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迷宮の異邦人  (第三章・砂塵たちの舞踏会)

警察官の遅刻


 クチャへは正午のバスで行くことにした。
 コルラは単なる通過点の町としてやって来たのだが、このホテルや食堂の人々のやさしさに触れてしまったので、少しでもこの町に留まっていたくなり、その日の太陽が沈む前に次の町へ到着すれば良いと言う気になっていた。
 この町をもっと知ろう。
 
 中華料理のバイキングで朝食を済ませると、通勤の人々で賑わう町に飛び出した。
 そして、あてもなく南を目指して歩いた。
 それはホテルで尋ねたら、ウイグル人の居住区は町の南側にあるとのことだったからだ。
 大通りには乗客を満載にした路線バスやタクシーが行き交い、町行く人々にも朝の忙しさが漂っていた。

 延々と南を目指して一本道を進んで行くと、やがて警察署(公安)があり、ちょうど前庭では朝礼が始まるところだった。
 きちんと整列した制服警察官たちの先頭で幹部クラスが威勢の良い掛け声を発し、それに続いて部下たちも朝の爽やかな空気に響き渡る声を出していた。
 見ているこちらも身の引き締まる思いだ。
 ところが、この厳粛なる朝礼に遅刻してくる者が大変に多かった。
 制服のボタンを締めながら、間抜けな警察官たちが後から後から息を切らせて通りを走ってきた。
 その顔に罪悪感は無さそうだ。
 どの顔もニヤけていて、「今朝もやっちまったよ」 と言う表情だ。
 人民には恐れられている公安も地に落ちたものである。
 まぁ、人間らしくていいけど…

 警察署をさらに進んで行くと、ポプラ並木が延々と続くウイグル人たちの居住区になった。
 道端に腰を下ろしておしゃべりをしているおばちゃんたちに手招きをされ、会話にならない会話を交わしたりもしたが、ここはまだ自分が求めているシルクロードのオアシス風景では無い。
 何かが足りない。
 いや、余計な物があり過ぎるのだ。
 ポプラ並木までは良いのだが、車、商店、看板、道路の広さ ―― これらが多過ぎるのである。
 
 路上にたくさんの羊肉が吊るされて売買されている市場を眺めたりしながら、10時半にホテルへ戻ってチェックアウトをする。
 フロントでは昨日の客室係のお姉ちゃんが、
 「このホテルはいかがでしたか?」
 と、やはり笑いながら尋ねてきた。
 「とても良いホテルでした。スイカが美味しかったし、バラの花をありがとう」
 それを中国語に訳して、他の従業員たちに伝えていた。
 
 タクシーを拾い、バスターミナルへ向かう。
 メーター表示が5元 (約75円) だったので、10元札を運転手に渡した。
 ところが運転手は釣りをよこそうとしない。
 「5元の釣りは?」
 と、メーター表示と10元札を指差す。
 「☆▲∞£#☆○§◇∋◆∠…」
 「わかんねーよ。ここに書いて」
 とメモとペンを渡す。
 その意味はすぐに解釈できなかったが、どうやら釣りが無いらしい。
 しかも、その分はチップでよこせと言っているようだ。
 「ふざけんなよ!」
 乗車料金と同額のチップを払うほどこちらは裕福ではない。
 しかし、運転手は中国語で何事かを捲し立てると、10元札をポケットに仕舞い込もうとした。
 「チョッ、チョッ、ちょっと待て、おい」
 その10元札をひったくるように奪い返し、メーターどおりの金額である5元になるよう、5角や2角札を引っ張り出して数えた。
 角は元の下の単位で、10角で1元となる。
 ところがそれでも5元にはならなかったので、さらに下の単位である分の札 (10分で1角) をバックパックから取り出す。
 この様子を黙って見ていた運転手はさすがに諦めた様子で、静かに10元札を取ると5元の釣りを返してくれた。
 「なんだよ。あるなら最初から出せよ! ボッタくってんじゃねーよ!」
 中国人に負けないような大きな声で怒鳴りながら車を降りた。



ゴムバンド


 切符売り場の窓口は空いており、あらかじめ 〈庫車・十二時・一人〉 と書いたメモを見せると、すんなりと庫車 (クチャ) 行きの切符が発券された。
 待合室に入り、「クチャ、クチャ…」 と叫んでいるおやじに切符を見せると、バスまで案内をしてくれた。
 バスは東南アジアでよく乗るオンボロバスだ。
 やっと自分の旅らしくなってきた。
 梯子を伝いバスの屋根にバックパックを載せてから、車内に乗り込む。
 出発まで1時間近くもあるので、まだ乗客は少ない。

