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回廊の女神たち  (第二章・えっ! 出国拒否?)

パパのシボレー


 明朝7時。
 ゲストハウスの隣にある食堂で朝食を食べていると、トンさんが若者と連れ立ってやって来た。
 「トンさん、おはよう。ずいぶん早くない?」
 迎えに来てもらう時間は、7時半の約束だったのだ。
 「オハヨー。ボーダーへは弟が行く。 車、この道に入れないから広い通りに停めてある」
 トンさんと一緒にいた青年は、彼の弟だった。
 「了解。 じゃあ、食べ終えたら、昨日のサンドイッチ屋さんの前でネ」
 「ボクはこれで帰る。 あとは弟がOKね。 気をつけてカンボジアへ行くよ」
 トンさんとはここで握手をして別れる。
 
 ゲストハウスをチェックアウトする際、杏樹がプノンペンのホテルを数件紹介してくれた。
 そして、
 「これを見せれば、安くなるわよ」
 と、名刺の裏に紹介状まで書いてくれた。
 
 リュックを背負い外に出ると大粒の雨が降っていた。
 大通りまでの数百メートルを急ぎ足で行く。
 そして大通りが見え始めた時、前方から巨大なアメ車がこの狭い路地に進入して来た。
 カエル色の趣味の悪いアメ車が、人々を蹴散らしながらズンズンと進んで来る。
 道の幅と車の幅がほぼ同じ位に見える。
 「こんな狭い道に入ってくるなよな〜」
 仕方なく、軒先に避難してこの車をやり過ごそうとすると、運転手が窓から顔を出した。
 それはなんと、トンさんの弟であった。
 雨が降り出したことを気遣って、こんな狭い路地まで車を入れてくれたのだ。
 これには感謝、感謝。
 車はパパがアメリカで買ってきたと言う、シボレー。
 相当の骨董品でメーター類は故障しシートには穴ぼこが開いていたが、エアコンはバッチリと効いていて快適そうだ。
 
 リュックを後部座席に投げ出し、助手席に座る。
 「この先、通り抜けできるの?」
 さらにこの先の道は狭くなっていくのに、トン弟はバックさせるのではなく、車を前進させるのであった。
 不安そうな顔で前方を指差すと、
 「ノープロブレム」
 と、何のためらいも無く返事が返ってきた。
 
 建物と建物の間をスレスレで抜け切り、カエル色のぽんこつシボレーは大きな通りを国境へ向けて走り出した。 



コウモリ集団、街を行く


 朝の通勤ラッシュと重なり、市内の道路はすべてスーパーカブに埋め尽くされていた。
 その数の多いこと多いこと… ベトナム中の、いや、世界中のスーパーカブがこの町に集結したのではないかと思えるほどだ。
 「すっ、すんげぇ〜」
 「ラッシュアワーね」
 トン弟がハンドルを握りながら笑う。
 最後尾の無い全盛期の暴走族≠ニ言った感じで、あとからあとから来るわ来るわ… しかも、交通ルールなんか無いに等しい。
 反対車線は平気で走行するし、信号は無視するし、交差点なんぞは直進優先なんてことはなく、先に行った者勝ちの世界である。
 ベトナムには道路交通法が無いのだろうか?
 大きなアメ車でこの波を流れて行くのは、相当に怖く、360度、あらゆる方向からバイクが押し寄せてくる。
 これでは、いったいどこを見て運転したら良いのか分からない。
 我がぽんこつシボレーも町を行くバイクも、サイドミラーが無い。
 新車のバイクでそれが付いているものもたまに見かけるが、その鏡はとんでもない方向を向いていた。
 (あんな状況で何故ぶつからないのだ?)
 そこで考えた結論 ―― きっと、ベトナム人はコウモリの様な特性があるのだろう。
 仲間同士がぶつからないよう、お互いに超音波を発しながら運転しているのだ。
 そうでもなければ、あのような曲芸的な集団走行はできないはずだ。

 突如、警察官が道路の真ん中に飛び出してきて、一台のバイクに何かを命じた。
 命じられたバイクは、渋々と歩道に乗り上げて停車した。
 「どうしたの彼?」
 トン弟に尋ねるが、
 「…☆▲∞£#☆○§◇∋◆∠…」
 答えはベトナム語だったので全く分からなかった。
 何の取り締まりだか分からないが、これだけの数のバイクが流れて行く中で、一台の違反車を見つける警察官はたいしたものだ。
 これは相当のベテラン警察官と見た。
 しかし、そんなことよりも、信号無視や逆走行を取り締まった方が良いのではないか? 
 この国は良くわからん…
 
