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めこん・風の物語  (第七章・恋するコンニィープン (日本人)

元気復活! いざ南へ…


 6時、ホテルをチェックアウトする。
 徳永夫妻に会えたお陰で、一度は萎れかけていた旅に対するバイタリティーが再び湧いてきたのだ。
 (駆け足でもいいから最南端に向かおう!)
 そう思った昨晩から、心は次の町を目指していた。
 町はまだ眠りから覚めておらず、車の往来もほとんど無いようだったが、幸いにもホテル前には一台のトゥクトゥクが始業点検をしていた。
 
 バスターミナルにはすでにたくさんの人々が集まっていた。
 サバナケット行きのバスも到着をしていて、すでに車内には数人の乗客が出発を待っていた。
 係員に荷物を預けて座席を確保する。
 バスは古かったが観光バスタイプで、エアコンとビデオを装備している高級車だった。
 サバナケットまでの運賃は20,000キップ (約240円) 。
 
 ターミナル内にはいくつかの露店が営業をしており、朝食をとるラオス人でごった返していた。
 物売りも手に籠をぶら提げて、バスの窓越しに熱心な営業活動をおこなっている。
 自分も朝食にフランスパンを買う。
 かつてはフランスの植民地であっただけに、フランスパンはとても一般的な食べ物である。
 しかし、彼らには彼らの文化でそれらをアレンジしていた。
 パンはそれだけで食べられることはほとんど無く、必ず何かを挟んでサンドウィッチにしているのだ。
 その具材がラオス特有の食べ物であるため、中にはムチャクチャ辛いサンドウィッチもある。
 今、自分が買ったものがそれに当たってしまった。
 ヒィーヒィー言いながら、水で流し込むようにして優雅な朝食を終える。
 胃袋のあたりが熱い。
 
 やがて車内の乗客も増え、補助席としてプラスチックの丸い椅子が運び込まれて通路に並べられた。
 この椅子では急ブレーキを踏んだら危ない…
 満員になったので予定よりも30分早い、7時にヴィエンチャンを出発した。
 
 時折、道路に牛が歩いていて減速をするものの、バスは快調に一本道を進む。
 道路が舗装されているのでバスの揺れが少なく、エアコン付きなので快適なバスの旅だ。
 ビデオでは香港映画を上映し、ラオ語が分からなくてもド派手なアクション映画だったので充分に楽しめた。

 バスは途中で30分の昼食休憩をとりながら、午後2時半、サバナケットのバスターミナルに到着した。
 事務所で明日のパクセ行きの出発時間を確認してから、トゥクトゥクにて町の中心地へ向かう。



ゴーストホテル


 ホテルやゲストハウスが少ない町なのだが、地図を見るとメコン川のほとりに 『メコンホテル』 というのがあったので、とりあえずそこまで行ってみる。
 名前からしてメコン川に近いのではと言った単純な理由からだ。
 到着したホテルは小さいながらも綺麗な建物で、予想どおり川のほとりにあったので部屋の窓からメコン川を眺めることができそうだった。
 トゥクトゥクの兄ちゃんには、明朝の4時半にこのホテルの前に迎えに来てくれるよう頼んだ。
 ほんの数日間の経験なのだが、ラオスの宿泊に関して満室≠ネどということは有り得ないと思っていた。
 どのホテルでも充分過ぎるほど部屋が空いていたので、どこへ行ってもそんなものだと思っていたのだ。
 それがここへ来て事情が違っていた。
 「エアコン付きのシングルルームを」
 「満室です」
 フロント氏は無情にもそう言い放ったのだ。
 「では、スウィートルームは?」
 「満室です」
 「ファン (扇風機) のみの部屋は?」
 「満室です」
 訊くまでもない。
 彼のすぐ後ろにあるキーケースには1つとして鍵がぶら下がっていなかった。
 部屋数は少ないがその種類が多いこのホテルは、どの部屋も満室のようだった。
 この町は、タイ−ラオス−ベトナム を結ぶ通商ルートの中間に位置するので滞在者が多く、それに比べて宿泊施設が少ないためにこの手のホテルはすぐに満室になってしまうようだ。
 需要と供給のバランスが悪いようだ。
 「困ったな…」
 ホテルに足を踏み入れた時から宿泊するつもりになっていたので、次のホテルをすぐに探しに行く気分になれなかった。
 こちらの困惑顔を察してか、
 「この先に、もう一軒ホテルがありますよ。そこへ行ってみては?」
 と丁寧に外まで出て場所を教えてくれた。
 
