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イラワジの虹を越えて  (第四章・Choo−Chooトレインでマンダレーへ)

ミッキーマウスのいる列車


 ホーム上でカランカランとハンドベルが鳴り響いた。
 駅員が大声で何かを叫びながら、見送りの人々を金網の外へ出してしまった。
 出発間際は列車に近付けないのだ。
 列車とは10メートルほど隔てられた金網にぴったりと顔を付け、精一杯に手を振るパッレたちの姿が妙にいたいけだ。
 
 10分後の18時半、何の予告もなく列車は静かに動き出した。
 その動きに合わせながら彼らもホームを移動する。
 パッレの泣きながら手を振る姿にジーンときてしまった。
 
 こうして第15号急行列車はスコールの中をマンダレーへ向け、ゆっくりとヤンゴンを後にした。
 この車両は満席で、隣に座っているフランス人夫妻と自分以外はすべてミャンマー人だ。
 座席は片側が2列、もう一方が1列の配置になっており、比較的ゆったりしたスペースをとっている。
 椅子も大きめで座り心地もまあまあだ。
 ただ、めくれ上がった肘掛の鉄板や、飛び出したスプリングで怪我をしないように注意をする必要がある。
 車両には冷房は無いが、全開になった窓からは心地良い夜風が吹き込んでくる。
 時折、激しい音とともに止め具の壊れた窓が落ちてくることもあるが、開閉ができるだけでも感謝しなくてはならない。
 座席によっては開かない窓≠ゥ閉まらない窓≠ェあるからだ。
 座席のリクライニングもまた、相当の骨董品だった。
 自分ひとりではシートを倒すことも戻すこともできない。
 夜の8時を過ぎた頃から、乗務員が3人がかりでひとつひとつの座席を倒していった。
 1人が座席の下に潜り込んでワイヤーを引っ張る。
 残りの2人が声を掛け合いながら力の限り背もたれを倒していくのだ。
 その間、乗客は座席を離れてその作業を見守らねばならず、なんか間抜けな光景だ。
 すべての座席のリクライニングが完了するまで、1時間近くかかっていた。
 しかし、リクライニングの角度はほぼフラットになるので寝るには好都合だった。

 ヤンゴン郊外まで行くと、列車もやっとスピードを出し始める。 ―― とは言っても、これまでが歩くのと変わらない速度だったので、『やっと、まともにゆっくり走り始めた』 と言う感じだ。
 そして、この列車の驚くべきことはここから始まった。
 (この列車、脱線してるんじゃないの?)
 と思うほど揺れるのだ。
 上下左右に揺り動かされ、まるで嵐の中で小舟に乗っているようだ。
 一体、どんな線路なんじゃ?
 この激しい揺れの中でも、ミャンマー人は平然と食事をしたりお茶を飲んだりしていた。
 恐るべしミャンマー。
 
 この揺れ、座っているうちはまだ良いのだが、一番困った場所がある。
 それはトイレだ。
 1車両に1箇所ずつ設置されており、我々は1等車専用のそれを使うことができるのだが、まず、扉が完全に閉まらない。
 よって、中に入っている時は手で押さえながら用をたさねばならない。
 しかし、便利こともある。
 扉がバタンバタンとうるさい時は、誰も使用していないことが分かるからだ。
 中は狭くて暗く、壊れた洋式便器の下は後方へ流れ行く線路がモロに見えていた。
 そして、室内は水浸しだ。
 あの揺れの中で用を済ませると言う事は、便器はあくまでも努力目標≠ノ過ぎず、ほとんどの量がはずれ≠ニなってしまうのも無理はない。
 人間の手は2本しかないから、片手で扉を押さえてもう一方の手で体を支えると、それで使える手はなくなってしまう。
 自分のズボンを濡らさないようにすることで精一杯だ。
 
