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メコンデルタに暮らす人々 (第二章・フレンドリーな人々) |
水上マーケット 翌朝、ホテルの1階にあるレストランで朝食をとっていると、支配人らしき男性が近付いてきて、 「旅行社の方がフロントにいらしてますよ」 と伝えてくれた。 フロントで待っていたのは、昨日のお姉さんとは別人のおばちゃんだった。 手にはバナナを一房持っている。 「ハロ〜、フォーユー」 そのおばちゃんは片言だが英語が話せ、そのバナナをこちらに差し出した。 「へ? あ、サンキュー!」 突然に差し出されたバナナに戸惑っていると、 「ボート、ゴー」 と言いながら、おばちゃんはさっさと外に出て行った。 ホテルのすぐ脇には小舟が停泊しており、船頭のおやじがヒマそうにぼんやりと待っていた。 こちらに気付くとさっと手を差し伸べて、小舟の先頭の方へ座布団を敷いてくれた。 小舟には船外機が装備されており、けたたましいエンジン音とともにカントー川に水しぶきを上げた。 「さぁ!ボートツアーの出発〜!」 と意気込んだが、舟はすぐに対岸の集落に停泊し、「ハブァ ナイスデ〜!」 と言い残しておばちゃんは降りてしまった。 「あれ? おばちゃんは降りちゃうの???」 どうやらおばちゃんは、自分を船頭のおやじに引き合わすだけが仕事のようだ。 まったく英語の話せない船頭のおやじと二人っきり。 どんな一日になるのか不安は山ほどあるが、まぁ、どうにかなるだろう。 「ゴー、マーケット!」 とおやじはそれだけ言うと、舳先を上流へ向けて再びエンジンを全開にした。 朝のカントー川は日中以上に活気があった。 農作物を満載にして市場に向かう舟、漁へ向かう舟、貨物船、フェリー、欧米人をいっぱい乗せたツアーボート… カントーのあらゆる水上交通機関が一斉に始動したかのようだ。 停泊している舟の上では朝食の準備がおこなわれ、美味そうな香りとともに煙が立ち昇っていた。 さらに、朝の身支度で洗顔や洗髪をしている人々もいる。 カントー川の茶色の水とは対照的に、どこまでも青くて広い空には入道雲が湧き上がっていた。 今日も暑い一日が始まる。 水上に暮らす人々の生活を眺めながら1時間ほど舟に揺られていると、カイラン水上マーケットに到着した。 マーケットと言っても陸上のそれと違い、建物は一切なくて川に大小さまざまな舟が密集していた。 その密集地帯に突入する前に船頭のおやじはエンジンを切った。 ここからはゆっくりと手漕ぎで進むのだ。 櫂を漕ぐ音と市場での人々の声、物売りのかけ声、子どもたちのはしゃぐ声。 生活の音を聞きながら舟は静かに進む。 たくさんの舟に阻まれてなかなか進めないこともあるが、こちらとしてはメコンデルタの人々の生活に触れているようで、実に楽しい。 カボチャや椰子の実を売る舟、湯気を立てた鍋を積んで朝食を売る舟、雑貨を売る舟、タバコやジュースを売る舟、そしてそれらを買いにきた舟… 皆、器用に櫂を操りながら雑踏の中を動く。 舟に乗ったまま立ち話し (?) をしている者もいる。 我々が歩いているのと同じように、何の苦労もなく自由自在に舟を操縦している。 川と共に生きるメコンデルタの人々にとって、舟は靴≠フようなものなのであろう。 「ゴー、フォンディエン・マーケット」 船頭のおやじがはるか上流を指差してそう言った。 この先にも水上マーケットがあるとのことだ。 けたたましいエンジンの音とともに、再び舟は快調に走り始めた。 この辺りまで来ると岸辺には人家がほとんど無くなり、鬱蒼とした森が広がっていた。 走ること約1時間でフォンディエン水上マーケットに到着した。 先ほどのカイラン水上マーケットより規模は小さいがとても庶民的で、市場に来ている人たちがどことなくのんびりとしていた。 やはりエンジンを切って手漕ぎで奥へと進む。 あちらこちらにレンズを向けてシャッターを切っていると、こちらのカメラに気付いた人たちからは 「撮ってくれ〜」 と声がかかった。 椰子の実を満載にした大きな木造船の上には、数人の男たちが休憩をしていた。 そんな彼らも写真を撮られることを喜ぶ人たちだった。 ポーズを決める彼らの写真を数枚撮ると、「こっちに上がって来いよ」 とジェスチャーをされた。 手を借りて彼らの船に乗り込み、撮ったばかりの写真を液晶画面で見せる。 船底で作業をしていた男たちも集まってきて、みんなで大騒ぎをして喜んでいる。 デジタルカメラの利点が、言葉の壁を越えさせてくれた。 しばらくそんな交流をしていると、頭領のような男がナタを振り下ろして椰子の実をひとつ割った。 それをこちらに差し出して 「飲め」 とジェスチャーした。 たっぷりの果汁は天然の甘さで、一気に飲み干すことができた。 