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イラワジの虹を越えて  (第五章・イラワジの虹を越えて)

まともな船での出航


 午前5時。
 外はまだ暗い。
 ぐっすりと眠ったので、朝から気分爽快だ。
 この町に到着したばかりの昨日とは大違いだ。
 ホテル前にはトライショのお兄ちゃんがすでに待機していた。
 昨日、夕飯を食べた帰りに乗ったトライショをチャーターしておいたのだ。
 童顔の彼は20歳。
 サイドカーに重い荷物を載せて踏ん反り返って座っていても、この若さなら気が引けない。
 人通りの無い暗い町に、ダイナモ (自転車の発電器) のジージーと言う音だけが唯一聞こえる音だ。
 どこまでも真っ直ぐな広い道を、お兄ちゃんは汗を流しながらペダルを漕ぐ。
 時折すれ違う托鉢へ向かう坊さんに手を合わせながら。

 船着き場までは思いの外遠かった。
 それはそうだ、昨日はこの半分の距離のオフィスまで車で行っても遠いと感じたのに、今朝はその倍の距離を自転車で移動しているのだから。
 30分以上走り、やっとエーヤワーディー川 (イラワジ川) の船着場に到着した。
 トライショのお兄ちゃんは息も絶え絶えだ。
 周囲の静けさとは異なる空間がそこには展開されていた。
 船着場前の広場には数軒の屋台が店を開けており、人々と荷物が行き交っていた。
 ライトに照らし出された船は木造の大型ボロ船で、いつ沈没してもおかしくない東南アジアにありがちな船だ。
 「人の命を何と心得る!?」 と、渇を入れたくなるような造りである。
 ただ沈まないことだけを祈りつつ乗船する。
 
 乗船口で切符を確認した係員が、
 「お前さんの船は、この奥だよ」
 と、ボロ船のさらに奥を指差す。
 「えっ? 奥って?」
 係員の指差す方向に従い、ボロ船を突っ切って反対側の甲板に出た。
 その奥には、別の船が二重に停泊していたのだ。
 (なんちゅう泊め方をしとんじゃ)
 こちらの船はまともな船≠セった。 ―― 普通の日本人が普通に想像する普通の船だ。
 全長20メートルほどの小さなものだが、1階層には80名ほどを収容できる椅子席の客室とトイレ、2階層にはサロン兼食堂とそれを取り巻くデッキが、そして3階層には操縦室とデッキ、という構造になっており、文字通りの船旅が満喫≠ナきる乗り物となっていた。
 手前のボロ船に比べれば、超豪華客船と言えよう。

 係員に先導され、椅子席の客室へ案内される。
 案内された座席はだいたい人種ごとに分けられており、若い日本人夫妻と一緒になった。
 気丈そうな奥様と気弱そうなご主人のお二人も、自分と同じルートでミャンマーを廻っているのだが、その短い旅行期間には驚かされた。
 一昨日にヤンゴンへ到着し、昨日は夜行バスでマンダレーへ、そして今日、船でバガンへ、さらに明日は飛行機でヤンゴンへ戻り、すぐに出国してしまうそうだ。
 「ほとんど乗り物に乗ってるだけで終わっちゃうんじゃないの?」
 「はい。ホント、駆け足で巡っているから、どこも観光らしいことをしていないんですよ」

 やがて空が明るくなり始め、周囲の景色も見えるようになってきた。
 午前6時。
 腹の底に響く汽笛を轟かせ、わずか十数人の客を乗せたシュエケンディー号は定刻どおりに遺跡の町バガンへ向けて、エーヤワーディーの流れに漕ぎ出て行った。
 遥か前方、我々の向かう方向にそれはそれは大きくて綺麗な虹が掛かった。
 ちょうど川にアーチを掛けるような見事な虹だ。
 このように、端から端までスッキリと見える虹は、日本ではなかなかお目にかかることができない。
 (シャッターチャンス!)
 大きな虹に向かって構図を決め、カメラのシャッターを切ろうとしたが、
 「ワテは撮りとうありまへん」
 と、東京・立川のリサイクルショップで購入したキャノン・EOSS・KISSは、わがままにも動こうとはしなかった。
 「この馬鹿カメラ! 虹が消えちゃうだろう」
 カメラをトントンと叩いてみた。
 シャッターが下りないのは、単に光が足りないだけのようだ。
 「ほな、1枚だけでっせ。パシャ!」
 やっとのことで、消えかかった虹をフィルムに納めることができた。

 コーヒー牛乳色の川には人をたくさん乗せた小舟が点在し、一日の始まりを物語っていた。
 川岸はどこまでも平坦で、そこには草を食む水牛ののどかな光景が広がっていた。
 時折、パゴダを中心にした集落が現れ、子供たちがこちらに向かって無邪気に手を振っていた。
 「サイコー!」
 エーヤワーディーの風と風景が、昨日の疲れを一気に忘れさせてくれた。

