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ゆるり、ゆるゆる、ラオス旅  (第三章)

ビリー小隊長


 バンビエンでは毎日通ったバーがある。
 初日に散策をしていて見つけた看板の店だ。
 看板に従って行くと、ナムソン川に架かる狭くて頼りない木の橋を渡る。
 橋は手作りで揺れる上に、ナムソン川はかなり流れが早いので、ここを渡るのは少々怖い。
 橋の先は中州の島になっており、草むらをしばらく歩いて行くと、河原にいくつかの高床式の小さな東屋が点在していた。
 4人程度が入れる東屋にはハンモックが吊るされており、川を眺めながらハンモックに揺られ、のんびりと酒や食事を楽しむことができた。
 太陽が傾きかけた河原には子どもたちが元気に遊ぶ姿があり、それをぼんやりと眺めながらビールを空ける。
 何も考えずにボーっとする… まさに至福のひととき。
 i-Pod の音楽は MISIA か伊藤由奈がこの光景にぴったりだ。
 のびやかな歌声が心に染みる。
 そんな感傷に浸りながらビールを飲んでいると、かなり目障りなものが川上から大量に流れてきた。
 白人たちだ。
 このナムソン川では、急流を浮き輪に乗って下るチュービングという遊びが盛んなのだ。
 自然の流れに身を任せて川を下り、適当な場所で上陸をする。
 そんな素朴ではあるが生産性のない遊びが、ここに訪れる欧米人の楽しみになっているようだ。
 だが、こちらとしては大変に迷惑である。
 川で遊ぶ子どもたちを眺めながら、静かに暮れ行く情景に浸っているのに、 「ヒャーヒャー!」 と騒ぎながら目の前を横切られては、この風景が台無しではないか。
 若いビキニのおねえちゃんが流れてくるのなら楽しい… いや、我慢もするが、真っ白でプヨプヨしたおやじの裸体など、頼まれても見たくない。

 このバーには一人の店員がいた。
 軍隊式ダイエットDVDで話題の 『ビリーズ ブート キャンプ』 のビリー隊長を小さくした感じで、スキンヘッドで肌は黒く、ギョロっとした目が印象的な男だった。
 初めてこの店を訪れたとき、ビールを注文した後にメニューをパラパラとめくっていると、
 「何かおつまみですか?」
 と、ビリー小隊長が日本語で訊いてきたのだ。
 「うわっ! 日本語うまいですね!」
 とても日本語など話しそうもない風貌の人が、流暢な日本語を話すとびっくりである。
 「はい、日本人ですから…」
 「へっ!?」
 2度びっくりである。
 ビリー小隊長の素性は詳しくは分からないが、かなり長い間ラオスに滞在し、バンビエンには3ヶ月ほど前にやってきて、このバーで働いていると言う。
 彼の感じているラオスのことや世界観はなかなか面白く、毎晩この店に通っては様々な話しをした。
 ビールを飲みながら語らい、灯りの無い真っ暗な草むらを歩いて帰るのが日課となった。



アットホームなレストラン


 バーと同様に、よく通ったレストランもある。
 最初はいろいろな店に行って、いろいろな物を食べようと思っていたのだが、すぐに面倒臭くなってしまい、同じ店に何度も通うようになった。
 メインストリートの1本裏の、ナムソン川に沿った道にある1軒のレストランだ。

 ウッディーな造りで、ナムソン川を見下ろす高台に大きく張り出したテラス、オープンエアーの店内には心地良い風がいつも流れていた。
 そして、スタッフはとてもフレンドリーで、いつも新鮮な食材で美味しい料理を提供してくれた。
 アットホームな雰囲気はスタッフのみならず、かわいいペットたちも快く迎え入れてくれた…

 と、カタカナ混じりで書くととてもオシャレなイメージを抱くが、実際のところはちょっと違う。
 川沿いの崖の上に造られた店は、板張りの床がやや傾斜していた。
 床の所々に穴が空いているが、これはご愛嬌だ。
 大家族が経営するこの店は、朝行くとテーブルで家族が朝食をとっており、その隣でこちらも食事をする。
 昼に行くと店内で家族がゴロゴロと昼寝をしているので、誰か一人を起こして注文する。 もちろん、家族が昼寝をしている間で昼食をとる。
 家族は客≠ニいう存在をまったく気にせず、店内で普段どおりに振舞っていた。
 まさにアットホームなレストランなのだ。
 普段どおりの振る舞いは人間だけではない。
 店内にはこの家で飼っているニワトリが数羽、我が物顔で闊歩していた。
 チキン料理でも注文しようものなら、仲間のニワトリから一斉に攻撃されそうな雰囲気だ。
 
