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迷宮の異邦人  (第二章・沙悟浄の住む川)

11時・110元


 翌朝、ウルムチの町には珍しくポツポツと雨が降っていた。
 ホテルの隣の食堂で看板を適当に指して朝食をとる。
 干肉の入ったシンプルな塩・コショウ味のチャーハン。
 それにしても量が多い。
 朝からこんな油っこいチャーハンを二合近くも食べることはできない。
 昨夜同様に、悪いと思ったが残す。

 ホテルをチェックアウトし、タクシーを拾ってバスターミナルへ向う。
 タクシーの運転手にも 「バスターミナル」 は通じなかったので、漢字で書いて示したらすぐに分かってくれた。
 ウルムチには2ヶ所のバスターミナルがあり、次の目的地のコルラへは南郊バスターミナルという場所から出発しているそうだ。

 バスターミナルにある建物の2階で切符が買えるとタクシー運転手に教えられ、人々でごった返すターミナル広場を抜けて階段を上がる。
 広いフロアーには6ヶ所ほどの窓口があり、そのほとんどが切符を求める人々で埋め尽くされていた。
 一番端の窓口には誰も客は無く、ヒマそうな女性係員がパソコンの前に座っていた。
 その窓口に近付き、
 「コルラまでの切符が欲しいのですが…」
 と英語で尋ねてみた。
 「…☆▲∞£#☆○§◇∋◆∠…」
 やはり英語が通じないようで、一気に中国語で捲し立てられてしまった。
 「誰か英語を話せる人はいませんか? 英語、英語…」
 必死に訴えると、イヤな顔をしながら別の女性係員を連れてやってきた。
 「コルラに行きたいんですが、何時出発ですか?」
 その係員にゆっくりと英語で尋ねると、
 「11時。110元 (約1,700円) 」
 と答えてくれた。
 「では、その切符を下さい」
 「11時。110元」
 「あー、いや… 切符はどの窓口で買えますか?」
 「11時。110元」
 どうもちゃんと通じていないようだ。
 「チケット、プリーズ!」
 力説すると、女性係員は嘲笑を浮かべながら呆れた様子で、
 「私の言っている事がわかりますか? これは英語ですよ。11時。110元ですっ」
 と、何度も同じことを繰り返すのみだ。
 「英語が理解できないのはそっちの方だろ! まったく!」
 ここはひとまず退散。

 フロアー内を見渡すと、空港のような出発案内のテレビモニターがあった。
 そこをしばらく眺めていると、11時発のコルラ行きの案内表示が表れた。
 それによれば、5番窓口で切符を発売しているようだ。

 たった今もめていた窓口のすぐ隣が5番窓口だった。
 窓口前は乗客がちゃんと一列に並ぶように手すりが設置されているが、そんな物には構うことなく、手すりの外から大きく手を伸ばして切符を買い求める人々で埋め尽くされていた。
 この混乱の中に自分も身を投じ、110元を小さな窓口に突っ込みながら、
  「クアラー!」 (コルラの中国語発音)
 と叫ぶ。
 運良くすぐに切符は発券された。発車10分前だ。

 空港のようなX線の手荷物検査を受け、バスへと急ぐ。
 発車待ちをしていたバスは大変に綺麗な大型バスだった。
 中央部には冷蔵庫のように小さいがトイレも設置されており、冷房も快適に効いていた。
 オンボロバスに乗り慣れている自分にとって、このような豪華バスは乗っていてどうも落着かない。
 尻のあたりがムズムズする感じだ。
 切符は座席数以上には発券されないので、楽に座って行くことができる。
 着席してすぐ、バスは定刻通りにウルムチの町を後にコルラへ向けて出発した。

 車内では乗客一人一人にエチケット袋と酔い止めの薬が配られたが、これって相当の悪路を行くってことか?
 このバスには運転手よりも権限を持っている車掌のお姉ちゃんが乗車しており、こまめに座席を巡回したりトイレを清掃したりしていた。
 まずはこの車掌によるタイムスケジュールを含めた挨拶があるのだが、安いカラオケスナックのように、マイクのエコーがかかり過ぎていて大変に聞きづらい。
 もともと何を言っているのか分からないだけに、騒音以外の何物でも無かった。
 エコー調整ができないのか?