 そのホテルはすぐの所にあった。
 入口にあたる1階は食堂になっており、大きな犬がけだるそうに床で昼寝をしていた。
 「エアコン付きのシングルルームはいくらですか?」
 食堂の片隅に机を1つ置いただけのフロントで尋ねる。
 「…」
 フロントの兄ちゃんは何も言わず、無愛想に料金表を指差す。
 「部屋は見れますか?」
 「…」
 相変わらず無愛想に数本のキーを投げ出す。
 自分で勝手に見て来いと言うことらしい。
 急な階段を登って2階に上がると、そこは廃墟のようなところだった。
 暗い中、手探りで南京錠を開けて部屋に入る。
 部屋の中も廃墟のようだった。ガラ〜ンとした中途半端に広い部屋の真中に、薄汚いベッドが1つだけポツンと置かれてあり、なんだかとても薄気味の悪い部屋だ。
 照明が無く暗いトイレは便器が壊れており、シャワーも水だけが申し訳程度にチョロチョロと出るだけだ。
 他の部屋も甲乙、いや丙丁付け難いほど同じようなもので、例えタダでも泊まりたくないホテルだ。



巨大なベッド…?


 まともなホテルを求め、あてもなく炎天下をフラフラと行く。
 しばらく行くと一軒のゲストハウスを発見した。
 普通の民家のようだったが、看板がかかっていた。
 『Xayamounghoune Guest House』 ―― 読めない…
 後で訊いたら 『サヤムンクン・ゲストハウス』 と発音するそうだ。
 最近のガイドブックにはこのゲストハウスが紹介されているが、本によっては表記が違うようだ。
 ここでは宿のおやじさんが発音したとおり (聞こえたとおり) に記述する。

 「こんにちは。部屋空いていますか?」
 「はい」
 応対してくれたのは、とてもフレンドリーなおやじさんだ。
 なんとか英語も通じる。
 「どのタイプの部屋がイイか?」
 おじさんは料金表に書かれた部屋タイプを指差しながら尋ねる。
 「…このエアコン付きシングルルームを…」
 「それは満室だ」
 「んじゃ、エアコン付きツインを…」
 「それも満室だ」
 「では、どれが空いているの?」
 「空いているのはこの部屋だけだ」
 と一室を指差す。
 (だったら、最初からそう言えよ…)
 辛うじて空いている一室に案内してもらう。
 明るい中庭に面したその部屋の扉を開けると、ドーンと巨大なベッドが鎮座していた。 ―― いや、よく見るとベッドが巨大なのではなく部屋が狭いのだ。
 部屋の面積の90%をベッドが占めている。
 (この部屋にどうやって運び込んだのだろう?)
 どうでもよい疑問が頭をよぎる。
 シャワー・トイレ・ファン付きで19,000キップ (約230円 )。
 部屋がやたらと狭いことを除けば、便器も壊れていないし勢い良くお湯も出る。
 そして何よりも清潔で居心地が良さそうだった。
 家族で経営しており、おばあちゃんや娘さんたちがあちらこちらを掃除しているのが見えた。
 とても家庭的なゲストハウスだった。
 明日は早朝に出発することを告げ、前金で宿泊代を支払ってチェックインする。
 
 荷物を部屋に置いてから中庭のベンチに腰をかけていると、宿の娘さんが 「こちらにいらっしゃい」 と手招きをした。
 招かれるままについて行くと、風通しの良いロビーの長椅子に座ることを勧められ、冷たい水を出してくれた。
 何かと気遣いのあるゲストハウスだ。
 