 市の中心部を外れても、バイクの波が途絶えることは無かった。
 しばらく行くと工事中のような橋のたもとに、大勢の人々がたむろしていた。
 その人々は車が来ても構うことなく道にしゃがみ込んでいるので、車の往来に支障をきたしていた。
 「あの人たちは何してるの?」
 トン弟に訊ねる。
 「工事を見てるね」
 重機でスコンスコンやる杭打ち作業を、大人も子供も楽しそうに見物していたのだ。
 (そんなに珍しいのか?…)

 さて、ベトナムのことで随分とページを使ってしまったが、今回の旅の本題はここから始まる。
 『カンボジアを陸路で縦断する』 ―― 今回の主題はこれである。
 これと言ってロマン溢れるテーマではないが、東南アジアの中ではハードな部類に入るカンボジアの陸路を移動しながら、真のカンボジアを肌で感じることそのものが、今回の旅の大きな目的である。
 
 伏魔殿の外務省によるカンボジア王国の安全情報は、次のとおりだ。
 『首都プノンペンとアンコール遺跡周辺に危険度1 (注意喚起)、その他のカンボジア全土に危険度2 (観光旅行延期勧告) を発令しています。 よってプノンペン、アンコール遺跡を観光される方は空路を利用し、陸路での移動は避けて下さい。 また、首都プノンペンでも夜間の外出はしないようにして下さい。 政治的背景の国内情勢の他、外国人を狙った武装強盗が頻発しており、治安は非常に不安定です。 全土に銃器が氾濫しているのが現状です。 また、地雷にも細心の注意を払い、道路以外の場所に立ち入らないようにしましょう・・・ 云々』
 A4用紙3枚ほどにビッシリと記載された治安状況は、どれも危険≠ネものばかりだ。
 こんなにまわりくどく書くよりも、
 「オメェーラ、物見遊山でカンボジアなんか行くな!」
 と言ってくれた方がよほど親切だ。
 
 しからば、と、東京・青山にあるカンボジア王国大使館に問い合わせた。
 すると、
 「ニューヨークより安全ですよ」
 キッパリと言い切られてしまった。
 ニューヨークはまだ行ったことがないので具体的には良く分からないが、そう言われると大丈夫そうな気がした。
 しかも、
 「そんなことを言っているのは、日本の外務省だけですよ」
 と付け加えられた。
 そこで、
 『カンボジアは本当に危険か、身を持って確かめたい!』
 サブタイトルが決まった。
 この時点で、第三国の人間に正式に開放されている陸路国境は2ヶ所のみ。
 南のベトナム国境と北のタイ国境だ。ここを南北に通過すべく、ベトナムを出発点にしたのである。

 ぽんこつシボレーはホーチミン市の西、60キロのところにあるモックバイの町に着いた。
 田舎町だが賑やかな町並みを見ながらしばらく行くと、有料橋に行き当たった。
 金を取る割にはボロく短い橋を渡りきると、その先はデコボコの悪路が田んぼの中に延びていた。
 路面はもちろん未舗装で、いたるところに巨大な水溜りができている。
 ぽんこつシボレーは幾度となく車の底を擦りながら、国境までの10キロをノロノロと進むのであった。



オーバーステイ?


 「ここ、ボーダー。 向こうはカンボジア」
 ホーチミン市を出発して2時間後、到着した国境はだだっ広い荒地の中に、小さな建物 (イミグレーション) とゲートがあるだけの極めて寂しい所であった。
 
 トン弟と別れ、出国手続きのためにイミグレーションへ。
 コンクリートの小さな建物を入ると、中にはベトナム人の青年が2人ほど、大きな荷物を抱えて手続きをしているだけの閑散としたものであった。
 出国用の窓口は1つだけで、権力を誇示するかのような厳めしい制服に身を包んだ無愛想な係官が、パスポートとビザを念入りにチェックする。