すると頭領は椰子の実はもうひとつ割り、「お代わりだ」 と言わんばかりにそれを差し出した。 1個でも充分だったが、厚意に感謝して2個目も飲み干した。 そして次に頭領は、また別の実を割った。 今度は4等分にカットした実の内側を薄くスライスし、それを差し出した。 ジェスチャーから判断して、それを食べるようだ。 「え、食べられるの?」 こちらもジェスチャーで疑問を返すと、「そうだ、食べるんだ」 と大きくうなずいた。 果汁と違い、果肉は筋張っていて決して美味くはなかった。 眉を寄せて 「イマイチだね…」 と言うと、彼らは大笑いをした。 その表情で察しがついたようだ。 3個もの椰子の実を割いてくれたのに彼らは金を要求することもなく、我々の小舟が遠ざかって行くのを見送ってくれた。 ジャングルクルーズ フォンディエン水上マーケットからほんの少し舟を走らせると、岸辺に集落が見えた。 人家が少なくなったこの辺りでは大きい集落になる。 その集落を指差すと、船頭のおやじは静かに舟を岸辺に近付け、小さな食堂の桟橋に接岸した。 「ここで待っているから一人で散策してきなさい」 と船頭のおやじはジェスチャーをし、食堂の椅子に腰掛けた。 自分はその食堂を抜けて町に出る。 デコボコ道には多くの人とバイクが行き交い、かなり活気がある。 食堂のすぐ前に市場があった。 中には野菜や魚、肉などの食材を売る店がひしめいていた。 外国人が入ってきたのが珍しいのか、店のおばちゃんたちはこちらに向かって声を掛けてくる。 「☆▲∞£#☆○§◇∋◆∠…」 「ごめん! 何を言っているのか分からない!」 するとおばちゃんたちは大声で笑う。 何がそんなに可笑しいのか…? 市場の外でもたくさんの露店が店を開いている。 そこにはグロテスクな魚や色鮮やかな果物、生きた食用のアヒルなどが並べられ、品定めをする客で賑わっていた。 ベトナムのこの時期は結婚式のシーズンのようで、あちらこちらの町で披露宴に遭遇した。 この町でも食堂を貸し切って披露宴が行われていた。 それを興味本位で覗かせてもらった。 芸能人のような衣装を着た新郎新婦が正面に座り、列席者は丸テーブルに座って飲み食いをしていた。 スピーチのようなものはなく、ただただ楽しく賑やかに食事をしている。 これぞまさしく宴会≠セ。 受付には新郎新婦のパネル写真が飾られていた。 その写真… こちらが赤面してしまうほどの派手なポーズと表情。 人生の門出とは言え、日本人ではこんな写真は撮らないだろうな… 1時間ほど町を散策して食堂に戻る。 食堂のテーブルを借りて、船頭のおやじとこれからの予定を検討。 昨日、旅行社からもらった大きな地図を広げて現在地点を確認、今後のお勧めルートを指でなぞりながら確認する。 この先はこれと言って見るべき町も無いようなので、小さな川を伝ってカントーに戻ることにした。 川はジャングルのような森の中に流れていた。 ディズニーランドのジャングルクルーズに乗っているようで、カバや象が水浴びをしていても不思議ではない風景だ。 時折、対向の舟がやってくる。 そのほとんどが手漕ぎの小さな舟で、菅笠をかぶった女性が操縦していた。 岸辺の子どもたちは必ずと言ってよいほど、こちらに向かって「ハロー」と叫ぶ。 子どものみならず、大人たちも笑顔で手を振る。 メコンデルタ地帯に暮らす人々は、まだまだ温かい心を持った人たちばかりだ。 午後の日差しはきつかった。 日陰のない小舟には、その刺すような強い太陽光線が容赦なく降り注いだ。 「あっじぃ〜〜」 つい独り言が漏れる。 すると船頭のおやじは菅笠を貸してくれた。 ベトナムでは女性がかぶるものだが、今はそんなことは言ってられない。 少しでもこの状況を改善せねば。 菅笠をかぶると直射日光を遮ってくれたので、かなり涼しく感じた。 「グー! サンキュ〜」 おやじに振り返り、親指を立てて前に出す。 おやじも同じ仕草をしてニコッと笑った。 今朝ほどもらったバナナをおやじと分け合いながら、舟は変わらぬ風景の中をひたすら進む。 川は幾度となく二手に分かれていたが、おやじは迷うことなく舵を切る。 バナナで腹が満たされ、変わらぬ風景にウトウトし始める。 しかし、すぐに 「ハロー!」 と叫ぶ声。 無邪気な子どもたちを無視するわけにはいかず、慌てて手を振り返す。 そしてまたウトウト… 「ハロー!」 ウトウト… の繰り返しである。 ジャングルの中を進むこと数時間。 やがて舟は大きな川へと進み、少しずつ周囲の風景も変わってきた。 カントーの町が近付いてきたのだ。 見慣れた風景に眠気もすっかり無くなった。 真っ赤な太陽がカントー川の水面に沈む前に、舟はホテルの桟橋に到着した。 精霊流し 夕食のために町に出た。 美味そうな食堂を探してフラフラと歩いていると、 「 ハ〜イ!」 