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ゆるり、ゆるゆる、ラオス旅  (第四章)

日本人パッカーと北大路欣也


 バンビエン5日目の朝、雄大な岩山はその姿を霧に隠していた。
 「よし、これで引き止めるものは無し。 今日こそバンビエンを発つぞ」
 1泊の予定がずるずると4泊もしてしまったのは、毎朝眺めるこの岩山のせいだった。
 朝一番で眺めるその美しくて神秘的な姿に、「もう1泊」、「もう1泊」 と延泊を重ねてしまったのだ。
 
 宿のおやじにチェックアウトをすることを告げ、次の町へのバスの手配を頼んだ。
 おやじはその場で手書きの紙切れを渡してくれた。
 これが次の町・ルアンパバンまでのバスチケットだ。
 バス会社に電話とかして空席を確認しないのか?
 と疑問に思ったが、
 「OK!」
 と言うので、これで大丈夫なのだろう。
 「8時45分にバスターミナルまでの送迎トゥクトゥクが来るので、その時間までにここに来なさい」
 とのことだ。
 
 町で朝食を済ませ、日本人特有の崇高な慣習である5分前行動≠ナ、8時40分にゲストハウスの正面玄関に向かった。
 するとゲストハウスのおやじが
 「ちょっと、ここで待っとれ」
 と言い残し、倉庫からバイクを出してきた。
 「さぁ、乗れ。 バスターミナルへ行くぞ!」
 あれ? 迎えのトゥクトゥク≠ェ来るんじゃなかったのか?
 まぁ、いいや。
 バンビエンにはバンビエンの何か深い事情があるのだろう。

 別れを察知したのか、隣の家の犬が吠えながらバイクの後を追ってきた。
 「我が友よ、さらばじゃ!」
 そして、いつものように結界≠ワで来ると後を追うのを止め、いつまでも寂しそうに吠えていた。

 元滑走路の広大な空き地のほぼ真ん中に、1台のワゴン車が停まっていた。
 これがルアンパバンまでのバスだと言う。
 「どう見ても、ワゴン車じゃん」
 この感想はラオス入国時の友好橋で抱いたのでここでは省略し、バックパックを屋根に積み込んで乗車。
 「あ、おはようございます〜」
 車内にはすでに、一人の日本人パッカーが乗っていた。
 お笑いコンビの 『おぎやはぎ』 のやはぎに似ているので、ひそかに矢作君と名付けた。
 30代前半のサラリーマンで、自分とほぼ同じ日程とコースでラオスを巡っていた。

 「あ〜良かった。 日本の方がいて。 よろしくお願いしま〜す」
 後からもう一人の日本人パッカーが乗り込んできた。
 誰も知らないだろうが、職場の後輩の吉松に似ているので、吉松と名付けた。
 20代後半のサラリーマンで、ルアンパバンの後にタイ・チェンマイの友人を訪ねるとのことだ。
 このようにして、これからのバックパッカー界を背負って立つ中堅どころの二人と、ルアンパバンまでの道中を共にすることになった。
 吉松の荷物は驚くほど少なかった。
 小さなデイバッグひとつが彼の全財産だった。
 「やっぱ、パンツとかは5日くらいはいちゃうの?」
 と、ド素人のような質問をしてみた。
 「そんなことないですよ〜 こまめに洗濯してますよ〜」
 いや、いや、きっと3日ははいてるな…
 と、どうでもいい詮索をしているうちに、ミニバスは出発した。

 ミニバスは15人乗りで、その車内には我々日本人が3名、フランス人が4名、アメリカ人が2名、そして北大路欣也に似たラオス人運転手の計10名だった。
 これなら、かなりゆったりとした旅が楽しめる。

 バンビエンの町を出ると、道路は急に山道に変わった。
 舗装はされているものの車幅は狭く、アップダウンと急カーブがかなり多い。
 こんな道を延々とルアンパバンまで、約6時間半かけて走ることになる。
 それでも景色は美しく、奇岩や緑が目を楽しませてくれ、少数民族の人たちが頭に籠を乗せて歩く姿にもしばしば遭遇することができた。

 沿道の所々に少数民族の人たちが店を出していた。
 木の実や果実、香草、米、乾麺、調味料などを売っている。
 途中、これらの店の前で突然にミニバスが停車した。
 そして、北大路欣也はエンジンを切って、買い物を始めたではないか。
 何事かと車窓から眺めていると、北大路は夕食の材料を買い込んでいるようだ。
 ひととおりのお目当ての物を買い揃えると、何も言わずに運転席に戻り、再びミニバスを走らせた。
 車内の客たちは唖然とし、お互いに顔を見合わせて苦笑するしかない。
 このような私用の買い物停車は、全部で3回もあった。
 「きっと奥さんに 『あなた! これとこれを買ってきてね!』 と、朝にでも言われたんだろうね」
 と矢作君。
 一同、納得。



