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石畳が光るまで  (第二章・麗江へ)

世界文化遺産・麗江へ



 朝7時前、昆明の街はまだ暗かった。
 ホテル前に停車していたタクシーに乗り込む。
 案の定 「エアポート」 が通じず、紙に「機場」と書いて見せると運転手は大きく頷いた。
 
 朝の昆明は道路も空いているので、空港にはすぐに到着した。
 国内線のロビーは多くの人たちで賑わっていた。
 国際線と違ってチェックインカウンターがいくつもあり、自分の乗る飛行機の案内表示を探してウロウロする。
 麗江行きのカウンターには、すでに多くの乗客が列を成していた。
 そのほとんどが中国人観光客だった。
 列に並ばない中国人≠ヘだいぶ変わったようで、ここでは静かに順番を待っていた。

 チェックインはスムーズに済んだが、その先のセキュリティーチェックはかなり時間を要した。
 厳重なセキュリティー体制で、多くの人がチェックにひっかかっているようで、なかなか前に進まなかった。
 やっとのことで搭乗口の待合室に着いたときには、「ほ〜っ」 とため息をついてしまうほどだった。
 
 麗江までのフライトは、ほんの45分ほどだった。
 飲み物と軽食のサービスを受けている間に到着する感じだ。
 朝9時過ぎ、飛行機は静かに麗江空港に車輪を接地させた。
 鉄道の駅を思わせるくらい、麗江空港は小さくてこぢんまりとした空港だった。

 異様に短いベルトコンベアに流れる荷物を受け取り、空港の外へ出る。
 目の前にには 『麗江古城』 と書かれた、大小・新旧さまざまなバスが停車していた。
 係員らしき人に手振り身振りで尋ねると、どのバスに乗っても麗江古城に行き、料金も同じだそうだ。
 ボロボロのワゴン車から最新の中型バスまで…
 もちろん最新の中型バスに乗り込む。
 しかし、これは後から分かったのだが、バスによって終着のバス停が違うようだ。
 まぁ、どのバス停に着いたとしても、麗江の町はそれほど広くはないし、仮に離れたバス停に到着したとしてもタクシー代はたかが知れている。
 バスは乗客がいっぱいになるのを待ち、満席になったところで出発した。
 小高い山々に囲まれ畑ばかりが広がる風景の中を、バスは快調に麗江の町を目指して走り出した。

 途中に警察の検問があり10分ほどバスが停められたが、40分ほどで麗江の町に到着した。
 しかし、ここはどう見ても 「古城」 ではない。
 ところが、運転手はバスのエンジンを切り、乗客は全員が降り始めた。
 仕方なく、ここがどこだかは分からないまま、自分もバスを降りる。
 外にはタクシーの客引きが待機しており、一緒にバスに乗っていた乗客たちは相乗りをして、それらのタクシーで順次走り去って行く。
 大通りに出て周囲を見渡す。
 高層ビルのホテルがいくつか見えたので、手持ちの地図とにらめっこをしてここがどこだか初めて分かった。
 目指す麗江古城へは東へ 1.5km 程度。土地勘を掴むため、歩いて古城へ向かうことにした。
 
 古城までの道のりは、ごくごく普通の中国の町並みだった。
 ところが、古城に近付くと周囲の様相は一変した。
 観光客がゾロゾロと行き交い、路上には旅行会社のチラシ配りが多くいて、自分のペースで歩くことができない。
 少しでも立ち止まると、ツアー会社や食堂、土産物屋などの客引きが中国語で話しかけてきた。
 麗江古城のメインの入口にあたる玉河広場は広々とした石畳の広場なのだが、中央部ではナシ族 (少数民族) のおばちゃんたちが民族衣装を着て大きな輪になって踊っている。
 その輪に中国人観光客が混ざり、どんどんと輪が大きくなっていく。
 さらにそれを見物する大勢の観光客で、まさにお祭り状態である。
 この広場には麗江古城名物の大きな水車がある。
 『世界文化遺産 麗江古城』 と書かれた江沢民直筆の壁があり、そこにゆったりと回転する木造の水車があるのだ。
 この前は観光客の絶好の撮影スポットになっており、写真の順番待ちで黒山の人だかりができていた。
 「うわぁ、こりゃ一大観光地だな…」
 思わずひとり言がもれる。
 麗江古城は町そのものが世界文化遺産に指定されており、年間を通じて数多くの観光客が訪れるそうだ。
 もともと狭い古城の石畳道は人で溢れかえり、休日の裏原宿のストリートを歩いているようだ。

