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回廊の女神たち  (第四章・遺跡の町へ)

高速船に揺られて


 明朝6時、チェックアウト。
 警備員のおじさんがアルバイトでバイクタクシーをやっているので、今朝は非番である彼の後ろに乗って船着場へ急ぐ。
 今日はプノンペンから船に乗り、トンレサップ川と湖を北上。 そしてアンコール遺跡の町、シェムリアップへ向うのだ。

 船着場は町の北外れにあり、屋台や市場などが開いていて活気があった。
 バイクを降りるとすぐに、ひとりの少女が天秤棒にいっぱいのパンを担いで売りに来た。
 朝食用に購入。
 船は細長い比較的大型 (約100人乗り) のジェット船だった。
 チケットは昨日、ホテル近くの旅行社で手配済みだった。
 この船着場で買うと25ドル (約3,000円) するのだが、その旅行社では同じチケットが24ドル (2,880円) で買えた。
 細い船べりを伝い、後部にある荷物室にリュックを預けてから、前方の客室へ入る。
 一応、座席指定だ。
 客室内は暖房が欲しいくらいに、冷房がガンガンに効いていた。
 
 大きな荷物を抱えた中国人、金持ちのカンボジア人や欧米人旅行者などが 「寒い、寒い」 と言いながら次々と乗り込んで来て、やがて満席になった船は、定刻の7時、一路シェムリアップに向けてエンジンを轟かせた。

 しばらくはトンレサップ川を遡って進む。
 プノンペン市内を外れると川幅も段々に狭くなり、ディズニーランドのジャングルクルーズに乗っているかのような、鬱蒼とした森林の風景が岸辺に広がる。
 ボートはけたたましい爆音を響かせ、予想以上の猛スピードで疾走した。
 時折激しく降るスコールで、窓の隙間から浸水してくる雨をカーテンで拭くなどと忙しくなるのだが、水面を跳ねるように進む様は何とも快適である。
 この船は頻繁に機関銃を持った武装強盗団に襲撃されるので有名なのだが、客室内には制服警察官が2名ほど警乗しており、我々の安全を一応守ってくれていた。
 それにこのスピードであれば、海賊も (いや、川賊か湖賊かな?) そう簡単には襲撃出来まい。

 船内では中国のテレビドラマがビデオ放映されており、ヒマな乗客たちはそれを食い入る様に観て楽しんでいた。
 ドラマの内容は、日本に統治されている昔の中国が舞台で、正義の味方の中国人青年が人民を苦しめる日本の役人をやっつける、と言ったヒーローものだった。
 一話が終わると、同じような内容の二話、三話、四話… と続くのであるが、日本の役人がやられるたびに船内は拍手喝采で、自分としては居たたまれなかった。

 やがて外の景色が大きく広がっていき、360度に水平線が見えるようになった。
 トンレサップ湖に入ってきたのだ。



今年はまだ安全


 トンレサップ湖はカンボジア西部にある巨大な湖で、その広さは乾季で水量の少ない時期でも、埼玉県とほぼ同じ大きさだ。
 これが雨季も終わる頃になると、周囲の湿地帯や森林、村を冠水させ、何と3倍もの大きさになってしまうのである。
 面積が常に変化することから、『伸縮する湖』 と呼ばれている。
 この時期は丁度、中間くらいの大きさなのだが、船は進んでも進んでも岸辺が見えず、その大きさを実感させた。
 波でもあれば海と間違えてしまうほどに広い湖だ。
 魚も豊富に棲息しており養殖も盛んだ。
 ここで獲れたナマズはタイへ輸出され、高値で取引されているらしい。

 そんな湖をひた走ること数時間。
 やっと、岸辺に近いところで船はエンジンを止めて停止した。
 ここから先は狭い水路を航行するため、この船が自力で進むことができないのだ。
 波に漂いながら待っていると、ほどなくして一隻の小型木造船がやって来て、我々の船とロープで結ばれた。
 そして、小舟からはカンボジア政府軍の兵士が2人、我々の船に乗り移って来た。
 彼らの両手には機関銃が握られており、船べりに立って左右を警戒した。
 牽引する小舟にも、同じように銃を構えた兵士が仁王立ちしている。
 この先の水路では、意味もなく機関銃で船が銃撃される事件が発生するので、このような護衛がつくのだそうだ。
 「ここは危険なの?」
 隣の席に座っているカンボジア人青年は、英語が話せるので訊ねた。
 すると彼は平然とした顔で答えた。
 「心配いらない。今年になってからは、まだ銃撃されていないから」
 そう言うと、読みかけの雑誌に再び目をやった。
 ( 『今年は』 か…)
 まぁ、船べりで機関銃を構えている護衛兵がいるので、事件は発生しなさそうだ。
 それにしても彼ら護衛兵は頼もしい。
 ラオスのゲリラ地帯を行くバスで、短銃一丁で居眠りをしながら護衛してくれた兵士とは大違いだ。
 
