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迷宮の異邦人  (第四章・砂の故城)

シャンジー


 明朝、フロントで延泊の手続きをしていると、タクシードライバーの謝さんがやって来た。
 彼は中国国際旅行社から依頼を受けた旨の手配書を示し、今日一日かけて廻る場所の確認をおこなった。
 日常的にタクシーとして使っている赤い小さな車に乗り込み、朝の賑わいを見せる町中を走り抜ける。
 道にはロバ車がたくさん行き交い、屋台ではナンを並べて売る店が繁盛していた。

 しばらく車を走らせるとクチャの町外れとなり、そこには思わず 「わぁ〜」 と声をあげてしまうほどに見事なポプラ並木が続いていた。
 「オールド・シルクロード、シャンジー? シャンジー?」
 ドライバーの謝さんは英語も日本語も話せなかったが、ここがシルクロードの旧道であることはすぐに分かった。
 でも、「シャンジー」 って何だ?
 「シャンジー って何?」
 首を傾げて疑問の表情を示すと、彼はカメラを構えるポーズをとった。
 中国語で写真をシャンジーと言うのだった。
 「おー、シャンジー、シャンジー、適当に車を停めて」
 望遠レンズでファインダーを覗くと、ポプラ並木は終わりが無いのではと思えるほどにどこまでも続いていた。
 そしてその一本一本はドッシリとして大きく、砂漠の厳しい自然環境から町を守るには充分であった。

 行けども行けども並木は続いた。
 相当に走ったところでやっと並木が途絶え、風景は一変して赤土の荒涼とした大地となった。
 まるで地球では無いような風景が目の前に広がる。
 映画で観た火星か猿の惑星か… そんな景色だ。
 「シャンジー? シャンジー?」
 そう言いながら、謝さんは要所要所で車を停めてくれた。
 そして丁寧にその場所の説明をしてくれた。
 もちろん言葉は通じないので筆談である。
 現在の地点の標高やそこから見える山の名前、地質や歴史に至るまで、分かりやすい漢字を並べて解説してくれた。

 シャンジーを撮りながら、1時間半ほど何も無い荒地を走ると、突然に眺めの良い断崖の上に出た。
 眺めが良いと言っても、そこには360度の荒涼とした大地が広がるだけだが… その断崖に沿って九十九折の道が、崖下のキジル千仏洞まで続いていた。



砂漠の水売り


 キジル千仏洞は2世紀頃から造られた仏教遺跡で、40メートルの崖に237もの石窟が掘られた。
 その一つ一つに仏像が奉られ、僧侶たちがそこで修行をしていたそうだ。
 入口で入場料の35元 (約500円) を支払い、綺麗に整備された園内を進むとビジターセンターなる建物があり、そこでガイドをお願いする。
 日本語のガイドもおり、ガイド料は60元 (約900円) だった。
 やって来たのは、実家のある哈爾浜 (ハルピン) で日本語を勉強したと言う若くてかわいい女の子だった。
 この彼女と二人で石窟内を巡ってくるのである。
 おじさんはちょっと嬉しい。
 石窟へは断崖絶壁の急な階段を、息を切らせながら登って行く。
 汗が滝のように流れ出た。
 「今の気温は38℃くらいです。夏にはもっと暑くなりますよ」
 ここでは、これくらいの暑さはまだ序の口のようだ。
 石窟の一つ一つには厳重に鍵が掛けられてあり、それを開けて中へ入る。
 一歩足を踏み入れると、スーッと汗が引く。
 一瞬、冷房をしているのかと間違えるほどに、石窟の中はひんやりとしていた。
 思わず彼女と顔を見合わす。
 彼女も帽子をとってホッとした顔をしている。
 「涼しいでしょう? 冬は暖かいんですよ」
 かつて石窟の中は、多くの仏像や金箔で覆われた壁画、天井画で埋め尽くされていたのだが、度重なる盗掘や戦乱、地震によって現在では相当に荒らされており、一部の壁画が残されているのみであった。
 その残された絵の一つ一つを、懐中電灯を照らしながら案内してもらう。
 仏陀の物語や言い伝え、当時の風習など、大変に興味深い解説であった。
 2時間ほどかけて10ヶ所の石窟を見学し、スタート地点に戻る。

 「この奥に千涙泉と言う泉があります。そこへは行かれますか?」
 彼女によれば、山道を1.5kmほど行くとその泉があると言う。
 そこは、亀茲国 (2世紀頃のこの地の呼び名) の王女様が悲恋の末に死んでしまい、その涙が泉になったとか…
 彼女に地図を描いてもらい一人で山道に入る。
 初めのうちは道も平坦で、崖上の石窟を眺めながらの快適なハイキングだった。
 道の脇を流れる小川は清く、手を入れると冷たくて気持ち良かった。
 道は少しずつ藪に覆われるようになり、小さな渓谷の足場の悪い路面へと変ってきた。
 小さな虫が大量に飛び交っている場所もあり、手で払い除けながらの厄介なハイキングとなる。
 20分ほどの苦労の後に到着した泉は、崖からポタポタと水が滴っているだけの、なんとも寂しいものだった。
 (ここまでの苦労は何だったんだろう…)
 そそくさと来た道を戻る。
 「泉っていいトコ?」
 ここに来る前にガイドの彼女に尋ねたところ、小首を傾げて 「クスッ」 と笑った。
 その意味がここまで来てやっと分かった気がする。

