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イラワジの虹を越えて (第三章・日本語学校の少年たち) |
チャットをゲット 突然、街中にけたたましいコーランが響き渡った。 (なっ、なっ、何事?) ぐっすりと寝入っていたところを起こされ、意識が朦朧とする中で考えた。 (夕べ、運転手が言っていたのはこれか・・・ 確かにうるさいな) 時計を見るとまだ4時半だ。 (うるせー) と思いながら毛布を頭からかぶるが10分ほどで静かになり、再び深い眠りにつく。 ホテルの2階には大通りを眺めることのできる食堂があり、ここで朝食をとる。 トーストと卵料理、それにフルーツとコーヒーだ。 卵料理は焼き方を毎回訊かれるのだが、スクランブルエッグ (炒り卵) を注文してもサニーサイドエッグ (目玉焼き を注文しても、出てくるものはいつも同じで、サニーサイドとスクランブルの中間くらいの中途半端な卵焼きだった。 そしてコーヒーがとても甘かった。 これはこのホテルに限ったことではなく、ミャンマーでのコーヒーはこれが当たり前らしい。 インスタントコーヒーに砂糖とクリームをたっぷり入れたもので、それを小さめのプラスチック容器で飲むのだ。 その甘さたるや、飲んだ後にすぐ水が欲しくなるほどである。 それほどのコーヒーなのに、ミャンマー人はさらに砂糖を入れて飲んでいた。 いったいどんな味覚をしているのだろうか? ベタベタのコーヒーを飲みながら窓の外をボーッと眺める。 時刻は朝の7時半。 ちょうど人々が仕事や学校に向かう時間のようで、車と人が忙しそうに行き交っている。 たくさんの客を乗せた乗合バスも数珠繋ぎになって通過をして行く。 先頭のバスは 『県立病院』 行き、そのすぐ後ろには 『仙台駅前』 行き、そして京都市営バス、京成バス、都バスと続く。 ―― あれ? そう、ミャンマーを走る車は、そのほとんどが日本の中古車なのだ。 しかも塗装や表示をそのままにして走っているので、日本にいるのかと錯覚してしまうほどだ。 バスだけでなく一般車も同様に、日本での営業車がそのまま使われている。 だから、車体には 『第一不動産千葉支店』 やら 『割烹旅館 橘』 『木島電器店』 などと書かれた車が走っているのだ。 タクシーの中古車も多い。 日本交通に帝都自動車、東京無線・・・ それを普通の人が自家用で運転しているのだから滑稽だ。 車内もほとんどそのまま使用しているので、「お忘れ物のございませんように」 とか、「TBSラジオ」 の宣伝シールなどが貼られてある。 日本人がミャンマーを知らなくても、ミャンマーと日本はこんなところで関係深いのである。 今日の行動予定は両替と切符手配、それと、これからの旅行に必要な品々の購入だ。 まずは町の中心に向かって歩き出す。 昨夜は屋台が占領していた歩道も、この時間ではまだ店も出ていなく広々としている。 それにしても車道の横断は怖い。 信号のある交差点を渡るときでも、右左折車にクラクションをブーブーと鳴らされ、轢かれそうになること数回。 明らかに車優先、いや絶対優先の国だ。 これで事故が起きないことが不思議なくらいだ。 バスの乗降はもっと怖そうだ。 この国は日本とは逆の右側通行である。なのに、日本の中古バスをそのまま使用しているので、乗降扉が車道側にある。 よって乗客は、車が猛スピードで行き交う車道の真ん中へ降ろされてしまうのだ。 乗る時もそうだ。 バスの直前を回り込み、クラクションの洪水の中を車道側から乗り込むのである。 バスに乗るのも横断するのも、まさに命がけである。 町のほぼ中心には、この国の唯一の高層ビルである 『さくらタワー』 がある。 20階建てほどのこのビル、オーナーは日本企業の日立だ。 最上階には四方に 『HITACHI』 のネオンサインが取り付けられており、町のどこからでも見ることができた。 