 後部座席に座り、ぼんやりと乗ってくる乗客を眺めていた。
 このバスに乗って来るのはウイグル人がほとんどだった。
 不思議と彼らは、座席の前の方から順番に座っていった。
 隣にまったく知らない他人がいようとも、他にいくらでも座席が空いていようとも、きちんと前から座っていくのだった。
 日本人の場合、バスでは窓際から、電車は扉に近いところから座っていく習性があるが、ウイグル人の場合は前から順序良くというのが習性のようだ。

 定刻の12時には座席もいっぱいになり、『公路交通稽査站』 なる建物で検問を受けてから、過酷な荒地の道をバスは進んで行った。
 この 『公路交通稽査站』 はどの町にもあり、バスは町への出入りの際に必ず立ち寄っていた。

 コルラを出発したバスは、しばらくは高速道路のような立派な道を快調に飛ばして行くのだが、それも2時間ほどで終わってしまい、そこからは激しい揺れとホコリにまみれる悪路が延々と続くのであった。
 遮るものがまったく無い広大な大地は、灼熱の太陽に焼かれてユラユラと陽炎を発していた。
 遠くには砂煙を巻き上げて竜巻が発生している。
 それも1つではない。
 4つほどの龍神が広い舞台で楽しそうに舞っているようだ。
 鮮やかな渦を巻きながら、地面にある小石や砂を天高く運んでいる。
 これほどの数の竜巻をいっぺんに見ることは、おそらく日本ではできないだろう。
 しかし、新疆では日常茶飯事の光景のようで、興味津々で眺めているのは自分だけだった。
 あの竜巻が道路までやって来て、バスが巻き込まれたらどうなるのだろうか? ―― そんな心配を砂漠の民は持たないようだ。

 「ガチャガチャ〜ン!」
 突然、ガラスの割れる音がしてバスが急停車した。
 乗客たちも何事かと半立ちになって前の方を見る。
 乗降扉のガラスが見事に外れてしまったのだ。
 車掌のおじさんが慌ててバスを飛び降り、小走りに今来た道を戻って行った。
 バスは相当のスピードで走っていたから、ガラスが外れ落ちた場所はかなり後方だ。
 乗客たちは心配そうに、陽炎の彼方に戻って行く車掌を見つめる。
 (割れたガラスを拾ってくるのか?)
 いや、おじさんはガラスを止めるゴムバンドを拾い上げると、再びバスまで走って戻り、運転手にそのゴムバンドを嬉しそうに見せた。
 運転手もそれを見て大きく頷き、大事そうにそれを工具箱にしまった。
 どうやらガラスは諦めたようだが、ゴムバンドはまだ使えるので修理して使うらしい。
 使い捨ての日本人は少し見習った方が良い。

 扉にガラスの無いバスは再び走り出した。
 車窓の風景をボンヤリと眺めていて、時々驚くものを目にする。
 それは、道路に人がいることだ。
 道端にしゃがんでいたり、昼寝をしている人もいる。
 大きな荷物を抱えてバスに手を上げる家族もいる。
 そんな彼らを見つけるとバスは停車をし、座席が空いていれば乗せて行く。
 そして、声がかかった場所で降ろす。
 そこはやはり、何も無い荒地のド真ん中だ。
 目印など何も無い荒地はいくら走ってもまったく同じ風景に見えるが、それを彼らはちゃんと識別しているようだ。
 「あのラクダ草の前で降ろして下さい」
 とでも言っているのだろうか…
 360度の地平線が広がる荒地には人工的な建造物など皆無だ。
 とても不思議だ。
 砂の中から涌き出てきたような人々だ。
 ウイグル語ができたなら真っ先に彼らに尋ねてみたい
 「ドコから来たのですか? そしてドコへ行くのですか?」
 と…

 コルラ・クチャ間の道はかなり過酷だった。
 カンボジアのウイスキーロード、ラオスのサバナケット・パクセ間のバスで鍛えた自分でも、結構シンドイと感じた。
 絶え間無い振動と砂埃、そして暑さ… 所々で道無き道を行くこともある。
 道路が突然に分断されて轍の跡を辿りながら進んだり、橋の無い川を水飛沫を上げながら越えたりと、スリリングな場面も数多い。
 荷物を満載にしたトラックが立ち往生をしていることも頻繁にあり、こういった場所では少しばかりの渋滞を起こしていた。

