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回廊の女神たち (第五章・回廊の女神たち) |
密林の一本道 翌朝、ホテル前にデブはいなかった。 車道にボーッと立っていると、すぐに一台のバイクタクシーが寄って来た。 「アンコール・ワット?」 「そうだけど、一日いくら?」 「ワンデー、エイトダラー」 「2日間チャーターするから安くしてよ」 「OK。 シックスダラー」 彼の名はポウさん (35歳) 。 片言の英語しか話せないが大変に誠実そうだったので、彼をこの町での専属ドライバーに任命する。 料金は一日6ドル (約720円) なので相場どおりだ。 ポウさんの運転は実に上手かった。 水溜りや道路の窪みは巧みに避け、交通安全にも気を使っていた。 デブと違って余計なことを話さないのも楽で良い。 こちらの要望どおりに黙々と仕事をこなし、またある時には観光のアドバイスもしてくれる優秀な仕事人だ。 今日は一日、アンコール遺跡群を訪問する。 アンコール遺跡群はアンコール・ワットを中心としたクメールの宗教遺跡群で、世界三大仏教遺跡の一つでもある。 また、世界文化遺産に登録されているのは言うまでもないが、その中でも 『絶滅危機遺産』 に指定されている。 そして日本を含む各国のチームが、炎天下の中でこれらの修復作業をおこなっているのだ。 遺跡群の入口はシェムリアップの町から6キロほど離れた場所にある。 バイクタクシーは町を抜けると、密林の一本道を朝の爽やかな風を受けて快調に走った。 やがて、高速道路の料金所のような施設が道路を塞いでいた。 係員に、 「なに人だ?」 と訊かれ。 「日本人だ」 と答えると、日本語の達者な青年がやって来て、チケットの説明を丁寧にしてくれた。 その後、やはり日本語が達者なおばさんのいるブースに連れていかれ、ここで入場料と顔写真を渡す。 入場券は顔写真入りのパスとなっており、他人に譲渡できないようになっているのだ。 おばさんがその場でパウチをしてパスの出来上がり。 入鋏としてパスの端にパンチ穴が開けられた。 点在する遺跡では係員が抜き打ちでこのパスのチェックをおこなっており、不携帯の者は高額の罰金が請求されるとのことだ。 入場料は3日券で40ドル (約4,800円) と非常に高いのだが、遺跡の規模と価値、修復費用などがここから捻出されていることを考えると、むしろ安いのかもしれない。 まず初めに向かったのは、最も有名なアンコール・ワットだ。 しかし、ここは通常のツアーでは午前中に訪れる場所ではなく、ひととおりの観光を終えた午後に立ち寄る場所だ。 なぜなら、この寺院はアンコール遺跡群の中でも珍しく真西を向いて建てられており、写真を撮ろうとした場合、午前中は逆光になってしまうのだ。 特にカメラ好きの日本人ツアーでは、決して午前中に訪れることはない。 よって芸術的な写真を選ぶか、静かな遺跡を選ぶかの究極の選択をした結果、後者を選ぶことにしたのだ。 密林の一本道を抜けると、大きな外堀に囲まれたアンコール・ワットがその姿を見せた。 遥か中央にはトウモロコシのような形をした五つの塔がそびえ、その周囲は幾重もの堀と外壁で守られていた。正面入口でバイクを降りる。 ここから参道が真っ直ぐに中央祠堂に向かって延びている。 朝の陽射しが眩しく、そして素肌に容赦なしに照りつける。 しかし、この時間は観光客もまばらで、寺院には地元の人々が多くいた。 彼らは午後から押し寄せてくる観光客を目当てに、ここでジュースや土産物を売っているのだ。 まだ開店の準備中と言うことで、とてものどかな雰囲気であった。 そして、彼らとコミュニケーションをとることができたので、綺麗な写真は撮れなかったが、自分の選択に間違えはなかったようだ。 参道を進むうちに、小さな女の子を2人連れたお母さんと一緒になった。 