 バスはすぐに市内を外れ、広大な荒地の中に伸びる高速道路を進む。
 草木の生えていない赤土の丘の中腹を、長い長い貨物列車が2両のディーゼル機関車に牽引されてゆっくりと進む光景は、中国の広大さを真っ先に感じさせてくれた。
 やがて道の両側に風力発電の風車が林立する場所を走る。
 一体何本の風車があるのだろうか。行けども行けどもその近代的な林は続いた。
 高速道路も終わりに近付いてくると周囲にはまったく何も無くなってしまい、ぐるりと地平線に囲まれる荒地が広がる。
 遥か彼方に工場らしい建物の固まりが、ユラユラと陽炎のように見えている。
 それ以外は見渡す限りの荒涼とした大地が広がるだけだ。



ニーハオ・トイレ


 ウルムチを出発して1時間半ほどで昼食休憩となった。
 荒地の中の道路沿いにバラックが軒を連ね、小さな集落を形成していた。
 その中の一軒の食堂でバスは停車した。
 人民諸君は一斉にバスを降り、体を伸ばしながら食堂に吸い込まれていった。
 店の裏手にトイレがあるとのことなので、そちらへ向う。
 ぬかるんだ裏道を少し行くと畑があり、その隅にトイレがあった。
 しかしそれはトイレと呼ぶには極めて質素な造りで、かろうじて男女の仕切りとなっているレンガを積み重ねただけの代物だ。
 そう、あの有名な中国トイレである。
 便器は外から丸見えで、そのすべての様子は手に取るようにわかるのだ。
 そんなものは見たくもないし、見られたくもないが…
 男性用には仕切りの無い便器が2つほど並んであり、2人のオヤジが仲良くケツを出してしゃがんでいた。
 こちらと目が合っても動じることなく (中国人にとっては当たり前か・・・) 、自分のことに専念していた。
 こちらとしては目のやり場に困る。
 しゃがんでいるすぐ目の前で、順番待ちの人が立ち尽くしていた。
 話しには良く聞いていたが、それを自分の目で見るとやはりショッキングな光景だ。
 文化の違いとは恐ろしいものだ。
 男で良かった。
 他のおじさんに習い、畑に向って用を足した。
 戻るときに気が付いたが、食堂までの数メートルの道がクソだらけだ。
 これはどう見ても (そんなにじっくり観察したわけではないが) 人類の遺物だ。
 なぜ、こんなとこにこんなものが… この路上で済ませる人がたくさんいるってことか?
 その道を3匹のニワトリが楽しそうに闊歩していた。



峡谷の難所越え


 何事もなかったように30分間の休憩が終了し、バスは再びエンジンを回転させた。
 走り出してすぐ、車掌が各座席を巡回しながらシートベルトの着用を促した。
 ここからは天山山脈の端っこではあるが、山越えの難所が続くのである。

 やがて景色は今までとは打って変わり、道路の両側には今にも崩れ落ちそうな岩壁が迫ってきた。
 垂直に聳え立つ壁は、少しの振動でもバスの数倍はある大きな岩石を、いとも簡単に道路に向かって放り出しそうだ。
 事実、多くの個所で大規模な落石があり、道の半分が埋まってしまっていた。
 その壁の隙間を右へ左へ揺られながら、高度をどんどんと上げていく。
 木材や食料、飼料などを満載にしたトラックは黒煙を撒き散らして喘ぎながら、人間が歩く速度よりもゆっくりとその重い車体を走らせている。
 我がバスはクラクションを派手に鳴り響かせ、速度を落とすことなく狭い山道でトラックたちを追い越して行った。
 どこまで行っても岩壁に視界を遮られていた。
 時折、岩に代わって巨大な砂山が壁となって突如として現れることもあり、車窓の風景は飽きさせることを知らない。
 しかし、人民諸君はビデオで流されているイギリスのパロディー 『Mr.ビーン』 に夢中になって、間抜けな大笑いをしていた。
 このすばらしい風景はもう見飽きたのであろうか?

