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イラワジの虹を越えて (第八章・トゥァートーメノー) |
メリハリのない飛行機 バガンを発つ日が来た。正直なところ、喧騒のヤンゴンに戻るのが嫌だった。 ヤンゴンへは飛行機を使うことにした。 当初は夜行バスで戻るつもりだったが、ニァゥンウーの町の人たちに言われたのだ。 「バスで帰るのなら、余裕を持って出発した方がイイよ。途中でスコールに会ったら3日は足止めを食うから・・・」 と。 バガンとヤンゴンの間に大きなクリーク (枯れ川) があり、ここにスコールが降ると瞬く間に大河と化すそうだ。 雨さえ降らなければ単なる砂地の窪みに過ぎないので、大金をかけて橋を懸けようなどとは考えないらしい。 バガンの周囲にも多くのクリークがあってスコールのたびに川になっていたし、町中でも同様に道路が川のようになっていた。 バス会社に訊きに行ったところ、 「そりゃあ、雨季だからねぇ。すべては運次第だよ」 と、答えにならない答えを貰ったので、仕方なく無け無しの金を叩いて航空券を手配したのだ。 早朝、オウンチョー兄がサンウェーブの営業車で迎えに来た。 オーナーを始めとし、従業員の皆さんが総出で見送ってくれた。 夜勤明けのお元気ですかお姉さんも、ラフなTシャツ姿で手を振っている。 「サヨウナラ…」 彼女の口から初めて 「お元気ですか?」 以外の日本語を聞いた。 空港は町から5キロほど離れた大平原の中にポツンとあった。 空港と言うよりも何かの研究所施設みたいだ。 平屋の建物がターミナルビルになっており、中はガラ〜ンとしていた。 しばらく待っているとヤンゴン航空の職員が現れ、チェックインが開始された。 チェックインと言っても荷物を預け、台帳に書かれた乗客名簿にマルを付けるだけだ。 台帳の名前も 「ATSUSHI」 と書かれてあるだけなので、これでは墜落しても誰だか分からない。 座席は早い者勝ちの自由席だ。 国内便のくせに パスポートコントロール=iこの場合、「出発審査」 と訳すのかな?) を受けなくてはならない。 もちろん軍隊によっておこなわれている。 念入りなパスポートチェックと身体検査を終えて待合室へ。 待合室で出発を待っていると、日本人の爺さんの団体がやって来た。 彼らは下品にも大きな声で騒ぎながら。 「上官殿、バガンは良かったですね。 ハハハハハ〜」 昔、戦争でやって来たビルマを懐かしんで旅行をしているのだろう。 それは一向に構わないが、ミャンマーを馬鹿にしたような言動があったことが許せない。 自分たちが侵略戦争をしたことに何の恥も感じずに、どうせ日本語が分からないだろうと大声で愚弄することは断じて許しがたい行為だ。 幸いにも、馬鹿爺どもは別の飛行機で一足早く出発してしまった。 5分後、待合室の目の前に一機の飛行機がやって来た。 すると待合室の扉が開き、係員がサインペンで 『ヤンゴン航空・ヤンゴン行き』 と書かれたスケッチブックを、ヒッチハイクをしているかのように掲げた。 指示どおり滑走路を30メートルも歩けば飛行機に乗れた。 さて、我がヤンゴン航空の005便だが、この日はヤンゴンへ向かうのにマンダレー、ヘーホーを経由してのフライトだ。 ちょうど山手線の外回りと内回りのようなもので、それが曜日によって決まっている。 東京から上野へ行くのに、品川、新宿、池袋を経由して行くような感じだ。 乗り込んだ飛行機はフランス製の中型ジェット機で、80人ほどが乗れる大きさだ。 爽やかなブルーの制服に身を包んだスチュワーデスが2名も乗務していた。 想像していたよりも、ずっとまとも≠ネ飛行機だった。 ほぼ満席状態の機体はフラフラと滑走路を進んだかと思ったら、一気に加速することなく、そのままフラフラと離陸してしまった。 どうにもメリハリの無い離陸だ。 (少しばかり、高度が低すぎやしないか?) と思えるほどの低空で、1日かけて下って来たエーヤワーディー川を30分ほどでマンダレーまで戻ってしまった。 マンダレーの空港は国際便も発着するとあってなかなか立派だ。 ただ、民間機の離発着少なく、空軍の戦闘機ばかりが目立っていた。 