 こんな店… あっ、失敬! この瀟洒な店にしてはメニューの中身はとても豊富で、ラオス料理はもとより、フレンチにイタリアン、インド、中華とバラエティーに富んだ品数だった。
 メニューの中からポピュラーそうな料理を注文した。
 すると、おばちゃんは店から出て行ってしまった。
 ニワトリを相手に待つこと20分、おばちゃんは冷えたビールと食材を買って帰ってきた。
 「お待たせ〜」
 そのままテーブルにビールが運ばれた。
 そして調理が開始された。
 この店には食材の在庫は無いようで、オーダーを受けてから近所の店に食材を買いに行くのであった。
 これなら、多くのメニューに対応できるのも納得だ。
 もしチキン料理をオーダーしたら、ここに歩いている1羽が犠牲になるのかな…?
 いつもいつもこんな感じで待たされるレストランだったが、ラオスののんびりと流れる時間を肌で感じる、とても居心地の良い店だった。



Cats & Dogs


 英語で土砂降りの雨のことを、 『Cats & Dogs』 と言う。
 旅行中は雨季にも関わらず、日中に激しい雨に遭うことはほとんどなかったが、夜中に雷を伴った激しい豪雨になることが多かった。
 移動日の前夜などは、
 「土砂崩れとか起きてないだろうな…」
 などと心配にもなったが、朝起きてみると、夜中の雨がウソのように眩しい太陽が顔を出していた。
 さて、話題は天候のことではなく、本物の犬と猫のことである。

 ゲストハウスの隣の家に、1匹の犬がいた。
 茶色の中型犬で、どこにでもいるような雑種の犬だ。
 ラオスでは昔の日本のように、犬は放し飼いにしている。
 だから道路でもどこでも、犬は一日中自由に動き回っていた。
 バンビエンに着いた初日、隣の犬がゲストハウスの前の道路で気持ち良さそうに昼寝をしていたので、
 「ウリャ〜 ウリャ〜!」
 と横っ腹をくすぐってからかったら、そのときから妙になつかれてしまった。
 ラオスでは日本のように犬を溺愛する文化はないようで、ほんの少し構っただけだったのに、犬としてはとても嬉しかったようである。
 その日から、ゲストハウスを出掛けるたびに、尻尾を振って私の隣にぴったりと寄り添って歩き、帰ってくると遠くから私の姿を見つけては、タッタカ、タッタカと走り寄ってくるようになった。
 ところが、いつまでも私に寄り添って町中を散歩するわけではなく、ある決まった場所に来るとピタリと歩みを止めて、私を見送るのであった。
 まるで、そこに結界≠ナも張られているかの如く、そこから先へは一緒に進もうとしなかったのである。
 きっと彼の行動範囲はそこまでで、その先は未知の世界だったのであろう。
 「ドッグ、ユア フレンドね」
 と、ゲストハウスのおやじによく言われたが、それって、ちょっと寂しい気がする。
 しかも、オス≠フ犬だし…

 好かれたのは犬だけではなかった。
 何回も訪れたメインストリートのレストランには、小さな真っ白い仔猫がいた。
 とてもきれいな毛並みで、手のひらに乗っかるほどの大きさだった。
 店で飼っているわけではないようで、どうやらノラ猫のようだ。
 この仔猫が、何故か食事をしている私のところへいつも寄ってきたのだ。
 最初のうちは足元でゴロニャンとしていただけなのだが、段々と図に乗ってきて、隣の椅子に昇り、やがては私のヒザの上、そして最後は股間の上で眠るようになってしまった。
 退かしても退かしても股間の上に昇ってきてしまい、何度も退かそうとすると 「ギーッ!」 と逆ギレされてしまった。
 人間のできた私は仔猫相手にケンカをする気はないので、股間の上に仔猫を乗せたまま、ビールを飲んで食事をするハメになった。
 「まぁ〜 かわいい仔猫。 これあなたの?」
 などと女の子から声を掛けられるかも… とかすかな期待を抱いていたが、猫があまりに小さ過ぎて、なんだか怪しげな毛のかたまりが股間の上にある、としか見えなかったようだ。
 