 麗江での宿泊もすでに予約済みだった。
 そのホテルはこの広場からすぐの場所にあり、迷うことなく辿り着くことができた。
 ドンと構えた朱塗りの門のすぐ中にホテルのフロントがあり、鮮やかな民族衣装を着たお姉さんたちが愛想良く出迎えてくれた。
 片言だが英語も一応通じる。
 昆明のホテルと違い従業員がフレンドリーで、外国人宿泊客の対応には手馴れている感じだ。
 
 フロントの先は中庭のような通路が続き、その通路を囲むように木造2階建ての客室が並んでいた。
 外観はナシ族の伝統的な建築様式なのだそうだ。
 案内された部屋は、歩くとミシミシと音を立てる階段を昇った2階にあった。
 室内は外観とは大きく異なり、新しくて清潔で、大きな窓から差し込む陽光で非常に明るかった。
 広々とした木目調の落ち着く室内にはベッドが2つあり、TVもミニバーも付いていた。
 洗面とトイレもモダンな作りで、バスタブは無かったが、ガラス張りになったシャワー室はとてもおしゃれだった。
 急激に冷え込む朝晩のために、電気敷毛布も用意されている。
 部屋の清潔さも良かったが、何よりも外の喧騒から完全に遮断されていたことが嬉しかった。
 ホテルから一歩外に出れば、そこは常に観光客が大勢行き交う道。
 その疲れる世界からは、不思議なくらいに隔絶されているのだ。
 これは居心地の良い滞在ができそうだ。



毎晩がお祭り騒ぎ



 麗江古城は石畳の狭い道が迷路のように入り組んでおり、その道路沿いに木造家屋が隙間無くビッシリと建ち並んでいた。
 さらに小川の水路が何本か古城内に流れを作っており、町のアクセントとなっている。
 食堂はこの小川に張り出したテラスを設けて客に食事を提供し、民家の軒先では小川の水を使って洗い物をしていた。
 麗江古城は小高い丘に作られた町なので坂道が多かった。
 古城で一番高い丘の上には楼閣が建てられており、その上階からは古城の町が一望できるらしい。
 夕方になってからこの楼閣 (=万古楼) に昇ってみることにした。

 お土産屋が両脇に店を出す石段を登って行く。
 左右に曲がりくねった石段はそれほど広くはなく、観光客が多いので立ち止まることしばし。
 しかし、楼閣に入るには入場料15元 (約260円) を払わなくてはならないので、混んでいるのは入口までだ。
 ほとんどの観光客は入場料を支払う手前で古城の風景を楽しみ、そこで引き返していた。
 楼閣の周囲は緑多い公園になっており、その中心に5層になった木造の楼閣が建っていた。
 その高さは33メートルで、中はガラ〜ンとしている。
 階段を昇って最上階まで行くと、格子の窓越しに古城の町が大きく開けた。
 古城にはビルが無く、すべて瓦屋根の木造建築ばかりだ。
 高さもほぼ揃っており、密集しているので一面の屋根瓦の風景が実に素晴らしい。
 甍の波≠ニは、まさにこのことである。
 この波の下で、人々は長い歴史の中の生活を営んできた。
 麗江古城を代表するこの眺めは、いつまでも飽きることがない。

 万古楼から下りると町は夕暮れ時となっていた。
 窓が大きく開け放たれた2階席のある食堂に入り、道行く観光客を上から眺めながら夕食を楽しむ。
 中国人観光客の数が昼間よりもさらに増していた。
 多くは団体さんで、添乗員の旗に従って列を成して歩いている。
 ツアーごとにお揃いの派手な色の帽子をかぶり、迷子になってもすぐに探し出せるようになっている。
 メーデーの日の代々木公園周辺のような光景だ。

 空の色が次第に青から黒に変わり、古城の家々にも暖かな灯りが燈り始めた。
 先ほど昇ってきた万古楼がライトアップされ、さらに丘全体が人家の灯りでオレンジ色となって新しい麗江の風景を作り出していた。
 向かいの食堂では円卓を囲み、大騒ぎをしながら食事を楽しむ多くの中国人たちが見える。
 そしてどこからか合唱の歌声も聞こえてきた。

 食堂を出て歌声の聞こえる方へと足を進める。
 人の波に流されていると、四方街と呼ばれる広場に出た。
 ここは多くの道が集まりちいさな広場となっている場所で、古城の中心でもある。
 人々の流れはこの四方街で止まり、記念写真を撮ったり露店の占いを楽しんだり、大きな輪になって踊ったりと、お祭り騒ぎをしていた。
 広場のいたる所では、カラフルな民族衣装を着たお姉さんたちが、古くから伝わる民族音楽の歌を肩を組んで歌っていた。
 どうやらこれは男女の掛け合い歌のようで、短いその歌が終わると、すかさず反対側にいる男性観光客たちがやはり肩を組みながら歌で応えていた。
 あるグループは2階の窓辺と外で、またあるグループは小川を挟んだ対岸同士で、それらの歌が交互に歌われていた。
 歌っている男も女も、また見ている観衆たちも、皆とても楽しそうだ。
 朝晩はぐっと冷え込む麗江の町でも、この一角だけは人々の熱気で暑い。
 しかし、静かな古都・麗江古城を想像してやってきた自分にとっては、この騒ぎにはいささか閉口した。
 狭い石畳の道に人が溢れ、放歌と客引きの呼び声がこだまするこの状況は、夜24時を過ぎるまで毎晩行なわれた。