この広い滑走路のほぼ真ん中に飛行機が駐機した。 スチュワーデスが言うには、給油のために30分ほど待たなくてはならず、その間は電気もストップするのでエアコンが効かず、外に出ていたほうが良いとのこと。 マンダレーで降りる乗客はそのままバスに乗り換えて、遥か遠くに見えるターミナルビルへ行く。 太陽の光に熱せられて陽炎の見える滑走路で、我々はしばしの間待機だ。 「危ないから、あまり遠くへ行かないで下さい」 子供の遠足のようなスチュワーデスの注意があったが、そう言われたところで行くような場所は無い。 ウロウロしていれば戦闘機に轢かれるか日射病で倒れてしまうだろう。 15人ほどの残った乗客は飛行機の周りをウロウロするだけだ。 待っている間の乗客たちの行動パターンが何故か同じで、機体を手のひらでトントン叩いた後、車輪を足で蹴っ飛ばす、その次にエンジンに頭を突っ込む。 これと言って面白い訳ではないが、一人がやると別の人も続けてやっていた。 給油と点検を終えると機長が乗客たちの前にやって来た。 「ほんじゃ、ボチボチ行きまっか?(意訳)」 爪楊枝でシーハーとやっていれば、ドライブインで夜食を食った後のトラック運転手のようだ。 のどかな掛け声に従って乗客たちが機内に戻る。 次は山間の町、ヘーホーへの40分のフライトだ。 ヘーホーは観光名所であるインレー湖への入口にあたる町で、比較的観光客が多い。 山に挟まれた小さな空港に降り立つと、すでに多くの欧米人観光客が滑走路で待っていた。 彼らが乗り込んで来ると、機内はほぼ満席状態となった。 相変わらずメリハリの無い離陸だったが、今回は高度をグーンと上げて雲の上を飛行した。 (やればできるじゃないか) 上空ではこの飛行機に乗ってから初めて、非常口の説明と救命胴衣の使い方が説明された。 今頃になってこのような説明をされても遅い。 質素だが機内食も配膳された。 バガンから真っ直ぐ来れば20分の距離なのに、3時間以上もかかってヤンゴン空港に到着した。 空港では預けた荷物の受け取り場所が分からず、流れに沿って歩いて行くと外に出てしまった。 慌てて引き返し、係員らしきお兄ちゃんに荷物のピックアップ場所を尋ねる。 すると、 「この辺だよ」 と、かなりアバウトな返事が返ってきた。 荷物はベルトコンベアーに載って出てくるのではなく、その辺≠ノ山積みされるのであった。 空港からタクシーを使って懐かしいサンフラワーホテルに戻る。 インド人のオヤジも元気そうだ。 ヤンゴンの羽賀くん 部屋に荷物を置き、すぐさま市場に出掛けた。 日本語学校の少年たちを探すためだ。 迷路のような市場の中を2時間ほどかけて一生懸命に探すが、彼らの姿をとうとう見つけることは出来なかった。 諦めて市内の写真を撮りに行く。 鉄道に架かる橋の上に大きな商業看板が幾つかあった。 その色使いと絵柄、文字が珍しくて数枚のシャッターを切った。 すると、道路の向こうにいたミャンマー人が声を掛けながらやって来た。 「そこのあなた、何を撮っているのですか?」 (ナンダョ。また軍隊か?) と思いその男性を見る。 「あなた、ナニを撮っているのですか? 看板ですか?」 メガネを掛けた羽賀研二のような男性は、不思議そうな顔をした。 「そうですが、何か問題でも?」 「そんなモノ撮って楽しいですか?」 いやぁ、楽しいかと訊かれても返答に困る。 「この被写体の光と影の絶妙なコントラストに、私のシャッターを押す指が止まらないのだ」 と言ってやりたかったが、 「ミャンマー文字が面白いので・・・」 所詮、その程度の英語力だ。 エンジニアだと名乗る羽賀研二は、 「そんなに興味があるなら、もっと面白い所に案内しますよ」 と言った。 彼に付いて5分くらい行くと映画館に到着した。 映画館の巨大な看板を指差し、「どうですか」 と自慢気だ。 被写体としてはつまらなかったが、ここは付き合いで写真に収める。 次に連れて行かれたのは2ブロック先の通りだった。 この道にはたくさんの露店が出ており、そのすべてが看板屋だった。 彼らは小さな机の上で糸ノコを器用に使いながらアクリル板を切り抜き、大きな看板を作ってしまうのだ。 