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マグレブの夜明け  (第二章・王都に降る冷たい雨)

ジオラマの世界を行く列車


 翌朝は近くにあるエールフランスの事務所でリコンファームをし、銀行に寄って両替をしてからホテルをチェックアウトした。

 カサブランカには鉄道駅が2ヶ所ある。
 これから向うラバトやメクネスの町への列車は、ホテルから歩いてすぐの場所にあるカサ・ポール駅から発着している。
 列車の出発までは40分近くあったので、駅前のカフェにて朝食にする。

 ショーケースに並べられたパンを適当に指差し、トレーに載せてテーブルへ。
 先にテーブルへ行っていた桑ノ助が、隣の女性と親しげに話しをしていた。
 (いきなりナンパか? 第一、言葉が通じてるのかよ?)
 そう思いながらテーブルにトレーを置くと、
 「彼女、日本人だよ」
 と嬉しそうな桑ノ助。
 大阪から一人でやって来たその彼女は、2ヶ月かけてフランスやスペインを周遊し、モロッコには1ヶ月間滞在したそうだ。 そして今日のフライトで日本に帰国するとのことだ。
 我々と同じようにバックパックで旅する彼女は、モロッコでの情報をたくさん持っていた。
 安くて良いホテルや砂漠ツアーのこと、鉄道やバスでの移動のこと・・・ とても役立つ情報を与えてくれた。
 雑談などで30分ほど話しに花が咲いた。

 すっかり列車の出発時刻が迫ってしまい、名前を聞くこともできずに急いで駅へ向かう。
 詰めの甘さと計画性の無さは、普段の我々の仕事振りとあまり変わらない。

 カサ・ポール駅はヨーロッパの終着駅らしい造りをしていた。
 そこに停車していた長い編成の列車に乗り込む。
 1等車と2等車があるのだが、そのどれもがコンパートメント (個室) になっている。
 我々の2等車は一室が8名定員で、座席はビニール貼りだがゆったりとしたソファーだった。
 発車のベルなどは無く、ゆっくりと列車はカサブランカを出発した。

 街を外れると車窓の風景はなだらかな丘の続くものとなり、高い木はほとんど無く、青々とした草が一面を覆っていた。 そこには羊やヤギが放牧されており、とてものどかなものだった。
 自分の抱いていたモロッコは乾燥した砂のイメージしかなかったが、それはアトラス山脈を越えた南部のものであり、カサブランカの位置する北部では、このような丘陵地帯が延々と続く緑豊かな風景なのだ。
 この丘に沿って大きく弧を描いて走る列車は、まるで鉄道模型のジオラマの世界を進んでいるようだった。
 近くには大西洋の荒波も見え隠れしている。

 飽きる事の無いこんな風景を1時間ほど走ると、列車はラバトの町に到着した。
 昨日、いや数時間前に飛行機で降り立った町だ。
 ラバトは小さくてあまり特徴の無い町だが、これでもモロッコの首都である。

 駅前に広がる新市街は、ランチタイムで休憩をするサラリーマンやOLたちで賑わっていた。
 その新市街を抜けると、城壁に囲まれた旧市街 (メディナ) になる。石畳の狭い道の両側には日用品や食料品を売る店が並び、中心には十四世紀に建てられたイスラム教のモスクが人々の心を支えている。

 旧市街 (メディナ) の終わりにはカスバがある。
 カスバとは町の内外を監視した城塞のことだ。
 立派な門をくぐると、中は迷路のように入り組んだ狭い路地が続き、両側には隙間無く石造りの住居が建ち並んでいた。
 いくつかの家からは居住者が顔を出し、家の中を見るように誘っている。 もちろん、金を払わなくてはならない。

 カスバの先は大西洋に突き出した高台になっており、ラバトの町や対岸のサレの町も一望できた。
 海からの風がとても気持ち良い。

 皮製品職人の職人街 (スーク) を抜け、『ムハンマド5世の霊廟』 を見学する。
 ムハンマド5世とは、フランスからモロッコを独立させたかつての国王である。
 近衛兵によって守られている霊廟に安置されている棺は、自由に見学をすることができた。
 棺の真上に飾られた天井のステンドグラスが、鮮やかな光りを放っていた。

 夕方になり再び駅に戻り、仕事を終えて帰宅する人々で混雑した列車に乗り込む。
 やがて陽が沈むと、周囲にはほとんど灯りの無い真っ暗な世界となり、その中を快調に列車は走った。

