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迷宮の異邦人  (第一章・整列)

並ばない中国人


 中国四千年の歴史の中に 『整列』 とか 『順番』 といった言葉は存在しないのだろうか?

 成田空港24番ゲートは搭乗開始と同時に長蛇の列ができた。
 アメリカ同時多発テロ以降、搭乗時のセキュリティチェックは厳重なほどにおこなわれている。
 よって今までのように搭乗券を機械に通すだけの単純作業ではなくなり、必然的に乗客が待たされる時間も、またその列も長くなる。
 この列に欧米人たちは順番が来るのを雑談をしながら楽しそうに待ち、行列の好きな日本人はじっとおとなしく並んでいる。
 それにも関わらず、ドカドカと後からやって来た漢族たちは、そんな列に目をくれることもなく、堂々と列の先頭に割り込んでしまった。
 まるでファーストクラスへの搭乗のように、当たり前の顔をして。
 彼らにとって、嫌悪の表情を浮かべる欧米人など知ったことではない。
 これが一人や二人が割り込んだのであれば我慢のしようもあるが、後から後から何人もこのようにされるのであるから、いい加減に頭にくる。
 このように、成田を出発するときから常にこの腹立たしさを抱える旅となってしまった。

 今回の旅は中国の西北端・新疆ウイグル自治区を訪問する。
 スタートは自治区の区都 (日本で言うところの県庁所在地) ・ウルムチで、ここからバスを乗り継いでシルクロードの天山南路を西へ西へと向かって行く。
 最終の目的地はタジキスタンやキルギスとの国境にも近い、約1,500km先のカシュガルだ。
 当初の計画では、三蔵法師一行が西遊記の中で目指していたガンダーラまで、中国から国境を越えてパキスタンへ入ろうと思っていた。
 しかしながら、その経路の中間近くに位置するカシミールでインドとパキスタンが一触即発状態となり、あわや核戦争の勃発か、といった状況に陥ってしまったために、泣く泣く中国国内のみの旅に変更した。
 しかし、良く考えてみると、三蔵法師一行が目指していたのはガンダーラではなく天竺だ。
 夏目雅子が主演していたテレビドラマの西遊記の主題歌が 『ガンダーラ』 (唄・ゴダイゴ) であって、そちらの印象が強かったので勘違いをしていた。

 カシミールに近寄らないのでこれで安全な旅になりそうに思ったが、新疆ウイグル自治区ではテロ事件が頻繁に発生しているために、航空券を手配した旅行会社からは念書を書かされた。
 〈万が一、死ぬようなことがあっても貴社に文句は言いません〉
 このような主旨の書面にサインをしたのだ。
 新疆ウイグル自治区は中国からの独立を切望する地域だ。
 もともとこの地は、イスラム教であるウイグル人たちの土地であった。
 そこへ漢族である中国 (当時の清) がやって来て、「おまえらの事は我々が守ってやる」 と一方的に中国の領土にしてしまったのだ。
 一説によると、仏教国である中国にとってイスラム諸国との関係維持のためにも、この土地は手放せない。
 「我が中国にもイスラム教徒がたくさんいますよ〜」
 とアピールできるからだ。
 最近では政府による中国化が徹底的におこなわれ、新疆への漢族の移住が盛んにおこなわれている。
 そして、独立運動もチベット自治区のように盛んではなくなってしまった。
 1999年にそれに近いような事件が発生しているが、それも目立ったものではなく、徐々に徐々に中国政府の思惑が進行しているようである。
 
 旅の初日は漢族のわがままさにこれからの旅の不安を抱きながら、夜の遅い時間にとても近代的な北京国際空港に到着した。
 入国審査も手荷物受取りもスムーズに終了し、ターミナルビルのロビーに足を進めた。
 東南アジア諸国ならばここで客引きに一斉に取り囲まれるところだが、中国ではそんなことはない。
 遠くで 「タクシー タクシー」 と呼び込む声はするものの強引な客引きは一人もおらず、少々拍子抜けしてしまった。
 (客引き連中、来るなら来い!)
 いつも気合を入れてターミナルのロビーに一歩を踏み込むのであるが、この国ではそんな意気込みも不要のようだ。