タクシーの屋根のサインもここで簡単に作ってくれる。 彼らが糸ノコでまん丸いミャンマー文字を切り抜く技術は素晴らしいものがあり、見ていて飽きなかった。 「ヘイ、日本人。土産にどうだ?」 と声を掛けられたが、大きな看板は持って帰れない。 ここは買うべき物が無いが、なかなか楽しい通りである。 「私は仕事中なのでここで別れます」 と羽賀クンは立ち去ってしまった。 一人であても無くブラブラしていると、 「あちゅし、カエッタ、デスカ?」 と、いきなり呼び止められた。 「あっ、えーと、君はボボゾか?」 「ソウデス、オボエテ イマシタ デスカ」 彼はヤンゴン駅に見送りに来てくれたうちの一人だ。 日本語を学んでまだ1年なのであまり上手くはないが、それでもこちらの言っていることは大体理解していた。 「パッレたちが何処にいるか知らないか?」 「ン〜、パッレハ ニッポンジント マンダレーイッタ。アシタカエル。ミヤーウ、モンモン キョウ アッテナイ。ワカラナイ」 「何でパッレはマンダレーに行っているの?」 「ニッポンジン、ガイド、イッタ」 「…あっそ。何言ってるか良く分からないけど、彼らを見つけてサンフラワーホテルに来るように言っといて」 と言うことで、少年たちの捜索はこのボボゾにやらせ、ホテルに戻って昼寝をする。 トゥァートーメノーゥ 翌朝、部屋の電話が鳴った。 フロントからで、 「友達が来てるよ」 と言うのでロビーへ降りて行く。 ロビーのソファーには、パッレ、ミヤーウ、モンモンの3人がちょこんと座っていた。 「おっー、あちゅし。ボボゾから聞いて来た」 ボボゾも結構使える。 「みんな元気にしてたか? 絵葉書は売れたか? パッレはマンダレーに行っていたのか?」 「ボク、昨日の夜に帰ってきた。日本人のおじさんのガイドしてた。マンダレー、インレー、バゴーをタクシーでずっと巡って来た。1日3500チャット (約1,000円) で5日間。だから今はお金持ち」 とニコニコしながらパッレが言った。 「お前ひとりで5日間も大丈夫だったの? そのおじさん、ホモじゃなかったろうな?」 「??? 何?」 「いや、何でも無い」 続いてミヤーウが口を開く。 「リナさん、ヤンゴンに来たよ。市場で買い物を一緒にした。あちゅしによろしくって言ってたよ」 「リナ? 誰それ?」 「リナさん、あちゅしとバガンで会った。日本人のお姉さん」 ミャンマーでボラれまくっていた女子大生だ。 教えたとおり市場に来て、ミヤーウに会ったらしい。 そして土産物の買い物を一緒にしてあげたそうだ。 「リナさん、お礼に絵葉書を2セットも買ってくれた」 ミヤーウも思いがけない収入で満面の笑みを浮かべていた。 今日一日は彼らの案内で、巨大な寝釈迦仏のある寺院やゴミだらけのヤンゴン川、レンガ造りの建物が密集したストランド通りなどを観光した。 「あちゅしは、明日、何時の飛行機デスカ?」 日も暮れかけた頃、明日のタイ行きのフライト時刻を訊かれた。 「・・・早朝だよ。まだ暗いうちに出発さ・・・」 本当はそんな時刻ではなく、午前10時半のフライトだ。 本当の事を言ってしまうと、彼らのことだから遠い空港まで見送りに来てしまうだろう。 そこまで彼らにさせたくなかったので、敢えて嘘をついた。 「だから、今日でお別れだね・・・」 自由気ままに見える彼らだったが所詮はまだ子供。 夕飯までには家に帰らないと叱られるらしく、バスで帰る時間となった。 「今日は私がみんなを送ります。いつか日本に来ることがあったら必ず連絡を下さいね」 と、これまでにない丁寧な言葉でゆっくりと話し、一人ずつと握手をする。 夕暮れの大通りに乗客を満載した関東バスがやって来た。 パッレが突然に泣き出して腰にしがみ付いてきた。 「パッレは男の子なんだから泣いちゃ駄目だ。そんなことじゃ世の中渡っていけないぞ」 離れようとしないパッレをミヤーウとモンモンが諭して、3人はバスに乗り込んだ。 人込みの中から彼らがようやく顔を出し、そして叫んだ。 「トゥァートーメノーゥ」 (さようなら) そして、その姿が雑踏に消え入るまでいつまでも手を振り続けていた。 |
(第八章 終) ≪前ページへ [目次へ戻る] 次ページへ≫ |