 それにしても、バンビエンでの友だちが犬と猫とは、あまりに悲し過ぎて涙が出てしまう…



グレート&アメージング ケーブ


 町外れを散策した。
 川を越えて村を過ぎると一面の田んぼが広がっていた。
 田んぼの脇に <Cave ⇒> と手書きされた看板があった。
 どうやらこの先に洞窟があるようだ。
 矢印の示す先に進んで行くと、田んぼの中のあぜ道になった。
 あぜ道と言っても、日本のように真っ直ぐな道が規則正しく直角に交差しているわけではなく、「何でこんなにグニャグニャと曲がっているのか?」 と大きな疑問をいだいてしまうほど、クネクネと曲がった道だった。
 しかも狭い。
 道は一人がやっと通れるほどの幅しかなく、進むにつれて草に覆われるようになった。
 はるか前方から日本人らしいご夫婦がやってきた。
 日本では清里でペンションを経営していて、そのペンションの名は 『森の子グマ』 みたいな雰囲気のお二人だなぁ〜 と勝手な推測をする。
 「こんにちわ。 お暑いですね〜」
 と、日本の田んぼで出会ったときのような挨拶を交わす。
 「洞窟ってどんな感じでした?」
 と私が訊くと。
 「ん〜、大したことありませんでしたよ。 入場料に1万キップ取られた上に、ガイド料だと言って4万キップも請求されましたよ。 ハッハハ〜」
 と、オーナーは高笑いをした。
 合計で5万キップ (約5ドル) か… これはかなり高いな…
 だが、炎天下の田んぼ道を延々と歩いてきて、洞窟の入口すら見ずに引き返すのも悔いが残る。

 草むらの中の一本道をしばらく進んでいくと、若い兄ちゃんたちが通せん坊をしていた。
 「ここから先に行きたければ金を出せ!」
 と言っている。
 手書きの看板には、 <一人1万キップ> と書かれていた。
 「洞窟ってどんな所なの?」
 と訊くと、
 「グレート、アンド アメージング ケーブ」
 だと言う。
 ここは素直に言われるがまま1万キップを支払うと、13、4歳くらいの一番若い少年が懐中電灯を手に
 「ついて来い」
 と先頭に立って歩き始めた。
 道はだんだんと悪くなり、草むらを掻き分けて進むようになり、やがては四つん這いになって岩山を登る事となった。
 運動不足のおじさんには、これがかなりツライ…
 たっぷりと汗をかいた頃に、Cave に到着した。
 「スモール ケーブ」
 少年はそう言って指差したが、これって日本ではくぼみ≠ニ言うんだぞ!
 こんなくぼみ≠カゃ、懐中電灯なんて要らんじゃないか!
 すると少年は、
 「ビッグ ケーブ ゴー」
 と言って、さら険しい岩山を登り始めた。
 ほぼ垂直のように思える急斜面を一歩一歩ゆっくりと登る。
 「私は物見遊山でここに来たのだ。 こんな本格的な岩登りはしたくないぞ!」
 と叫びたくなったが、猿のような少年はそんな私を尻目に、ヒョイヒョイと岩山を軽々と駆け上がって行った。

 猿少年に遅れることしばし。
 全身汗まみれになって、やっと洞窟らしい穴ぼこの入口に到着した。
 こちらに休む間も与えず、猿少年は懐中電灯の明かりを点けて洞窟に入って行った。
 私もすぐに後に付いていくが、洞窟の入口はかなり狭く、体中をドロだらけにして中に入った。
 「まるで川口探検隊じゃないか…」
 
 洞窟の中はそれほど広くはなく、ほんの10メートルも行かないうちに行き止まりになった。
 「おいおい、これだけか!?」
 猿少年は懐中電灯を天井向け、
 「バット、バット」
 と言う。
 そこには、けだるそうにぶら下がっている数匹のコウモリがいたが、これと言って珍しいものではない。
 しかも、以上が グレート、アンド アメージング ケーブ≠フすべてだと言う。
 「どこがグレートでアメージングなんじゃ? えっ、おい! 何とか言え!」
 すると猿少年は質問に答えるどころか、
 「ガイド料よこせ!」
 と手を出した。
 「ガイド料だと!?」
 こちらが怪訝な顔でそう言うと、猿少年は懐中電灯の明かりをつけたり消したりした。
 「おっ、大人を脅す気か! 汚いぞ!」
 こちらが何と言おうとも、猿少年は懐中電灯をつけたり消したりしながら、
 「10ドルよこせ」
 と、とんでもないことをのたまった。
 「ふざけるな! クソガキ!」
 大人の私も流石にキレた。
 「フ〜ンだ! バックパッカーをナメるなよ!」
 私はドラえもんのように、「ピキ ピ〜ン♪」 とバッグの中から自前の懐中電灯を取り出した。
 USアーミー御用達のコンパクト強力ライトだ。
 「あ〜、ドラえもん ずるいや〜」
 とは猿少年は言わなかったが、こちらが文明の利器を持っていたことには驚いたようで、この戦いは洞窟の外へと持ち越された。

