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めこん・風の物語  (第九章・迷惑な歌謡ショー)

穴あき舟でメコン越え


 7時にホテルをチェックアウト。
 ここでの支払いはキップ≠ナもバーツ≠ナも可能とのことだ。
 改めてこの町がタイとの国境であり、その交易が盛んなことを感じる。
 
 夕べのスコールでぬかるんだ道をフェリー乗り場へ向かう。
 町は行き交う人と車でたいそう賑わっていた。
 フェリー乗り場も活気に溢れ、対岸から材木や食材を満載したたくさんのトラックが、どんどんと上陸しては町中へ走り去って行った。
 「火の用心!」
 露店のおばちゃんが目敏く自分を見つけて声をかける。
 「これからタイへ。さようなら」
 おばちゃんは手を振って、船着場へ向かう自分を見送ってくれた。
 「火・の・用・心」
 背後でおばちゃんの叫ぶ声が聞こえた。
 おばちゃんは 「火の用心」 を日本人の挨拶だと思い込んでいるようだ。
 
 ゆるやかな坂を下りきったところが船着場になっていた。
 そこでは多くの人々が忙しそうに働いていた。
 大きな鉄板に手すりが申し訳程度にくっついているような頼もしいフェリーに、1台のトラックが乗り込んで行った。
 その大きな鉄板、いやフェリーの上でトラックを誘導している係員に、
 「ムアンカオ村?」
 と尋ねる。
 係員は首を横に振り、「ノー」 とだけ叫ぶとそれ以上は何も教えてくれず、また自分の仕事に戻ってしまった。
 (困ったな… どの船が対岸に行くんだ?)
 しばらく様子を観察していると、フェリーはトラックだけが乗船できるようで、人間は鉄板のフェリーに挟まれるように停泊している小舟に乗って川を渡っていた。
 「ムアンカオ村に行きたいんだけど・・・」
 船着場の土手でボーッと座っていた男たちに尋ねた。
 すると、その中の一人の男が、
 「OK!」
 と、すくっと立ち上がり 「付いて来い」 と指で仕草をし、1隻の小舟に案内してくれた。
 小舟をつないだロープを解き始める姿を見て、そのおじさんが渡し舟の船頭だと知る。
 「おじさん、船頭だったのか・・・」
 ひとり言のようにそう言うと、おじさんはニカッと笑う。
 「いくらですか?」
 料金を尋ねると、
 「6,000キップ (約72円) だ」
 と、手の平に1本指を立てて数字を示す。
 「4,000キップでどう?」
 アジアの旅では値切り交渉は必要不可欠である。
 「お前一人の専用舟だぞ」
 他の客が集まるのを待たずして、すぐに出発してくれるとのことだ。
 「OK。では5,000キップ (約60円) で行ってよ」
 そう言って図々しくも舟に腰を下ろす。
 船頭もそれで了承したらしく、エンジンをかけ始めた。
 
 かなり遠くに見える対岸の村を目指し、朝日に輝く水面を舟は快調に漕ぎ出て行った。
 川には自分たちの他にも大小さまざまな船が行き交い、川幅もここまで下ってくると相当の広さになっていて、まるで湖のようである。
 遠くの山々の頂上付近には雲がかかり、そこから伸びるなだらかな稜線はどこまでも続いている。
 これまでのメコン川には無かった雄大な景色がそこには展開されていた。
 これらの山々から吹き降ろしてくるであろう風は、朝とは言えすっかり気温の上がってきた下界に涼しさを運んでいた。
 ルアンパバンに向かうスピードボートでの強風とは異なり、静かな風がやさしく全身を撫でていく。
 この旅で最初にメコン川を渡った時と同じように、川の水を手ですくう。
 相変わらずのドロ水がそこにあるだけだったが、この水とも別れなければならないと思うと、長年の友を失うかの如く辛い気持ちになる。
 