言葉を交わしたわけではないが (通じる筈がないので)、こちらが遺跡に向かってカメラを構えるたびに一緒になって立ち止まり、興味津々の眼差しでその動作を見入っていたのだ。 そして目が合うと3人が微笑む。 「3人の写真を撮ってもいいですか?」 とカメラと母娘を交互に指差すと、少し照れ臭そうな表情で戸惑っていた。 しかし、そんなことはお構いなしにファインダーを覗くと、3人の表情は堅かったが、整列をして被写体に応じてくれた。 モアン 子供たちもたくさん遊んでいた。 親が商売をしている間は、この偉大なる遺跡が彼らの遊び場になるのだ。 やはり地面に座りカメラを構えていると、遠巻きに8人ほどの子供達がこちらを見ていた。 目が合うとどの子もはにかんでいたが、手招きをするとすぐに近寄って来た。 彼らは、自分が着ているTシャツに描かれた漫画チックなサメの絵が気になっていたようだ。 「ニッヒ チア アウェイ?」 (これ何?) と口々に言いながら、シャツを指差す。 「サメだよ」 「さ・め・・・?」 カンボジアの海にもサメはいるが、それを日本語で言ったものだから、彼らは不思議そうな顔をした。 「 『さめ』 アウェイ?」 (サメって何?) 「へ? ・・・ サメ ・・・ 『サメ』 チア・・・」 (サメは…) サメはクメール語で何て言うのだろう。 分からん。 「 『サメ』 チア・・・ トレイ」 (サメは…魚です) 「おお、トレイ、トレイ」 子供達は喜んでトレイを連呼する。 きっと 「日本人はこんな魚を毎日食べているんだろう」 と思ってしまったことだろう。 「ん〜まぁ、サメのことは置いといて・・・」 話題をすぐに変え、デイバッグからコミュニケーションの必須アイテムである折り紙を取り出す。 「いいか、目ン玉開いてよ〜く見てろよ」 子供達は真剣な眼差しで食い入るように見入った。 その中心で得意気になって日本のオヤジが紙を折っているのだ。 そして、 「どうだ。鶴だぞ」 と、完成した折り紙を得意満面で子供達に見せる。 「わぁ〜」 子供達は歓声を上げた。 日本の伝統的な文化に初めて接触したことへの喜びと驚き、そして感激が彼らの胸を打ったのだろう。 さらに職人技とも言える一羽の鶴。 とても紙切れ一枚から出来ているなどとは信じ難いことで、彼らは今日の日のことを一生涯忘れることはなかろう。 そう、不思議の国ジパングからやって来た、一人の旅人のことを… んな、たいそうなことを一人で考えている時、年長の女の子が子供達を代表するかのように口を開いた。 「ニッヒ チア アウェイ?」 (これ何?) 「へ? ・・・ つる ・・・ 『鶴』 チア・・・」 (鶴は…) 鶴はクメール語で何て言うんだ。 これでは先ほどのサメと同じではないか。 「 『鶴』 チア・・・ モアン」 (鶴は…鶏です) 「おお、モアン、モアン」 子供達にまた間違った知識を与えてしまった。 「日本のニワトリはこんな姿をしているのか」 と思ってしまったことだろう。 (まぁ、いいか・・・) 木陰に移動し、彼らにも一枚づつの折り紙を渡して、即席の折り紙教室の開校だ。 上手い下手の違いはあるものの、それなりに各自が完成して、 「モアン、モアン」 と喜んでいた。 あのニワトリを他の日本人観光客に見せないことを願いつつ、アンコール・ワットの中央に向かって歩き出す。 聖地のヘソ 長い参道を歩き終えると、いよいよ寺院の中心部へと入る。 最初の見所は一辺が300メートルほどの第一回廊だ。 この回廊の周囲には見事なレリーフ(浮き彫り)が全面に彫り込まれてあり、順番に見ることによって絵巻物のような物語になっている。 王族同士の戦闘の様子や天国と地獄、仏教逸話などが細かく彫られてあり、見る者を圧倒する。 第一回廊から入った所にある壁の窪みのような場所から、こちらに手招きをする係員がいた。 