 ぼんやりと流れ行く風景を眺め、それに飽きると爪切りをして、読書をして… ほとんどをデッキの上でのんびりと過ごす。



陽気な客引き


 船には2人の客引きが一緒に乗っていた。
 彼らは終点のバガンでホテルや車の手配をする客引きだ。
 水の上では乗客は逃げる訳にいかない。
 よって、充分な時間をかけて客をモノにできる訳だ。
 駅やバス停に屯する客引きは数分間が勝負のため多少強引なところがあるが、船の客引きは決してそんなことは無い。
 極めて紳士的に穏やかな交渉をする。
 また、長時間にわたり狭い船内にいるため、お互いに信頼関係も生まれてくるのだ。

 オウンチョー (34歳) は、家族でゲストハウスと観光業を営んでいる。
 英語の達者な彼が、営業マンとして日々、マンダレーとバガンを往復して客を獲得している。
 こちらとしては最初から相手にはしていなかったが、彼は本日のノルマを果たすことができたようで、デッキで風に吹かれていると商売抜きの雑談をしにやって来た。
 彼からはバガンの概要や見所、客引き業界の裏話、ホテルの賢い値引き交渉術など、大変興味深くて実用的な話しを聴くことができた。
 相手に商売っ気が無いと分かると、こちらも心を開いて話しをすることができる。
 周囲の景色にも飽きて、話し相手が欲しいと思っていた頃だけにちょうどいいタイミングだ。
 結局、彼とは一緒に食事をするなど、すっかりと友達になってしまった。

 この船の食堂ではまともなコーヒー≠飲むことができた。
 若干粉っぽいことを除けば、味わい、香り、共に合格点だ。
 普段はそんなにコーヒーを飲まない自分でもミャンマーのベタベタで甘いコーヒーにはうんざりし、普通のコーヒーがやたらと飲みたいと思っていた。
 久々の心落ち着く香りに酔いしれ、ブラックで味を楽しんでいたら、ウエイター氏が砂糖を持って来た。
 テーブルの上には、すでに備え付けの砂糖があるのだが… 
 無視して飲み続けていたら再びウエイター氏がやって来て、砂糖の蓋を開け 「どうぞ」 と手で合図をした。
 「ありがとう。でも、砂糖は必要ないんです」
 と丁重に断ると、
 「なぜ? 砂糖を入れないとちっとも美味くないだろう?」
 ウエイター氏は不思議そうな顔をしてそう言った。
 味覚の違いをまざまざと感じた。

 そんなまともなコーヒーが飲める食堂だが、値段は決して安くなかった。
 これはよくあることだが、ひとたび出港してしまえば完全に独占企業となってしまうからだ。
 「高いと文句を言うヤツは、よそへ行って貰って結構だ!」
 と言わんばかりの横暴振りである。
 この船の食堂もメニューが町中より100チャット (約30円) ほど高かった。
 料理の内容もたいしたことはなく、カレーを注文したらレトルトカレーが出てくるし、スープヌードルを注文すればインスタントラーメンが出てきた。
 平野レミが作るサッポロ一番のほうがよっぽど豪勢だ。
 これで相場よりも高いとくれば、暴利としか言いようがない。
 しかし空腹には勝てず、日本で食べるよりも安いと諦める。

 この船は途中で3ヶ所の村に寄港した。
 港と言ってもそれらしき施設がある訳ではなく、川岸に目印としての旗が立っているだけで、細い板を渡しただけの桟橋を伝って地元の人が乗り降りをしていた。
 そして船が岸に近付いて行くと、バナナや得体の知れないフルーツを入れた大きな籠を抱えたおばさん達が、胸まで水に浸かりながら乗客へ物売りを開始した。
 これには流石にド肝を抜かれた。

 「次のパコック村では客引きがたくさん乗って来るから、避難しておいた方がいいよ。客引きがしつこいようだったら、オウンチョーに任せてあるって言いなよ」
 オウンチョーの言うとおり、3つ目の寄港地・パコック村からはバガンの客引きが大挙して乗り込んできた。
 彼らは客室へドカドカとなだれ込んで来て、あっと言う間に乗客たちを数人で取り囲んでしまった。
 運よく客室から逃れた乗客もデッキの上で挟み撃ちにされ、激しい客引き攻撃を受けるハメとなってしまった。
 海賊に襲撃された商船という感じだ。
 オウンチョーと2人で3階層のデッキから、この様子を他人事のように眺めていた。
 「スゴイね」
 「毎日のことだよ。ところで、もう二人の日本人は大丈夫か?」
 「あっ、忘れてた」
 あの気の弱そうなご主人も、きっとひどい目に遭っていることだろうな。
 急いで客室へ向かう。
 デッキを2階層まで下がっていくと客引きが一斉にこちらを見た。
 そして次の瞬間、一気に取り囲まれる。
 「いいから、どいてくれ! どいてくれ!」
 Tシャツの裾や腕を引っ張られながらもどうにか客室まで戻る。
 自分の座席の周りは黒山の人だかりだ。
 案の定、その中心では気の弱そうなご主人が、客引きの話しを熱心に聞いていた。
 気の強そうな奥さんも流石に太刀打ちできないようだ。
 「はい、ちょっとごめんなさいよ」
 人だかりを掻き分けて中へ入る。
 「ご主人、大丈夫?」
 「あ〜、みんなすごいんですよ」
 「熱心に客引きの話しを聞いているから、みんなが集まって来ちゃうんだよ」
 「助けて下さいよ」
 旦那が泣きそうな顔をした。
 「はい、はい、OK、OK。彼らは私の友達。私たちはすべてオウンチョーに任せてあるから、どんなに頑張っても無駄だよ。さぁ、帰った帰った」
 と客引きを追い掃う。
 2〜3人の客引きは諦めが悪くいつまでも我々から離れようとしなかったが、オウンチョーがやって来るとやっと諦めて行ってくれた。

