の如く自分は格好の餌食となった。
 「いまからボートツアー、行く、安いよ」
 片言の日本語だ。
 「行かないよ。今、激しい雨が降ってるもん」
 と手の平を空に向け、こちらは片言の英語で返す。
 「ノープロブレム わたしの船、ルーフ (屋根) ある。ノープロブレムね!」
 「いや〜 いくら屋根があってもこの天気じゃプロブレム≠セよ」
 とりあえずスコールが防げる程度の簡素な屋根では、ただ濡れるためにボートツアーに行くようなものだ。
 「それより、どこかでビール飲みたいんだけど…」
 「ビアー…ビアー… そこにある、レストラン」
 「ありがとう! 明日、天気が良かったらボートツアー行くね〜 んじゃ!」



寂しいレストラン


 教えてもらったレストランは、自分の泊まっているホテルに併設されている店だった。
 『灯台もと暗し』 … ホテルのロビーから渡り廊下でつながっているこの店、最初からここに来れば濡れることはなかった。
 店の若い従業員はビシッとした制服を着て、対応もしっかりしていた。
 しかし、店の雰囲気がとっても寂しい…
 壁が少なくて半分外のような店は半端に広く、テーブルがゆったりし過ぎるくらいにポツンポツンと配置されていた。
 そして客は自分だけ。
 川を望む窓には中国風の提灯がいくつもぶら下がっていたが、強い風に今にも飛ばされそうだ。
 夕食時なのにこんな客の入りで大丈夫か? と余計な心配をしてしまうほどだ。
 
 寂しいレストランでビールと春雨を食べながら考えた。
 「このままミトーにいても時間を持て余しそうだな… いったんホーチミン市に引き上げるとするか」
 ミトーはホーチミン市から日帰りでも来られる場所。
 ツアーもたくさん組まれているから、それに参加してしまえば雨が降っても安心だ。
 このまま台風の影響が残るようなら、都会のホーチミン市で飲んだっくれて時間を潰すこともできる。
 
 夜中になっても風雨の勢いは変わらず、雷や雨の激しい音で時々目が覚めた。



ホーチミンの大沢くん


 翌朝になると、黒雲が低く垂れ込めていたが雨と風は収まっていた。
 降り出す前に移動せねばと思い、そそくさと荷物をまとめてチェックアウトをする。
 「たった1泊だけかい?」
 と、フロント氏は不思議そうな顔をしていた。
 それもそうだろう、到着して部屋から出たのは夕飯の時だけなのだから。

 ホテルの前をたまたま通りかかったバイクタクシーに乗り、バスターミナルへ向かう。
 町のいたる所に大きな水溜りができており、さらに倒れた街路樹が昨日の悪天候を物語っていた。
 
 ミトーからホーチミン市へのバスは主要路線のようで便数も多く、大型の新しいバスを走らせていた。
 ゆったりとした車内ではビデオを上映し、快適な旅ができる。
 ホーチミン市までは1時間半ほどの距離だ。
 ホーチミンの市内に入ると、一気に人とバイクの数が増えてきた。
 
 出発地のミエンタイ・バスターミナルは通過し、中国人街のあるチョロン・バスターミナルに到着した。
 バスを降りるとすぐにバイクタクシーの客引きに取り囲まれ、その1台に乗ってデタム通りへ向かう。

 今回は前回と違うホテルにチェックインした。
 部屋に窓はあるものの、その外は隣のビルの外壁で、わずかに明かりが入る程度だった。
 嬉しいことに、部屋にあるテレビでは日本語のNHKが映った。
 荷を解くとすぐに外出し、ビールを飲みながら昼食をとる。
 ホーチミン市の喧騒を眺めながらの一杯は、「帰ってきたな…」 という感じで何となく落ち着く。
 
 バイクタクシーに乗って、先ほどのチョロン地区へ戻った。
 中国人街であるこの地区は、ホーチミン市の中でも独特の景観があり、なかなか興味深い所だった。
 中心にあたる市場でバイクを降り、足の向くままにこの地区を散策した。
 漢方薬や中国茶の問屋、派手な提灯を売る店、お香の専門店などを眺め、街角にある寺院で一息入れれば、ベトナムにいることを忘れてしまいそうなほどだった。

 夕食がてらに町に出た。
 デタム通りは日が暮れてからが大変賑やかになる。
 日本語ツアーを催行している旅行会社がホテルの近所にあり、店の前では 大沢たかお似のお兄ちゃんがビラを配っていた。
 「ミトーのツアーを検討してるんだけど…」
 お兄ちゃんに話し掛けると、
 「ソーデスカ、デハ、ナカヘドウゾ」
 と、うなぎの寝床のように長細い店内に導かれた。
 「お兄ちゃんは日本語大丈夫なの?」
 「ハイ、ボクハ日本人ナンデスヨ」
 スリムな体型と顔の日焼け具合から、勝手にベトナム人と思い込んでいた。
 思い込みとは恐ろしいもので、彼の喋る日本語までも片言のように聞こえてしまっていた。
 大沢君 ―― 勝手にそう呼ばせていただいたが、彼に相談した結果、ミトーへのツアーとさらにもうひとつ関心を持ったツアーがあった。
 それは、マングローブの林を見学するツアーだ。
 ホーチミン市の南部に広がるマングローブ林を、車と船で一日かけて巡ってくるものだ。
 ツアー代金は 30USドル (約3,300円) 。
しかし、
 「いいツアーなんですけど…」
 大沢君が申し訳なさそうに口を開いた。
 「参加者がいないんですよ…」
 「1人じゃダメなの?」
 「1人でもいいんですが、その場合100USドル (約11,000円) 払っていただくことになります。2名で50USドル (約5,500円) 、3名以上集まって一人30USドルになるんです」
 「え〜、100ドルは払えないな…」
 マングローブの林はぜひこの目で見たいとかねがね思っていたのだ。
 「うちで頑張って募集をかけますよ。なんとかあと2名集めますから、明日の夜まで待って下さい」
 大沢君の力強い言葉を頼りに、明日は 『メコンデルタ(ミトー)ツアー』 に参加し、明後日は参加者が揃えば『マングローブ林ツアー』へ、参加者が揃わなければ 『カオダイ教とクチトンネルツアー』 に参加することにした。
 「じゃあ大沢君、よろしく頼むね〜」

 欧米人で賑わうデタム通りの喧騒に戻り、テレビのサッカー中継で盛り上がるカフェで夕食にした。
 ホロ酔い気分でホテルに戻る途中、大沢君の旅行社の前にはホワイトボードが出されていた。
 『オススメ! マングローブ林ツアー 出発は明後日!』
 カラフルなペンで手書きされたそのボードは、なかなか目立っていた。
 「2人以上見つけてくれよ〜」
 そう独り言を言ってボードをポンと叩いた。

(第三章 終)



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