 さて、座席に座っていて先ほどから気になっていたのだが、黒い影が床を横切るのが視野に入っていた。
 最初は気のせいかと思っていたが、ジッと床を見続けてそれが何なのかがすぐに分かった。
 ネズミが走り回っているのだ。
 それも1匹や2匹ではない。
 多くの大きなネズミが大運動会を開いていた。
 それを見た途端、ゴム草履の足を床につけることができなくなった。
 寝ているうちに噛まれた大変だからだ。
 「素晴らしい1等車だね」
 隣席のフランス人が苦笑しながら話し掛けてきた。
 「そうだね。立派な座席に心地良い揺れ。ミッキーとミニーも一緒だしね」
 とネズミを指しながら答える。
 「ギャァー!」
 今までネズミに気付かなかった奥さんが騒ぎ出した。
 旦那は腹を抱えて笑っている。
 TGVと新幹線の国の人間には、このミャンマー国鉄が誇る1等車には少々辛いものがあった。
 
 いつしか、車窓の景色からも人工的な灯りが無くなってしまった。
 スコールも止み、丸い月が出ていた。
 目を凝らして見ると、大平原のような所を走っているようだ。
 月明かりに照らされて辛うじて木々が判別できるだけで、それ以外のものは暗くて分からない。
 30分おきくらいに突如として駅が現れる。
 そのどれもが木造の小さな小さな駅で、裸電球の柔らかな光に包まれていた。
 その光の中に見えるのは、ホーム上で寝ている多くの人々だ。
 中にはそこで炊事をしている家族もいた。
 あの人たちはいったい何なのだろうか。
 夜行列車を待っているようには見えなかったが・・・
 ホームのホームレス… かな?



あわや、正面衝突!


 熟睡できないまま薄っすらと空が白み始めてきた。
 相変わらずの平原地帯を走っている。
 キリンやライオンが歩いていても不思議ではない、サバンナのような風景だ。
 さらに明るくなってくると、大きな荷物を頭の上に載せて線路を歩いて行く人が増えてきた。
 列車は警笛を鳴らしながら速度を落とすことなく通過していくが、そんなことには構うことなく、マイペースで列車のすぐ脇を歩いていた。
 
 列車が大きな駅に到着すると、物売りたちが一斉に群がってきた。
 全開になった窓から水瓶や食べ物の入った籠などを突き出し、口々に商品名を連呼しながら売り込みをおこなう。
 こちらに買う気がなくても一向に諦めない。
 車内も車外も彼らによって埋め尽くされた。
 子供の乞食も大勢いて、
 「マネー、マネー」
 と小さな手を差し出していた。
 駅にいるのは物売りたちと機関銃を構えた兵士だけで、乗客の姿は見当たらなかった。
 
 早朝、ターズィーという大きな駅を出発した列車が1キロも行かないうちに、けたたましいブレーキの音と共に急停車した。
 しばらくそこで停車した後、バックをして再び駅に戻ってしまった。
 なんと、単線区間で信号を見落とし、正面から貨物列車がやって来たのだ。
 見通しの悪い所だったら正面衝突は避けられない状態だった。
 おいおい、頼むぜ、ミャンマー国鉄!
 
 我々の列車がバックをして大喜びをしたのは駅の物売りたちだ。
 再び開始された熱心な営業活動に、こちらはうんざりさせられた。
 
 マンダレーの到着予定時刻である8時20分を過ぎても車窓の風景は変わることはなく、機関車の煙がどこまでもミャンマーの原野に流れていった。
 やがて太陽が昇り始めると車内の気温がどんどんと上昇した。
 鉄板でできた日除けは閉めると直射日光は遮ってくれるが、同様に爽やかな風までも遮ってしまう。
 寝不足と暑さで体力がどんどんと消耗していくのが分かる。
 さらに、物売りが車内に居座ってしまい、しつこいくらいに営業を開始した。
 この辺りからはマンダレーのホテルや旅行ガイドの客引きが増え、隣のフランス人と共に恰好の標的となってしまった。
 一人一人を断る気力すら沸かないほどに疲れ切り、終いには犬や猫を追い払うかのように手で 「あっち行け」 とやる始末だ。
 
 太陽が頭上に昇っているというのにリクライニングは倒れたままで、他の乗客も死んだように動かない。
 (早くマンダレーに着いてくれ!)
 ただ祈るだけであった。



日本人をナメんなよ!