 それにしても風が気持ち良い。
 (ああ、爽快!)
 筆舌尽くし難いほどの心地良さであった。

 ――― あの光景を見るまでは・・・

 カッポン、カッポン、カッポン・・・
 エンジン音に混ざって妙な音が耳に入ってきた。
 音はどうやら舟の後ろの方から聞こえてくる。
 振り返るとそこには船頭のおじさんのニカッとした微笑みが。
 そして次の瞬間、
 「ゲッ!」
 体が凍りついた・・・
 この爽やかな風に包まれながら雄大な気分で楽しく対岸に渡るためには、見てはいけないものを見てしまった。
 なんと、おじさんは舵を操りながら、舟底に溜まった水をプラスチックの手桶で一生懸命に掻き出しているではないか。
 水は掻いても掻いてもその量が変わらず、どうやら舟に穴が開いているようだ。
 あまりのショッキングな光景に言葉も出ず、おじさんの顔とその手元を交互に見つめるのだった。
 (・・・沈む・・・)
 そんな自分の心配をよそに、
 「タイまで行くのか?」
 と、おじさんは手を休めることなく能天気なことを尋ねてきた。
 「おじさん、それって・・・」
 思わず、おじさんの作業を指差す。
 おじさんはどういう意味で指差されたのかすぐには理解できなかったようだが、こちらの訴えるような目つきでそれが判ったようだ。
 そして、
 「ノープロブレム」
 とやけに明るい笑顔で答える。
 いやいや、この状況はどう見てもプロブレム≠カゃないのか?
 それともラオスの舟ってこれが当たり前なの?
 「ノープロブレム?」
 「イエス、ノープロブレム」
 おじさんは 「大船に乗ったつもりでいろ」 とでも言いたげだ。
 ここでメコンの藻屑と消えないよう、運を天とおじさんに委ねて対岸の港に到着するのを待つしかなかった。
 しかし、対岸まではまだ相当の距離があった。
 
 時間の流れが急に遅くなったように感じたが、なんとか沈没することなく対岸のムアンカオ村に到着した。
 「国境行きのバスは右へずっと行った所だよ」
 船頭はそう自分に言い残すと、再び客を乗せて水を掻きながらパクセへ戻って行った。
 
 港には大型トラックの長い長い行列ができ、フェリーに乗る順番を待っていた。
 言われたとおり、国境行きのバス乗り場を目指して田舎の一本道を進む。
 道路に黒い大きなサソリが干からびて死んでいた。
 「おお、サソリだ!」
 思わず声を上げると、近くで遊んでいた幼い子供たちが一斉に笑う。
 このあたりにサソリが生息しているのかどうかは定かでない。



おそるべし、ラオス人


 15分ほど歩き、崩れ落ちそうな橋を渡るとバス乗り場らしき所に着いた。
 道路の端に2トン小型トラックを改造したバスが停まっており、地元の人々が大きな荷物を積み込んでいる。
 「バンタオ村に行きますか?」
 と、近くにいた運転手らしきお兄ちゃんに尋ねる。
 「チョンメッ村か?」
 チョンメッ村とはタイ側の国境の村である。
 「国境に行きたい」
 「OK。このバスだ」
 と、彼はすでに乗客ですし詰め状態となっているトラックを指差す。
 乗り込んだ改造トラックには、行商に向かう地元のおばちゃんたちがギッシリと乗っており、大声でおしゃべりをしながらこれから売る野菜の皮むきをしていた。
 なんとか詰め合ってもらい、木の硬い座席に腰を落ち着ける。
 車内は異様に蒸し暑い。額や背中を幾筋もの汗が流れる。
 しかし、あまりの混雑にそれを拭うことができない。
 