昨夜のタクシー運転手も言っていたが、「道に迷ったら日立を目指せ」 と言うくらい、ランドマークになっているビルだ。 この周囲には鉄道の駅やバスの発着所があり、常に賑わっている所だ。 「チェンジマネー?」 一人のミャンマー人が近付いて来て、耳元で囁いた。 (待ってました!) 夕べからこの一言を求めていたのだ。 しかし、ここは足元を見られないよう冷静を装い、 「レートは?」 と淡々と訊き返す。 「1ドルが350チャット」 「だめだ、低い」 相場はよく分からないが、このように言って立ち去る素振りを見せると、 「OK! OK! 380チャットだ。これが限界だ」 と、思ったより簡単にレートが上がった。 路地裏へ入り、人目を避けるように両替をおこなう。 金の受け渡し時は要注意だ。 まず、他に怪しい人物がいないかどうか、そして金額をちゃんと確認すること。 相手が数えた時はちゃんとあっても、自分で数え直すと少ないことがよくある。 まるで手品のようなサギはアジアでは日常茶飯事だ。 しかしここでは、運良く騙されることもなく、念願のチャットを手に入れることができた。 「またのご利用を・・・」 愛想良く手を振る男と別れ、まずはスーレーパゴダへ向かう。 『パゴダ』 とは簡単に言えば『寺』のことである。 厳密に言えば、中に入れるのが寺院で、入れないのがパゴダらしい・・・ 日本語学校の少年(その1) スーレーパゴダは金色に輝く仏塔を中心に、いくつかの小さな寺院が周囲を取り囲むように建っており、多くの市民が参拝に訪れていた。 「コンニチハ。日本人ですね」 パゴダの入口で、一人の少年が日本語で話し掛けてきた。 見た目は12歳くらいの華奢な少年だ。 「君、日本語うまいね」 「ハイ、私は日本語学校に通っています。日本語ペラペラです」 ミヤーウと言う名前の彼はこう見えても15歳。 日本語学校に通って2年になるそうだ。 「あなたは、ここでナニしていますか?」 「いや、ナニって見てのとおり観光だよ」 「私に案内させてください」 「ガイドなら要らないよ。一人で廻れるから大丈夫よ」 「遠慮しないで。ぜひ案内させて下さい」 ガイドの押し売りはどこの国でもあるものだ。 頼みもしないガイドを一方的におこなって、後で金を請求するのが彼らの手段だ。 立ち去ろうとしたが、ミヤーウはぴったりとくっついて離れようとしなかった。 それでも無視してパゴダ内の観光をするが、彼は一生懸命ガイドを始めた。 「ミヤーウ君、ガイドをするのはいいけれど、金は払わないからね」 「私は、お金要りません。ただ、日本語を話したいだけなのデス」 「みんなそう言うの。アジアでは。それで最後に金を請求する」 「信じて下さい。私は違いマス」 彼が言うには、彼の先生は日立の社員で 「観光に来た日本人には親切にしなさい」 と言うのが口癖になっているそうだ。 それを忠実に守っているだけとのことで、金を貰うつもりはまったく無いらしい。 (本当に親切でおこなっているようだな…) パゴダを一周するうちにそう思い始めたが、油断禁物。 これで幾度騙されたことか。 「次はドコ行きたいデスカ?」 ミヤーウは1日中観光に付き合う気でいる。 「どこでもいいじゃない。君には関係ないでしょう」 「まだ信じてないですか? まあ、仕方ないデス」 「じゃあさ、少しだけ信じるから、飛行機のリコンファームと列車の切符手配を手伝ってよ。もちろんタダで」 「任せて下さい」 彼は嬉しそうにそう答えると、タイ国際航空のオフィスへと先導してくれた。 「ミヤーウは今日、学校へ行かないの?」 「学校は土曜と日曜だけデス。平日は市場で絵葉書を売ってマス」 両親に負担をかけられないので、学校のない平日は外国人相手に絵葉書を売って学費の一部にしているのだ。 「コマッタことがあったら市場に来て下さい」 彼の瞳は純粋そのものだった。 