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イラワジの虹を越えて  (第六章・アウンミンガラー・ホテル)

オゲンキデスカ?


 この自分にとっては豪勢なホテル (アウンミンガラー・ホテル) には、結局6日間滞在することになった。

 フロントには4名の若い女性がおり、2人が大学生のアルバイトだ。
 部屋を案内してくれた彼女は、経済学を学ぶ21歳。
 小柄でとても愛嬌があり、黙っていれば日本人に見える。
 ドラえもんの妹のドラミちゃんに似ているので勝手にそう呼ぶことにした。

 同じ大学で植物学を学ぶもう1人の女性は22歳で、卒業後の就職が決まらずに困っているとのこと。
 そんな彼女はいつもニコニコしながら歌を唄っていた。
 そのゆったりとしたリズムに乗せた、透き通るような声を夕暮れの庭で聴くと、郷愁を誘われる。
 そんな彼女の口癖は、会うたびに交わす挨拶だ。
 「オゲンキ、デスカ?」
 下手な日本語で井上陽水のような挨拶をするのだ。
 最初のうちは、
 「ネーカウンパァーデェ (元気です) 」
 と、こちらも下手なミャンマー語で挨拶を返していたが、毎回毎回、日に5〜6回もこの挨拶をするものだから、終いには、
 「はいはい、元気だよ」
 とつれない返事に変わっていった。
 それでも彼女はめげずに 「オゲンキデスカ?」 を繰り返した。

 彼女たちのアルバイト代は1日5000チャット (約1,500円) 。
 これは、ミャンマーでは相当な高給取りである。
 自分が支払う宿泊代は1日14ドル。
 そこからオウンチョーへのバックマージンを差し引くと、ホテルに入る収入が9ドル (約1,000円) 。
 この時期は1人分のバイト代も払えないほどの赤字状態だ。

 残りの2人は従業員で、年齢的には大学生の二人と変わらない。
 しかし、社会人だけあってしっかりとしている。
 1人は腰までもある長い髪が自慢の女性で、英語が堪能だ。
 彼女はホテルの経理関係も任されており、このホテルで発券する航空券の割引額などは、彼女の一存で決めることができた。
 もう1人の従業員はショートヘアーで、彼女はあまり英語を話せなかったがよく気が利くタイプの女性だった。
 彼女たち4人が、交代で24時間の勤務にあたっていた。
 労働時間は1日10時間。
 仕事と言っても、客は自分一人だけしかいないようなものだから殆どすることが無く、芝生のベンチでお喋りをしたり、木陰で昼寝をしたりするなどして10時間を潰すだけだ。
 そんなものだから、庭先で読書をしたり休んだりしていると、必ず彼女たちがやって来て話し相手になってくれた。



ソーゾー君のミャンマー語講座


 客室の裏手には円形のオープンテラス式の食堂があった。
 ここには男女2人ずつ、計4名の若者が働いていた。
 ここへは1日に2回通った。
 朝食と夕食のためだ。
 朝食は宿泊料金に含まれており、トースト、卵料理、ハム、フルーツ、そしてまともなコーヒーなどがセットになっていた。
 しかし他に客がいないのと、滞在が長いことを知っていて、特別な便宜を図ってくれた。
 食堂の責任者兼コックのソーゾー君は、前日の夕食の際に、
 「明日の朝食は何が食べたいですか?」
 と、いつもリクエストを訊いてくれた。
 ここで頼んだ食事を翌朝にソーゾー君が市場で買い物をしてから出勤してくるのだ。
 よって、朝から油っこいものばかりだったが、毎朝違うミャンマー料理を食すことができた。
 そして夕食の際は決まってここでビールを飲んだ。
 ソーゾー君を中心として、従業員たちがミャンマー語を教えてくれたのだ。

 ある日、夕食兼ミャンマー語講座を受けていると激しいスコールに見舞われた。
 すぐに止むだろうと思っていたが、雷を伴ったその雨は激しさを増す一方で、一向に止む気配が無かった。
 屋根の無いところを20メートルも行けば客室だったので走って帰ろうとすると、ソーゾー君が 「ちょっと待ってろ」 と止めた。
 彼は外に飛び出し、びしょ濡れになりながらフロントにあった傘を持って来てくれたのだ。

 こんなこともあった。その日は黒雲がかかり星も見えないような空だった。
 いつもの如くビールを飲んで食事をしようとした時、食堂は羽アリの大群に急襲された。
 アリはもうじき来るスコールを予知して、灯りのあるこの食堂に避難してきたのだ。
 折角の料理も、羽アリを払い除けながら食べなければならなかった。
 テーブルを3回ほど変わっても状況は好転せず、諦めて羽アリ味の夕食を楽しんでいると、従業員たちがテーブルの周りを取り囲み、3人で羽アリを追い払い始めた。
 払っても払ってもやって来るアリを、食事が終わるまで休むことなく払い続けてくれた。
 彼らには心から感謝だ。

 ホテルにはその他、部屋掃除や庭の手入れなどをおこなう3人のお兄ちゃんたちがいた。
 また年配者が1人だけいて、彼は大変に働き者だった。
 その働き振りによく働く下働きのおじさん≠ニ常々思っていた。
 しかし、最後の日にホテルを出発する時、
 「ここのオーナーです」
 と挨拶をされてビックリしたのだ。
 とても愛想があって親しみ易いおじさん、いや、オーナーだ。