 さて、まずは両替だ。
 空港ロビーには幾つかの銀行の両替カウンターがまだ開いていた。
 「チェンジ、マネー」
 ドル札を小さな窓口から差し出すと、中にいた銀行職員の兄ちゃんはタバコをくわえながら面倒臭そうな顔をした。
 両替した札を数えるときも彼はタバコを離さず、人差し指と中指の間に挟んだまま札勘定をしていた。
 灰をポロポロと札の上に落とし、燃えるのではないかと心配だ。

 続いて本日の宿探し。
 明日の朝にはこの北京空港から再び飛び立ってしまうので、30分以上もかかる市内に移動する気はない。
 さて、どうしようかとロビー内をフラフラしていると、ビシッとした制服に身を包んだ女性が、手にパンフレットを持って近付いて来た。
 「ホテルはお決まりですか?」
 爽やかな笑顔を添えて、流暢な英語でそう尋ねてきた。
 「ここに泊まろうと思っているんだけど…」
 ぎこちない笑顔とアジアン英語でそう答えながら、ガイドブックの1ページを見せる。
 今回は 『地球の歩き方 (ダイヤモンド社) 』 のお世話になり、ホテルの目星はある程度つけていたのだ。
 そこにチェックしてあるホテルは 『首都機場賓館 (エアポートホテル) 』 。
 一泊300元 (約4,500円) ほどで泊まれ、空港までの無料シャトルバスが運行されているとのことだ。
 お姉さんはそのページをじっと見つめ、おもむろに口を開いた。
 「このホテル、今日は満室よ」
 出ました! 東南アジア諸国で客引きが使う常套句だ。
 「参考までに… お姉さんのホテルはここから近いの? 一泊いくら?」
 「すぐ近くです。 もちろん送迎のサービスもあります。 一泊486元 (約7,300円) です」
 自分にとって、400元以上もの宿泊費は相当に高額なホテルだ。
 だが、市内まで往復200元 (約3,000円) ものタクシー代がかかることを考えれば、それほど高い宿泊料金でもなさそうだ。
 それにエアポートホテルのシャトルバスは無さそうだし、この時間から市内へ移動して安ホテルを探すのも面倒だった。
 ここは初日でもあるし、このお姉さんのお誘いに乗ることにした。

オンボロのワゴン車で5分ほどの場所にある 『北航村酒店』 は周囲に何も無く、フロントの女性たちがスイカを食べながら応対していたが、それなりに立派なホテルだった。



空港の毒団子


 翌朝、北京空港から再び機上の人となる。
 ウルムチまでは新疆航空で約4時間のフライトだ。
 成田・北京間が約3時間20分の所要時間だから、日本・中国間よりも遠い計算になる。
 新疆航空は想像していた以上に機体が新しく、設備もちゃんとしていた。スチュワーデスも大変に教育された美人揃いで、テキパキと仕事をこなしている。
 離陸直前になると、座席のすぐ上の天井から小さなモニターが 「ウィーン」 と下がってきて、非常時の説明ビデオが流された。
 その後、機内のあらゆる設備の説明ビデオが続くのだが、それはトイレの流し方やリクライニングシートの使い方など、そんなことはいまさら… と言った感じの説明が懇切丁寧にされるのである。

 途中で機内食が配られたが、食事の箱には 『清真』 と書かれたシールが貼られてあり、いよいよイスラムの地に足を踏み入れたことを実感する。

 やがて窓の外に雪を抱いた天山山脈の峰々が見え始めてくると、いよいよウルムチに到着である。
 ウルムチは 『世界でいちばん海から遠い都市』 と言われるほどユーラシア大陸の内陸部に位置し、雨が少ないので非常に乾燥した土地だ。
 現に、新疆ウイグル自治区の中心にはタクラマン砂漠がデンと居座っており、自治区の大半の広さを占めている。
 ところが、その砂漠を取り囲むように、『K2』 を始めとした天山山脈や崑崙山脈などの 7千メートル級の山々が壁のごとくそびえ立っているので、その万年雪の水が絶えず砂漠に流れ込んできてオアシスの町を形成しているのだ。

