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めこん・風の物語  (第三章・おやじ軍団、ルアンパバンで酔う

豪快! メコン川下り


 翌朝8時。
 ホテルの前にはラオス赤十字のジープが待っていた。
 スピードボート乗り場はスローボート乗り場とは正反対側の町外れにあり、このジープに揺られること5分ほどで到着した。
 小さな小屋に机がひとつポツンとあり、ここで料金を支払う。
 1人800バーツ (約2,400円) 。
 ちょうどスローボートの倍額である。
 なぜか外国人はタイバーツでの支払いに限られており、ラオスの通貨であるキップでは支払えない。
 
 隣の部屋にも机がひとつあり、そこには怖い顔をした制服警察官が一人駐在していた。
 この部屋に入ってパスポートを提示。
 そして、大きな台帳に氏名やパスポート番号などを自分で記入する。
 これは 『ポリスチェック』 と呼ばれるもので、最近ではかなり簡略化されてきたと聞いているが、ラオスでは県を越えるたびにこの手続きをしなくてはならないのだ (南部ではおこなわれなかったが…) 。
 
 8時半。
 全員が無事に手続きを終え、いよいよ出発だ。
 足元の不安定な急斜面の崖を下ると、細長い8人乗りのプラスチック製小型ボートが停泊していた。
 その舟に荷物を積み終えると、各自にヘルメットとライフジャケットが手渡された。
 着用が義務付けられているそうだが、顎紐の切れたヘルメットとボロボロのライフジャケットでは、安全≠ニ言うよりも気休め≠ナしかない。
 結局、ライフジャケットは全員着用していたものの、ヘルメットは船底に転がしたままであった。
 
 舟はけたたましいエンジン音と共に一気に加速し、あっと言う間に岸を離れてしまった。
 メコン川は前述のとおりの濁流。
 所々に鳴門海峡のように渦巻いている個所があったり、巨大な流木や岩がひょっこりと顔を出している場所がある。
 それらを巧みに避けながら、時速70キロ (推定速度) で水面を跳ねるように進む航行はむちゃくちゃ怖かった。
 スピードが増せば増すほど、水面はコンクリートのように固くなったようで、ゴツンゴツンと船底から音を発しながら、舟は小刻みにジャンプを繰り返した。
 「エアープレーン!」
 と言って、隣に座っている所長のティーさんが無邪気に喜ぶ。
 所長は靴を脱ぎ、体育座りですっかりくつろいでいる。
 (怖くないのかよ?)
 と思いつつ、引きつった笑顔で頷き返す。
 が、メコンの風を全身で受け止めることができるのは、爽快≠フ一言に尽きる。
 
 山とジャングルを縫うように流れるメコン川。
 目に飛び込んでくるのは木々の深い緑色。そして今、自分は風になってその谷間を吹き抜けている。
 所々に斜面にへばりつく様にした高床式の家が見え、そこに集落を形成していた。
 川では漁をする人、水遊びをする子供たち、そして水牛がのどかに水を飲む光景が続く。
 世界はもうすぐ21世紀を迎えようとしているのに、ここだけは時が全く止まってしまったようだ。
 彼らには2000年問題なんて関係ないんだろうなぁ…



とても静かなパクベン村


 11時半。
 途中で警察の検問があり余計な時間を費やしたが、パクベン村に到着。
 川の上の建てられた小屋に舟が停泊し、ここで昼食休憩となった。
 小屋の片隅にあるトイレに入って驚いた。
 ちゃんとした個室になっているのだが便器が無い。
 床板がただ丸く切り取られてあり、そこで用を足すのである。
 その穴の底にはメコン川の濁流が悠々と流れているではないか。
 少々怖いがなんとも豪快な水洗トイレである。
 が、そのトイレのすぐ川下では、水遊びをする子供たちや漁をする村人がいた。

 昼食が終わると、またポリスチェックである。
 今回は1人500キップ (約6円) の手数料を取られた。
 
 ポリスチェックが終了するまで時間があったので、土手を登って集落を散歩する。
 砂利道の両側に高床式の住居が並び、商店も何軒かあったが人がいなかった。
 村人は皆、日陰に集まって昼寝をしていた。
 こんな炎天下の猛暑の中、外を歩いているのは我々ぐらいのものである。
 