スペイン人の襲来


 普段はのどかでのんびりとしたホテルだが、一晩だけ満室になったことがあった。
 その日の午後も従業員たちと芝生の上で雑談をしていた。
 いつもなら、そのまま夜になってしまうのだが、夕方から従業員たちが各持ち場へ帰って行ってしまった。
 「今日は、久々に団体さんが来るのよ」
 交代明けの、お元気ですかお姉さんが教えてくれた。
 ほどなくして中型の観光バスがホテルに入って来た。
 バスから降りてきたのは、やたらと賑やかなスペイン人のおじさん、おばさんの一行である。
 「オメーら、酔っぱらか?」
 と言いたくなるくらいの賑やかさだ。
 狭いフロントに入りきらないスペイン人たちは、部屋の鍵を待つ間、外で踊っていた。
 ソーゾー君たち食堂のスタッフも総出で、ウエルカムドリンクのジュースを持って右往左往している。
 ひととおり部屋に案内をすると、すかさず各部屋からフロントへ電話だ。
 「シャワーが出ない」 「電気のスイッチが分からない」 などなど…
 オーナーとお兄ちゃんたちも右往左往だ。

 しかし、騒動はそれだけで終わらなかった。
 やっと落ち着いて部屋で静かになってくれたと思ったら、今度は停電が起きた。
 スペイン人たちが一斉にエアコンのスイッチを入れたからだ。
 ヒューズを直す間、暑い暑いと言いながら外に出てきて芝生の上でまた踊っていた。
 (そんなトコで踊っているから暑いんだョ!)

 1時間後、脳天気なスペイン人一行は再びバスでどこかへ出掛け、夜10時頃に騒ぎながら帰ってきた。
 そして翌日の早朝、大騒ぎをしながら去って行った。

 この日の日記には 『スペイン人の襲来』 と記す。



馬車に乗ったシデレラ…?


 日本人がやって来た日もあった。

 ライトアップされた美しいパゴダを眺めながら、前庭で夕食後のひとときを従業員たちと過ごしていると、軽やかなひずめの音と共に一台の馬車がやって来た。
 馬車から降りて来たのはシンデレラとは程遠い ―― いや、失敬! それなりの若い女の子だった。
 「彼女、日本人よ」
 ドラミちゃんが教えてくれた。
 「へぇ〜、珍しいね」
 「明日、ヤンゴンに帰るんだって。呼んで来ようか」
 と、彼女の部屋へ呼びに行った。

 暗い芝生の上でミャンマー人たちが固まりとなっている所へ、恐る恐るやって来た彼女に、
 「こんばんは。日本の方ですね?」
 と声を掛けた。
 この一言で彼女の緊張も解れたようで、
 「あっ、こんばんは! 仲間に入っていいですか?」
 と我々の輪の中に入ってきた。
 彼女は大学生で、夏休みを利用してミャンマーとタイを旅していた。
 明朝にはヤンゴンへ戻り、タイへ向かう予定とのことだ。
 従業員の男の子達も久々に日本人の女の子がやって来て大喜びだ。
 「今まで、おじさんだけで悪かったねっ」
 と、ひがみたくなる喜び方だ。

 ぽわぽわ〜んとした彼女は、ヤンゴンで相当騙されて来ていた。
 「市場でロンヂーを買ったんですよ。1万チャット (約3,000円) って言うから、まけて貰って7000チャット (約2,100円) を払ったんですけど、それって相場ですか?」
 「質を見なければ何とも言えないけれど、ロンヂーの相場は一般の物で500チャット (約150円)、土産用で1000チャット (約300円) 位だよ。それに仕立て代が約100チャット (約30円)・・・」
 「やっぱり私、完全にボラれてますね」
 「日本人は金持ちだと思われているからね」
 「ヤンゴンで親切な地元のおじさんに出会ったんですよ。ご飯ご馳走になった後、タクシーでインヤー湖 (市内にある湖 )へ2時間くらいの観光をしたんです。タクシー代は払ってくれますか?っておじさんが言うから、それくらいならと思って支払ったら5000チャット (約1,500円) もしたんですよ」
 「ああ、それもよくある手口で、それはタクシーとおじさんがグルになっているんだよ。別れた後、そのおじさんはそのタクシーに乗って行っちゃったんじゃない?」
 「そう言えば、そうでした」
 その他にも、自由に出入りができるパゴダで入場料を取られたり、食堂でやたらと高い会計になっていたりと、親切な人が多いこの国にしてはこんなに騙されるのは珍しい。
 「意味も無く金を使いまくることは別として、そもそも東南アジアではモノの値段はあって無いようなもの。高いか安いかは相場が決めるのではなく、買った本人の考え方で決まるものじゃないかなぁ。ロンヂーはミャンマーの想い出の品として充分に価値のあるものだし、タクシーだってガイドをして貰って楽しかったんでしょう? ニセ入場料だってドネーション(喜捨)だと思えばいいじゃない。その金で子供が1食分食えるんだから安くないかな」
 「そうですよね・・・」
 貧乏旅行者としての先輩風を吹かせ偉そうな事を言ってみたが、自分が逆の立場だったら、
 「ざけんじゃねぇー、こんな国二度と来るもんか!」
 と怒り狂っていたことだろう。
 彼女は騙されていることに途中で気付くのだが、裏切られることを恐れ、ボったくられていることを自分の中で常に否定しようとしているのだ。
 「騙されたことを認めちゃうと、好き好んでわざわざやって来たその国を一気に嫌いになっちゃうじゃないですか。それが嫌なんですよ」
「でも、それが現実だよ。ミャンマーだからまだ良い方だけど、そんなことでタイに行ったら、あっと言う間に有り金がなくなるよ」

 彼女にはヤンゴンの日本語学校の子供たちのことと、女性でも安心して泊まれるバンコクの安ホテルを紹介してあげる。

 翌朝、彼女はその地図を携えて再び馬車でホテルを去って行った。

(第六章 終)



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