 ウルムチ空港はカザフスタンやパキスタンなどへの国際便も就航している空港だけに、その規模や設備は新しくて立派なものだった。
 しかし、利用者が少ないせいか、政治家の力だけで造った日本のローカル空港と言った感じだ。
 ゴミひとつ落ちていないピカピカの長い通路の隅に、点々と置かれたネズミ用の毒団子がもの悲しい。

 ターミナル前はタクシーなどの車が一台も停まっていなく、市内へ行くバスがポツンと待っていた。
 行き先表示が 〈紅山公園〉 となっていたので、町のほぼ中心地まで行きそうだ。
 「こうざんこうえん?」
 扉の前で立っていた車掌のおばさんにそう尋ねる。
 「・・・? ☆▲∞£#☆○§◇∋◆∠…」
 おばさんは困惑顔になり、なにやら中国語で言っている。
 行き先表示を指差すと大きく頷いたので、バスに乗り込んで先頭の座席に腰を落ちつけた。
 出発をしばらく待っていると、先ほどのおばちゃんも乗り込んできて自分の隣に座った。そして、
 「☆▲∞£#☆○§◇∋◆∠…」
 と相変わらず中国語で質問をしてくるではないか。
 どうやら 「どこへ行きたいのか?」 と聞いているようだ。
 早速ガイドブックを取り出し、紅山公園近くの安ホテルを指差す。
 おばちゃんはしばらくの間そのページを凝視した後、運転手やその他の乗客たちを呼び集めて会議を開いてしまった。
 「この 〈孔雀賓館〉 ってホテル、誰か知ってる?」
 「どれどれ貸してごらん。 ン〜、わからんなぁ」
 「…あっ、これはきっと 〈孔雀大履〉 じゃないか?」
 「おお、そうだ、そうだ! あの日本人の格好からして、あの安ホテルだ」
 このような内容であろう議論を散々交わした後、
 「で、どうなりましたぁ?」
 と不安そうに日本語で尋ねると、
 「OK!」 とおばちゃんや乗客たちがニコッと笑ってくれた。
 これでひとまず市内へは行けそうだ。

 バスは30分ほど走ると、高層ビルもある賑やかで近代的な市内に入って来た。
 「ここだ、ここだ」 と教えられるままにバスを飛び降りると、目の前にホテルがあった。

 『孔雀大履』 ―― ガイドブックの孔雀賓館とは場所も写真も若干違うようだが、一泊98元 (約1,500円) でシャワー、トイレ付だったので、ここに宿泊することにした。
 シャワーは水しか出ず、トイレは中国式 (和式と同じで前後が逆になる) でいちおう水洗だ。
 部屋は狭くて窓の外には団地が見えるだけだが、値段の安さから言えば申し分ない。

 重いバックパックを降ろすと、すぐに町の散策に出かけた。
 ホテルの目の前に 『航空券総合売場』 があり、散々待たされた上に割り込まれて時間がかかったが、帰りの飛行機のリコンファームを済ませることができた。

 タクシーをつかまえて博物館へ向う。
 この博物館の名物は、何と言ってもミイラだ。
 しかも、いまだに生きているように美しい 『楼蘭の美女』 のミイラは必見の価値がある。
 これを見ずしてウイグルの旅は語れない。
 楽しみにしていた一つでもある。
 タクシーが博物館の前に停まると、運転手のおやじが建物を指差して大きくバツ印を出している。
 なんと、建物は工事中で閉館となっていた。
 看板によると、大改装をおこなうために昨年から来年までの期間は閉館とのことだ。
 「おいおい、おやじ、それを先に言えよなぁ」
 出鼻をくじかれてしまった。
 「じゃあ、次はココ」
 地図で示した先は、町の中心からやや南にある 『二道橋市場』 だ。