 こんな過酷な道を走ること6時間、緑多きクチャの町に到着した。
 オアシスの町はどこも、荒地との境に見事なまでのポプラ並木が続くので、初めての旅人でも町に到着したことがすぐに分かる。



小さな先生


 到着したバスターミナルは町の外れにあった。
 目指すホテルは歩いて行くには遠過ぎるし、頼みのタクシーはどこにもいない。
 さてどうしようかと地図を広げながら周囲の様子を伺う。
 どうやらこの町の交通手段は、自転車にリヤカーを連結し、それに客を乗せるものが主流らしい。
 東南アジアでは 『トライショ』 とか 『サイカ』 などと呼ばれているが、中国では何と言うのか知らない。
 走ってきた中年女性がこぐ自転車をつかまえ、この町では有名な 『亀茲賓館 (キジ・ホテル) 』 へ向かう。
 やたらと広いが車が異様に少ない大通りを、のんびりと自転車は進む。料金相場は町中なら5元 (約75円) 程度だ。

 町の中心から外れた場所にある亀茲賓館は、室内も綺麗で料金も手頃だった。
 しかし、明日に団体客の予約が入っているので、1泊しか泊まれないとのことだった。
 この町では2泊以上して郊外に点在する遺跡巡りをしたかったので、1泊ではしょうがない。
 あきらめて別のホテルへ移動だ。

 ホテル前でタイミング良くやって来たタクシーに乗り、町の中心にある 『庫車賓館 (クチャ・ホテル) 』 へ行く。
 4階建ての本館は全面改修中で営業はしていなかったが、別館があるとのことなので室内を下見する。
 木々に囲まれた古い建物に入り、暗くて長い廊下の中間ほどの部屋だった。
 相当にくたびれた部屋だったが、バスタブ付きのシャワーと洋式トイレ、テレビ、扇風機のあるツインルームだった。
 窓の外は本館のものであろうか、不要になった椅子が山積みにされてあり眺めは悪い。
 やたらと天井が高く、廊下では中国人の声や歩く音が響き渡っていた。
 お化けの出そうな古い病院と言った感じで、ダニのいそうなベッドが気になるが、この小さな町ではホテルを選ぶ余地が無いので、ここに荷を解くことにした。
 宿泊料金は一泊80元 (約1,200円) と格安だ。
 部屋の鍵は無い。
 建物の入口にいる女性服務員が、客の出入りを確認して施錠・開錠する中国の伝統的な方式だ。

 バックパックを部屋に置くと、すぐさま亀茲賓館にトンボ返りした。
 遺跡の見学には車をチャーターしなければならず、そのホテルに手配ができる旅行社があるのだった。
 ホテルの隅に机が2つだけある小さな部屋が、中国国際旅行社のオフィスだった。
 看板が出ていないので分からなかったが、タクシーの運転手が案内してくれた室内には観光ポスターや地図などが貼られてあり、それなりの旅行会社の体を成していた。
 「車を1日チャーターして観光をしたいのですが…」
 対応してくれた若い女性は英語が話せ、郊外の名所旧蹟のパンフレットを広げながら1日で回れる場所を説明してくれた。
 チャーター料金は250元 (約3,800円) で、半額を予約金として支払い、残金は観光が終了した後に、ドライバーに支払うシステムだ。
 申込書の類は無かったが、便箋に手書きで日時や訪問する場所、チャーター料金、予約金額などを細かく記入して渡してくれた。

 手配を終えると急な空腹感に襲われた。
 考えたら、今日は昼飯を食べそこなっていたのだ。
 亀茲賓館の前からタクシーを拾って町の中心まで戻ろうとしたが、ホテル前の道は軍事パレードのように人民軍の車両が大量に通行しており、一般車は皆無だった。
 ミサイル、高射砲、兵士などを満載にしたトラックが、延々と連なって走行している。
 後から後から、迷彩色の大型車両が轟音を響かせて自分の目の前を通過していくのだった。
 (タクシー、当分のあいだ来そうにないな…)
 グーグー鳴る腹を抱え、ふらついた足取りで町の中心地を目指して歩き始める。
 軍隊の車列は容赦無く埃を巻き上げて、すぐ脇を走り去って行く。