石畳が光るまで



 「麗江古城の昼と夜はうるさいだけです。狙い目は早朝…日の出の直前くらいですよ」
 麗江には何度も訪れているゴトヒロさんが、昆明で飲んだときにこう教えてくれた。
 そのためある程度の賑やかさは覚悟をしていたが、これほどまでにヒドイとは思わなかった。
 やはりゴトヒロさんに教わったとおり、日の出の時間に期待するか…
 でも、ちょっと待てよ、日の出っていったい何時なんだ?
 日本との時差を考え、目覚まし時計を朝6時にセットしてベッドに入った。

 翌朝6時、目覚まし時計の音で目覚める。
 カーテンを開けたが、まだ星が見える。
 まだあと30分は暗いな…
 ウトウトしながら6時半に外を見るがまだ暗い。
 7時近くになって、ようやく空が明るくなってきた。

 「グッ・モーニ〜ン!」
 フロント係に部屋の鍵を預け、カメラを持って散策に出掛けた。
 朝の冷たい空気に身が引き締まる。吐く息も白い。
 昨夜の喧騒が嘘のように、ホテル前の通りを行く人はほとんどいない。
 荷物を積んだ自転車を押す人、通学する小学生、野菜を入れた天秤棒を担ぐ人… 時折通る人たちは地元の人たちばかりだ。
 路地裏には鍋から旨そうな匂いと湯気をたてた露店が出ており、フライパンで野菜や卵を炒める音が食欲をさらにそそる。
 「早上好! (おはよう) 」
 すれ違う地元の人たちが挨拶をしてくる。
 「Good morning!」
 中国語で挨拶を返したいところだが、「ニーハオ (こんにちは) 」 以外は知らないので英語で返す。
 「おっ、こいつ外国人か!?」 と、相手は一瞬驚くが、すぐにニコリと笑みを返してくれた。
 石畳道の両脇の商店や家々は、重い木の扉をしっかりと閉めているので、塀に囲まれた1本道を歩いているようだ。
 その塀に自分の足音が反響し、なんとも不思議な感覚に陥った。
 それは、昔の中国にタイムスリップをしたような感覚だった。
 着物を着て腰には太刀を携えた髭面の男と、羽衣を身に着けた天女のような女が、路地裏からひょっこりと出てきてもおかしくないように思えた。
 スニーカーとGパンにデジタルカメラを持った自分の方が、この空間には違和感を感じていた。

 路上に腰を下ろして写真を撮っていると、向こうから6歳くらいの男の子と女の子がやってきた。
 ランドセルを背負って通学の途中だ。
 「何撮ってるの?」
 彼らの話す言葉はもちろん中国語だが、その表情や仕草で言っていることが分かる。
 「この辺の風景だよ」
 彼らもこちらの表情や仕草で、言っていることを理解したようだ。
 「僕たちも撮ってよ〜」
 「あんまり絵にならないガキどもだが… まぁ、いっか。よ〜し、なら1枚だけな」
 カメラを構えると、子どもたちはピースサインやあかんべのポーズをとった。
 「あのな… せっかくの1枚なんだから、もっとポーズを考えろよ!」
 子どもたちはカメラの液晶画面を覗き込み、撮ったばかりの写真に大騒ぎをする。
 「もう1枚撮ってよ!」
 を何度も繰り返され、仕方なく何回かシャッターを切る。
 カメラを構えるたびに彼らは違ったポーズをするが、そのどれもが悪ガキのポーズで、何ら代わり映えのしない多くの写真が残った。
 「早く行かないと学校に遅れるぞ!」
 こちらが促すと彼らは道草をやめた。