 予定より3時間以上も遅れ、列車はやっとのことでマンダレーに到着した。
 もちろん、遅延のお詫びや説明などは一切無い。
 ミャンマーではこの程度を遅れ≠ニは言わないらしい。
 むしろ3時間程度で済んだことに感謝しなくてはならない。
 でも、信号を無視した時以外は順調に走行していたのに、なぜ、こんなに遅れるのか甚だ疑問である。
 
 ヤンゴンから620キロほど北にあるマンダレーはミャンマーで2番目に大きな町で、かつてはこの地に王宮がおかれていた。
 ただ2番目に大きいと言っても、それは面積が大きいだけで活気はまったく無い。
 やたらと幅の広い道路には車の影は皆無に等しく、自転車がそこを占領していた。
 まるで中国のようだ。
 高い建物が無いので空が広く、緑が豊富な町だ。
 そして、外国人が許可無しで移動できる最北端の地でもある。
 
 列車はマンダレー駅に、それはそれはゆっくりと滑り込んで行った。
 ホームには溢れんばかりの数の荷物運び (ポーター) と客引きが、手薬煉を引いて待っていた。
 こんな光景には慣れっこになっている自分だったが、この時ばかりは疲労困憊していたために敵のペースにまんまと乗せられてしまった。
 「ようこそ、マンダレーへ。私があなたをボナンザホテルまで連れて行きますから、ご安心を・・・」
 列車が完全に停車する前から、全開になった列車の窓越しに一人の男がそう言ってきた。
 「なんで、俺がそのホテルへ行くこと知ってるの?」
 「私はホテルの者です」
 「あっ、そう。 ラッキー! じゃあ、よろしく」
 熱海の駅では無いのだから、ホテルの従業員が客を駅まで迎えに来る筈がない。
 第一、予約をしている訳ではないので、自分がそのホテルに泊まろうとしていることなど誰も知らないのだ。
 それなのに頭の中がボヤーとしているものだから、
 「結構、サービスの良いホテルじゃん」
 などど、間抜けなことを思ってしまったのだ。
 
 列車の出口で待っていたその男に他の客引きから身を守られながら駅を出て、待機していた車に乗り込んだ。
 「ボナンザホテルは良いホテルですよ。でも、もし気に入らなければ他のホテルへ移っても結構ですよ。ちゃんと私が案内しますから」
 「???」
 男の言っていることを理解しようとしたが、鈍った頭では考えることができない。
 「今日の予定はありますか?」
 「明日、バガンへ船で行きたいので切符の手配をしたい」
 「OK。私がお連れしましょう。その後に観光しましょうね」
 「カ・ン・コ・ウ? 観光はする気ない・・・ そもそも、マンダレーで観るトコなんてあんの?」
 「私が素晴らしい所へ案内しますよ。それもスペシャルプライスで・・・」
 と、男はガイドの許可証を差し出した。
 「ありゃ? あんた、ガイドだったの?」
 「そうですよ。安くするから観光しましょうよ」
 男の正体が判明したところで、目的のボナンザホテルに到着した。
 このホテルは駅から歩いても10分とかからない場所だった。
 「私はここで待っていますから。荷物を置いたら船のチケットを買いに行きましょう」
 男はロビーのソファーに腰を落ち着けた。

