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めこん・風の物語  (第十章・マッサージ、行くか?)

パワー溢れる天使の都


 スリン駅の切符売り場でディーゼル特急の空席を確認してもらい、予約事務所で2等車の座席指定を受ける。
 列車はすでに入線しており、すぐに乗車することができた。
 7時45分、駅長の鳴らす鐘を合図にして列車はホームを滑るように出発した。
 この路線 (タイ国鉄東北線) は車窓風景が変化に富んでいて楽しかった。
 湖や山、大きな採石所などのそばを列車が走るからだ。
 途中の駅に停車するたびに物売りが乗って来て、2等車でも咎められることなく自由に営業をしていた。
 そんな物売りから昼食用のカオパ (炒飯) を買う。
 これがむちゃくちゃ辛く口から火を噴くほどであったが、周囲のタイ人は美味しそうに食べていた。

 隣に座ったスリン在住のビジネスマンと仲良くなり、バンコクまでの道中で会話を楽しむ。

 列車がバンコク市内に入ってくると、空は暗雲に包まれていた。
 30分遅れの午後3時半、ファランポーン駅 (バンコク中央駅 )に到着。
 タイミング良くやって来た路線バスに飛び乗り、お気に入りのプラトゥナーム地区でホテルを探してチェックインする。
 
 夕食をとりに出掛けようとすると外はスコールとなっていた。
 仕方なく正面玄関の軒先で雨が止むのを待っていると、一人のおじさんに声を掛けられる。
 「古式マッサージに行かないか?」
 彼はタイ式マッサージの客引きであった。
 バンコク市内の大型ホテルの前には、必ずと言って良いほどこのような客引きが立っており、外国人観光客の顔を見ると 「マッサージ、マッサージ」 と誘ってくるのである。
 「1月にワット・ポーでやってもらったから要らないよ」
 この1月にタイを放浪した際、腰痛から片足が動かなくなり古式マッサージで有名な寺院、ワットポーで治療を受けたのだ。
 「ワット・ポーか。それは気持ち良かったろ?」
 「いいや、苦痛だった」
 マッサージと聞くと気持ち良さそうな印象を受けるが、タイの古式マッサージは苦痛そのものであった。
 最初のうちはソフトに揉んでくれるのだが、徐々に激しくなって体中をこれでもかと言うほどにひねり返すのである。
 終いには満身の力を込めてヘソの周囲を押し、息もできないままに意識が遠のく始末である。
 「ところで、どこへ行くんだ?」
 「食事に行く」
 「雨はまだ止まないから、その間にマッサージに行こうよ」
 「だから、行かないって」
 「タイの名物なのに、なぜ行かない?」
 彼は何としても自分をマッサージに連れて行こうと必死だった。
 しかし、こちらに関心が無いことが判ると、いったんは諦めたのか、雑談をしてくるようになった。
 他の客引きの場合、古式マッサージに興味を示さなければ 「セクシーマッサージ」 と言って怪しげな写真を見せてくるものであるが、このおじさんは違っていた。
 彼は古式マッサージが専門のようだ。
 
 おじさんの言うとおり、雨は1時間経っても止まなかった。
 少し雨脚が収まってくると、傘をささずに歩く人が増えてきた。
 いつまでもこうしてマッサージおじさんの相手をしている訳にもいかず、雨の中を出掛けることにする。
 「おじさん、じゃあね」
 「食事が済んだらマッサージね」
 「行かないよ」
 後ろ向きに手を振り、ホテルを立ち去る。



1週間分の小瓶


 久々の都会は良い。
 夜になっても賑やかだし食事にも困らない。
 道を行くと客引きは強引なほどにしつこいが、こちらに余裕があればそれもご愛嬌として結構楽しめるものである。
 
 屋台街で夕食をとった後、ワールドトレードセンターへ足を運ぶ。
 このショッピングセンターには日本のデパートも店を構えており、常に日本人旅行者が多い場所である。
 その中にある免税店へ向かう。
 自分にとってこの免税店ほど嫌な場所はない。
 それは、どの国の店でも売っている物が同じだからだ。
 お土産とはその国でしか手に入らない物を買ってこそ真の意味がある。
 しかし、妻は免税店が大のお気に入りで、2人で海外旅行をすると免税店ばかり立ち寄っている。
 イヤイヤながら妻のあとにくっついて店に入るのだが、彼女はそんなことにお構いなく何時間でもあれこれと商品を見て廻るのだ。
 世の女性の大半は買い物好きなので仕方のないことだが、付き合わされる男性の身にもなって欲しいものだ。
 もう一つ嫌な理由としては浮いてしまう≠ゥらだ。
 今回のような旅をしていると、ヒゲは伸び放題、汚らしい服でも構うことなく着続けられるようになる。
 そんな身なりでは、お金持ちで小奇麗な日本人団体客が大勢いる中では、奇異の目で見られてしまうのだ。
 そんな憂鬱な免税店だが、妻のために行かなくてはならなかった。
 「お土産に、この新製品の化粧品を買ってきてネ」
 と過酷な旅をしている旦那の実情も知らず、日本を発つ前に雑誌の写真を切り抜いて渡されたのだ。
 まぁ、仕方ない。
 家庭をおいて一人旅を認めてくれた代償だ。
 しかし、日本円で約1万円の化粧品 ―― この小瓶がラオスでの1週間分の旅費になるのか・・・
 