 しばらくビザを見たあと、
 「オーバーステイ」
 とひとこと言うなり、パスポートをポンと横へ放り投げてしまった。
 「はぁ?」
 何で放り出すの、と投げ捨てられたパスポートを指差す。
 「おまえは2日間のオーバーステイだ。 罰金を払わなければ出国は認めん」
 係官は眉をしかめ、踏ん反り返って洋モクに火を点けた。
 「何でオーバーステイなんだよ。 オレは3日しか滞在してねえぞ」
 抗議するが係官は聞き入れず、色々な種類の洋モクの箱をポンとカウンターの上へ置いた。
 (この仕草は・・・ 因縁をつけてワイロを要求しているのか?)
 こんなことに屈する自分ではないわい。甘く見るんじゃない!
 「ちゃんと説明しろ!」
 何度も抗議をするが、係官は首を横に振るだけで放り出されたパスポートはそのままだ。
 「どうしました?」
 いつしか後ろに並んでいたベトナム人の青年が、なかなか順番が回ってこないことに業を煮やし、流暢な英語で尋ねてきた。
 「オレにも分からないんだ。 オーバーステイって言われているんだけど理由が不明で。 君から訊いてくれない?」
 彼はすぐに係官にベトナム語で訊ねてくれた。
 二言、三言のやり取りがあった後、
 「オーバーステイって言うだけで、それ以上は・・・」
 と、彼が訊いてもその一点張りのようだ。
 青年と顔を見合わせ、「どうしたものか・・・」 と思案していると、係官がやっと動いた。
 イヤラシイ表情を浮かべながら、ゆっくりと。
 そして、放り出したパスポートを開きながら説明を始めた。
 「お前のビザは6月30日から8月1日まで有効だ。 分かるか?」
 勝ち誇ったように話す係官の一言一言を、聞き逃さぬようにカウンターに乗り出して聞く。
 青年も一緒になり、乗り出して聞いている。
 「いいか。 8月1日がリミットなんだぞ」
 「うん、…で?」
 「今日は何日だ?」
 「3日・・・ だよね?」
 隣の青年に同意を求めるように振り向くと、彼も大きく頷いていた。
 「よって、オーバーステイだ。」
 「・・・だから何でだよ。 きょうは7月3日だろ?」
 「ジュライ、サード」
 青年も同調する。
 
 一瞬の間があった。
 
 「あっ! 7月? ・・・お〜っ、7月か・・・ あいや〜7月だぁ」
 係官の表情が急に変わった。
 慌てて出入国記録台帳に記載を始め、パスポートに出国スタンプを押して返してくれた。
 係官は7月と8月を間違えていたようだ。
 「これで終了? OKなのですね?」
 嫌味たっぷりに係官に言うと、
 「ソーリー」
 と、小さな声が返ってきた。
 助けてくれた青年とガッツポーズを交わし、続いて検疫と税関審査だ。
 
 こちらは係官がくわえタバコで雑談をしながら、顔すら見ないでスタンプを押した。
 ここの国境では税関審査が相当に厳しいと聞いていたので、入国時には細かく持ち物を申請していた。
 それなのにこの対応だったので、少々拍子抜けした。
 
 イミグレーションの先には、コンクリートでできた大きなアーチがあった。
 ここから先はベトナムとカンボジアの緩衝地帯が100メートルほどあり、その先がカンボジアだ。
 
 ベトナム側では国境の写真撮影は厳禁である。
 それは知っていたが、少しくらいなら大丈夫だろうと、こっそりとシャッターを切った。
 しかし、
 「☆▲∞£#☆○§◇∋◆∠…!」
 すぐに兵士に見つかり、激しく怒鳴られた。ベトナム語なので何と言っているか分からないが、写真を撮ったことで怒っているのは明らかだ。
 「ソーリー、ソーリー、ソーリー」
 フィルムを没収されたら大変なので、ここは謝り倒す。
 「☆▲∞£#☆○§◇∋◆∠…!」
 しかし、なおも凄い剣幕だ。
 「だから、ゴメンネ。 知らなかったんだもん。 ゴメン、ゴメン、許してちょ」
 馬鹿な日本人を装って謝り続けたら、何とか許してくれた。
 


フレンドリーなイミグレーション


 ベトナムのゲートをくぐったら、すぐに3〜4人の若者が寄って来た。
 「プノンペンまで70ドル (約8,400円) で乗せるよ」
 彼らはタクシーの客引きだった。
 ここからプノンペンまでの160キロの道程は公共の交通機関がないので、乗合タクシーをチャーターするしか足は無いのだ。
 彼らとはこの緩衝地帯を歩きながら交渉する。
 「70ドルは高いなぁ。20ドル (約2,400円) にならない?」
 「そりゃあ無理だ。 じゃあ、60ドル」
 「ん〜 ところで、何で兄ちゃんたちは、ここ (緩衝地帯) に入れるの?」
 「ここはカンボジアの領土だから」
 緩衝地帯と言っても厳密にはどちらかの領土に属するわけで、ここはカンボジアの領地なので彼らが自由に出入りできるようだ。 本当はいけないのだろうけれど・・・
 「エアコン付きの新車だよ。50ドルならどう?」
 「ねぇ、ねぇ、シャッター押してよ」
 彼らの値段提示を適当にはぐらかせ、荷物を持たせたりカメラのシャッターを押させたりと都合のいいように使う。
 