 出発するまでに40分ほど待たされたが、その間にも大きな荷物を持った人々がどんどんと乗り込んで来る。
 車内に乗り切れない人々は、振り落とされないように車にしがみ付いていた。
 屋根の上に大量の荷物が積み上げられ、あまりの重さにエンジン音の割には速度が上がらず、自転車よりも遅い速度で炎天下の一本道をノロノロと進んだ。
 走り出せば涼しくなるかと期待していたが、この速度では少しも涼しくはならなかった。
 
 走り出してまた思った。
 (なぜそんなに眠る、ラオス人・・・)
 この状況下でも、人々は気持ち良さそうに眠りについていた。おそるべし、ラオス人。
 
 1時間後、バスは終点の広場に到着した。
 ここから先、国境まではさらに一本道を歩いて行くとのことだ。



立派過ぎるぞ! ラオスのイミグレ


 丘陵地に囲まれた広い道路には地元の人々が大勢行き交い、結構な賑わいを見せていた。
 点々とある商店の中には免税店があったり検疫所などの建物もあり、ここが国境の村であることを改めて認識した。
 しばらく進むと、道路が鎖で閉鎖されていた。
 (いよいよ国境か・・・)
 道の端に小屋が建っており、制服を着た数人の係官が中にいた。
 机に座っていた係官にパスポートと出国カードを示す。
 「???」
 不思議そうな顔をし、こちらをジッと見る。
 「あの・・・出国したいんですが・・・」
 「あ、イミグレーションならまだ先だよん」
 と言われる。
 ここは単なる警備小屋のようだ。
 
 数人の商店の人に尋ね、「もっと先だ」 と言われるままに進んで行くと、再び道路にフェンスがあった。
 しかし、それは大きく開け放たれており、地元の人々が自由に往き来していた。
 そのフェンスを越えると数多くの露店が並ぶ市場となっており、さらに賑やかさを増していた。

 イミグレーションが見つからないまま、市場の外れまで来てしまった。
 「イミグレーションはどこですか?」
 近くの露店で尋ねる。
 店の人は親切にも道路まで出てきて、
 「あの店の裏手だょ」
 と、はるか手前を指差した。
 しかし、指差すその建物の屋根には、タイの国旗が厳粛にはためいていた。
 「ここはタイなの?」
 「そうだょ」
 なぜ、そんなことを聞くといった顔だ。
 「ありゃ〜、いつのまにか国境を越えちゃった」
 これで逮捕されることはないと思うが、コソコソと急ぎ足で引き返す。
 「ラオスの<Cミグレーションはどこですか?」
 フェンスの近くの事務所で尋ねる。
 さらにずっと手前を指差すそこには、やたらと立派な、いや立派過ぎる建物がデ〜ンと鎮座していた。
 よくよく目を凝らして見ると、目立たぬ所にラオスの旗が掲揚されていた。
 国境≠ニは、道路に踏切のようなゲートがあり、建物の前でパスポートを提示しないと通行できないようになっているものだと勝手に思い込んでいたのが間違えであった。
 ここではイミグレーションに立ち寄る人などほとんど無く、皆が自由に国境を往来しているのだ。
 ここが国境線≠ネどと親切な表示がないので、これでは気付かぬうちに越境してしまうのも無理はない。
 
 延々と道を戻り、チケット売り場のようなイミグレーションで出国手続きをおこなう。
 今日は土曜日なので50バーツ (約150円) の料金を請求された。 (平日はタダらしい)
 
 今ここにラオスの旅を無事に終える。
 リュックには紙切れ同然となった札束が残った。
 キップはラオス国外では両替することができないので、お土産として持ち帰るほか無いのである。
 
 先ほどの道を再び進み、露店の裏手にひっそりと建っている小さなタイのイミグレーションへ向かう。
 「ウエルカム、タイランド」
 やたらと愛想の良い係官はそう言いながら、元気いっぱいに入国スタンプをパスポートに押す。
 心配していた外国人の入国拒否もなく、こうしてあっさりとタイへの入国が完了したのであった。
 ここは タイ = ラオス国境では唯一の道路国境で、国境線を自分の足で跨ぎたくてここまでやって来たのに、結局なんの感動も無く越えてしまうこととなった。
 