 船着場では上流からも下流からも舟がどんどんとやって来て、人と荷物を降ろしていた。
 やや広めの小屋も人と荷物で次第に混雑してきた。
 荷物は生活物資ばかりで、麻袋に入った農作物や鶏、豚などである。
 このパクベン村は、フエサイ−ルアンパバン のほぼ中間地点にあたり、すべての舟はここで出発地に折り返してしまうのだ。
 よって、上流から来た客は下流から来た舟へ、下流から来た客は上流から来た舟に乗り換えなくてはならないのである。
 我々も今までの舟に別れを告げ、下流からやって来た舟に乗り換えをした。
 ポリスチェックと荷物の積み替えに時間がかかり、パクベンを出発したのは午後1時半を過ぎていた。



無事に到着、ルアンパバン


 相変わらずの風景の中、舟は快調に進んで行く。
 午後の陽射しが相当に厳しくなっていたが、全身で受ける風がそれを感じさせなくしてくれた。
 Tシャツに短パン姿、そして裸足になってすっかりくつろいでしまっていたが、これが後に悲惨な結果を生むことになるとは、このときは思いもしなかった。
 
 舟は途中で川岸の絶壁にポッカリと口を開けた鍾乳洞・パクオー洞窟に立ち寄りながら、午後3時半、ルアンパバンに到着した。 と言っても、ここから町まではまだ7キロもあるのだ。
 スピードボートはエンジン音がうるさいので、町の近くまでは行けないそうである。
 
 船着場には1軒の食堂があった。
 ここまでの無事を祝し、ビールで乾杯をすることにした。
 所長とチャンタラさんがラオス料理のつまみを注文してくれた。
 「ほんと、無事で良かった、良かった」
 松田さんが心底ホッとした顔でそう言うものだから、
 「そんなに怖かったですかぁ?」
 と尋ねた。
 「いや。このボートは転覆事故が頻繁に起きていて、つい最近も欧米人が死んでいるだよ。我々は何事も無くて良かった、良かった」
 まぁ、あのスピードであの濁流を進むのだから、事故が起きないほうが不思議なくらいである。
 「ところで、ぽからさんは今晩ドコに泊まるの?」
 慎重派の松田さんとは対照的に、何事にも好奇心旺盛な徳永さんが尋ねてきた。
 「いや、決めてないんですけど…」
 「アテはあるの?」
 「いいえ。無いです」
 「もし良かったら、我々と同じホテルにしたら?」
 昨晩に引き続き、嬉しいお誘いである。
 「エアコン付きで1泊10$。スウィートルームだってたったの12$。安いから一緒に泊まりましょうよ」
 こちらが財布の中身を気にしたのを察してか、すかさずチャンタラさんが付け加えた。
 「…そうですね。じゃあ、行ってみましょう」
 「よし、そうと決まったら、さあ、もう一杯」
 
 こんな調子で飲んでいると、しばらくしてルアンパバンの赤十字から迎えの車がやって来た。
 日本製の最新型のピックアップトラックだ。
 「荷台に乗ってもいいですか?」
 冷房の効いた車内で快適に移動するのも悪くないが、ピックアップトラックとくればやはり荷台≠ナある。
 「それは構わないけど、落ちたりしないで下さいよ」
 慎重派の松田さんがそう答えると、
 「私も荷台に乗るから」
 と、徳永さんも片足をタイヤに掛けて、ひょいと荷台に飛び乗った。
 「徳永さんまで…」
 少し困った顔の松田さんだったが、
 「いいですか、道が悪いから立ち上がったりしないで下さいね」
 と我々に言い聞かせた後、運転手に出発を命じた。
 最初のうちは相当のデコボコ道で乗り心地が悪かったが、やがて畑の中の舗装路になると快調にスピードを上げていった。
 広々としたラオスの風景が後ろへ後ろへと遠ざかるさまは、旅をしている実感を改めて感じさせた。
 
 一車線しかない大きな鉄橋を渡るといよいよ町中である。
 ルアンパバンはヤシの木に囲まれて緑が多く、寺院が至る所に点在する古都である。
 その落ち着きが漂う反面、大きな市場もある活気に溢れた町でもある。
 この町は、町全体が世界文化遺産に指定されており、それだけに美しく、また近代化されていない所なのだ。
 
 我々を乗せた車は、町の中心からやや外れた場所にあるホテルに着いた。
 ヨーロッパ調の外観で、こぢんまりとした落ち着けそうなホテルである。
 部屋は2階で、階段を上がったところに板敷きの大広間があり、そこで靴を脱いでから広間の周囲にある部屋へと入って行く。