 やがて船はバガンのエリアに入って来た。
 船内放送が流れると客はデッキに出ていった。
 ここからは、岸辺にバガンの遺跡群を眺めることができるのだ。
 ほとんど全員の乗客がデッキでこの風景を堪能した。
 この時ばかりは客引きも休戦だ。



遺跡の町


 予定よりも1時間早い午後2時に、船はオールドバガンの港に到着した。
 収穫のあった客引きたちは、自分たちの獲物を従えて悠々と下船して行く。
 オウンチョーもイギリス人たちと、我ら日本人3人を引き連れて土手の階段を上がって行った。

 我々が入域料 (外国人がこの地域に入るのに10ドルが課せられる) を支払っている間に、オウンチョーは待機していた車にイギリス人たちを乗せて見送った。
 我々はタダでホテルまで送って貰うことになっている。
 客引きが客をホテルに連れて行くとバックマージンを貰える仕組みはヤンゴンと同じなのだが、ここでは客1人1泊あたり5ドルが支払われるそうだ。
 だから、その客が長期滞在すれば、客引きはその間に何もしなくても金が入ってくるのだ。
 「そんなにマージン貰えるならタダでホテルまで送ってよ。俺は5日間くらい滞在するよ」
 と言ったら、オウンチョーはあっさりとOKしてくれたのだ。

 ワゴン車に乗り込み、まずはオールドバガンのホテルで夫妻を降ろす。
 オールドバガンは広大な遺跡群の中心にあり、たった3軒のホテルがある以外には何も無い寂しい村だ。
 「かつてはここも賑やかな町だった…」
 オウンチョーが口を開いた。
 「私の家族もこのオールドバガンに住んでいた。しかし、軍隊がやって来て人々は強制的に別の町へ移住させられた。それがニューバガンだ。オールドバガンはたったの2日間で家々が破壊されてしまった。理由は分からない。軍隊には逆らえないからね…」
 この遺跡が国の考古学保護区に指定されたから、と言う説もあるが、3軒のホテルだけが強制移住を免れたのはおかしな話しだ。

 オールドバガンから6キロほど東にあるのが、バガン地区で最も大きな町・ニァゥンウーだ。
 この町には裁判所、空港、長距離バスの乗り場、さらに1日に1本しか列車が来ないが、駅もある。 
 町の西外れに、目指す 『アウンミンガラー・ホテル』 がある。
 このホテルを選んだ理由は、夜になるとライトアップされた遺跡を部屋の窓から眺めることができるからである。
 「ここは1泊15ドル (約1,600円) まで値引きできるよ」
 車を降り、フロントへ向かう途中でオウンチョーが囁いた。
 「そのうち、10ドルがホテル、5ドルがオウンチョーの取り分だね」
 「はははは… その通り」

 フロントの若い女性に部屋を見せて貰う。
 それぞれが庭に面した造りになっており、綺麗な花壇と芝に囲まれた素敵なホテルだ。
 各部屋の玄関前にも手入れの行き届いた芝生が広がり、そこにはくつろげそうな籐の椅子とテーブルがセットされていた。
 部屋の中もゆったりとしたツインルームで、トイレとシャワールームも広々としていた。
 カーテンには色紙で折られた蝶々がたくさん付けられており、細かい気配りがなされたホテルだった。 (自分は目が悪いので、パッと見た時にたくさんの蛾がとまっているのかと思った…)
 フロント嬢は1泊20ドル (約2,100円) と言ったが、さらに交渉したら、3泊以上すれば15ドルでも良いとのこと。
 そして、「もう一声!」 と粘ったら14ドル (約1,500円) まで下がった。
 「他のお客さんには絶対に内緒ですよ。いいですか」
 と念を押された。
 「そんなこと言って、他のお客さんは10ドルくらいで泊まってんじゃないの?」
 「???…」
 「いえ、いえ、独り言です」
 「???」
 そもそも、この滞在期間中にはほとんど自分以外の客は来なかったし、来ても1泊で帰ってしまう者ばかりだったので比較のしようが無かった。

(第五章 終)



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