 部屋は比較的広く、宿泊代もあっさりと値引きをしてくれたので即決した。
 部屋に荷物を置きながら、
 (さて、どう対処するかな? まぁ、どうせ船のチケットは、タクシーを使わなくてはいけない場所だからな・・・ ここからは、こちらのペースでやらせて貰いましょう)
 鼻息も荒く部屋を出る。
 「では、行きましょうか」
 と、ロビーで待っていた男がソファーから立ち上がった。
 「ちょっと待った。ところで、いくらで行ってくれるんだ?」
 「え〜、1000チャット (約300円) 」
 「OK。いいでしょう。1000チャット払いましょう。その代わり・・・」
 意外にすんなりと了承したことに男は少々驚いていた。
 1000チャットという額は、とんでもなく高い金額だ。
 しかし、その額を了承したのにはある計算があった。
 「その代わり、行き先は俺が決める。いいか?」
 「船のチケットはMTTでないと買えないよ」
 「MTTへは行かない。船のオフィスへ行け。それが駄目なら1000チャットは払わん」
 MTTとはミャンマーの国営旅行社で、切符の手配や車のチャーター、飛行機のチケットなどを一手に仕切っている会社だ。
 ほとんどの町にオフィスがあり、旅行者にとっては大変便利で良い。
 ところが、ここで手配する切符は高いのだ。
 そこには仲介手数料が含まれているのだが、それ以外にも客を連れて来たタクシー運転手へのバックマージンも含まれているらしいのだ。
 いま手配しようとしている船のチケットも、船会社で直接購入すれば3ドル (約330円) も安いのである。つまり、1000チャットもの法外なタクシー代を支払っても、それほど損はしないのだ。
 アテにしていたバックマージンを貰い損ねた男としては、遠い船会社などに行きたくはない筈だ。
 「船会社のオフィスでチケットが買えなくても知りませんよ」
 男は呟くように言った。
 
 待機していた運転手は、「なぜ、船会社へ?」 と不思議そうな顔をしながら車を出発させた。
 「この時期は水量が少ないので、状況によっては船は途中で引き返すことがよくあります。確か、昨日の便も引き返して来たはずだ・・・」
 「いいよ、別に。休暇はいっぱいあるから問題ないさ」
 「バガンまでなら、この車で30ドル (約3,300円) で行ってあげますよ。わずか6時間で行けますよ」
 「俺は船に乗りたいの。バガンへは急いでないから」
 「明日は急行船が無く、普通船しか運航していませんよ。朝4時に出航して、到着は夜の9時ですよ。疲れますよ」
 「いいから黙ってオフィスまで連れて行け。状況は船会社の係員に聞くから」
 何としても車を使わせたくて、男はあの手この手の嘘を並べてきた。
 こちらの知り得ている情報と彼の言うことがあまりに食い違う為、聞き流すことにした。
 
 町から相当外れた所にあるオフィスに到着した。
 小学校の木造校舎のような建物の中に、切符を売る部屋があった。
 「すみません。明日、バガンまで行きたいんですが」
 「☆▲∞£#☆○§◇∋◆∠…」
 「あの・・・ 英語の分かる方はいませんか? 英語、英語、英語」
 すぐに英語の話せるおじさんが出てきた。
 そして 「ここに座って下さい」 と、机の前の椅子を引いてくれた。
 「明日のバガン行きですね。大丈夫ですよ。では、パスポートを見せて下さい」
 おじさんはとてもやさしい口調で、丁寧に応対してくれた。
 「明日は普通船ですか?」 
 「いいえ、明日は急行船ですよ」
 「途中で引き返すこともあるんですか?」
 「それは無いですね。今は雨季なんですよ。だから水量が多いので、むしろ予定より早く着きますよ」
 このおじさんの言葉で、男の言っていることがすべて嘘だったことが分かった。
 乗船代の16ドル (約1,700円) を支払って、手書きのチケットを受け取る。
 係のおじさんは建物の外まで一緒に出てきて、乗船所の場所まで教えてくれた。
 外では男と運転手がミャンマー語で何かを喋りながら高笑いをしていた。
 しかし、こちらの姿に気付くと慌てて会話を止め、
 「チケットは手に入ったか?」
 と、作り笑顔で尋ねてきた。
 どうも先ほどの高笑いが、「あの馬鹿な日本人から、もっと巻き上げてやろうぜ」 と言っているような気がしてならなかったので、
 「俺、ミャンマー語が理解できるんだよ」
 と、ムッとした表情で言ってみた。
 もちろんミャンマー語なんて分かる訳がない。
 この台詞だけは何かの折に使えると思って、覚えておいただけだ。 (実際に覚えたのは、「私はミャンマー語が分かりません」 だ) 
 この一言に、彼らは 「まずい!」 と言った顔をした(ように見えた)。
 