 物々しい警備を固めた船はゆっくりと牽引されながら、すれ違うのがやっとの狭い水路に入って行った。
 川の両側には、木造の水上家屋が所狭しと建ち並び、その周りには住民の足である小舟がたくさん浮いていた。
 彼らはベトナムから魚を求めてやって来た人々で、ここに水上集落を形成して細々と生活をしているのだ。
 そんな所に金持ちを満載した船が進入し、彼らの漁場や生活の場に高波を立てて行くのだから、住民だって決して好意的には受け止めないだろう。
 それに加えて、銃がいくらでも手に入るカンボジアだけに、乱射してみたくなるのも無理はない。
 こちらは迷惑だが…
 大音量で流れていたビデオも消され、乗客は息を潜めるように黙ったまま周囲の様子に気を配っていた。
 そんな緊迫した空気の中、クネクネとした水路を少しずつ進んで行く。
 水に浮かぶ家々では子供たちが無邪気に手を振ってくれるのだが、その奥の暗い部屋からは、大人たちの敵意に満ち溢れた眼が光っていた。
 それは敵意などといった大それたものではなく、単に、毎日のようにやって来る船にいちいち手を振るほど子供ではない、と思っているだけなのかもしれない。
 しかし、こちらが手を振って微笑んでみても、その眼はじっとこちらを見据えたままで、決して細めることはなかった。

 運良く、銃弾の雨嵐になることはなく、30分ほどで終点に到着した。
 プノンペンを出港して5時間半の船旅だった。
 終点には特に港らしき施設は無く、道路が水没したところが即、港になるのだ。
 船首と岸辺には細くて長い板が渡された。
 乗客は一人ずつ船員の手を借りて、そのぶよぶよと不安定な板を綱渡りでもするかの様に下船して行った。

 岸辺には数多くの客引きが待ち構えている。
 皆、手にゲストハウスの名前が書かれたプラカードを持ち、綱渡りをしている乗客に最大限のアピールを繰り返すのであった。
 そんな中に混ざって、画用紙にサインペンで大書きされた
 『Welcome. Mr.POKARA』
 の文字が。



シェムリアップのおデブちゃん


 今朝プノンペンで船を乗ろうとした時、一人の青年に声をかけられていたのだ。
 その時の会話はこうだ。
 「船の終点からシェムリアップの町まで、自分の弟のバイクタクシーに乗って欲しい」
 「いくらで行ってくれるの?」
 「金はいらない。無料で送る」
 「何でタダなの?」
 「ホテルからバックマージンが貰えるから」
 「ふ〜ん。まぁ、好きにしていいよ」
 と言うことで、名前を訊かれていたのだ。
 そして、この画用紙を持ったデブの兄ちゃんの登場となったのだ。
 「ミスターぽからですね。プノンペンの兄から連絡を貰っています。どうぞお送りします。」
 「で、いくらで乗せてくれるの?」
 念のため値段の確認をする。
 「いいえ、お金は要りません」

 デブのバイクはまだ新車だった。
 その新車にまたがり、広大な湿地帯に一筋の線を描いているデコボコ道を、シェムリアップの町に向けて出発する。
 「今日は、町まで17キロです」
 「 『今日は』 って明日は違うの?」
 「明日は16キロかな・・・ トンレサップ湖は日々大きくなっています。10月には町までの距離が10キロになってしまいます」
 今走っているデコボコ道も、あと1ヶ月もすると湖底に沈んでしまうのだ。
 バラックのような高床式の民家が道路の脇に何軒も建っているが、そのどれもが相当に高い柱の上に建てられていた。
 この高さまで水が押し寄せて来ると言う事だ。