何だろうと思いながら行ってみると、 「ここに立って、自分の胸を叩いてみろ」 と言うので、そのとおりやってみた。 すると、小さな部屋の中は 「ボワ〜ン、ボワ〜ン」 と驚くほどの反響が返って来た。 「まるで、日光東照宮の鳴き龍じゃないか」 日本人団体観光客のような感想を漏らし、さらに第二回廊を抜けて中央祠堂を目指す。 最後の難所として、急勾配の石段が待ち構えていた。 下から見上げるとほぼ垂直に見えるほどステップが狭く、気休め程度の軟弱な手すりが唯一の手助けだ。 年間数人の観光客が落下し、死傷者が出るとのこと。 四つん這いになって、慎重に一段一段を登って行く。 上り詰めた場所が、四隅にトウモロコシのある第三回廊で、その中心には聖地のヘソである中央祠堂がそびえていた。 アンコール・ワットにはこの第三回廊を始めとし、あらゆる場所に美しいデバター (女神) が彫り込まれてあった。 あまりの数の多さに、いったい何体のデバターが彫られてあるのか分からないが、それぞれがすべて違った表情をしているそうだ。 また、これらのデバターは、実在の女官がモデルになったと言われている。 日本的に言えば天女のような薄衣を身にまとい、気品と優雅さが溢れるポーズをとって微笑む姿に、しばし心を奪われた。 今から900年も昔に造られたとはとても信じ難いほどに、彼女らの姿はみずみずしく、また生き生きとしたものだった。 中央祠堂から周囲を眺め回すと、改めてアンコール・ワットの大きさが実感できた。 ここを中心とした遺跡群は、今から130年前にフランス人によって密林の中から発見された。 未だに謎が数多く残っているアンコール遺跡群だが、こんなにも巨大な寺院を、なぜクメール人はいとも簡単に忘れ去ってしまったのだろうか? そちらの方が謎である。 仏陀を参拝に来た信心深い老婆に誘われ、一緒にお線香をあげる。 クメール式の参拝の仕方を教わり、旅の安全を祈る。 「オークン」 (ありがとう) 老婆に礼を述べ、急階段を恐る恐る下って行く。 アンコール・トムのカップル 木陰で待機していたポウさんを見つけ、さらにバイクを進めてプノン・バケンへ。 ここは60メートルほどの丘の上に建てられた寺院遺跡で、寺そのものよりも絶景が望めることで有名だ。 「えっ、ここを登るの?」 崖崩れの跡のような荒れた急坂を滑りながら登る。 大量の汗をかきながら登り切った頂上からは、密林に浮かぶアンコール・ワットが一望できた。 苦労して登ってきた甲斐がある。 周囲には遮るものが無いため、360度の展望が楽しめた。 密林の反対側には、椰子の木々が印象的な水田が広がり、遥か遠くには山も見えた。 自分以外に誰もいないので、まさに絶景を独り占めだ。 が、しかし、暑い! 太陽の光を遮ってくれる日陰は無いし、それを和らげてくれる風も吹いていない。 早々に退散し、麓のジュース屋で水分補給をする。 その後、大きな町の遺跡であるアンコール・トムのバイヨンや王宮を見学し、ピラミッドの形をしたバプーオン遺跡に足を運ぶ。 ワット (寺院) 造営の実験的な試みであると言われている空中参道を進み、回廊を越えて中央祠堂を目指す。 「何で、あっちに行っちゃいけないのよ!」 「☆▲∞£#☆○§◇∋◆∠…」 「何言ってるのよ。順路の矢印は向こうを指しているでしょ」 日本語で怒鳴っている女性の声が聞こえた。 門をくぐった先には、若い日本人女性と係員のお兄ちゃんがいた。 「こんにちは。どうしました?」 若い女性に声を掛ける。 「あっ、日本の方? あのぉ、このお兄ちゃんがこっちへ行くなって言うんですよ。順路の矢印はそっちを指しているのに・・・」 「お兄ちゃんはクメール語なの?」 「分からないわ」 大事になってしまい困惑顔のお兄ちゃんに尋ねる。 「英語が話せますか? 何で、そっちへ行ってはいけないの?」 お兄ちゃんはホッとした表情に変わり、 「こっちは修復工事中だから通行止めです。