 メクネス駅に到着したのは夜の7時だった。
 町には驚くほどの数の人々が行き交い、お祭りのような賑わいを見せていた。
 このような光景は、モロッコの他の町でもそうだった。
 彼らは仕事の終わった夕方に町へ出てきて、カフェでお茶を飲んだり、路上や広場で友人たちと情報交換をしたりするのだ。
 日中は閑散としている町でも、夕方になると町じゅうの人々が出てきたのではないかと思えるほどの賑わいを見せる。
 しかし、そのほとんどが男性だ。 女性はあまりいない。
 そして、カフェではまったく女性を見ることはない。
 おやじたちがボーッとしながら、大通りに出されたテーブルでお茶を飲んでいるのだ。
 不思議な光景だった。

 1軒目のホテルは満室で断られたが、2軒目に訪ねたホテルで部屋が決まった。

 近くにモロッコ料理の食堂があったので、そこで夕食をとった。
 陽気なウエイター氏にガイドブックの写真を見せながらオーダーをする。
 とんがり帽子のような蓋のついた陶器の皿で、羊肉や野菜類を煮込んだ 『タジン』 は、薄いカレー味でスパイシーな食べ物だった。
 羊肉は骨付きで、口の中でとろけそうなほどに柔らかく煮込まれている。
 我々の口にも良く合い、旅の最中はこればかりを食べた。
 モロッコ人も毎日のようにこれを食べているそうだ。
 ひよこ豆やトマトを煮込んだ、やや甘めのスープ 『ハリラ』 も、モロッコのパンであるアラビアパンに良く合っていた。



大歓迎の学生たち


 翌朝、バックパックをフロントに預けてチェックアウトした。
 外はどんよりとした雨雲が立ち込めていて、気温も低い。
 メクネスの見所は、ここから渓谷を越えた場所にある旧市街 (メディナ) と王都だ。
 新市街の丘を下り、再び旧市街の丘を登る。
 境目の渓谷では風が強く、降り出した雨に広げた傘が折れそうなほどになった。

 城壁の門をくぐると広場になっていて、近くの小学校から出てきたたくさんの子供たちで埋め尽くされていた。
 さらに進むと柵に囲まれた草地があった。
 門から中を伺っていると、作業をしていたおやじが手招きをした。
 この草地の下には、キリスト教徒が四万人も鎖でつながれていた地下牢がある。
 入場料の10dh (約120円) を支払うと、先ほどのおやじが案内をしてくれた。
 せまい石段を下りて行くと、中はほとんど光りの差し込まないひんやりとした暗闇の空間が広がった。
 内部はかなり広いが、4万人も入れるほどの広さには思えない。
 足元が悪いので転ばぬよう、持参したライトを頼りに恐る恐る進む。
 案内のおやじは慣れているので、真っ暗闇でも普通に歩いていた。
 おやじはフランス語しか話せないので、我々への説明はジェスチャーだけだ。 それでも、体を張った必死の説明で当時の凄まじい様子を伺い知ることができた。

 地下牢の隣には、『クベット・エル・キャティン』 という国王の接見する建物があった。
 20dh (約240円) の入場料が必要との張り紙があったが、おやじはタダで中へ入れてくれた。
 内部は椅子と絨毯が置かれてあるだけでどうってことはなく、正規の入場料を支払うほどの価値は無いように思えた。

 おやじはガイド料を請求することもなく、再び下草刈りの作業に戻って行った。

 地下牢のすぐ先には、メクネスで最も重要な見所である廟があったが、この日の午前中は礼拝のために非イスラム教徒は入場できなかった。
 仕方なく午後に再び訪れることにした。

 さらに先の門をくぐると、そこには両側を高い塀に囲まれた一本の道路が延びていた。
 これは王宮の塀で、その長さは1キロくらいある。
 ここは通称 『風の道』 と呼ばれ、その名のとおり強い風が吹いていた。

