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マグレブの夜明け (第三章・世界一のラビリンス) |
飛び交う不思議な日本語 フェズの旧市街 (メディナ) は世界一複雑なラビリンス (迷路) の町と言われている。 フェズ・エル・パリと呼ばれるこのメディナは9世紀の初めに造られ、1200年を経た今でも当時の町並みの姿をそのままに残していて、世界文化遺産にも指定されている。 東西南北がそれぞれ1.5キロもの広さはモロッコ最大のメディナで、この中には無数の細い路地が複雑に入り組んでおり、密集した住宅やスークがひしめいているのだ。 ホテルからは散歩がてらに歩いて向かうことにした。 新市街と旧市街 (メディナ) の間には、モロッコ国王がフェズに滞在する時に利用する王宮があり、中には入れないが美しい正門を見るために、団体客も多数訪れていた。その中には日本人の一行もやって来ていた。 王宮を越えると、木の実を売る店がたくさん並んだ商店街になった。 店頭に山となって積まれた数種類の木の実を眺めていたら、店の兄ちゃんが試食に干し柿をくれた。 それは、一粒含むと口の中いっぱいに甘酸っぱさが広がり、どことなく懐かしい味がした。 道を間違えて遠回りをしてしまったが、ラビリンスの入口になるブ・ジュルード門に到着した。 鮮やかな青いタイルで飾られた大きな門のアーチからは、メディナ内にあるモスクの尖塔が2つほど見えていた。 そしてそのアーチには、大勢の人々やロバ車が忙しそうに行き交っている。 いよいよ世界最大のラビリンスに挑戦だ。 門を過ぎるとすぐに、ガイドと自称する少年たちがやって来た。 彼らは、 「フレンド、フレンド」 と親しげに近付いて来ては、 「こにちわ (こんにちは)、さよなぁら、ビンボーガイド」 と言いながら、我々にピッタリとくっ付いて勝手に案内をしようとするのだ。 追い払うのにひと苦労だ。 やっと諦めてくれたと思うと次の少年がやって来る。 この繰り返しをしながらメディナを行く。 丘に造られたこの町の通路はゆるい階段状になっていて、奥へ入れば入るほどその幅も狭くなっていく。 中心部ではすれ違うのがやっとなほどの狭さになり、そこを人々が押し合いながら歩き、ロバ車も重そうな荷物を積んで当たり前のように通り過ぎる。 人々の流れが止まってしまっている先では、大の男同士が他人の迷惑を顧みずに抱き合っていた。 生活用品や食料品、皮製品を売る商店を眺めながら歩いて行くと、店からは日本語で声がかかった。 「こにちは。ナカタ」 日本人の名前の代名詞が、ここでは 〈中田〉 になっている。 ヨーロッパと呼んでも間違いではないモロッコを感じる。 「見るだけ、見るだけ。はい、見た」 と変な呼び込みもよく耳にした。 多くの日本人がそのように言ってきたのだろう。 丘に響くコーラン メディナの中心にあるカラウィン・モスクを過ぎると、突然に異臭が立ち込めてきた。皮製品を売るスーク (職人街) に入ったのだ。 ここではタンネリと呼ばれる屋外作業場で、皮をなめして染色する工程が見学できる。 牛皮特有の臭いに包まれながら道に幾度となく迷っていると、 「かわなめし、かわなめし、タンネリ、タンネリ」 と呼び込んでいる男がいた。 彼は我々に 「ついて来い」 と合図をすると、先頭にたってどんどんと狭い路地を進んでいった。 路地には牛の死骸が無造作に山積みにされていた。 古ぼけた汚い建物の真っ暗な階段を上ると、そこは手すりの無い屋上になっていて、片側に皮をなめす作業場が、そしてもう一方には染色作業場が見えた。 皮なめしの作業場では大きな石のローラーを使って牛の皮を伸ばし、それに黄色い液体を塗って天日で乾かしていた。 一方の染色作業場には巨大な陶器の壷が幾つも並び、その中に先ほどの皮を浸しながら染色をおこなっていた。 どちらも昔ながらの作業風景で、すべてが手作業でおこなわれている。 職人たちはそこで黙々と働いていたが、我々はその臭いのきつさに長く留まることができなかった。 目に染みるその悪臭は、胃の内容物を戻してしまいそうなほどに強烈だ。 団体観光客の一行は事前に添乗員から説明を受けていたのか、タンネリの入口で売られているミントの葉を鼻にあてて臭いをごまかしていた。 道案内の男にはガイド料を一人あたり3dh (約24円) 支払い、タンネリを後にする。 このメディナでは地図はまったく役に立たない。 持参したガイドブックの詳細な地図と見比べながら道を選んでも、すぐに迷子になってしまうのだ。 迷っているとすぐに自称ガイドがやって来て金を要求するので追い払う。 通りかかった人に道を尋ねて親切に教えてもらってもまたすぐに迷い、また別の自称ガイドがやって来る。 この繰り返しを幾度となくして、やっとのことで巨大ラビリンスから脱出することができた。 メディナのすぐ隣には草地の丘陵が広がり、道無き急斜面を登ると今まで迷い続けていた巨大迷路が手に取るように見えた。 この丘は墓地になっているのだが、レンガを積上げた城壁の遺跡が残るのどかな場所だった。 目の前に広がるラビリンスの喧騒とはまったくかけ離れた、陽だまりの暖かな丘だ。 腰を下ろしてしばらくこの広大な風景を堪能する。 ちょうど、メディナ内に幾つかあるモスクのスピーカーから一斉にコーランが鳴り響き始めた。 祈りを捧げる大勢の人々がモスクに集まってひれ伏している姿が、幻想ように瞼に浮かんできた。 |
(第三章 終) ≪前ページへ [目次へ戻る] 次ページへ≫ |