リコンファームを終え、次いで列車の手配だ。 これは、次に向かうマンダレーへの列車を確保するためだ。 駅から少し離れた場所に前売りの切符売場があった。 だだっ広く薄暗い所に数多くの窓口が並んでいた。 表記はすべて、まん丸いミャンマー文字だ。 訳が分からなかったが、ミヤーウが窓口をひとつひとつ尋ねてくれ、やっとのことでマンダレー行きの切符売場に辿り着く。 確保できたのは、明日の夕方にヤンゴンを出発する夜行列車だ。 列車の等級は 『オーディナリークラス (普通車 )』 と 『アッパークラス (一等車) 』 の2種類があるのだが、外国人はアッパークラスしか乗ることができない。 そのため、ミヤーウもびっくりするくらいの高額な運賃 (35ドル = 約3,700円) を支払う。 「ミャンマー人はこの1/10の運賃だよ」 ミヤーウが言った。 ミヤーウと食堂 (カフェ) でジュースを飲みながら (もちろんご馳走してあげた)、ミャンマーのことを色々と教えて貰う。 物価のことや交通機関のこと、彼らの興味あることや将来について。タブーとされている政治のことも、 「日本語で話せばだいじょうぶよ」 とミヤーウは政府の悪口を始めた。 これにはかなり驚いた。 ミャンマーには密告制度があり、国中スパイだらけで思想取り締まりが徹底されていると聞いていたからだ。 「捕まるぞ」 と、こちらが話しを中断させた。 「あちゅしは、次ドコへ行きたい?」 カフェを出てから彼が訊いてきた。 『あちゅし』 とは 『篤』 のことで、東南アジアの人は つ の発音ができず ちゅ となってしまうのである。 また、ミャンマーでは 『苗字』 はまったく使わずに、すべて 『名前』 だけで通用してしまうのだ。 だから、ホテルの台帳には 「ATSUSHI」 とだけ記入されるし、列車の切符などにもこのように記載される。 日本で言えば、「優香」 や 「hitomi」 のようなものだ。 親しい友達同士でも、相手の苗字を知っていることは少ないそうだ。 同じく 『名』 が優先のタイであっても、チケットや宿泊名簿にはちゃんと苗字を記入するが、ミャンマーでの苗字は記号の一種にしか過ぎないようだ。 さて、これからはこのまま彼にガイドをして貰うのが楽で良かったのだが、そこまで図々しくはできないので、 「ありがとう、助かったよ。あとは一人で観光するから。明日にでも市場へ行くよ」 と、彼に告げて別れた。 日本人、どこへ行く? (さて、一人になってしまったし、どうするかな・・・) ヤンゴンで押さえておきたい観光地の2つ目、シュエダゴォンパゴダへ行くことにした。 ここはヤンゴンの町外れにある丘の上に建つ寺院で、ミャンマーの中心的な寺だ。 敷地もとても広く、全国からたくさんの参拝者が訪れるのである。 地図を見ると、ここから歩いていくにはやや遠そうだったが、散歩がてらテクテクと行くことにした。 跨線橋を越えるとヤンゴン中央駅に着いた。 明日はここからマンダレーへ向けて出発するのだ。 下見のために構内に入るが、人が誰もおらず閑散としていて不気味だった。 駅前のロータリーも車がまったく停まっていなく、首都の中央駅にしては寂し過ぎる。 そんな駅前で、人の良さそうなおじさんが遠くから寄って来た。 「日本人ですか? どこへ行くの?」 片言の英語だった。 「歩いてシュエダゴォンまで」 「エッ、それは遠いぞ。よし、俺がタクシーを交渉してやろう。心配するな」 と、おじさんはキョロキョロとタクシーを捜し始めた。 「大丈夫ですよ。疲れたら自分でタクシーをつかまえますから」 「そうか。じゃあ、両替は済んだか? 銀行で両替したら損するぞ」 と目の前の銀行を指差した。さらに反対側の商店を指差し、 「レートの良い闇両替は、あそこにあるから覚えておきな」 と付け加えた。そして、 「他に何か質問はあるか?」 