 行きと違ってホテルに戻る車中は静かだった。
 「ところで、何で俺がボナンザホテルへ行くことを知っていたんだ?」
 今後のためにもこの疑問だけは解決したかった。
 「あなたは私の仲間に言った。ボナンザを予約していると」
 そう言えば、マンダレーに到着する1時間ほど前の列車の中で、一人のしつこいホテルの客引きに捕まった。
 あまりにうるさかったので、「ボナンザホテルを予約してある」 と出任せを言ったのだ。
 それがマンダレー駅で 「あの日本人はボナンザへ行く」 と仲間のツアーガイドに伝わり、彼の登場となった訳だ。
 
 ホテルに到着し、約束の金を支払おうとしたときに男が言った。
 「先ほどの、駅からホテルまでの送迎代は別だよ」
 この一言に流石にキレた。
 「テメェー 日本人をナメんじゃねぇぞ! この1000チャット以外、ビタ一文払わねぇーからな!」
 と日本語で捲くし立て、男に向かって金を投げつけた。
 男と運転手はポカ〜ンとした顔をして呆気に取られていた。
 車のドアを蹴り飛ばして閉め、アメリカ人の様に右手の中指を突き立てて睨みを利かせた。
 本来、日本人なら 「おまえの母ちゃんデベソ」 と言いながら 「あっかんべー」 をするところだが、ここはスマートにアメリカ人に成りきってみた。
 「ヤバイ! 日本人怒ったよ!」
 そのような事を言いながら、車は逃げるようにして街中へと消えていった。
 残ったのは後味の悪い空しさと、こんな単純な手口に乗せられた自分への情け無さだった。

 近所にある陽気な中国人が経営する食堂で遅い昼食をとり、ホテルのベッドに倒れ込む。
 一瞬だけ目を瞑ったつもりが、すっかりと寝入ってしまったようだ。



大きな1ブロック


 激しいスコールの音で気付いた。
 その音を聞きながら、暗い部屋のベッドの上に横たわる。
 やがて雨の音が静かになり、それに代わって外を行く人々の声や騒音が聞こえるようになった。
 (メシでも食いに行くかな・・・)
 大使館で貰ったマンダレーの地図を広げて眺める。
 このホテルの4ブロック先に 『マンダレー・ビアー・ステーション』 なる直営のビアホールを発見する。
 (これ、いいじゃん。歩いて行けるし… ビールがうまそうだし…)
 
 夕暮れのマンダレーは家路へ急ぐ人々で賑やかだった。
 目的の店は地図で見る限りはとても近そうに思えた。
 しかし、それは大きな間違えであった。
 マンダレーの町はむちゃくちゃでかかった。
 行けども行けども次の交差点に辿り着かず、そろそろ店があるかなと思うくらいまで歩いても、それはたった1ブロックを歩いただけだった。
 ヤンゴンなんかとは縮尺がかなり違うのだ。
 道路の幅も不必要に広く、横断するだけでも大変だ。
 途中からトライショに乗るのも癪だったので、なんとか歩き切って店までやって来た。
 ビアステーションと言っても、アジアのどこにでもある食堂と何ら変わりはなかった。
 店のおやじらしき人物と青年がテレビを楽しんでおり、こちらが勝手にテーブルについてもお構いなしだ。
 注文の時以外はテレビに釘付けだ。
 余程、テレビが好きなのだろう。
 つまみになるような食べ物は皆無だが、ビールは直営店だけあって通常の店より100チャット (約30円) ほど安かった。
 
 ホロ酔い気分で通りかかったトライショに乗り込み、ホテルへ戻る。
 トライショとは、サイドカー付きの自転車で、マンダレーでの主要な足となっている。
 数は減ったがヤンゴンにもこの商売は存在し、そこではサイカー (サイドカーの略らしい) と呼んでいる。
 最初は、自転車を漕ぐ人がなんだか可哀想な気もしたが、乗ってみるとなかなか楽しくて気持ちの良い乗り物だ。
 こんなので、のんびりと町巡りをするのも悪くはない。

(第四章 終)



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