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イラワジの虹を越えて (第九章・七転八倒の帰国) |
コレラ? それとも赤痢? 激しい胃痛に襲われた。 時計の針を見ると、夜中の12時過ぎだ。 そのうちに治まるだろうと安易に考えていたが、一向に治る気配がない。 それどころか、痛みが段々ひどくなってきた。 リュックの奥から薬を飲んで様子を見るが、眠っていられないほどの痛みが続く。 やがて、激しい下痢が始まった。 正露丸を1ビン、ガスター10を3包飲んでも事態は変わらず、コーランが流れるまでの間、一睡もできずにトイレとベッドの往復であった。 胃腸の中はすっかりカラッポになり、薬のために飲んだ水がすぐにそのまま排泄されるようになってしまった。 しかし、不思議なことに吐き気がまったく無い。 よってコレラではなさそうだ。 (なんとかミャンマーを出たい。タイで病院へ行こう) のたうち回りながら考えていた。 もし東南アジアで流行のアメーバー赤痢だったら大変だ。 何としてもタイまで渡り、ちゃんとした病院へ行かなくては・・・ 外が明るくなってくると痛みも断続的になった。 (空港までは行けそうだ) 朝7時半。 重いリュックをやっとのことで担ぎ、チェックアウトをする。 「どこか具合でも悪いのか?」 フロントのインド人が心配そうに声を掛けた。 「…いや…大丈夫…今日…出国しなくては…ならないから…」 痛みに耐えながら、消え入るような声で返事をする。 ホテル前からタクシーを捕まえ、「空港」 と一言伝えただけで後部座席に倒れ込む。 空港に到着するとタイ国際航空の入口は閉められており、その前で多くのミャンマー人が待っていた。 その中に混ざり、日除けの無い炎天下の暑い中、通路にへたり込む。 極寒の地 とても長い間待たされたように思えた。 しかし、実際には30分ほどだった。 係員がやって来て扉をほんの少しだけ開けた。 そしてあたりを見回わした後、何故か自分だけに向かって手招きをした。 (そうか、病人が優先なんだ) と勝手に思い込んでいたが、そんなことは無い。 単に外国人が優先だったようだ。 チェックインを済ませ、出国手続きに向かう。 出国には10ドル (約1,100円) もの税が必要だった。 出国を終えるとその先に免税店があった。 免税店と言ってもキヨスクの売店を少々大きくしたようなものだ。 ポケットやリュックに入っているチャット紙幣をかき集め、それで買える物を探す。 持ち金1600チャット (約480円) で最大限に買えるのがTシャツであった。 数が少なくて選ぶ余地は無かったが、自分への土産として購入。 残金の100チャットをリュックの底の方に小さく折り畳んで隠す。 免税店の先は厳しい税関の手荷物検査である。 ここで所持しているチャットとFECの没収がおこなわれる。 が、しかし 「一銭も持ってないよ」 と言うとあっさりと通ってしまった。 その後に外国製品や禁制品の検査のため、荷物をすべて開けられた。 最後に金属探知がおこなわれ、出国審査が終了である。 薄暗くてだだっ広い待合室は殆ど乗客が居なかった。 この待合室が地獄であった。 胃痛に加え、冷房の効きすぎで寒いのである。 まず使うことがないだろうと思っていたセーターを取り出して着込む。 ベンチの上で小さく丸まりながら足先まで包まっていても、ブルブルと寒気が止まらないほどだ。 うっかりウトウトとしようものなら、凍死してしまいそうな勢いだ。 後から来た乗客たちも唇を紫色にしながら震えていた。 拷問のような1時間が過ぎ、やっとのことで飛行機への搭乗が開始された。 待合室から出られた時は、思わず、 「暖か〜い」 と叫んでしまった。 横断歩道のある風景 タイ・ドンムアン国際空港には、正午前に到着した。 胃痛に歪む顔で滑走路を眺めていたら驚くものを発見した。 この空港の滑走路のすぐ脇にはゴルフコースが延々とあるのだが、その途中には、ななっナント、滑走路を横切る横断歩道が存在したのだ。 そこには信号機も設置されていて、飛行機が近付いて来ると赤信号が点灯するのだ。 この時も我々の乗った飛行機が通過するのを、4人のオヤジとキャディーさんが待っていた。 (やっぱ、タイは侮れない・・・) うるさい客引きを振り切り、エアポートバス乗り場へ行く。 「一番早いバスはどこ行き?」 係員の女のコに尋ねる。 「次のバスが、サヤームスクエアー経由でオリエンテ方面へ行きますよ」 「んじゃ、それ乗るわ」 と告げ、ベンチに横たわる。 バスはどこ行きでも良かった。 最初に来たバスが通る安宿街で下車し、適当なホテルに転がり込もうと思っていたからだ。 幸いにも次のバスが経由するのは、ワンランク上の安宿が密集するサヤームスクエアーだ。 5分ほどで綺麗な小型バスがやって来た。 市内までは高速道路を快調にとばす。 30分ほどでサヤームスクエアーに着いたが、スコールに降られてしまう。 傘をさしてもビッショリと濡れてしまう雨の中、このエリアで知っているゲストハウス、エーワンイン (A-One Inn) へ向かう。 「部屋、空いてる?」 