恋するコンニィープン


 しばらくそこで涼んでいると、一人の青年が外から帰って来た。
 「日本の方ですよね?」
 声を掛けてきた青年は、兵庫県出身の上垣さん。
 「6月に会社を辞めたので旅に出たんです。タイ、カンボジア、ベトナムを巡ってこの町までやって来たんですよ」
 彼はひとつの節目として、この旅で何かを掴もうとしているようだ。
 「何年間か旅を続けるの?」
 「いや、8月に雇用保険が給付されるので、それまでには帰ります」
 (…いやはや、現実的だ)
 「ああ、でも良かった」
 「何か困ったことでもあったの?」
 自分に会えたことをしきりに喜ぶ彼に尋ねる。
 「いや、ベトナムからこの町にやって来て10日近くになるんですけど、日本人に全然会わないんですよ。自分はラオ語も英語もできないから、喋りたくて喋りたくてしょうがなかったんです」
 と、彼は10日間溜まってしまった言葉を、堰を切ったように喋りまくった。
 関西人は喋っていないとこうなってしまうのか?
 「ラオス人相手に日本語で喋ればいいじゃない」
 「いや、通じなければ喋っていても虚しいですょ」
 関西人の会話にはツッコミが必要なのだ。
 「英語ができなくて食事とか宿とか困らないの?」
 「身振り手振りでなんとかやってきましたょ」
 それはすごい。
 「ところで、この町に10日も居て飽きないの?」
 「実は… 一目惚れした娘がいまして…」
 彼が語るところによるとこうである。
 この町に着いた日、遊んでいた子供たちと仲良くなったそうだ。
 そのうちの2人の子が 「家に遊びに来い」 と言うのでついて行くと、お父さんやお母さんからも大歓迎されたそうだ。
 夕飯や酒までご馳走になり 「明日も来い」 と言われて、それから毎日のように遊びに行った。
 そして、その家族の長女 (推定年齢22歳くらいらしい) に一目惚れしたのだそうだ。
 2人の子供はとてもなついてくれているのだが、その彼女は家事の手伝いが忙しく、あまり話しができないのだそうだ。
 仮に話す時間があっても、言葉が通じないので困っていた。
 「この町をいつ出発できるか分からんのですよ…」
 「旅先のロマンスってヤツだね」
 「そんなカッコのイイものじゃないですよ…」
 彼の眼差しは真剣そのものだった。
 心底ホレ込んでしまったようだ。
 ときめく≠アとなどほとんど無くなってしまったおじさんには、大きく心に残る出来事のある彼の旅が、とても羨ましく思えた。



山本さん?


 悩める彼とはいったん別れ、夕食をとりに一人で外に出る。
 「この町は食堂もほとんど無いですよ」
 悩める彼の言葉どおり、それらしき店がまったく見つからなかった。
 結局、先ほどのメコンホテルまで来てしまい、ホテルに併設されたレストランに入る。
 店内は閑散としていて、窓際のテーブルには怪しげなラオス人とインチキくさい中国人が、アタッシュケースを持ってヒソヒソと商談をしていた。
 「いらしゃーい」
 変な日本語が耳をかすめた。
 このレストランでウエイターをしているプーイキ君が、片言の日本語で迎えてくれたのだ。
 「日本語しゃべれるの?」
 「山本さんに教わりました」
 「誰? その山本さんって…」
 「山本さんを知らないですか?」
 そう言われても日本人に山本さんはたくさんいるからなぁ…
 「私は山本さんから農業を3年間教わっています」
 山本さんとは海外協力隊などのボランティアの方のようだ。
 話しはさらに盛り上がり、途中から手の空いたレストランのオーナーも加わって2人から色々なラオ語を教わる。
 窓の外では空が赤くなり始めていた。
 
 メコン川沿いには屋台が店を出し始めていたので、眺めの良さそうなテーブルに座りビールを注文して夕陽を待つ。
 対岸には、こちらの町とは対照的に高い建物が林立する近代的な町、ムクダハン (タイ) を間近に望むことができる。
 この川には国境越えの定期船が日に数本運航されているので、豊かなムクダハンまでは簡単に渡ることができるのである。
 しかし、あまりの対照的な町並みに、このサバナケットの人たちは対岸の町をどのような気持で毎日眺めているのだろうか。
 
 数100メートル先に、地元の若者とじゃれ合っている上垣さんを発見する。
 大きく手を振るとこちらに気付き、一緒にビールを飲む。
 「あそこで若者と遊んでいたの?」
 「違うんですよ。ここの若者は勉強熱心なんですよ」
 「どういうこと?」
 「彼らは日本人のボクに英語を教わろうと集まって来るんですよ」
 この川沿いは夕方になると地元の若者が集まり、英語の勉強を始めるのだそうだ。
 そして、そこにたまたま居合わせた外国人旅行者は、その良い先生となるのだ。
 彼らにとって英語ができると言うことは、この国から飛び出して成功を掴む第一歩なのでもある。
 「高校まで英語を授業で習っておきながら、全く喋れない自分が恥ずかしいですよ」
 彼の言葉はそのまま自分にも当てはまった。
 
 雲に遮られながらも、大きくて真っ赤な夕陽はタイの町へと沈んでいった。

(第七章 終)



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