 カンボジアのゲートはレンガ色で、アンコール・ワットを型取った洒落たものだった。
 くぐった先には、遊園地のプールにあるスナックコーナーのようなイミグレーションが並んでいた。
 兄ちゃんたちに案内され、先ずは入国審査だ。
 狭いカウンターの中には、多くの係官がぎゅうぎゅう詰めになっていた。
 (係官が多過ぎないか?)
 こんなに通行量の少ない国境なのに、これだけの数の係官がいたらヒマだろうな。
 案の定、彼らはヒマだった。
 カウンターで出入国カードを記入しようとすると、3人もの係官が記入すべき個所を一つ一つ指差した。
 しかも3人ともバラバラに・・・
 「いや〜、好意は嬉しいんだけれど、バラバラに指差されてもいっぺんには書けませんよ」
 しかも、記入すべき内容まで指示する始末だ。
 「ここ、日本の住所。 トウキョー」
 「オレ、埼玉に住んでるの。」
 「ここ、カンボジアの次に行く国。 ジャパン」
 「オレ、次はタイに行くの」
 「ここ、滞在するホテル名。 キャピトルホテル」
 「オレ、キャピトルには泊まらないの」
 親切なのは良いが、勝手に決め付けられても困る。
 なお、キャピトルホテルとはプノンペンにある代表的な安宿で、世界各国のバックパッカーの溜まり場となっているホテルだリュックを背負っているからと言って、皆が皆、キャピトルホテルに泊まると思うのは間違えである。
 出入国カードだけではなく税関申告書までも
 「ここの、ナッスィング (申告物なし) にサインして」
 と指示された。
 荷物の中を確認したわけでもないのに、出国の時にトラブったらどうするんだ?
 ここはちゃんと、MDウォークマンやカメラなどを申告しておいた。
 ベトナムとは大違いで、それはそれは親切でフレンドリーなイミグレーションだ。



イエローカード


 続いて健康チェック (検疫) だ。
 客引きのお兄ちゃんに誘導され、カウンターにパスポートを出す。
 自分で健康状態の申告用紙を記入させられると聞いていたが、ここでは2〜3の質問に答えるだけだった。
 「何か、病気はあるか?」 とか 「ベトナムで熱を出さなかった?」 など、簡単でアバウトなものだ。
 特に問題は無いので、すんなりと通過出来ると思いきや、
 「イエローカードを持っているか?」
 と、係官は最後に言い放ったのだ。
 ここで言うイエローカードとは 『予防接種注射証明書』 のことで、アフリカなどで伝染病のおそれのある国では、入国の際にビザと共に必要になる書類だ。
 しかし、東南アジア諸国では今のところ、この証明書を必要書類としている国は無い。
 あのインドですら、日本やアジアから行った場合は不要なのだ。
 「そんなもの持ってない。 何で必要なんだ?」
 と訊ねると、係官はクリアーファイルの束の中から、ひとつのそれを選んで差し出した。
 それは、日本で発行される 『黄熱病予防接種証明』 の様式だ。
 ご丁寧に 「日本太郎」 なる記入例まで記載されている。
 「これが無いと入国は認めん」
 と言うではないか。
 「じゃあ、どうすれば良いの?」
 すると、係官はおもむろに手の平を差し出し、
 「ワン・ダラー」
 と、ベトナムの客引きの様なことをぬかしやがった。
 (何だ、ワイロの要求か。なめんじゃねぇぞ)
 「それは正当な要求か?」 「何故、カンボジア・リエルではなくアメリカ・ドルなんだ?」 「日本のカンボジア大使館では不要と言ってたぞ!」 などなど、語気を強めて猛抗議をするが、係官は涼しい顔で 「ノー」 と首を振るだけだ。
 散々やりあったが埒があかず、隣で一部始終を見ていた客引きの兄ちゃんも、「もう、あきらめなよ」 と言う顔付きだった。
 いまさらここで入国拒否をされても、ベトナムには戻るに戻れない。
 なぜなら、ベトナムのビザはシングルビザ (1回の入国のみ有効) だからだ。
 「クソォ〜、公務員のくせに足元見やがって… …OK。でも、もう少し安くならない?」
 「ダメ。1ドル」
 「大使館に言い付けてやるから覚えてろ!」
 結局、係官の言う通りに1ドルを支払うハメになった。
 「出国までにこの用紙を失くすなよ」
 と言いながら、「健康状態は異常無し」 と書かれた証明書にカンボジア王国の公印をバンと押し、それをパスポートに挟んで憎らしいほど素敵な笑顔と一緒に返してくれた。
 