「シングル1泊460バーツ (約1,200円) よ。部屋を見る?」 「いや、だいたい想像つくからいいよ。 トイレは付いてるの?」 「もちろんよ」 宿泊代を値切る気力も無く、安宿では重要な部屋の下見をする元気も無く、ただ部屋にトイレがあれば良しとする自分であった。 リュックを放り投げ、濡れた体のままベッドに倒れ込む。 BTSでショッピング どのくらい眠っただろうか。 気が付くと窓の外の雨音は消えていた。 (土産物を買わなくては…) 胃痛に襲われる間隔も20分おきくらいになっていた。 ミャンマーでは、妻を含めた一般人≠ェ喜ぶような土産物が無く、専ら自分の物しか手に入らなかった。 そのため、このタイでそれらを買っていかなくてはならないのだ。 「今回はね、このお化粧品を買って来てね」 相変わらず東南アジアを旅するバッグパッカーの実情を知らない妻は、今回も嬉しそうにファッション雑誌の広告を切り取った。 「あのなぁ、ミャンマーは外国製品が統制されていて、こんなものは手に入らないの。出国前に成田で買っても、向こうの検査でひっかかちゃうんだぞ。マクドナルドの無い国でそんな物を期待するなよ… 政府の政策によって、あーたらこーたら…」 「ミャンマーって、ベトナムの事でしょう?」 「あ〜? ミャンマーはビルマ、ベトナムはベトナム。同じ社会主義国だけど全然違うの…地理的に見ても、あーたらこーたら…」 「じゃあ、アンコールワットのあるのが、ミャンマーね」 「それは、カンボジア! カンボジアの内戦は終結して、あーたらこーたら…」 ミャンマーとベトナムとカンボジアの区別がつかない我が妻に、これ以上の講釈をたれるのは無駄だった。 「何だか分からないけど… だったら、あなたがいつも得意気に話しているタイで買って来てよ」 と言うことで、最後の気力と体力を振り絞り、夕暮れのバンコクの町へ出掛けた。 ホテルのすぐ近くには、昨年 (1999年) 12月に開通した新交通システムBTS (Bangkok Mass Transit System)、通称 『スカイトレイン』 の駅があった。 バンコクの慢性的な交通渋滞を解消するためにタイ王国が総力を結集して建設にあたったスカイトレインは、市の北部から中心部を経由して東部へ向かう路線と、中心部から南部へ向かう計2路線が営業をしている。 タイ・フリークとしては一度は乗ってみなくてはと思い、ほんの2駅だがこれを利用して買い物へ行く。 駅は大きな道路のド真ん中、3階ほどの高さの場所にある。 出来たばかりとあって、まだとても綺麗だ。 自動券売機で切符を購入して自動改札でホームへ向かう。 この自動改札は、日本人をパニックにさせる構造になっていた。 日本の場合、改札の入口で切符を入れると、その切符は出口の所に頭を出す。 殆どの人が止まることなく改札を通過している。 ところが、このつもりでスカイトレインの改札を通ると、ゲートが開かないのだ。 この改札は切符を入れた所のすぐ上に切符の出口があり、これを抜かないとゲートは開かない仕組みになっている。 自分を含めた数人の日本人がそのまま勢い余って改札に入り、警告音でパニック状態になっていた。 お台場を走る 『ゆりかもめ』 のような電車は冷房も効いていて快適だ。 しかし、すべてが道路の上に建設されたものだから急カーブが多く、そこをほとんど減速することなく走行するのでたいそう揺れる。 妻への土産はタイで最も品揃えが豊富でセンスの良い、伊勢丹、東急、DFS (デューティーフリーショップ) にも無かった。 そりゃそうだ。いくらタイとは言え、ここは東南アジア。 ワイキキとは訳が違う。 仕方なく適当な化粧品を購入してお茶を濁すことにした。 しかし、こんな物は日本でも買えるのだが… あちらこちらを見て回る元気も無く、楽しみにしていた屋台メシを食べる食欲も無く、コンビニでヨーグルトとジュースを買って早々にホテルに戻る。 翌朝、午前4時。 目覚めるとベトベトの寝汗をかいていた。 だいぶ体が軽くなっている。 下痢はまだ続いているものの胃痛は殆ど治まり、食欲もわずかに戻ってきた。 「こんなに早く出発かい?」 空港へ行くと告げると、寝ぼけ顔のおばちゃんが外へ出てタクシーを呼んでくれた。 帰路の飛行機でも思い切り眠った。 目が覚めると窓の外には八重山諸島の島々が、宝石を散りばめたように点々と見えた。 (ありゃ、もう日本だ・・・) 国家そのものは厳しく、傲慢な政治体制にはうんざりさせられることばかりだったが、その中で暮らす国民一人一人はそれとはまったく逆で、驚くほどに親切で楽しい人ばかりだった。 (東南アジアにも、まだこんな国があったんだなぁ) と、つくづくと感じる旅であった。 一日も早く少数民族の弾圧を止め、民主化に向かうにせよ、現在の体制が存続されるにせよ、いずれにしても国民が皆、幸せに暮らせる政治に変革して貰いたいものと、切に願うばかりである。 タイ国際航空772便は定刻どおり、西日の眩しい新東京国際空港に到着した。 そして、疲れ切った足取りのおじさんパッカーは、世間様の冷たい視線を感じながら検疫室の扉を開ける。 |
(完) ≪前ページへ [目次へ戻る] |