 イミグレーションの外でたむろしてたタクシーを交渉し、長距離バスや鉄道の始発駅があるウボンラーチャターニーに向かう。
 タクシーは日本製の4WDで、まだピカピカの新車だった。
 ウボンラーチャターニーまでは約90キロの距離。
 よく整備された片側2車線の道路が延びていて、ハイウエーのように飛ばすことができた。
 街灯、コンクリートの電柱、消防署・・・ ラオスでは見ることの無かったこれらの当たり前の風景に、妙な感激を覚えた。
 ふと気が付くと、車は左側を走っていた。
 そう、ラオスでは右側通行だったのだ。

 時速100キロで飛ばした車は、1時間後にウボンラーチャターニーのバスターミナルに到着した。



象の町・スリンへ


 今日の最終目的地はスリン。
 ウボンラーチャターニーからバンコク方向に200キロほど行った町だ。
 「スリン、スリン」
 と叫んでいると、何人かの地元の人に 「このバスだ」 と教えられる。
 昼食用にパンケーキとやたらと甘いアイスコーヒーを購入し、バスに乗り込む。
 かなりのおんぼろバスだが、ラオスのそれに比べれば立派なものである。

 バスターミナルに併設されている市場は人々の活気で満ち溢れ、店先には所狭しと豊富な商品が並べられていた。
 バスの車窓からぼんやりとこの風景を眺めていて気付いた。
 タイには色≠ェある。
 それは市場に並んだ商品の色であり、人々の洋服の色であり、建物のペンキの色である。
 ラオスの色≠ヘ茶色≠フイメージしかなかった。
 坊主の袈裟はオレンジで、山岳民族の衣装は鮮やかな原色を使っていた。
 しかし、町全体の色は単色でしかなかった。
 色と物がタイには溢れているのだ。
 
 そんな色のある景色を30分ほど眺めて待っていると、ようやくバスは動き出した。
 田園地帯をのんびりと走ったバスは、2時間後に大きなバスターミナルに到着した。
 すぐに乗客は一斉に降りてしまい、バスもエンジンを切ってしまった。
 しかし、ここはスリンではないようだ。
 「ここはどこですか?」
 「シーサケットだ」
 バスの運転手は聞いたことの無い地名を言った。
 手持ちの地図を広げて確認する。
 運転手もそれを覗き込み 「ここだ」 と指差した場所は、スリンまでまだ150キロも手前の町だった。
 「スリンに行きたいのか・・・ よし、ついて来い」
 運転手はそう言ってバスを降りる。
 自分もその後に付いて行く。
 バスの外では5〜6人の男たちが 「ホテル、ホテル」 と口々に叫びながら、ギョロ目をさせて言い寄ってきた。
 彼らはトゥクトゥクの客引きである。
 「この人はバスに乗るんだ」
 と、運転手がしつこい男たちを追い払ってくれた。
 
 教えられた次のバスは、田舎道をさらに走ること1時間半、どこかの小さな町に到着した。
 今度は路地裏のような所にバスは停車してエンジンを止めてしまった。
 どうやらこのバスもスリンまでは行かず、この町で終点らしい。
 「あの車に乗り換えろ」
 とバスの運転手が指差した先には、ワゴン車が1台停まっていた。
 ワゴン車の運転手に尋ねると、この車がスリンまで行くとのことだ。
 この車はミニバスのようで、フロントガラスにタイ文字で行き先が書かれてあった。
 車内にはすでに多くのタイ人が出発を待っていた。
 
