ラオス南部の旅 〜4千の島々に癒されて〜

◆ 3日目 ◆



この時期のラオスはとても涼しいです。
日中の日差しはかなりキツイけど、日陰に入るとスーッと汗が引きます。
エアコンもファンも要らないほどでした。

ホテルは朝食付き(7:00〜10:00) で、フルーツがこってりと出されました。
卵料理は数種類から選べますが、基本は日本の炒り卵です。
スクランブルエッグは皿にパラパラと盛り、オムレツはチャーハンのようにそれを型取っただけでした。



9:00 ホテルの近くで自転車を借り (1日 10,000K) て、島のサイクリングに出掛けました。
自転車はブレーキがかなり甘いので要注意!

鉄道橋の近くには当時の蒸気機関車の残骸が展示されていました。
周囲の壁には当時 (1910年頃) の写真も展示され、舟を機関車に載せて運ぶ様子がわかります。



ソムパミットの滝の分岐を左にさらに進むと、ターコーンニャイ船着き場がありました。
「Dolphin Watch」 と書かれた標識が示すように、この一帯には川イルカが生息しており、その見学ができます。
雨季のこの時期、イルカはこの先のカンボジア領にいるため、舟をチャーターしてカンボジアンに渡り、陸から眺めるのだそうです。

船着場にいたおじさんに交渉すると、1隻 90,000Kとのことです。
他に旅行者もいないので、少々割高ですが、一人でチャーターすることにしました。



9:30 ターコーンニャイを出発しました。



ほんの15分ほど舟を進ませてカンボジアに上陸しました。

チンチン丸出しの幼児にカンボジア入境料として 20,000Kを支払い、食堂の椅子に座ってイルカを待ちます。



「パシャン、パシャン、シューッ!」 と音を立て、数分おきにイルカが川面に背びれを見せました。
多い時でいっぺんに5〜6匹が姿を表しました。

当たり前ですが芸をするわけでもなく、「ケッケッケッ〜」 と尾びれで水面に立って顔を見せるわけでもありませんが、これはこれでなかなか癒されました。

「日本にはイルカはいるのか?」 と船頭のおやじが聞くので、
「日本ではイルカ漁をしている」 と言いたいところだったが、シーシェパードに聞かれると危険なので、
「海にはいるが、川にはいない」 とだけ伝えました。



1時間ほどイルカを眺め、ラオスに戻りました。

帰りの舟は逆流なので時間がかかりました。



11:00 ターコーンニャイに戻り、サイクリングの続きです。

コーン島の東外れにあるバーンハーンコーンを目指し、地図で確認した道を行きましたが、この道がケモノ道のように狭く、木々が生い茂る道で、さらにドロドロにぬかるんだ道でした。
自転車ではかなりハードです…
たま〜に地元の人が農作業をしているのを見かけるくらいで、ほとんど人に会わない道でした。
しかも、景色が広がらずに暑っ!

コーン島、デット島のサイクリングでは鉄道跡地以外の道は覚悟をしたほうが良いでしょう。(特に雨季)

やっとのことで鉄道跡地の道に出ました。(写真)
ここは快適な道で、木が多くて涼しかったです。

バーンハーンコーンにも蒸気機関車の残骸が残されていましたが、こちらはほぼ原形をとどめていませんでした。



鉄道橋を渡り、デット島へも行きました。
最初にメコン川沿いの道を進みましたが、眺めは良いのですがこちらもぬかるみが多く、自転車ではなかなか苦労しました。
また、道の真ん中に牛が寝ていたり、ヒヨコの集団が道を占拠しており、思うように進めません…



デット島の中心になるターカムバーンに到着しました。
ここには鉄道で運んだ舟や物資の積み降ろしをおこなった埠頭が残されています。

この周囲はゲストハウスが多く、欧米人バックパッカーがたくさんいました。
大音量でアップテンポの曲が流され、落ち着かない所です…

早々にコーン島へ戻りました。



帰路は鉄道路跡の道を行きます。
ソンテウが結構走っていますが、快適な道です。

ゲストハウスの大音量ミュージックから解放されると、のどかなラオスの農村風景が続きました。



コーン島に戻り、鉄道橋を眺めながら昼食です。



また、フライドライスです。
この店のはケチャップ味で美味かった〜☆



自転車の返却に行ったら、店のおばちゃんやおじさんはハンモックで昼寝をしており、
「自転車はその辺に置いといて」 とハンモックの中から言われました。
「コープチャイ (ありがとう) 」 とも言われましたが、お礼の気持ちをあまり感じなかった…

ホテルに戻り、一息つくと激しいスコールです。
風もかなり出てきて、ボートの部屋はユラユラと揺れました。

この旅行中、ほぼ毎日、1時間程度のスコールに遭いました。





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