 遠くからこちらを振り返り大きく手を振る2人。
 心温まるひとときだった。

 子どもたちがいなくなり、石畳道には静寂が戻った。
 空もだいぶ明るくなってくると、少しずつ商店が開店の準備を始めた。
 やがて、太陽が顔を出した。
 日の出から30分は過ぎていたが、密集した家々に阻まれた太陽が屋根の上に顔を出したのは、7時20分になってからだった。
 瓦屋根の上に少しずつ太陽が昇ってくると、石畳の道が眩しく光始めた。
 その輝きははるか遠い道の先から始まり、すごい速さで自分のいる足元までやって来た。
 長い年月の間、人々や荷馬車、自転車が往来をして丸く磨り減った石が、その歴史を誇示するかのように黒く輝き出したのだった。
 それまで沈黙を守っていた道が、太陽の光によって生命が吹き込まれたかのようだ。
 むろん石畳道は人工物であるが、そこには人間では創ることのできない自然の美しさがあった。
 さらに神々しさまでもが合わさり持って、言葉を発することすら憚れる一瞬だ。
 この感動的な光景に、目頭が熱くなってきた。
 散策に来ていた他の観光客たちも足を止め、誰もが押し黙ってこの神秘的な光景に息を飲んだ。
 四方街の広場には、ポツンポツンと立ち尽くす観光客の長い影が落とされ、そこに新たな模様を作り出していた。



湧いて出る



 神秘的な古城の日の出を、いつまでも感動していることはできなかった。
 石畳道が神々しく輝き出してから10分もしないうちに、四方街につながる数本の道から人々が湧いて出てきた。
 まさに湧いて出る≠フ言葉にふさわしい勢いで、観光客が活動を始めたのだ。
 日の出の感動から覚めやらぬうちに、四方街の広場は人々で埋め尽くされた。
 観光地・麗江古城の始まりだ。
 石畳の輝きは人々の喧騒と引き換えに消え去っていった。



イメージの崩壊



 観光客でごった返す古城に用はない。
 昆明でゴトヒロさんからアドバイスをいただいたとおり、麗江での過ごし方は、早朝は古城内の散策、そして日中は古城を離れて近隣の古鎮 (=村) などで過ごすことにした。
 麗江古城に近くて有名な古鎮は『束河古鎮』と『白沙古鎮』で、ホテルのフロントに尋ねるとレンタサイクルで行けるとのことだ。
 レンタサイクル屋は玉河広場にあった。
 気功で剣を振り回しているおばちゃんたちの一団の先に、カウンターを出したお兄ちゃんがおり、1日あたり20元 (約320円) で21段変速ギアの高級自転車が借りられた。

 初日は足慣らしを兼ねて、近い方の古鎮である束河古鎮へ向かうことにした。
 麗江のほとんどの道は車道と分離された自転車道があり、安全で快適にペダルを踏むことができた。
 信号の無いロータリーでは、譲ることのしない車の流れに冷や汗をかくことになるが、信号のある交差点では右左折車は一旦停止をして自転車を優先させてくれた。
 日本では当たり前の交通マナーだが、中国の他の町を始めとし、これまでに訪問した多くの国では車優先≠フ社会だったので、麗江での交通マナーの良さには少々驚きがあった。

 多くの中国人民の皆さんの自転車に混ざりながら、爽快な気分で麗江の町を走る。
 しばらく走ると、滑走路のように道幅があってどこまでも長い、香格裏拉大道 (シャングリラ大通り) に出た。
 この道の終点が目指す束河古鎮だ。
 香格裏拉大道の周囲はまだ開発の途中で、ほんの少し走ると荒地の中に建設中のマンションや新興住宅地が広がる風景となる。
 このような風景の中では、賑やかな町の中を走るのと同じ距離でも、とても遠くに感じてしまう。
 しかし、正面には5千メートル級の玉龍雪山の雄姿がどこまでも抜けるような青空に映え、ペダルをこぐ足を軽くしてくれた。

 滑走路のような道は15分ほどで終点になった。
 終点に近付いて行くと、道路の脇で待っていた数人のお姉さんやお兄さんたちが、何やら声を掛けてきた。
 ある者は道路に立ったまま、そしてある者は自転車で併走しながら。
 「☆▲∞£#☆○§◇∋◆∠…」
 「ゴメン! アイアム ジャパニーズ! ノー、チャイニーズね」
 一瞬キョトンとした顔をしたが、それでも彼らは何かを叫んでいた。
 彼らは束河古鎮の案内人か何かなのかな…?

 整備された束河古鎮の入口はまるでテーマパークの入口のようで、そこにタクシーや大型観光バスが多数駐車していた。
 この村は高倉健主演の映画 『単騎、千里を走る』 の舞台になったのだが、映画の中では昔の生活を続けるひなびた村≠ニなっていたのに、実際は大きく違っていた。
 村の中の道路や木造家屋、堀は綺麗に整備され、新しい石畳道が白く輝いていた。
 そこに多くの観光客を乗せた馬車が行き交い、アルバイトの学生のような女の子たちが、少数民族の衣装を着て土産物を売っていた。
 カフェもレストランもあり、自分の中で勝手に抱いていた束河古鎮のイメージは、音を立ててもろくも崩壊していった。
 聞くところによると、まだ日本のガイドブックには登場していないが、束河古鎮は中国人にとって急速に発展している有名観光地なのだそうだ。
 昔の中国の村のイメージはよく再現されているが、やはりテーマパーク≠ネんだよな…
 疑似体験は充分にできるが、すべてが新し過ぎて感動をしない。
 それでも、メイン通りを少し外れるとイメージに近い束河古鎮の生活や家屋を見ることができたが、何かがしっくりとこなかった。
 