 車は30分ほどでスリンの町に入り、少しづつ乗客を降ろしながら長距離バスターミナルで終点となった。
 スリンの町は大きい割にはどことなく寂しい町であった。
 この町が賑わうのは年1回開かれる 『象祭り』 の時で、全国から人々が押し寄せてくるそうである。
 しかし、それ以外の時はタイのどこにでもあるような静かな町なのだ。
 駅までの途中に何軒かのゲストハウスがあったが、営業しているのかどうか判らないほどひっそりとしていた。
 駅前にある町の地図を見ると、『トンタリン・ホテル』 というのが目に入った。
 場所がよく分からないので、昼寝をしていたサムロー (自転車で牽く人力車) のおじいちゃんを起こし、そこへ連れて行ってもらうことにした。
 
 やせ細ったおじいちゃんは 「はぁ、はぁ」 言いながらペダルを踏み込む。
 相当に気が引けたが、他にトゥクトゥクなどがいなかったので仕方がない。
 「お前はタイ語が分かるのか?」
 おじいちゃんはこちらをチラチラと振り返りながら話し掛けてきた。
 その口元には前歯が無かった。
 「ほんの少しだけなら」
 「それはスゴイ。お前はナニ人だ?」
 「日本人」
 「そりゃいい。日本はいい国だ」
 意外な言葉だった。
 多くのアジアの国々では、これくらいの年齢の方々には過去の忌まわしい戦争の傷痕が今でも心に残っているため、日本人を良く思っていない場合が多いのだ。
 なのに、おじいちゃんは目を細めてそう言ったのだ。
 「行ったことあるの?」
 「いや無い。でも行ってみたい」
 「おじいちゃん、歳はいくつ?」
 「ん〜 忘れた」
 ひょうきんなおじいちゃんだ。
 
 道を間違えながらも、おじいちゃんサムローの着いた所は、12階建ての白亜の高級ホテルだった。
 前庭の駐車場には高級車が何台も停まっており、おじいちゃんサムローでエントランスまで行くのは場違いな感じだった。
 この町には不釣合いな高級ホテルのロビーは大理石でできており、フロントには常時5〜6人の若い女性スタッフがいた。
 (こりゃ高そうだな・・・)
 と思ったが、せっかくここまで来たのだから宿泊料金を聞いてみた。
 すると意外にも安く、シングルルームが1泊780バーツ (約2,300円) 。
 しかも朝食付きだ。
 部屋も見ずにチェックインする。
 10階の部屋はキングサイズのベッドに応接セット、アメニティーグッズが充実したバスルーム、と贅沢な部屋だった。
 そして2方向にある窓からは、町の眺めが手に取るように見え、遠くには地平線までも見えた。



迷惑な歌謡ショー


 町を散歩するがコレと言って見る所も無く、スゴスゴとホテルに引き返し、敷地内にあるビアガーデンで喉を潤す。
 ビアガーデンはなかなか高級感があり、料理のメニューも充実していた。
 しかしビールは冷えておらず、氷の入ったコップで飲むのである。
 しばらく食事を楽しんでいると、店の一角に造られた舞台に女性歌手が2人登場して歌謡ショーが始まった。
 フリフリのド派手な衣装で、大音量のスピーカーから流れてくるのはアップテンポの陽気な歌だ。
 しかし、これにはマイッタ。
 ―― 自分以外に客がいないのだ。
 広々とした店内は、見渡す限り客のいないテーブルが並んでいるだけだった。
 このショーは今、まさに自分だけのために催されているのである。
 はっきり言ってありがた迷惑≠ナある。
 1曲終わるたびに寂しい拍手が店に響く。
 こちらもイヤだけど、唄っている方はもっとイヤなのではないだろうか。
 (もういいからやめてくれ!)
 と叫びたかったが、次々と曲が流れてショーは終わる気配が無かった。
 
 気まずい雰囲気の中で7曲くらい耐えただろうか、そこに救世主の如く2人の成り金おやじが入って来た。
 (あー助かった)
 そそくさと勘定を済ませて店を出る。
 
 部屋に戻るや否や激しいスコールとなる。
 一気に雨と風が強くなり、夜8時頃には町じゅうが停電となってしまった。

(第九章 終)



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