と自分を呼ぶ女性の声。 暗がりで目を凝らしてみると、若い白人女性が手を振っていた。 彼女は水上マーケットに行ったときに、何度か舟ですれ違った女性だった。 彼女も舟をチャーターして、一人で観光していた。 その時は 「ハロー」 程度の挨拶しか交わさなかったのに、よくこちらのことを覚えていたものだ。 オランダからやって来たと言う彼女と少しの立ち話しをし、この先に美味い食堂があるとの情報をもらった。 「ここで会ったのも何かの縁。よろしければ一緒にお食事でも…」 と言いたいところだったが、不幸にして彼女は今その食堂で夕食を終えたばかりだった。 彼女のお勧めの店はすぐに分かった。 中華系の店で、メニューはたいへんに豊富だった。 ビールのつまみの生春巻きは、この旅の間で食べた物の中で一番美味いと感じたほどだ。 店にはミニスカートをはいたビールのキャンペーンおばさん=iキャンおば) がおり、ついついその口車に乗せられて予定以上の本数を飲んでしまった。 恐るべし、キャンおば… 夜も遅くなってくると、通りを行く人とバイクの数が半端ではなくなってきた。 通勤ラッシュで混雑する新宿駅のようだ。 「何でこんなに混んでるんだ?」 川岸にある公園はさらに多くの人で賑わっていた。 そして人々は手に提灯を持っていた。 人だかりのできている中をかき分けて覗いてみると、紙で小舟を作り、そこにロウソクを点けて川に流していた。 日本で言うところの精霊流し≠ナある。 カントーの精霊流しは、人こそ多いものの、それはそれは静かに、そして厳かに行われていた。 川面に揺らぐいくつもの小さな灯りは、日中のベトナムとはまったく違う世界を創り上げていた。 心の豊かさ ホテルのすぐ近くには、対岸へ渡るフェリー乗り場があった。 川のこちらから見る限りでは、バラックのような住居が汚らしく建ち並び、高い建物は皆無だ。 カントーに到着した日に小舟でこのあたりを周遊したが、改めて陸上を歩いて訪れたくなった。 フェリー乗り場の切符売り場に料金表が出ていた。 ベトナム語はまったく分からないが、一番安いのが 500ベトナムドン (約4円) なので、これが人≠フ料金だろうと予測。 コインの 500ドンを差し出すと、ワラ半紙に印刷された粗末な切符が手渡された。 フェリーは、乗用車が2〜3台も乗ったらいっぱいになってしまうほどの小さなもので、客席などは無くて、人もバイクも自転車も入り乱れて甲板に立つ。 対岸まではほんの5分程度の乗船だった。 上陸用の板が渡されると、まずはバイクが人を蹴散らせて飛び出して行き、その後に人々が下船した。 対岸の町は細長く川岸に開けた町で、数メートルの幅しかない狭いメイン通りに商店が密集していた。 他の町と同様に、この町でも 「ハロー」 の声があちらこちらから掛かる。 多少英語が話せる老人からは、「どこから来た?」 「どこへ行く?」 の質問攻めにあった。 その老人は答えを周囲の大人たちに通訳し、そのたびに歓声が上がった。 メイン通りから延びた狭い路地裏を入るとそこは迷路の世界で、人がやっと通れる幅の道が不規則に入り組んでいた。 しかし迷子になることはない。 子どもたちや大人たちが順番に案内をしてくれたからだ。 「この道行ける?」 と黙って道の先を指差せば、 行き止まりの時は首を振り、行けるときは大きく頷く。 さらに子どもたちは、先頭に立って自分たちの家の近所を道案内してくれた。 道端で昼食を食べていたおばちゃんたちに呼ばれ、ご飯をご馳走になったり、軒先で宴会をしていたおやじたちにはビールを飲ませてもらったりした。 さらに赤ちゃんの写真を撮ったら、「お礼に」 と家の中を見学させてくれた。 若者たちのビリヤードにも参加させてもらった。 こんなに親切でフレンドリーにしてくれるのは、自分が外国人で珍しいからという理由だけではなさそうだ ここの生活は決して豊かとは言えない。衛生状態も極めて悪そうだ。 しかし、住んでいる人たちには、何ものにも代えられない心の豊かさ≠ェあった。 帰りのフェリーは下船時に切符を買う。 乗る時に買った切符売り場でおばちゃんから切符を買い、2〜3歩先にいるおじさんがその切符を回収していた。 それって、何か無駄な感じがするのだが… 先ほどまでの晴天が嘘のように、空は急に真っ黒な雲に覆われた。 吹く風も冷たい。 「こりゃ降るな…」 と思っていた矢先、ポツポツと雨が降り始めてきた。 急いでホテルの部屋に戻る。 窓の外を眺めていると、一気に雨風は激しさを増し、雷まで鳴り出した。 時々ホテルも停電した。 どうやら単なるスコールではなさそうだ。 夕食時にレストランで聞いた話しによれば、ベトナムに大きな台風が上陸したらしい。 |
(第二章 終) ≪前ページへ [目次へ戻る] 次ページへ≫ |