夕景の古都


 途中で昼食休憩をとりながら、午後3時半にバスはルアンパバンのバスターミナルに到着した。
 車を降りるとすぐに大勢の客引きたちに囲まれた。
 ゲストハウスの客引きたちだ。
 皆、手に部屋の写真や料金表が書かれたファイルを持ち、熱心に営業をしてくる。
 ルアンパバンでの宿は決まっていないので、ここは適当に一人の兄ちゃんに付いて行くことにした。
 ゲストハウスまで客引きの兄ちゃんが送迎してくれるのかと思ったら、町中までは専用のトゥクトゥクに乗らなければならなかった。
 ミニバスに乗っていた客は全員が1台のトゥクトゥクに押し込まれ、一人1万キップを払わされた。
 ところが、フランス人たちは猛抗議をして、金を払おうとはしなかった。
 「金を払わないなら降りろ」
 と運転手が言っても降りようとせず、どういう主張なのか分からないが、 「タダで乗せろ」 と勝手なことを言っている。
 このフランス人たちが金を払わないのでいつまでもトゥクトゥクは出発せず、しびれを切らせたアメリカ人が
 「いい加減にしろ!」
 とフランス人たちを説得して金を払わせ、やっとトゥクトゥクは出発した。
 流石は世界の警察<Aメリカだ。

 トゥクトゥクの後ろには客引きの兄ちゃんたちがバイクで付いてきて、ハーメルンの笛吹き状態で町の中心に向かう。
 そして、あらかじめ伝えておいたゲストハウスの前で、客を一人ずつ降ろしていく。
 我々はまず吉松が町外れのゲストハウスで降りた。
 新しくて、なかなかきれいそうなゲストハウスだ。
 次に矢作君と私が降りる。
 すぐに後ろに付いていた客引きの兄ちゃんが狭い路地裏を先導し、ゲストハウスを案内してくれた。
 いくつか部屋を見せてもらったが、どれも暗い感じの部屋で、今ひとつピンとこない。
 部屋を下見しているときに偶然一緒になった日本人の女の子二人に、
 「この値段なら、もっといい部屋が他のホテルにいくつもありましたよ〜」
 と教えてくれた。
 矢作君はこのゲストハウスが気に入ったようで、
 「ここにするよ」
 と、宿の人と値下げ交渉を始めた。

 ルアンパバンにはゲストハウスが星の数ほどもある。
 部屋を充分に吟味して選ぶ余地はあるのだ。
 結局、その後に4軒のゲストハウスを訪れ、最終的にピンときた宿に泊まることにした。

 夕方、町の散策に出掛けた。
 ルアンパバンは町全体が世界文化遺産に指定されており、寺院が数多く点在する古都として、ラオスを代表する観光地になっている。
 写真を撮りながらいくつかの寺院を巡り、メコン川のほとりに出た。
 ちょうど太陽が西の空に沈みかけようとした頃で、夕陽が美しく眺められる場所を見つけて川沿いを行く。
 川へ下る石段があった。
 石段の下にはドイツ人の青年がカメラを構え、夕陽の写真を撮っていた。
 こちらの姿に気付くと、
 「夕陽の写真を撮るのに、絶好の場所だよ」
 と英語で言いながら、手招きをしてくれた。
 お互いに片言の英語でのコミュニケーションだったが、しばし夕陽を眺めながらカメラ談義をする。

 大きな太陽がメコン川をオレンジ色に染めた瞬間、その美しさに言葉を失い、水面が黒色に変わるまで、静寂の中で空を見つめた。



オレンジ色に染まる町


 夕陽でオレンジ色に染まった町を見た後は、坊さんの袈裟で町がオレンジ一色になる光景を見よう。
 まだ外は真っ暗な早朝5時半、ゲストハウスを静かに出る。
 町に点在する各寺院から坊さんたちが繰り出し、托鉢をおこなう光景がこの町の名物でもある。
 なるべく大きな寺院のありそうな場所を求めて歩いて行くと、ゴザを敷いて坊さんへのお供えを準備する地元の人たちがたくさんいた。
 そんな中に混ざって坊さんの一行がやって来るのを待つ。
 待っている間に、お供えを持った売り子が 「何か買ってくれ」 とやって来た。
 「私は敬虔な仏教徒ではないぞ」
 と断るが、後から後から別の売り子がやって来て、ウザったい。
 そうこうしているうちに、
 「おはよーございますー」
 と、眠そうな顔の吉松がやって来た。
 彼の泊まっているゲストハウスが、この近くにあるとのことだ。
 