 しばらく行くと、ウイグル料理の小さな店を見つけた。
 入口には、〈冷気開放〉 の涼しげな文字が踊る。
 迷わず入店。
 しかし、冷気は開放されておらず、薄暗い店内には数人の男たちが談笑をしていた。
 こちらの入店と同時にその会話が止まり、奇異の目で見つめられる。
 これまでの町でも同じ様に見られて来たので、そんなことにはお構い無しに勝手にテーブルにつくと、
 「オヤジ! とにかくビールをくれ! ピジョーだ! いや、ビーワーだ!」
 ビールを飲むジェスチャーとともに日本語で捲し立てると、男たちは何やらガヤガヤと相談を始めた。
 「おいおい、ビールがあるのか無いのかどっちなんだよ! 無ければ他の店に行くぞ!」
 空腹のせいでイラ立っていた。
 店のおやじが 「わかった、わかった」 というポーズをしたのでしばらく待っていると、若者が両手にビール瓶を2本持って外から走って来た。
 どちらが良いか選べと言いながら、2本の瓶を差し出す。
 どちらも同じ銘柄だが、1本は半分凍っているほどに冷えたもので、もう1本は直射日光が今まで当たっていたように暖かいものだった。
 もちろん、冷えたビールを貰う。
 「うっ、うめ〜!」
 心配そうに見ていた男たちも、この一言で安心した顔に戻った。
 店のおやじがウイグル語で書かれた小さなメニューを持ってきて、何か食えとしきりにアピールしている。
 後で分かった事だが、通常この手の店にはアルコール類は置いておらず、このビールも漢族ほどではないがわがままな日本人のために、近所の店から買って来た物だった。
 それに色を付けて料金を請求するのではなく、買ったとおりの金額で客から貰うので、店としては何かを食べてくれなくては儲けが生まれないのだ。
 しかし、ミミズの這ったようなウイグル語は読めない。
 「じゃあ、スーワカバブ (シシカバブ) 、2本」
 と指で示す。
 「2本なんてケチなことを言わずに、5本食え!」
 と笑いながら言うが、そんなには食えない。
 「そのあとに、ちゃんとメシも注文するから…」
 と言うと、日本語が分かったのどうなのか、大きく頷いてシシカバブを2本だけ焼き始めた。
 ウイグル人の焼くシシカバブは絶品だった。
 昨日のそれも美味いと思ったが、中華風にアレンジされていたのか、この2本のシシカバブとでは勝負にならない。

 この店には6才の女の子がいた。彼女はテーブルのそばまでやって来て、何事かウイグル語で話しかけてきた。
 「ごめんね。言葉が分からないんだ…」
 と言うと、彼女は不思議そうな顔をした。
 ウイグル語でも中国語でもない言語を初めて耳にしたという顔だ。
 しかし、そこからは彼女の好奇心が留まることを知らなかった。
 諦めることなく何度も話しかけ、やがてお絵描き帳とペンを持って来るとテーブルの上で絵を描き始めた。
 花らしい絵を描き、その横にウイグル文字で単語を書き添えた。
 次に車の絵を描き、同様に単語を書いて発音している。
 どうやら自分にウイグル語を教えているらしい。
 シシカバブを食べながら、この小さな先生に習ってしばしウイグル語の勉強だ。
 しばらくすると別の客がやって来て、美味そうな麺類を食べ始めた。
 すかさず店のおやじを呼び、同じ物を注文する。
 出てきた物はやはりトマト味で、ピリ辛のスープに白い四角い麺が入っていた。
 スープパスタを食べているような感じで、なかなか美味い。

 腹も満たされて幸せな気分で店を出る。
 ホテルの場所が良く分からず、地図を見せながら通りすがりの人々に尋ねるがどうも要領を得ない。
 とりあえず、全員が指差していた方向に向かって歩く。
 途中に市場があった。
 肉を焼く香ばしい煙が漂い、アイスクリームを嬉しそうに食べる女性たち、盛んに呼び込みをするおやじ、スイカが路上に山積みにされている光景、これらをぼんやりと眺めながら市場内をアテも無く歩く。
 外にはものすごい数のビリヤード台が並べられ、一日の仕事を終えた若者たちがそれに興じていた。

 途中で自転車タクシーに乗り、ホテルに戻る。

 ホテルのシャワーは夜の10時を過ぎないとお湯が出なかった。汗ばんだ体のままで時間が来るのをじっと待つ。
 しかし、時間になって出てきたお湯は、生温い水だった。

(第三章 終)



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