 バイクはかなり走っても湿地帯を抜けなかった。周囲には蓮の花が咲き乱れ、極楽浄土にいるようであった。

 しばらく走ると木々が増えてきて、ここは湖底に沈まない場所であることが分かった。
 そんな中を30分ほど走行すると、シェムリアップの町の中心地に出た。
 「ホテルは決まっているの?」
 「どこかお勧めはある? 安くて、綺麗で、できるだけ町の中心で・・・」
 「それなら、任せて下さい」
 連れて行かれたのは、色々な店が軒を連ねているオールドマーケットのすぐ近くだった。
 入口を入るとそこは丁寧に磨かれたタイル敷きの食堂となっていて、その奥にフロントがあた。
 英語の通じる従業員が1人しかいなくて苦労したが、2階の部屋にはテレビ、冷蔵庫、エアコンがあり、眺めは悪いが窓もあった。
 泊まることを即決したことは言うまでも無い。

 テレビをつけるとNHKが映った。
 しかもリアルタイムで放送されているではないか。
 時差が2時間あるものの、ニュースや天気予報で日本の様子を知ることができた。
 なんでも東京は記録的な猛暑が続いているとのこと。
 連日35度まで上がる気温に、町行く人々がぐったりしている様子が映し出された。
 (カンボジアの方が、全然涼しいじゃない・・・)
 ベトナムもカンボジアも気温はあまり上がらず、朝夕は寒いと感じる日もあった。
 日中は湿度が高くなりジメジメとするが、それでも例年の暑さから比べれば快適であった。
 まさか、東京の方が暑いとは思ってもいなかった。

 夕方、スコールが止んでから夕食に出掛けた。
 ホテルの前の道には巨大な水溜りができていた。
 迂回もできないので、地元民と同じようにドロ水の中をジャブジャブと歩く。
 水溜りに入ったのなんて何十年振りだろう。
 なんか懐かしい気分だ。
 このドロ水では傷でもあれば破傷風にかかってしまいそうだが、心は何となくウキウキしていた。

 「どこへ行く?」
 「飯を食いに行くんだよ」
 声をかけてきたのは、先ほどのデブだった。
 「今から夕陽を見に行かないか?」
 「行かない。腹減ってるんだもん。それに、曇ってるじゃん」
 「明日はアンコール・ワットへ行くのか? 迎えに来るから何時だ?」
 「明日のことは分からない・・・ 目が覚めた時間が出発の時間」
 「教えてくれよ。何時だ?」
 デブはしつこく訊ねてくる。
 デブのバイクをチャーターして明日の遺跡見学をおこなっても良かったのだが、ここへ来る間にデブは一人でベラベラと喋り捲っていて、少々嫌気がさしていたのだ。
 適当にあしらっておこうと思ったが、デブはなおもしつこく色々と訊ねてきた。
 (いい加減にしてくれよ!)
 「じゃあ、明日は何時か分からないけど、ホテルの前で待ってろよ。君が待っていたら一日チャーターするから」
 こう言うと、デブは 「じゃあ、明日」 と言い残して去って行った。
 これでやっと開放された。



日本人を眺めながら…


 マーケットの近くにある、オープンスタイルのレストランにて夕飯を食べる。
 レストランから町を眺めていると、日本人を何人か見かけた。
 カンボジアに入国して 『浜崎あゆみ』 と 『NHKアナウンサー』 以外の日本人を見たのは初めてだった。
 しかし、見かける日本人は高価な服装にブランドもののバッグ、手にはガイドブックがしっかりと握り締められていて、とてもこの町、いや、この国には不釣合いであった。
 物乞いたちが手を出しながら近づいて行くと、キャーキャーと騒ぎながら逃げ回る。
 物乞いたちだって人間なのだから、そんな反応をしなくても良いではないか。
 おおかた彼らは飛行機でこの町にやって来て、観光バスに揺られて遺跡見学。
 宿泊は 「ここ、ハワイか?」 と思わせるようなムチャクチャ立派なリゾートホテル (町外れにあるのだ) に宿泊。
 翌日にはまた飛行機で他の国に帰ってしまうのだ。
 ツアーのパターンはこんなもので、そんなツアー客はカンボジアに来たと言うよりも、アンコール・ワットに来たと言った方が正しいのかもしれない。
 「へ〜ぇ、ここってカンボジアなんだ」
 と彼らの間抜けな会話が聞こえてきそうだ。

 そのような観光地の町だけあって、シェムリアップの物価は驚くほど高かった。
 プノンペンではビールの大瓶1本が3千リエル (約90円) だったものが、この町では8千リエル (約240円) にもなっていた。
 食事も水もすべてが2倍以上の価格だ。

(第四章 終)



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