 しつこい売り子たちを追い払いながら待っていると、空が明るくなり始めた6時過ぎ、待ちに待った托鉢の一行がやって来た。
 オレンジ色の袈裟をまとった僧侶の一行は各自が手に鉢を持ち、その鉢の中に地元の人たちが米や野菜、花などを少しずつ入れていくのだ。
 いくつもの小さな寺院から出発した僧侶たちは、途中で他の一行と合流を繰り返しながら、列をどんどんと長くしていった。
 一列になって黙々と進むオレンジ色の一団は、とても幻想的な光景に映った。
 しかし、年端もいかない小坊主たちはおチャラけて托鉢をおこなっており、こちらのカメラに気付くといつまでもレンズに向かって笑顔を振りまいていた。
 そんな小坊主たちに、
 「たくさんもらえたか?」
 と訊くと、
 「こんだけ〜」
 と、舌を出しながら鉢の中を見せてくれた。

 「部屋に戻って、もう少し寝てきます」
 と言う吉松と別れ、僧侶一行の後を追った。
 坊主の追っかけだ。

 托鉢は町の至る所で行なわれ、30分ほどで三々五々に解散していった。



ボート トリップ


 博物館の入口で待ち合わせをした。
 今日は、矢作君と吉松の3人で小舟をチャーターし、メコン川を観光する予定だ。
 小舟と言えども一人でチャーターすると高いので、3人でシェアすることにしたのだ。

 待ち合わせ場所に早く着いたので、芝生の広場に座って待った。
 目の前にはジュースの屋台が出ており、そこの子どもと思われる男の子が、外れた自転車のタイヤを転がして走り回っていた。
 こちらもヒマなので、そのタイヤを横取りしてみた。
 すると、男の子はムキになってそれを取り返そうとし、二人で鬼ごっこのように広場を走り回った。
 「キャーキャー」 言いながら、タイヤを奪い合って走る。
 いい加減走り回って、ヘトヘトになって休むと、
 「もっとやろうよ」
 と、男の子は私の手を引っ張った。
 「おじさんは疲れたよ。 もう勘弁してね」
 と言ってもダメだった。
 「もっと、もっと」
 と強引に手を引っ張る。
 これだからガキは困るのだ。 限度というものを分かっちゃいない…
 しばらくして、救いの神である矢作君と吉松が登場した。
 これで男の子から開放された。

 メコン川のほとりには <Boat Trip> と書かれた看板を出して、小舟での観光を誘う船頭が何人かいた。
 値段交渉をしている時に、プーケットに住んでいると言うおじさんも加わり、4人で1隻をチャーターした。
 
 流れの早いメコン川に繰り出た小舟は、エンジンを唸らせながら流れに逆らった。
 まずは、織物と紙すきの村で有名なバーンサーンコーンへ。
 上陸した村は閑散としており、店は開いてはいるが活気がまったくなく、死んだように静かな村だった。
 
 次いで、ラオスの酒であるラオラオを造っている村・バーンサーンハイへ。
 この村も活気がまったくない。
 船着場の近くの店だけが元気良く酒の試飲を勧めていたが、それ以外の店は人が誰もいないのかと思うくらいに静かだった。

 寂し過ぎるぞ、バーンサーン!

 さらに上流に進み、メコン川のほとりの高台にある食堂で昼食。
 トイレから戻って来た吉松が、
 「すごいですよ!普通≠フトイレですよ!」
 と、驚嘆していた。
 確かに普通≠フトイレだったが、吉松は一体どんなトイレを期待していたんだ?

 昼食後、メコン川の断崖にポッカリと口を開けた、タムティン洞窟へ向かった。
 ここは洞窟内に4千体以上もの仏像が安置されているのだが、二度目の訪問とあって、
 「ふ〜ん、なるほどね」
 と、何が なるほど なんだか自分でもよく分からないが、そんな感想を抱くだけだった。

 洞窟の外では、幼い子どもたちが遊歩道に仏像を並べて売っていた。
 その仏像は大きさも表情もバラバラで、かなり古そうだった。
 子どもたちは、
 「タムティン、ブッダ」
 と我々に言ったが、洞窟内の仏像を勝手に持ち出して売っているのか?
 まぁ、洞窟内には4千体以上もあるのだから、少しくらい持ち出しても分かりゃしない。
 って、そういう問題ではない! バチが当たるぞ! バチがぁ!
 敬虔な仏教徒ではない私だが、そう思った。