祠堂へ行くには反対側から廻って下さい」 そう言い残すと、呆れた日本人の相手はもうこれ以上御免だと、立ち去ってしまった。 「最初から英語で言っていたみたいですよ・・・」 「あら、そうでしたか・・・ すみません・・・」 彼女の名は緑子さん。 職業はプータロウ (本人の申告どおりに表記) で、これまで日本中を放浪していたと言う、元気いっぱいの女性だ。 そんな彼女には連れがいた。 「真太郎! こっちは修復中なんだってさ!」 彼女がミニトラブルを起こしている時に、他人事のように離れた場所で写真を撮っていた彼氏、やさしそうだが頼りなさそうな感じだ。 2人で初めての海外旅行にやって来たらしい。 約1ヶ月かけ、タイをスタートしてインドシナ諸国を巡る予定とのことだ。 最近のカップルにしては言葉使いも丁寧で、大変に好感の持てる二人だった。 彼らと旅の情報交換をしているうちに、いつしか1時間以上が経過していた。 「そろそろ行かなくては… マイドライバーが心配するから」 「私たちはレンタバイクで来ていますから。では、お互いに良い旅を」 爽やかな二人と別れ、遺跡見学を再開する。 宇宙人が造ったのではないかと思わせるような一種異様な外観の遺跡、タ・ケウへ。 ここでは、ジュース屋の客引き少女たちに、散々付きまとわれた。 「おにっさぁん、コールドドリンク」 「ああ、遺跡を見た後にね」 適当に相槌を打ってから遺跡のてっぺんに登ると、 「おにっさぁん! ヤクソクだよ!」 遥か眼下から少女たちが叫んでいた。 続いて、日本人観光客に人気がある、タ・プロームへ向かう。 バイクを降りて、しばらくは木々に覆われた一本道を歩く。 やがて正面にタ・プロームの信じ難き光景が目に飛び込んできた。 遺跡に何本もの巨木が生えているのだ。 いや、生えていると言うよりも、木に飲み込まれていると言った方が適切かもしれない。 外壁やお堂などに蛇のように絡みつく巨木。 自然の驚異をまざまざと見せつけていた。 この驚きの光景を見て、『天空の城ラピュタ (宮崎駿) 』 を思い浮かべるのは、自分だけではないだろう。 バイクはさらに東へ向い、王の沐浴場だったスラ・スランへ。 (流石は王様の沐浴場だけあって、広くて立派だ) と眺めているすぐ足元では、全裸のオヤジが沐浴をしていた。 (偉大なる王様の沐浴場なのに・・・) スコールに遭い、遺跡の中で雨宿りをしながら、東メボン一帯を見学する。 それにしても遺跡群は広い。 広過ぎる… 東京23区とほぼ同じ広さだそうで、すべてを観ようとすると、最低でも1週間は必要とのことだ。 それを高々一日、サッと観光しただけですべてを語ることは出来ないが、すばらしい遺跡であることは間違いない。 「宗教的にどう」 とか 「美術的にどう」 とかなどと言ったことは、自分ではまったく分からないが、遺跡のてっぺんに登り、周囲を見渡した時にその神秘性と壮大さを肌で感じ取ることができる。 ただそれだけのことだが、世界中の人々を魅了する理由は何となく理解ができた。 夕食のため、シェムリアップの町の中心にある日本食の店 『サンクチュアリ 36・5℃』 へ行く。 遺跡で知り合ったカップルが、しきりに 「和食が食べたい」 と言っていたので、ついつい自分もその衝動に駆られてしまったのである。 店内は贅沢な空間でテーブルが配置されており、静かなジャズがBGMとして流れていた。 カンボジアにある日本食の店≠ニ言うよりも、東京にあるアジアンチックな店≠ニ言ったインテリアだ。 女性オーナーを筆頭に2人ほどいる従業員も生粋の日本人で、物静かな喋り方と気遣いは心休まる空間だった。 一日限定5食の幕の内弁当を注文する。 値段は5ドル (約600円) もするのだが、卵焼きに焼き魚、煮物、漬物、豚汁・・・ と、日本をしみじみと思い出させるものばかりだった。 |
(第五章 終) ≪前ページへ [目次へ戻る] 次ページへ≫ |