おやじ軍団、ルアンパバンで酔う


 各自シャワーを浴びて、夕方5時にロビーへ集合。
 夕食を食べにメコン川のほとりまで行く。
 川には一隻の大型木造船が停泊していた。
 この船は現役を引退し、1階はゲストハウスで2階がレストランになっていた。
 レストランのある2階のデッキを流れる風は心地良く、やさしく川面を流れていた。
 ビールを飲みながらチャンタラさんにラオ語の手ほどきを受ける。
 旅における必要最低限の会話を、発音どおりにノートに書いて行く。
 これから半年間この国で暮らす徳永さんも、ラオ語の辞書を取り出して熱心に教わる。
 ラオ語の講義のあとは取り止めのない馬鹿話をし、もう一杯、もう一杯と飲んでいくうちに太陽もすっかりメコン川に沈んでしまい、あたりは暗くなってしまった。
 酔いがまわるにしたがい話す声も段々と大きくなり、周囲で静かに食事を楽しんでいる欧米人のみんさんに多少の迷惑をかけていたようである。
 
 ほろ酔い気分で別の店へ移動する。
 千鳥足ながらも相当の距離を歩いた。
 まだ夜の8時だと言うのに町はすっかり寝静まっていて、外を歩いているのは、我々、酔っ払いおやじだけである。
 2軒目は駄菓子屋だった。
 しかし、ここで駄菓子を食べる訳ではなく、店の前に出されたテーブルではビールを飲むことができた。
 街灯が無く真っ暗な路上に出された1組のテーブルに座り、店先に並べられていた湿気たポテトチップスをつまみながら、なおもビールを飲み進めた。
 相変わらずラオ語、英語、日本語が入り乱れての騒ぎである。
 
 ここでも散々飲んだ後、何かを食べようと言うことになり、再び真っ暗な道を行く。
 坂を下るとメコン川の支流・カーン川に行き当たった。
 この川沿いに1軒だけ、暖かな灯かりの灯っているレストランがあった。
 西洋風のアンティークな洒落た建物で、扉を開けると店内には欧米人の観光客が数人、食事を楽しんでいた。
 ゆったりと配置されたテーブルの上には重厚なクロスが敷かれ、蝋燭の灯かりがムードを演出していた。
 あまりの雰囲気の良さに、このラオスにあっては場違いな店であると感じた。
 しかし、場違いなのはこの店だけではなく、酔っ払いのオヤジの一団はこの店ではもっと場違いであった。
 場違いの二乗を背負って通された先は、他の客から隔離するかのような一番奥のテーブルであった。
 「この店ではやっぱりワインだよね」
 などと気取ったことを言いながら、ワインとパスタを食す。
 ラオスは長年にわたりフランスの植民地だったため、上質のワインが極めて一般的に流通しているのである。
 首都のヴィエンチャンではワイン専門店もあり、数多くの種類を楽しむことができる。
 注文した赤ワインは口当たりが良く、舌にスーッと溶け込む飲み心地であった。 ―― と、生意気なことを言ってみても、酔っ払いの口にはどんなワインでも美味く感じるのである。
 


酔っ払いの横暴?


 すっかり酔いがまわり、5人ともヘロヘロになってレストランを出る。
 時刻は夜の10時半を過ぎたばかりなのだが、あたかも深夜のように町は静まり返っていた。
 ここからホテルまでは歩いて20分以上はかかる。
 素面の時でも辛い距離だが、今の5人にはできれば歩きたくない距離だ。
 しかし、トゥクトゥクが通りかかる気配は全く無い。
 それどころか、道路を通行するものは皆無である。

 道端に一台のトゥクトゥクが停車しているのを発見した。
 しかし、営業はすでに終了と言った感じで、運転手の姿がどこにも無い。
 すると、
 「任せなさい」
 と言うが早いか、所長のティーさんがトゥクトゥクの停車している前の家へ入って行ってしまった。
 「ティーさん、ドコへ行っちゃったの?」
 「交渉かな?」
 チャンタラさんもキョトンとしている。
 すぐにティーさんが一人のおじさんを従えて出てきた。
 おじさんはトゥクトゥクの運転手で、ティーさんが寝ていたおじさんを起こして交渉してくれたのだ。
 果たしてこれは酔っ払いの暴挙なのか、それともラオス式なのか定かではない。
 いずれにしても我々は楽をしてホテルに帰ることができるのであった。
 おじさんはイヤな顔一つせず、うるさい酔っ払いオヤジの一団を乗せて暗闇の続く道を進んだ。

(第三章 終)



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