 小虫の大群に付きまとわれながら、炎天下の中を苦労してビジターセンターまで戻った。
 良く冷えたペットボトルのジュースを買って喉を潤す。
 生き返った気分だ。
 しかし、ここのジュースや水はとても高く、町で買う3倍近い値段だった。
 立地や状況にあぐらをかいて物を高く売る商売を 『砂漠の水売り』 と言うが、ここはまさしくそれにピッタリの場所だった。



厄介者


 キジル千仏洞の帰り道、九十九折の山道を走っていると、前方からサイレンを鳴らしたパトカーが数台走ってきた。
 その一台が、こちらの車に向かって停車を指示した。
 謝さんが車を路肩に寄せると、パトカーから公安警察官が降りてきて何かを命令した。
 そしてパトカーは立ち去ってしまった。
 心配そうなこちらの顔を察して、謝さんは 「大丈夫よ」 とポーズをしてニコッと笑った。
 状況が分からないまま、車はしばらくの間、路肩に停まっていた。
 やがて、前方から数台のマイクロバスが、二車線の山道の真ん中を我が物顔で悠然と走り下りて来た。
 すれ違うバスはどれも、乗客が数人ほど乗っているだけだった。
 「ニホンジン」
 謝さんがポツリと呟いた。
 「えっ?」
 と、通り過ぎるマイクロバスを指差すと、彼はゆっくりと頷いた。
 パトカーに先導された日本人の一行 ―― 何かの友好団なのだろうか? それにしても、二車線もある道のド真ん中を走ることはないのではないか。
 地元の人々は彼らが来るたびにその進行を妨げられてしまうのだから、厄介者扱いだ。
 そして、あいつらが亀茲賓館を団体で予約した一行だ。
 同じ日本人なのに頭に来た。やはり厄介者だ!

 厄介者の一行が通り過ぎると、付近には再び静寂が訪れた。
 謝さんは何事も無かったようにアクセルを踏み、再び山道を走り始めた。

 三蔵法師一行が辿ったと言われている 『塩水渓谷』 ―― ここはほとんど水の無い川なのだが、河床には白く結晶した塩が残っており、舐めるとしょっぱい ―― を見学しながら、クズルガハへ向かった。
 ここで最初に迎えてくれたのは、高さ13mの烽火台跡。
 そこからは荒地の中の道無き道を進み、クズルガハ千仏洞に到着した。
 この千仏洞は、
 「石窟内へ入る料金は高いです。外から見るだけでも充分ですよ」
 と、旅行会社の方に昨日言われていた場所だ。
 規模はキジル千仏洞に比べると相当に小さいが、あまり整備されていないところが当時の面影をそのままに残しているようで、非常に趣のある遺跡だった。
 太陽は容赦なく照り付けているが、崖の高さはそれほど高くないので、誰もいない遺跡の中を思う存分歩き回ることができた。

 車はいったんクチャの町に戻る。
 謝さんは気を利かせてくれ、ウイグル人の居住する小道をゆっくりと走ってくれた。

 途中でナンを焼いている小屋があった。
 多くの女性たちがナンを器用に広げており、彼女たちの真ん中にある小さな竈の上に座った男が、それを受け取っては焼いていた。
 その方法が面白く、竈の中の壁面に貼り付けて焼いていた。
 謝さんが彼らに交渉すると、喜んで写真撮影に応じてくれ、しかも、焼きたてのナンを食べさせてもくれた。

 町を抜けて再び荒地を走ることしばし、本日の最後の見学場所であるスバシ故城に到着した。
 スバシ故城は正確には何の遺跡だか判っていない。
 たぶん、寺院等の仏教遺跡ではないかと言われている。
 遺跡全体の広さは広大で、遠くに見える川の対岸にもそれらしき遺物が点在している。
 謝さんの説明やガイドブックによれば、ここは相当に繁栄をした寺院なのだそうだ。
 しかし、実際にこれらの遺跡を見回す限りでは、当時の繁栄の様子を伺い知ることはできない。
 小石の転がる原野に崩れかけた岩の塊が点在する程度で、一部の門や仏塔はほぼ原型をとどめてはいるものの、ほとんどの建造物は崩れ去ってしまっている。
 長い歴史に押し潰されてしまった栄華の侘しさだけを感じる場所だ。

 ホテル近くの食堂で夕食をとる。
 隣のテーブルでウイグル人が食べていた、『手抓飯 (ポロ )』 を注文する。
 ポロはイスラムの国では一般的なピラフだ。
 比較的さっぱりとした味付けで炒めたご飯に、巨大な骨付きの羊肉が乗せられていた。
 この肉が柔らかくて美味い!
 これがわずか150円ほどで食べられるのだから感激である。

 食事に満足をし、ホテルの部屋に戻って灯りのスイッチを入れるが点かない。
 服務員にその旨をボディーランゲージで伝えるが、「没有!」 の一言が返ってくるだけだ。
 どうやら停電らしい。
 やがて陽も暮れ、部屋が真っ暗になってしまったが一向に電気が回復する様子が無い。
 夜中の12時を過ぎた頃にやっと灯りが燈る。

(第四章 終)



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