 地図を頼りに古鎮内のほとんどの道を散策したが、「ふ〜ん」 という感想しか湧かなかった。
 最も印象に残っているものは、村の奥にある透明度の高い池のほとりで、新婚カップルが写真撮影をしていたことだ。
 場違いなウエディングドレスを着た2人は、見ている方が恥ずかしくなるような派手なポーズをし、レフ版の光を受けて芸能人気取りだった。
 中国や香港でよく見る写真撮影風景だが、「よく恥ずかしくないな…」 と毎回思う。

 古鎮の中心には大きな人工池があった。
 水深はほとんどなく、張りぼての巨大な睡蓮が何故か物悲しかった。
 そんな池を望む2階のテラス席で、店の女の子がオススメしてくれた 『魚のチンジャオロース』 をつまみにビールを飲んだ。
 ビールもチンジャオロースも美味くて文句はなかったが、どうも束河古鎮の崩されたイメージのせいでモヤモヤしていた。
 明日は日本人にも有名な白沙古鎮を訪問する予定だ。
 束河古鎮よりも遠く、苦労して行ってもここと同じだったらショックが大きいと思った。
 「白沙古鎮も同じかな…?」
 ため息混じりにひとり言が漏れる。
 それと同時に、明日の予定を変更しようかとも思い始めていた。



トウモロコシ畑の道



 ホテルのフロントには、この日から麗江で公開の始まった 『単騎、千里を走る』 のポスターが貼られていた。
 玉龍雪山を背景に笑顔の高倉健。 そのポスターを眺めながら、
 「イメージどおりの場所はきっとある!」
 と自分に言い聞かせ、昨日の束河古鎮のことはリセットし、この日も朝から自転車を借りて古鎮を巡ることにした。
 今日の目的地は白沙古鎮 ―― 麗江古城から12q 離れた村で、『地球の歩き方』にも掲載されている有名な場所だ。
 
 今朝も玉龍雪山の雄姿に見守られながら、快調にペダルをこぐ。
 朝の麗江の街は実に気持ちが良い。

 途中から工事中の道になり、デコボコでドロドロの道をしばらく行く。
 車が走り去った後には激しい砂埃が舞い、目を開けていられない過酷な道を15分ほど走ると、文栄 (Wenrong) の交差点に着いた。
 ここからは広大な牧草地と荒地の中の一本道を、延々と走ることとなる。
 この道は玉龍雪山に向かう道なので、観光客を乗せたツアーのワゴン車が物凄いスピードで走り去って行く道だ。
 しかし、針葉樹の植えられた中央分離帯のある片側2車線道路で、交通量は極めて少ないので危険はそれほど感じない。
 問題は精神力と体力だ。
 乾燥している気候ではあるが、炎天下でペダルをこぐのはかなり体力を消耗する。
 さらに、標高2千4百メートルの古城から3千3百メートルの玉龍雪山の入口を結ぶ道は、平坦のように見えるが、実はゆるやかな上り坂になっているのだ。
 どこまでも続く一本道は、永遠に終点が来ないかのようにさえ思えてくる。
 そこをビュンビュンとツアーの車に追い抜かれていくたびに、気力を奪われていくようだった。
 何度もヘコタレながらも歯を食いしばってペダルを踏む。
 日頃の運動不足を反省する機会でもある。
 
 やがて、道路の中央に大きな石碑が現れた。
 それは 『←白沙第一村』 と書かれた道標だった。
 矢印の先にはトウモロコシ畑が広がり、その奥に集落が見えた。
 車1台がやっと通れるような狭い道を進むと、集落に到着した。
 集落の中の道はクネクネとしており、水溜りがいたる所にあった。
 道の中央にはトウモロコシの葉が大きく広げられており、ハンドルを取られながらその上を自転車で走り抜ける。
 村人の姿はほとんど無く、家屋は今にも崩れ落ちそうなものばかりだ。
 たまたま通りかかった農夫に、地面を指差しながら尋ねた。
 「白沙?」
 すると農夫は、
 「白沙!」
 と道の先を指差した。
 それを真似て、こちらも遠くを指差して、
 「白沙??」
 と尋ねると、
 「白沙!!」
 と同じように遠くを指差した。
 どうやらここは、目指している白沙古鎮ではないようだ。
 確かに、観光客を乗せた車は入ってこれないほどに村の中の道は狭かったし、それなりの活気もなかった。
 束河古鎮のように観光地化された場所もイヤだが、ここのように寂し過ぎるのもイヤだ。