 岩壁の峡谷を1時間ほど走ると、車窓はゴビ灘の荒涼とした風景に変る。
 『ゴビ』 とはモンゴル語で 『半砂漠』 という意味で、我々が一般的に想像する砂の砂漠ではなく、小石がゴロゴロと転がり、ラクダ草などの植物もポチョポチョと生え、川もあるような荒地を指すのである。
 砂の砂漠で有名な 『ゴビ砂漠』 があるのでそれと区別するために、荒地が海の灘の様に波打っていて危険な様子からこの一帯は 『ゴビ灘』 と呼ばれている。
 この広大なゴビ灘の先に、もっと広大なタクラマカン砂漠が広がっているのだ。
 そんな厳しい自然環境の中をバスは西へ向かう。
 走っても走ってもその風景は変らず、延々と地平線を目指して進んで行く。

 ビデオが終わってしまうと車内は静かになった。
 聞こえてくるのはエンジンの音と風の音だけだ。
 乗客たちもエアコンの効いた快適な車内でうたた寝をしている。午後のまどろみである。
 ところが、そんなのどかな雰囲気を一気に壊してしまうものがある。
 携帯電話だ。
 人民諸君は大変に携帯電話が好きだ。
 日本人もこれが好きな民族だが、中国人には負けてしまうだろう。
 男性はほとんど全員が腰に電話を下げているし (かなりダサイ) 、おばさんも年寄りも子供もみんな持っている。
 そして所構わず、
 「フェイ? フェイ? (もしもし) 」
 と話している。
 バスの中だろうが列車の中だろうがお構い無しだ。かつての日本のようだ。中国にはまだ携帯電話のマナーとメールが無いようだ。
 そして、心臓ペースメーカーへの影響も知られていないようだ。
 安眠を打ち破る 「フェイ? フェイ?」 には、割り込みと同じく腹立たしさを感じる。
 
 そしてタバコも然りだ。
 どこでもパカパカ吸って、火のついたままポイポイ捨てる。
 周囲の迷惑はまったく考えていない。
 人口増加の対策として中国政府が提唱している 『一人っ子政策』 によって、人民諸君はワガママな民族になっているのではないか?
 でも中国の携帯電話はスゴイ。
 なんせこんな砂漠の中でも 圏外 にならないのだから、それは衛星電話並みだ。



スイカとビール


 やがて荒地は丘の頂上へと変り、その先には近代的な高層ビル群がぼんやりと姿を見せ始めた。コルラの町並みだ。
 コルラの町が近付いて来ると、バスは比較的大きな川を渡る。
 開都川だ。
 荒地の中に突如として現れるその川は、天山山脈の雪融水によりその水量は極めて豊かで、砂漠の生命に潤いを与える重要な使命を果たしていた。
 西遊記によると、三蔵法師一行はこの川で河童のお化けである沙悟浄と出会ったことになっている。
 つまり、この川には河童が棲息していることになるのだが、どこを見渡しても河童のいそうなオドロオドロした雰囲気は無く、灼熱の太陽に照り付けられた埃っぽい河原が眩しく輝いているだけであった。
 西遊記の作者の想像力のたくましさに脱帽である。
 
 遥か遠くに見えていた町の姿が徐々に大きくなり、車窓に人家が増えてきた。
 出発して7時間半後、バスは静かにコルラのバスターミナルに到着した。
 ターミナルで次の目的地であるクチャ行きの発車時刻を調べると、朝の10時から約2時間おきに4本運行していることが分かった。
 距離も約280qなので、時間にして6時間ほどだ。