ゾウに揺られて


 ひととおりの観光を終えた小舟は、ルアンパバンの町に引き返した。
 帰路はメコンの流れにのって行くので早かったが、それでも、町に戻ったら時計の針は午後4時を回っていた。
 吉松とプーケットおじさんとはここで一旦別れ、矢作君と旅行社へ向かった。
 「ぽからさん、明日、ゾウに乗りませんか?」
 と、矢作君に誘われていたのだ。
 吉松とプーケットおじさんは明朝にルアンパバンを出発してしまうが、矢作君と私はこの町の滞在がまだ1日残っているのだ。
 「ボクはラクダや馬には乗ったことがあるんですが、ゾウには乗ったことがないんです。 だから、ぜひとも乗りたいと思っているんです」
 「そうか、私はラクダにもゾウにも、パトカーにも乗ったことがあるぞ」
 「バンビエンでも現地ツアーに参加したんですけど、日本人は自分ひとりで、欧米人に囲まれて浮いていたんですよ。 話し相手がいないツアーはつまらないですから…」
 どうせ私も予定がないことだし、ここは矢作君とゾウに乗るツアーに参加することにしよう。

 まず訪れたのは、『地球の歩き方』 にも特集記事が掲載されるほどの有名な旅行社。
 応対してくれたドイツ人のオーナーは、パンフレットの写真を見せながら、
 「半日コースはゾウに乗った後、滝に打たれます。 パンツがビショビショになるので、水着があるといいでしょう。 これで39ドルです」
 修行はしたくないし、パンツも濡らしたくない。
 「では、こちらのコースはいかがでしょう? ゾウのウンチや食事の世話をしてもらいます。 最後にゾウを川で洗ってもらいますので、水着をご用意下さい。 でないと、パンツが濡れますから… ハッハッハ〜 このツアーは1日でゾウとの信頼関係が出来ますよ。 これで80ドルです」
 何を言っておるのだ! なぜゾウのウンチを片付けて金を取られなきゃいかんのだ?
 世話をしたら金をくれるのが筋ってものだろう。
 しかも、またパンツが濡れるのか!
 ドイツ人は何を考えているのか分かったものじゃない。
 犬は横っ腹を 「ウリャ〜 ウリャ〜!」 としただけで信頼関係ができたぞ。

 こんなパンツの濡れるツアーしかない旅行社はやめて、次に2軒隣の旅行社に行った。
 胡散臭そうな兄ちゃんが対応したが、ゾウに乗るだけの半日コースで25ドルだと言う。
 滝修行もウンチの世話もない。 もちろん、パンツも濡れない。 しかも、昼食付きだ。
 矢作君とも意見が合い、このツアーに参加することにした。
 すると、旅行社の兄ちゃんがメニューを出し、
 「明日の昼食をここから選べ」
 と言う。
 夕飯も食っていないのに、明日の昼食のことなど考えられん。
 と思っていたら、隣の矢作君は
 「えっと〜、じゃあこのツナサンドね」
 と、即決だ。
 この決断力は見習わなくては…

 翌朝、9時半までに旅行社に来てくれと言われていたので、日本人の鏡である私は、5分前に旅行社に着いた。
 すると、すでに矢作君は旅行社の椅子に座って待っていた。
 「ぽからさんより、5分ほど前に着きました」
 10分前行動≠ゥ… 矢作君は日本人の三面鏡だ。
 そんな日本人の鏡2人を待たせ、ツアーのバンは堂々と15分も遅れてやって来た。
 バンにはすでにご夫婦が乗っており、そこに我々が合流、さらに途中の路上から若い女の子が一人乗ってきて、総勢5名でツアーに出発した。
 この5名は全員が日本人。
 「日本人はゾウに乗るのが好きだからね〜」
 と、ご夫婦の旦那が言っていたが、彼はドイツ人がパンツを濡らすことが好きなことは知るまい。
 
 エンジンのあたりで不規則な異音のするバンは、すぐに町外れにある 『エレファント・ライド』 という象を保護するエリアのゲートをくぐった。
 「あれ? こんなに近いんだ」
 と思っていたら、この先が超悪路で、わすか6キロの距離を40分以上もかけて走った。

 ゾウは3頭が用意され、ガイドを含めた6名が2人ずつ乗ったので、とてもゆったりしていた。
 ジャングルを歩き、途中で川に入り、またジャングルを戻るという1時間15分の周遊で、これが意外に面白かった。
 このゾウに乗っている部分がこの章のメインなのだが、それ以上の感想もないし、書くことも無いのでこれだけの描写で勘弁して欲しい…