後に分かったことだが、この不当と思われる要求は、外国人が通過できるカンボジア国境 (3ヶ所 = 未公開国境含む) のすべてでおこなわれており、その金額も、150円から700円ほどと、旅行者によってバラツキがある。
 証明書の記入例も同じ物が備えてあるらしく、これを見せられた旅行者は支払いに応じざるを得ない状況になるようだ。
 ちなみに、ここ以外の2ヶ所の国境はタイと接しているので、タイ・バーツで請求されるらしい。 
 また、飛行機で入国する人は空港で出入国カードを貰う時、1枚に対して1ドルを請求されることもあるとか…

 不本意ながら1ドルもの大金を巻き上げられ、失意の中を再び歩く。



中国人の夫婦喧嘩


 イミグレーションの先にも荒地が広がっていた。
 空はどこまでも広く、スコールを降らせる雨雲の間からは、気持ちの良いほどに鮮明な青空が見え隠れしていた。
 トンさんの言っていたデンジャラスな雰囲気は微塵も感じられず、とてものどかで平和な様子だ。
 地平線の見える荒地の駐車場には、乗用車が2台ほど停車しているだけであった。
 その内の1台が客引き兄ちゃんたちの車だ。
 これでは形勢不利。 完全な売り手市場だ。
 「えっと、30ドルだったけ?」
 早速、値段交渉に入り、40ドル (約4,800円) で商談成立した。
 前金で25ドル、プノンペン到着時に残金の15ドルを支払う仕組みだ。
 
 案内された車は旧式だがトヨタのカムリで、ぽんこつシボレーよりも乗り心地は良い。
 すでに後部座席には中国人の家族が3人乗っていた。
 
 リュックをトランクに預け、助手席に座って出発。
 プノンペンまでの道はほぼ一本道。
 荒地や森、田んぼと言った風景の中に、ひたすら真っ直ぐな未舗装路が延びているのである。
 時折、激しいスコールに見舞われるものの、車は快調に飛ばしていた。
 車内はとても静かだ。
 運転手のオヤジは生粋のカンボジア人でクメール語しか話せず、後ろの中国人はもちろん中国語オンリーだ。
 コミュニケーションのとりようが無い。
 ステレオから流れるカンボジア音楽が、心地よい子守唄となって眠りを誘う。

 突然、車内がうるさくなった。
 後ろの中国人が夫婦ゲンカを始めたのだ。
 普通に喋っていてもうるさく聞こえる中国語なのに、この狭い車内で激しい口論をされてはたまったものじゃない。
 その子供はこんなことに慣れっこになっているのか、「夫婦的問題 我無関係」 とばかりに外を見ているだけだ。
 たまりかねた運転手のオヤジが仲裁に入るが、まったく効果無し。
 「だめだこりゃ〜(意訳)」
 と、クメール語で苦笑しながらこちらを見る。
 こちらも両手の平を胸元で上げ、欧米人のお手上げポーズを返す。
 喧嘩の内容も分からないが、結果も分からないまま、次第に元の静けさが戻ってきた。
 雰囲気的には奥さんが勝ったようだ。

 そして、再びお昼寝の時間が訪れた。

 走ること2時間半。
 小さな町の駐車場のような所に車が停車した。
 オヤジはエンジンを切ると、車外に出て体を大きな伸ばした。
 「ここドコ? 休憩?」
 疑問の顔をオヤジに示す。
 「☆▲∞£#☆○§◇∋◆∠… フェリー、フェリー」
 ここでは川を越えるために、フェリーに乗らなくてはならないのだ。
 
 車の外に出ると、大勢の物乞いの子供たちが寄って来た。
 「マネー、マネー」
 と、小さな手に囲まれる。
 「ごめんね。 リエルは持ってないんだ」
 と、苦し紛れに英語でこう言うと、
 「ドル、ドン、OK」
 と言い返されてしまう。したたかなものだ。