 夜も遅くなり客引きの増えたバンコクの町を、屋台で買い食いをしながらホテルまで戻る。
 「今から行くか?」
 マッサージおじさんは、まだ客が見つからない様子だった。



チャイナタウンをフラフラと…


 翌朝、ホテルの1階にあるレストランの、大通りに面したテーブルで朝食をとる。
 明るく大きなガラス張りの席から、忙しそうに道行く通勤の人々を眺めながらのコーヒーは、なんとも贅沢で優雅な気分になる。
 しかし、それと同時に明後日からの自分をそこに見るようで、やりきれない気持ちにもなる。
 
 「おじさん、おはよう」
 マッサージおじさんは、今日も朝からホテルの前で客引きだ。
 「よっ、今日こそ行くか?」
 「行かないよ」
 こちらがマッサージに行かないことを承知の上で、やり取りを楽しんでいるようだ。
 
 今回の旅でも多くの愉快な人々と出会うことが出来た。
 中にはスキあらばボッたくろうとする輩もいたが、彼らとて根は親切でやさしい人たちだ。
 彼らの瞳には純粋さが残っていたのだ。
 そして、どの人の笑顔もとても輝いて見えた。
 その笑顔に接することができたので、今回の旅も満点であろう。
 最大の目的であるメコン川の水面に沈む真っ赤な夕陽を拝むことは出来なかったが、ラオスのやさしい風に包まれていたことで充分過ぎるほどに満足した。
 それらの思い出を噛み締めるように、最後の1日はチャイナタウン周辺でのんびりと過ごした。



厳しかった東京税関


 午前3時。
 ホテルをチェックアウトする。
 流石にマッサージおじさんはまだ来ていないが、こんな時間でも大通りの交通量はかなり激しい。
 手を上げるとすぐに2〜3台のタクシーが近寄って来た

 3時半。
 まだ静かな空港で搭乗手続きを済ませる。

 満員の乗客を乗せたノースウエスト機は、定刻どおりにドンムアン空港を離陸し、一路帰国の途についた。

 半月ぶりの成田は激しい雨模様だった。
 スコールには慣れているものの、日本での雨はやはり憂鬱だ。
 気流の悪いところを飛んで来た割には、定刻よりも30分も早い午後2時に到着した。
 入国も荷物受取りもスンナリと終わり、最後の手続きである税関へ向かう。
 (どうせフリーパスだろう)
 と、高を括っていたのが大間違えであった。
 「タイからですか?」
 税関の職員はパスポートと顔を見比べながら丁重に尋ねる。
 「はい。それとラオスです」
 「ラオスですか・・・ じゃあ、手荷物を全部開けて下さい」
 仕方なく、背中のリュックを降ろして中身を広げる。
 「ゴールデン・トライアングルをご存知ですよね。あの辺は麻薬の密輸地帯ですから・・・」
 ゴールデン・トライアングルとは、タイ・ミャンマー・ラオス、3つの国の国境地帯で、その昔は大規模な麻薬栽培がおこなわれていた地域だ。
 3国の国境地帯と言うこともあり、各国の軍隊はうかつに近寄ることができず、世界的に有名な麻薬王によってその地域は牛耳られていた。
 やがて3国の協力関係が成立し、徹底した麻薬撲滅作戦を展開した結果、今日ではリゾート地に変貌を遂げたのだ。
 しかし、一部ではまだ麻薬の栽培はおこなわれているようであり、自分のような怪しいオヤジには税関も目を光らせているようである。

 厳しい税関のチェックも無事に終了し、京成電車は雨の中を家路へと運んでくれた。

 ラオスに行って考えた・・・
 『ラオス』 のス≠チてなんだろう?
 ラオ語、ビアラオ、ラオラーオ、ピーマラオ (ラオスの正月のこと) ・・・
 現地ではすべて 『ラオ』 だ。
 
 もしかして複数形のS≠ゥ?

(完)



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