 クネクネ、デコボコ、ドロドロ道をしばらく走ると、舗装された道路に出た。
 右に行くか? 左に行くか? 選択に迷ったが、人も車も通らない。
 自分の直感を信じて左に自転車を進めた。
 トウモロコシ畑の中の道はとても静かで、風の音と鳥のさえずり、そして自転車をこぐ音しか聞こえて来なかった。

 誰ともすれ違うことなく20分近く走った所に、検問所のような小屋が建っていた。
 小屋には制服を着た若者が2人いたが、警官や軍人ではなさそうだ。
 「白沙?」
 先ほどの農夫に聞くように、地面を指差して制服の若者に尋ねた。
 すると、返ってきた答えに我が耳を疑った。
 「束河!」
 昨日訪ねた束河古鎮だと言うではないか。
 持っていたノートに地図を描いてもらうと、ここは束河古鎮の外れで、白沙古鎮はいま延々と走ってきた道を戻らねばならないことが分かった。
 昨日は古城から束河古鎮まで約30分で行き、今日は古城からここまで自転車を1時間走らせた。
 これはかなりの距離を戻ってきてしまったようだ。

 再び、トウモロコシ畑の一本道を、先ほどの分岐点まで戻る。
 『ここを右に行けば良かったんだ…』 と悔やまれてならないその場所を通り過ぎる。
 途中で農作業をしているおばちゃんたちがいたので、
 「白沙???」
 と大声で聞いてみると、
 「白沙!!!」
 と、その先を指差してくれた。

 まだ半信半疑のまま自転車を走らせていると、後ろから中学生くらいの少年が自転車で追い越して行った。
 「お兄ちゃ〜ん! 白沙?」
 と呼びかけると、彼は振り向きながら自分自身を指差して、
 「☆▲∞£#☆○§◇∋◆∠… 白沙!白沙!」
 と答えた。
 そして彼は速度を落として併走してくれた。
 どうやら、少年も白沙古鎮へ向かっているらしく、そこまで案内してくれるようだ。
 少年はしきりに中国語で話しかけてくるが、何を言っているのかサッパリ分からない。

 交流の持てない2台の自転車は、やがてT字路に行き当たった。 
 少年は左を指差し、
 「白沙」 と言い残し、自らは右の道へ走り去ってしまった。
 少年に言われたとおりの道を進むと、程なくして 『熱烈歓迎 白沙古鎮』 の派手な看板が見えてきた。
 「ふ〜ぅ、やっと着いた!」
 リュックを背負った背中は、汗でびっしょり濡れていた。



ゆるやかな時の流れ



 白沙古鎮はとても小さい村だった。
 ゆっくり歩いても15分ほどで一周できてしまうほどだ。
 少数民族が描いた 『白沙壁画』 が有名だが、それ以外にはこれと言った見どころも無く、村の道に大きく出された土産物屋の縁台が目を引くだけだ。
 その土産物屋も商売っ気がまったく無く、商品を手に取って眺めていても何一つ声を掛けられることはなかった。
 そんな活気の無い白沙古鎮だったが、それでも束河古鎮よりも格段に居心地は良かった。
 土産物という観光収入に依存はしているものの、人々の生活そのものは昔の中国を残していた。
 昼下がりの軒先では村人たちが巨大な牌でマージャンを楽しんでいたり、道端では食用のひまわりを乾燥させたり、染物を干したりと、そこには普通の生活風景があった。
 家屋や道路も昔のままで、観光客のために作られた物はほとんど無かった。
 そんな村の中に身を置いている自分にある意味で酔いながら、散策を続けた。
 
 散策の途中、軒先に立っていたおばちゃんと目が合った。
 深いしわを刻んだ顔は茶褐色に日焼けして、細い目が実にやさしそうだった。
 彼女の店は食堂で、そのやさしい瞳に吸い込まれるように店に入った。
 軒先に出されたテーブルに座ろうとすると、おばちゃんは店の奥へと手招きをした。
 案内されるままに薄暗い厨房を抜け、2階への急な階段を昇る。
 2階には空き室のようなガランとした部屋があり、その先にあるテラスに2台だけテーブルがあった。
 おばちゃんはそのひとつのテーブルに案内をしてくれ、テラス越しに写真を撮るポーズをして笑った。
 カメラを持った自分のために、この2階の特等席に案内をしてくれたのだ。
 村のメインストリートに面したテーブルからは、村人がのんびりと日向ぼっこをしたり、三輪トラックが往来する風景が望めた。
 正面の家の前では老人たちが弦楽器で民族音楽を奏でており、その心地良い音色を聞きながら昼食をとることができた。
 ビールのつまみにと、皿に山盛りにされたひまわりの種も出してくれた。
 おばちゃんが作った面条(麺料理)は幅の不揃いなきしめんのようであったが、ダシの利いたスープによくマッチしてとても美味かった。

