ラオス・ジャール平原 (2015年)

◆ 3日目 ◆



バイキング形式の朝食をしっかりといただき、今回の旅のメインであるジャール平原への観光に出発です〜



出発時刻の9時前にナチュラル・トラベルに行くと、すでにスタンバイが完了していました。
このミニバンで平原を周遊します。
ドライバー氏は英語がまったく話せないラオス人のおっちゃんですが、いつもニコニコとして温和な方でした。



まずは町外れにあるインフォメーションセンターに立ち寄り、ジャール平原の基本を学びます。
館内はかなり狭かったですが、石壺や文化・歴史などについての資料展示がされていました。



インフォメーションセンターにも撤去された不発弾の山…



無造作に転がっていました。



最初の石壺は サイト3 で見学します。
このような道を30分ほど走ります。



駐車場にある小屋で入場料 10,000kip (約 145円) を支払い、木造の質素な橋を渡ります。



橋の先は田んぼのあぜ道でした。
この細いあぜ道をさらに進みます。



牛がのんびりと草を食んでいました。
ポカポカとしたうららかな春のような陽気です。



人里離れ、草原に入ってくるとこの石造りのマークが点々と埋め込まれています。
踏み分け道の左右にこの石標があり、白側が不発弾処理が終わったことを意味しています。
つまり、白と反対側はまだ爆弾があるかもよ… ってことです。
「白線の内側にお下がりくださ〜い」



林の中に巨大な石壺!
他に人がいないので写真では大きさが分かりにくいですが、背丈ほどの高さからその半分ほどまで、最大では3メートルほどの大きなものが、かなり密集して転がっていました。



とても神秘的で感動〜☆
でも、こんな風景は見飽きたドライバー氏は、壺の向こうでLineをしていました…


壺の中から外を見るとこんな感じです。



駐車場へ戻る道を牛が占領していました。
動かそうとしてもまったく動じません…



仕方なく、ゆっくりと牛の後を付いて行きました。



次のサイト2は、泥道の悪路を車で移動すること20分。



この丘の上に石壺がありました。



ここにも大小様々な石壺が転がっていました。


サイト2の規模は大したことないと思っていましたが、反対の丘にも壺が転がっているとドライバー氏が案内してくれました。



反対の丘のてっぺんに石壺が見えました。



もちろん、ここでも白線の内側≠ナす。



開けた丘の上にある壺は、今まで見たものとは違った雰囲気を持っていました。



ドライバー氏がジェスチャーで教えてくれたことによれば、これは壺のフタだそうです。
どの大きさの壺にも合うよう、階段状の円が彫られているようです。



次に向かったのは、ムアンクーンです。
ここはかつて、シェンクワーン県の中心地であったので オールドキャピタルと呼ばれています。
車で45分ほどかかりました。



まずは 町の高台にあるタート・フーンです。
機織りをしているおばちゃんに入場料 (10,000kip=約145円) を支払います。



高さ38メートル、青空を突き刺さすような見事な仏塔が建っていました。



16世紀に建てられたそうです。
草木に覆われた仏塔は見事なものです。



仏塔の中です。



裏側の朽ち欠け方も見事ですな〜



すぐ近くにあるワット・ピアワットは1968年にアメリカ軍の爆撃を受けて無残な姿を晒していました。

この後、食堂で30分ほどの昼食休憩をとり、サイト1へ移動しました。



サイト1は最大のサイトとあって、ビジターセンターがありました。
入場料は 15,000kip (約 220円) で、他のサイトよりも 5,000kip高かったです。



ビジターセンターに石壺に関する展示がありました。
謎の石壺は ここでは古代人の棺≠ニして紹介されていましたが、学術的にまだまだ謎は多いようです。
巨人の酒壺説≠竍宇宙人説≠フ方がロマンがあっていいんですけどね〜



サイト1の石壺を見るには、このシャトルカーに乗って丘の途中まで行きます。
ラオスにしては珍しく、客が1人でもいればすぐに出発してくれます。



いよいよ壺が見えてきました。



フタ付きの壺もありました。


この丘でも観光客はほとんどいなく、風が静かに流れていました。



丘には所々このようなクレーターがあります。



これらのクレーターは、ベトナム戦争時の爆撃の跡です。



こんなに大きな爆弾クレーターもあります。



アメージングな丘をたっぷりと堪能した後、再びシャトルカーに乗って駐車場に戻り、さらにポーンサワンの町まで帰りました。



クレーターズ・レストラン <Craters Restaurant> でチップスをつまみに、ビア・ラオダークで喉を潤しました。



夕食は昨日の昼に訪ねた ホーンケオ・レストラン <Phone Keo Restaurant> に行きました。
ラオスではこんなに寒い日があるのに、暖房設備がありません…
ホテルにはエアコンはありますが、冷房しかできません。
一般家庭や店では洗面器に炭を入れて暖を取っていました。



適当に注文したら、野菜の油炒めみたいな料理が出てきました。(30,000kip=約 430円)
食べている間、店のお母さんはラオ語で何かを話してかけてきましたが、「この町にはいつまでいるの?」 とか 「次はドコ行くの?」 くらいしか理解できませんでした…




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