 風に邪魔をされながら黙々と道を行く。

 やっと辿り着いた終点では、高校生たちのグループが何やら大騒ぎをしていた。
 こちらの姿を見つけると、彼らはさらに大騒ぎをしながら 「こっちにおいでよ」 と手招きをした。
 雨も強くなってきたので、雨宿りを兼ねて彼らのいる石段の上に上がってみた。
 15人くらいの男女の高校生たちは、異様なまでの盛り上がり方で歓迎をしてくれた。
 しかし、彼らの話す言語はアラビア語だけである。
 英語を少しだけ理解する女の子もいたが、会話を交わすほどのことはできなかった。
 我々を取り囲み、皆が口々に何かを言っているが、何を言っているのか全く解らない。
 彼らは桑ノ助の差し出したアラビア語会話集を大喜びで見入るものの、言いたいことはまったく伝わってこない。
 ジェスチャーを交えてやっと解ったことは、彼らは我々を自分たちの学校に連れて行きたいとのことだ。
 躊躇している我々に教科書や文房具を手渡し、「学生に見えるよ」 とまたまた大喜びした。
 突然に外国人の旅人がやってきたら、学校だって迷惑だろう。
 残念ではあるが彼らには手を振って別れた。

 雨は収まるどころか、その勢いを増していた。風も強くなっていたので傘を差してもびしょ濡れになるほどだ。
 城壁の窪みで雨宿りをする。
 雨が降っても傘を差さないモロッコ人でもこの激しい雨にはお手上げのようで、狭い窪みには我々と同じように雨宿りをする地元民がたくさんいた。

 寒さに震えながらかなりの時間を待ったが、風雨は衰えることがなかった。
 この先の観光は諦めざるを得ない。
 この辺りは交通量がとても少なく、やっと通りかかったタクシーをつかまえてホテルまで戻る。

 昼食にタジンとミントティーで冷え切った体を暖めた。

 午後2時、列車でフェズへ向う。
 メクネスからフェズまでは40分の距離だ。
 フェズに到着してホテルを探すうちに、せっかく暖まった体もまた冷え切ってしまった。
 部屋も決まり、熱いシャワーで体を暖めようとしたが、このホテルではお湯の出る時間が限られており、夜にならないとシャワーを浴びることができなかった。

 陽が沈む頃になってやっと雨が止んだ。



抱き合う男たち


 外へ出ると人々が溢れていた。
 今日一日の出来事を話し合っているのか、路上や広場では男同士が固い握手をして抱き合い、頬ずりをする光景が繰り広げられていた。
 これは 『ブース』 と呼ばれるモロッコ人の挨拶で、友達に会うとそれがどこであろうとこの行為をするのだ。
 そして抱き合ったまま数分間話し合うのだ。
 人混みの歩道だろうがバスの通路だろうが、他人の通行を平気で邪魔するその行為は、時として迷惑そのものだ。
 ある日、交差点のド真ん中で、バイクと乗用車の男同士が身を乗り出して抱き合っている姿を目撃した。
 端に寄らなければ渋滞の原因にもなるし、第一に危ない。
 ところが、すべてのモロッコ人の日常がそうなのだから、文句を言うやつもいない。
 嫌な顔ひとつせずに除けて通るのだ。

 ホテルから歩いて15分ほどの場所にあるバスターミナルへ行き、明後日に向うマラケシュ行きのバスチケットを購入する。

 ターミナルの外には果物を満載にした屋台が並び、桑ノ助はバナナを一本買って食べていた。

 北アフリカの代表的な煮込み料理の 『クスクス』 を夕食にし、その後にバーでビールを飲むことにした。
 しかし、バーがなかなか見つからない。
 禁酒ではないが、敬虔なイスラム教徒の国なので酒を置いている店は限られている。
 通りがかりの人にビールの飲める店を聞き、やって来たのはどこにでもある普通のカフェだった。
 歩道に出されたテーブルでは、おやじたちがお茶を楽しんでいる。
 「ここで本当にビールが飲めるのかなぁ?」
 窓越しに店内を覗き見る。すると中にはビール瓶が並び、大勢の男たちがカウンターに片肘をついて酒を呷っていた。
 吹き抜けになった2階のテーブルに座り、熱気溢れる酒場の雰囲気に浸りながらビールを飲む。
 この店では、一定の時間ごとに小皿に入ったつまみが出された。
 小魚の酢漬けやピーナツなどで、嬉しいことにこれが無料である。
 1本12dh (約140円) のビールで数種類のつまみが楽しめるのだ。

 カフェには数々の物売りたちが、続々とやって来ては去って行った。
 靴磨きにベルト売り、タバコ売りや帽子売り、生卵売りまでやって来た。

(第二章 終)



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