 村の雰囲気、そして人々の素朴さ、これこそが自分の抱いていたイメージの古鎮そのものであった。
 道に迷いながらも、苦労してここまで来た甲斐があったものだ。
 老朽化して崩れ落ちそうなテラスの手摺に顎を乗せ、力を抜いてぼんやりとする。
 頬を撫でる風がやさしい。
 ここには喧騒や慌しさは無く、ゆったりと時間が流れていた。

 すっかり長居をしてしまった。
 おばちゃんに精算を頼むと、全部で10元(約160円)だと言う。
 腹一杯食べ、ビールも飲んでこの値段とは、ずいぶんと安い。
 手持ちの札が100元札しかなかったのでそれを差し出すと、おばちゃんは困った顔をした。
 そしてその100元札を持って向かいの店に行き、両替をして釣りをくれた。
 白沙古鎮を去るのが惜しかった。
 時の経つのも気にしないで、いつまでも残っていたい村だ。
 
 帰路は早かった。
 ゆるやかな下り坂だからなのだろうが、自分としてはおばちゃんの面条と笑顔で元気が出たように思えた。
 古城にはわずか1時間足らずで到着した。
 相変わらずの古城の賑わいがさらに疎ましいものに思えてならなかった。

 夜、シャワーを浴びて気付いたが、かなり日焼けをしていた。
 あまり暑くないから分からなかったが、紫外線は相当にきつかったようだ。
 さらに尻が痛い…



虎跳峡への道



 「300〜400元くらいですよ」
 英語のできるフロント係にタクシーの相場を尋ねると、そのような答えが返ってきた。
 四方街にいた客引きのおばちゃんは、
 「500元よ」
 と言いながらこちらの手を引っ張ろうとしていたが、その話しに乗らなくて良かった。
 実際の料金は100元 (約 1,600 円) くらい安いようだ。
 フロント係によると、玉河広場の先にタクシーの乗り場があり、そこで運転手に交渉すれば1日チャーターが可能とのことだ。
 
 今日は虎跳峡へ向かうことにした。
 フロント係の教えどおり、玉河広場の入口にタクシー乗り場があった。
 待つまでも無く、すぐに1台のタクシーがやってきた。
 『虎跳峡谷 多少銭?』 (虎跳峡、いくら?)
 と書いたノートを運転手のお兄ちゃんに見せると、
 『300』 (300元=約 4,800 円)
 と書いて返してくれた。
 即決だ。
 値切り交渉もせず、すぐさま助手席に乗り込む。
 運転手のお兄ちゃんは英語が話せないので、意思の疎通はボディーランゲージだけだ。
 虎跳峡までは古城から近いのかと思っていたが、往復すると1日がかりになるそうだ。
 
 市場の中の道を、人を掻き分けて車が進む。
 その先は車がやっとすれ違えるほどのデコボコ道が、山の上へと続いていた。
 運転手のお兄ちゃんは携帯電話で友だちと大声で話しながら、ハンドルを右へ左へと回す。
 「運転に集中してくれよ!」
 と言いたくなるほど、こちらはヒヤヒヤだ。
 昆明でもそうであったが、中国のタクシー運転手は携帯電話で話しながら客を運ぶことが多い。
 神経は運転に集中できず、片手で握るハンドルはかなりの恐怖を感じる場面がしばしばあった。

 虎跳峡は麗江からの観光地でも有名なほうで、多くの団体観光客が訪れる場所だ。
 それなのにこの道はバスやワゴン車が通れない。本当に虎跳峡に向かっているのか心配にもなった。
 この山の中で運転手が強盗に豹変するかも… そう思うと、携帯電話での会話も、
 「いいカモを捕まえたぞ。例の場所で合流な」
 などと、仲間と打ち合わせをしているのではないかと思えた。

 しかし、そんな不安は10分ほどで消えた。
 デコボコ道はやがて交通量の多い舗装路に合流し、車が安定した速度で走り始めると、運転手のお兄ちゃんは自分の名刺を差し出してくれた。
 そこにはタクシー会社の名前と住所、それにお兄ちゃんの携帯電話の番号が記載されていた。
 「麗江でのご用命は、ぜひ私に…」
 そのようなことを言って、ニコリと笑った。