 バスターミナルから町の中心地までは、散歩がてらに歩いてみることにした。
 町の中を流れる川も天山山脈からの豊かな水により、台風のあとのような勢いと水量を持っている。その流れを活かした水車も見受けられ、洗い物をする女性や水遊びをする子供たちの声が響いていた。
 そんな楽しい光景を眺めながら歩いているうちに、自分のいる場所がすっかり分からなくなってしまった。
 通りすがりの人々に地図を示しながら尋ねるが誰一人としてその地図を読めるものが無く、町の中心地にある郵便局 (中国では郵電局) を連呼しても、ただ漠然と遠くを指差すだけだった。
 仕方なくタクシーを拾い、第一候補に挙げていたホテルを目指す。

 到着したホテルのフロントは多くの中国人で混んでいたが、英語の話せる女性係員がすぐに対応してくれた。
 フロント脇に設置されている電光掲示板によると、部屋の種類は比較的多く、スタンダードなシングルルーム (単人間) が200元 (約3,000円) だったので、それを指差す。
 しかし、女性係員はしばらく考えた後、
 「それは満室です」
 と冷たく言い放った。さらにしばらく考えてから、
 「400元 (約6,000円) の特別室なら空いていまよ」
 と、のたまった。
 「高っけ〜」
 「いいえ、高くありません」
 おっ、冷静な対応だ。
 「また、出直して来ます」
 「いつ、戻ってきますか?」
 おいおい、それはソフトに断るときの社交辞令だよ。
 返す言葉も無くホテルを後にする。

 次に目指したのは、ここから30分ほど歩いた場所にあるホテルだ。
 途中でやはり迷子になり、中学生くらいの女の子のグループに道を尋ねたら親切に案内してくれた。

 『博斯騰賓館』 は町の中心からやや外れた場所にあるが、とても気持ちの良い対応をするホテルだった。
 シングルルームは368元 (約5,500円) と168元 (2,500円) の2種類の部屋があるのだが、
 「168元の部屋でも充分に立派ですよ」
 と、無理矢理に高い部屋を勧めることはなかった。
 案内された安い部屋は、フロント係の言うようにとても清潔で明るい部屋だった。
 荷物を降ろすとすぐにドアがノックされ、部屋係の若い女性 (中学生くらいに見える) が2人、手にスイカとお茶を持ってやって来た。
 そして何が可笑しいのやら、笑いながら室内の説明を英語でおこなった。
 何とも心和むひとときだ。
 そして最後に、朝食券をテーブルの上に置いて去って行った。
 このホテルは朝食付きだったのだ。
 甘くてみずみずしいスイカを頂戴し、夕飯を食べに外出した。

 ちょうどホテルの並びに大きな食堂があった。
 ガラ〜ンとした店内に客は誰もおらず、店員が数人でヒマそうにしていた。
 ビールが通じずに困った挙句、厨房にある冷蔵庫を覗かしてもらい、自らその冷えた瓶をテーブルに運ぶ。
 そしてつまみはシシカバブだ。
 昨日にかなえることのできなかった組み合わせに、しばし旅の幸せを感じる。
 この店の若い男性店員・アブドゥが自分に興味を持ってテーブルにやって来た。
 彼はウイグル人で、中国語とウイグル語の両方が使えた。
 「ビールって何て言うの?」
 ビール瓶を指差すと
 「ピジョー チャイニーズ、ビーワー ウイグル」
 と、単語だけれども両方の言い方を丁寧に教えてくれ、メモ用紙に漢字で書いてくれた。
 彼らとのコミュニケーションは筆談でスムーズにいった。
 そこでやっと気が付いた。
 英語の通じない時は文字を書けばいいんだと。
 なぜ今までそんなことに気付かなかったんだろう。
 自分の愚かさに可笑しくなった。
 このアブドゥや店の皆さんのお陰で、旅に必要な大まかな単語は習得することができた。
 そしてメモ帳にはビッシリと単語を書いてもらい、自分だけの中国語・ウイグル語辞典が完成した。

 夜遅くまで語学のレッスンを受けてからホテルの部屋に戻ると、ベッドの上に一輪のバラの花が置かれていた。
 そこにはメッセージが添えられており、〈Welcome〉 と手書きされていた。
 お客さんを大切にする心遣いのあるホテルに、心の底から休まる気がした。

(第二章 終)



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