 町の中心は華やかで明るい漢族の町だが、少し南にやって来ると、そこはウイグル人たちの町へと変化していく。
 二道橋市場はそんな彼らが雑貨や衣類を売買するための場所だ。
 市場の中に入りこむと、そこには所狭しと数々の小さな店が密集しており、漢方薬にする干したヘビや得体の知れない生き物を売っていたり、ウイグルナイフ、絨毯、衣類、雑貨などが並べられ、次から次へと目を楽しませてくれる。
 たまにウイグル語で声がかかるが、全体的にはいたっておとなしい市場だ。
 市場の外では香ばしい煙が立ちこめ、シシカバブを焼いて売っていた。
 長大な串に羊肉が7切れほど刺さっていて、これでわずか80円ほどだ。
 勧められるままにひと串買い、その場で試食をする。
 大きな羊肉は大変に柔らかく、黄金色に輝く油が滴っていた。
 羊肉特有の臭みはもちろん無い。
 あくまでも素材の味を大切にした素朴な味付けの中に、砂漠の民の食の歴史を感じ取ることができる。
 まさに絶品だ。
 (よし、夕食はシシカバブとビールにしよう!)



シシカバブが食べたい!


 ブラブラと市内を散策し、町を一望に見渡せる紅山公園で休憩をしてから、いよいよ待望の夕食だ。
 公園近くのウイグル料理の食堂に入る。
 「まず、ビアー、それとシシカバブね」
 「?????」
 だめだ、まったく通じない。
 「メニュー、メニュー」
 「?????」
 仕方ないので、ビール瓶の栓を抜き、コップに注ぐジェスチャーで必死に訴えると、しばらくして 「あー」 と分かったようで、生温い 『新疆ビール』 が出てきた。
 「そうそう、これこれ」
 次に、羊肉を串に刺し、焼いて食べるジェスチャーでシシカバブを訴える。
 首を傾げていた店員が、
 「明白了 (わかった) 」
 と言うので、
 「それを2本」
 と指で示した。
 しばらくして戻ってきた店員の手には、2本のビール瓶が…
 あのジャスチャーでなぜビールが出てくるんだ?
 困った… どうしようかとビールを飲みながら思案し、店内を見回す。
 店員たちは言葉の通じない客なんかお構い無しに、テレビで中継されているワールドカップに熱中している。
 (オレだってシシカバブを食いながらビールを飲んで、サッカーが観たいよぉ!)
 ふと、テレビ台の上にメニューらしき紙切れを発見。
 「なんだ、あるじゃん」
 すぐに店員と一緒にメニューを覗きこみ、『羊肉串儿 (シシカバブ) 』 を指差す。
 「没有!」 (メイヨーと発音する)
 無常にも店員の答えは 「ない」 の一言だった。
 その後、飯や面 (麺) が付いた料理を指差すが、ことごとく 「没有!」 の返事だ。
 「じゃあ、どれならできるんだよ。 指差してくれよ!」
 中国人はボディーランゲージが不得手のようだ。
 この先々でも、いくら質問をしても中国語で淡々と返事をするだけで、指で数を示したり看板の文字を指したり、ジャスチャーで表わすといったことがほとんどなく、コミュニケーションをとるのに大変苦労した。
 イエス・ノーがはっきりしない。
 いや、ノーは 「没有!」 と即答するので、イエスがはっきりしないのだ。
 結局、他の客が食べているものを注文し、シシカバブで一杯はかなわぬ夢となってしまったが、どうにか食事にありつくことはできた。
 『拌面』 ―― トマトの乱切りが入ったピリ辛味の焼きうどん と言ったところだ。
 新疆での食事はトマトを良く使う。
 一見合わないような料理にでも、トマトがそのまま使われていたりする。
 また、一品の量がとても多い。
 一人では食べ切ることが困難なほどに、皿に山盛りになって出されてくるのだ。
 その上、安い。
 一食あたり80円程度で腹一杯、いや食べ切れないほどなのだ。
 この拌面も料理人には失礼ながら、残してしまった。

 露店を冷やかしながらホテルに戻る。
 時刻は夜の9時を過ぎているが、外はまだ夕方のように明るい。
 ここは北京から西に3,000qも離れた場所なのに、中国国内にはアメリカのような時差が無いので時刻表示は北京とまったく同じなのだ。
 実際には非公式の時刻が存在し、町中の商店の時計などは北京よりも2時間遅れた文字盤を指していることが多い。
 バスや列車、ホテルや官公庁などは北京時間に統一しているので問題はないが、うっかりしていると2時間前に列車が出てしまいました、などということも起こり得る。
 外が暗くなってくるのは、夜の10時半を過ぎた頃からだった。

(第一章 終)



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