 山あり、草原あり、林間あり、集落あり… 目まぐるしく変わる風景の中を車は快調に走り、1時間ほどで展望台のような場所に到着した。
 ここは『長江第一湾』と呼ばれている場所で、長江 (正式にはこの辺りでは 『金砂江』 と呼ばれている) が大きくV字形にカーブしている景色が眺められる。
 ところが、展望台から眺める長江はあまりに大き過ぎて、湾曲をしていると言われればそのようにも見えるが、普通に川を眺める展望台でしかなかった。
 果物や仏像などを売る露店がものすごい数で出されており、景色よりも土産休憩に適した場所だった。



濁 流


 タクシーはさらに走ること1時間、周囲の景色がだんだんと山深い渓谷になっていくと、虎跳峡の駐車場に到着した。
 駐車場の入口で入場料50元 (約800円) を支払い、運転手を残してひとりで峡谷の遊歩道を行く。
 空は暗雲が低く垂れ込め、今にも雨が降り出してきそうだった。
 深く切り立った峡谷の中腹に作られた遊歩道は、50元も取るだけあって立派に整備されていた。
 要所要所に迷彩色の軍服を着た係員のおじさんが立っており、川側に近付くとハンドマイクで
 「危ないから山側に寄って下さ〜い」
 と注意を促していた。
 川側には鎖が張られていたが、足を滑らせて落ちる危険が充分にあった。
 しかし、山側は山側で落石の危険がおおいにありそうだった。
 茶色をした満杯の川の水は、鋭く削られた岩石の合間をまるで生き物のように流れていた。
 心安らぐ周囲の山々の緑色とは対照的に、それは人々を容易に寄せ付けない畏怖すら感じられた。

 30分ほど遊歩道を歩き、トンネルを抜けると轟音が響いていた。
 遊歩道の終点は渓谷が一気に狭くなった場所で、川の真ん中に虎跳岩と呼ばれる大きな岩が濁流の中から頭を出していた。
 その岩を打ち砕こうとしているように、濁流が轟音と共に水しぶきを上げて荒れ狂っている。
 自然の迫力ある光景が、いままさに目の前に繰り広げられていた。
 水面近くには展望台があり、水しぶきに濡れながら観光客が虎跳岩を間近に眺めていた。
 轟音のすごさは、人の声を完全に遮っていた。
 多くの観光客が訪れているにも関わらず、水の音しか耳に入ってこない。
 暗雲が垂れ込めているだけに、余計に神秘さを感じる。
 仙人が住んでいても何ら不思議ではない風景だ。

 対岸にも展望台があり、ここには団体観光客が大挙して押しかけていた。
 彼らは虎跳岩のすぐ真上まで大型バスでやって来て、急斜面の階段を降りて岩を見学していた。
 この急斜面はこちら側から見るとかなりの高さがありそうだ。
 九十九折れになった狭い階段には、昇り降りをする大勢の観光客でごった返していた。
 下りは良くても、階段を昇るのは結構大変そうだ。
 渓谷の遊歩道を30分歩くのは少々疲れたが、それでもあの高さを昇降することを思えば、個人客で良かったとつくづく思った。
  
 帰路は人力車に乗った。
 虎跳岩展望台の近くにリヤカーのような人力車が停まっており、駐車場まで30元 (約480円) で運んでくれるのだ。
 座ったままのんびりと渓谷を眺めながらの帰路は、快適で気持ち良かった。

 駐車場で待っていたタクシーに乗り込み、再び来た道を戻る。
 車窓の風景はもちろん来た時と同じで、そんな流れる景色もすぐに飽きてしまうと睡魔が襲ってきた。

 あと30分ほどで麗江古城という場所で、山の上を走っていた車から、眼下に広大な湿地帯の景色がパッと広がった。
 眠気も吹き飛ぶ雄大な景色に、思わず 「お〜っ!」 と声を上げる。
 すかさず運転手のお兄ちゃんが、「寄っていくか?」 とジェスチャーをした。
 
 メイン道路から外れた車は集落の狭い道を進み、さらに、ひまわり畑の中の見通し悪い道をしばらく行く。
 そこは 『拉市海』 と呼ばれる湿地帯で、野鳥や野生動物の宝庫なのだそうだ。
 大きく開けた湿地帯の入口でタクシーを降りると、すぐに観光ツアーの案内人に囲まれた。
 その案内人を振り払いながら運転手のお兄ちゃんが誘導してくれたのは、湿地帯ツアーの詳細が書かれた看板だった。
 馬やボートに乗りながら湿地帯の自然を楽しむツアーは、1時間コースから1日コースまで数種類のパターンがあった。
 しかし、
 「高っけぇ!」
 すぐさまタクシーに戻り、麗江古城に向けてひまわり畑の道を引き返した。


(第二章 終)



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