 洞窟の外に出ると、猿少年は今までの態度とは180度変わり、泣き落としに入った。
 「ボクはこんなに頑張ってガイドしたんだから、ガイド料くれよ〜」
 って、お前は何をガイドしたんじゃ? え?
 「コウモリがいるよ」
 としかガイドしてないじゃないか!
 しかも、探検隊長の私を一人残してさっさと岩山を登るし、ガイド失格じゃ! 1年間のガイド禁止処分じゃ! 謝罪会見を今すぐおこなえ!
 あまりにこちらがきつく言ったせいか、それとも彼の演技なのか、猿少年は泣きそうな顔になりながらも、
 「ガイド料よこせ!」
 を繰り返した。
 こちらとしても分が悪い。
 ガイド料を支払わずに岩山を降りても、この先の一本道には猿少年の仲間たちがいる。
 「この日本人、ガイド料払わない」
 と告げ口されたら、袋叩きに遭うかもしれない。 
 私はここでは完全にアウエーだ。 サポーターは一人もいない…
 こんなラオスの地で若者相手にケンカなんかしたくないし、ここは先ほどの日本人夫婦の言っていた金額で、4ドルを少年に支払うことにした。
 言い値の半分以下の金額だが、金を受け取った猿少年は今までの泣き顔がウソのように晴れやかになり、元気よく二人で下山した。
 
 仲間たちの場所まで戻った猿少年は、もらったガイド料を彼らに見せた。
 すると仲間の少年たちは、
 「ボクらにもチップをくれよ〜」
 と、手を差し出してきた。
 「たわけ者!!!」
 一喝して炎天下の田んぼ道を町まで戻る。



携帯電話


 携帯電話に妻からの着信履歴が残っていた。
 前の夜にかけてきていたようだが、ビールを飲んで浮かれていたので、まったく気付かなかった。
 家で何か起きたのか? 年老いた両親が倒れでもしたのか? おっちょこちょいの妻がケガでもしたのか?…
 様々な不安が頭をよぎる。
 あせる気持ちで妻に電話をした。
 「もしもし、あっ、オレ、オレ」
 「あ〜 あなた〜」
 って、おれおれ詐欺だったらどうするんじゃ!
 わが妻よ、危機管理がなっとらんぞ!
 まぁ、それはさておき、
 「どうした、何かあったのか?」
 「うん、タイの島の方で、飛行機が堕ちたのよ」
 「そうなの? でも、タイの島の方には行く予定ないから」
 「でも、もし気が変わって行ってたら… と思って」
 妻よ、すまん! いつもいつも心配を掛けて…
 「心配ないよ。 で、他に変わったことはないか?」
 「ある」
 「へっ!?」
 「あのね〜、安倍総理が辞任したのよ!」
 それは大きなニュースだが、ここでの会話は 『妻自身のこと』 とか 『家のこと』 とか 『両親のこと』 とかを聞きたいのであって、TV局の特派員としてラオスに来ているわけではないので、その情報はどうでも良い。
 「いや、もっと身近かなことで…」
 「う〜ん…… 毎日、暑い日が続いてる、くらいかな〜」
 まぁ、とにかく家族に変わったことが無いというのが確認できただけで、ひとまず安心だ。

 それにしても、最近の携帯電話はスゴイ!
 日本の携帯電話が番号をそのままに、こんなラオスの田舎町でも普通に使えるのだから。
 かつては1週間に1回、定期的にこちらから日本に国際電話をかけて無事を知らせていたのだが、今じゃ何かあればすぐに連絡ができるので、安心して旅ができる。
 技術の進歩は旅のスタイルをも変えていく。

(第三章 終)



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