 さて、ゾウに揺られてジャングルを楽しんだ我々は、出発地のレストハウスで昼食をとり、再び超悪路の道を町まで戻った。
 帰りのバンの中では、このツアーの料金のことが話題になった。
 というのも、昼食付きだったのは我々だけで、他の人たちは現地で食事代を支払っていたからだ。
 「え〜、昼食付きで25ドルですか? 私なんて、29ドルですよ!」
 「それならまだいいじゃないですか! 私たちは一人80ドルですよ!」
 なんと、ご夫婦は我々の3倍以上もの代金を取られていたのだ。
 80ドルといえば、ウンチ片付け放題だし、パンツも濡らし放題だ。
 ゾウに1時間ほど揺られるツアーでは、かなりボラれているんじゃないか?
 「え”〜! 高っ!」
 と驚く我々をよそに、
 「きっとホテルで頼んだから、マージンを取られたんですね」
 と余裕の発言だ。
 それもそのはず、ご夫婦の泊まっているホテルは、「ラオスにこんな立派なリゾートホテルがあったのか…」 とため息が出そうなほど立派なホテルだった。
 金持ちは違う…



自由を尊重するパッカー


 昼間は観光し、夜はパッカーたちと一緒に酒を飲みながら食事をし、旅の話しに華を咲かせる… こんな3日間はあっと言う間に過ぎてしまった。
 パッカーたちとの交流は気楽でいい。
 自分が参加したいと思えば参加すればいいし、お互いの時間は尊重し、余計な詮索はしない。
 一人での食事が寂しいときや、シェアが必要なときなど、ジョイントしたいときにすればいい。
 夕食は矢作君や吉松、プーケットおじさんと一緒にしたが、
 「さぁさぁ、グラスをググッと空けちゃって下さい。 いや〜いい飲みっぷりですな〜 どうぞどうぞ、もう一杯」
 と、おやじの飲み会のように、ビールを注ぎつ注がれつは敢えてしなかった。
 自分が飲みたいだけ飲んで、食べたいだけ食べて、眠たくなったら先に自分の分を精算してホテルに帰る。
 お互いに自由を愛する一人旅同士だから、これも可能なのだろう。

 ルアンパバンは夜になると、ナイトマーケットが開かれる。
 少数民族であるモン族の人たちが、路上に露店を出して民芸品を売るのだ。
 その露店の数は半端ではなく、小さな店が延々と道路を埋め尽くしていた。
 しかし、どの店も売っているものは変わり映えせず、値段もほとんど同じだった。
 こんな個性が無い中で、よく商売が成り立つものである。
 2日目の夜、吉松に連れて行かれた露店があった。
 「昨夜行った露店に、かわいい女の子がいたんですよ〜」
 と、歌舞伎町の客引きのようなことを言うので、まったく興味の無い私ではあったが、ここは向学のために仕方なく、
 「え、ほんと!? それ、どこどこ? 連れてって〜」
 と、その露店にいそいそと出掛けた。
 「こんばんわ〜 また来てくれたのネ」
 スリムで髪の長い彼女は18歳で、日本語がペラペラだった。
 露店にやってくる日本人から日本語を学び、5年間で普通に日本語が話せるようになった。
 昼間は日本人ツアー客を送迎する仕事をしているらしく、その日本語はとても美しかった。
 昔のTV 『なるほど ザ・ワールド』 でリポーターをしていた益田由美アナに似ているが、とてもしとやかで愛らしかった。
 「…似ているが、」 と書くと、益田由美アナがしとやかではなく、愛らしくもないと言っているように受け取られるが、そこまでの意図はない。 念のため…

 翌日、矢作君にも教えてあげようと、夕食後にナイトマーケットに誘った。
 「旦那、いい子がいますぜ」
 と、男心をくすぐろうとしたが、
 「あ、そうですか」
 と淡々とした返事しか返ってこなかった。
 口ではそう言っていても、期待と股間ははち切れんばかりになっているはずだ。 ん〜、間違いない!
 「こんばんわ、また来たよ。 こっちは友だちの矢作君ね」
 ひととおりの紹介と挨拶が終わって彼女と雑談を始めようとすると、
 「あの〜、ボクはおばちゃんのいる店で買いたいので… じゃあ、おやすみなさい」
 と行ってしまった。
 「…… へっ? あっ、おやすみなさい」
 ここで引き止めてはいけない。
 女性の好みを尊重するのも、パッカーなのだ。

(第四章 終)



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