 子供たちから逃げ回りながら、フェリーの到着を待つこととなる。
 中国人家族は流石に強かった。
 「不行!」
 ときついひとことを発すると、犬猫を追い払うかのような仕草で蹴散らしてしまった。
 その後、子供たちが戻って来てもまったく相手にせず、露店で買ってきたフルーツの種をペッペッと吐き出すのであった。
 強いゾ、中国人。

 15分ほどでフェリーがやってきた。我々は車に乗ったまま船上の人となる。

 赤茶色の川を渡り、再び一本道を進む。
 ここからは舗装路に変わるのだが、道にはサトウキビのような茎系の作物が至る所にまかれてあり、これらを踏むたびに車が振動を起こすので未舗装路とあまり変わりがない。
 これは、近所の農家が作物を車に踏ませ、脱穀をしているのである。



首都・プノンペン


 さらに走ること1時間半。
 徐々に家々が増えて来て、大きな橋を渡り切るとプノンペンの町中に入った。
 首都とあって交通量も多く、ある程度の賑わいを見せていた。
 スコールの直後だったので、道路のあちらこちらに大きな水溜り、いや、ドロ溜りが出来ており、それを避けながら進む車で渋滞を起こしていた。
 水没して通行不能な道もあり、迂回をしながら、先ずは中国人家族を降ろす。

 次いで、自分のホテル探しだ。
 杏樹に貰ったリストを運転手に見せ、町の中心部にあるホテルから巡ることにした。

 1軒目は改装のため休業中、2軒目は料金と部屋が気に入らず、3軒目のホテルにチェックインをする。
 ホテルの名は 『パラダイスホテル』 。
 なんともゴキゲンなホテル名だ。
 建物は古いがしっかりとした造りで、セキュリティーもしっかりしていそうだ。
 2階の部屋からは、プノンペンで一番賑やかな大通りの交差点を眺めることができた。

 付近を散策するため、ホテルを出る。
 「夜は早いうちに戻って来て下さいね。危険ですから…」
 正面玄関に立っていた警備員兼ドアマンのおじさんに忠告される。
 彼は英語が話せ、ホテルへの出入りの際にはいつも会釈とともに一声かけてくれた。

 セントラルマーケットや旅行会社、ホテルが建ち並ぶこのエリアはプノンペンの中心にあたり、古くから中国系住民の商業地区として発展した所である。
 さらに正確に言えば、中国系マフィアの数グループが取り仕切っている地区で、その対立抗争がおこなわれている場所でもある。
 そのことは、明日に引き起こされる事件で知ったのだが…
 カンボジアでの中国人の進出は目覚しく、多くの商店の看板には漢字が併記されており、食堂も中華料理屋ばかりが目立っていた。
 我がホテルも、『金宮大飯店』 と書いたほうが通じ易く、「パラダイス」 ではなかなか理解してもらえなかった。

 遅い昼食兼夕食を食べるため、一軒の中華料理店に入る。
 メニューはもちろん漢字だ。
 クメール文字が申し訳程度に併記されている。
 この一帯では英語はまったく通じなかった。
 そのため、メニューを指差すか筆談をおこなうほかに意思を伝えることが出来なかった。
 東南アジアにおいて、「How much? (いくら?) 」 が通じない場所があることを、初めて知った。
 
 プノンペンでは、つい最近まで夜間外出禁止令が発令されていた。
 現在はそれが解除されているが、依然として銃器を使った犯罪が頻繁に発生しており、夜の9時過ぎには外出を控えるようにと言われている。
 がしかし、夜の7時には商店が完全にシャッターを下ろしてしまい、人通りも途絶えてしまう。
 昼間は賑やかなこの交差点ですら、車が時折通過するだけで、まるでゴーストタウンのようになってしまうのだ。
 ここが一国の首都の繁華街とはとても信じられない。
 9時まで遊びたくても、これでは無理だ。
 プノンペンに滞在中は必然的に夕食を早く食べ、早々に部屋に戻ることとなった。
 
 映りは悪いが部屋にはテレビもあった。
 チャンネルは殆どが中国の番組で、タイの放送も少しだけ放送されていた。
 そんな、面白くも可笑しくもないチャンネルを回していると、突然、ブラウン管に 『浜崎あゆみ』 が。
 しかも、日本語を喋っている。
 テレビ東京で放送されている 『ASAYAN』 が、吹き替えも字幕も無しで、ゴールデンタイムのカンボジアで放送されているのだ。
 彼女のコンサートツアーのスタッフを素人から募集すると言った内容で、延々と1時間も流していた。
 (このカンボジアで、誰が応募するんだ?)
 その前に、この番組を誰が観るのだろうか?…

(第二章 終)



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