と訊いてきた。 このようにミャンマー人はミヤーウに限らず親切であることを、この旅のあいだじゅうつくづくと思い知ることになった。 また、すべてのミャンマー人が親切なわけではなく、スキあらば騙してやろうという輩も一部いるため、そのみきわめが非常に難しいことも、これから向かうマンダレーで思い知らされた。 太陽が容赦無く照り付け、気温がかなり上昇してきたので歩くには相当しんどくなってきたが、緑多き町中で人々の生活を垣間見ることができるのはとても楽しかった。 やがて、長い塀の続く道へと辿り着いた。 刑務所のような高いコンクリートに阻まれた一角は、歩道に日陰を作っているので自分にとっては好都合だった。 (少しは楽に歩けそうだな。ところで、この建物は何なのだ? まぁ、何でもイイヤ) と歩を進めると、大通りの向こう側からこちらを呼び止めるような声がした。 目をやると軍人が3人ほど木陰におり、こちらへ来いと手招きをしているようだ。 (エッ、俺を呼んでるのか?) と思ったが、彼らの反応が良く分からなかったので無視して歩き続けた。 「ピッーピッーピ〜」 突然に笛が吹かれ、2人の兵士が車道を横切り走って来た。 唖然と眺めていたら、 「こちらに来い!」 と強い口調で命令された。 「俺が何かしたのか? 信号だってちゃんと守ったし、強制両替にも応じたぞ!」 と、軍隊相手に関係無いことをわめきつつ、兵士によって車が完全に遮断された大通りを反対側へと渡って行った。 ―― と言うよりも強制連行されたと言う感じだ。 「日本人、どこへ行く?」 上官らしい兵士に質問された。 「ただ散歩しているだけだ」 どこへ行こうがこちらの勝手だ。 軍隊にとやかく言われる筋合いは無い。 「パスポートを見せろ」 首からぶら提げている汗まみれの貴重品袋から、日本国パスポートを堂々と示す。 パスポートの携帯と官憲に求められた時の速やかな提示は、どこの国でも外国人の義務になっているので、これについては逆らわない。 「どこへ行く?」 パスポートをパラパラと見た後、再び同じ質問をしてきた。 「・・・シュエダゴォン」 2度目の質問には素直に答えた。 「シュエダゴォンならタクシーで行け」 軍がタクシー代を払ってくれるのなら話しは別だが、歩きたいのにタクシーを強要されるのはムッとする。 「俺は、歩いて、行き、たいの!」 一言づつ、相手を押さえつけるように答える。 「ならば、向こうを廻って行け」 上官はいま自分が歩いて来た方向を指差した。 「はぁ? 俺は、あっちに行きたいの! 何か問題でもあるの?」 こちらとしても負けられない。 頑として自己主張をおこなった。 この様子を見守っていた若造の兵士が、無線機でどこかと二言三言の交信をおこない、その結果を上官に伝えた。 すると上官は、 「行ってよろしい」 とあっさりと許可を下ろしてくれた。 「ただし・・・」 通行許可には条件付きだった。 「道路の反対側 (塀に沿った側) を歩いてはならない。 なぜなら、向こうは軍事施設だからだ。 無論、写真撮影も駄目だ」 軍事施設 (政府軍本部のようだ) があるなら最初からそう言って欲しかった。 こうして軍本部の長い長い塀が続く一本道を、陽炎で揺れている遥か前方を目指して歩き始める。 きっと、塀の向こうではこちらの一挙手一投足を監視していることだろう。 (変な動きをしたら撃たれちゃうのかな?) そう思うと一歩一歩に緊張感が生まれてくるのだが、それも50メートルと持たず、すぐに暑さでヨロヨロの足取りになってしまった。 やっとのことで辿り着いた長い塀の終点に一軒の食堂があった。 美味そうなビールの看板が掲げてある。 その看板に引き寄せられるように車道を横断した。 食堂は広々としており、幾つかあるテーブルではすでに数人の男たちが楽しそうに酒を飲んでいた。 「ビール、ビール」 と、店の中央にあるカウンターのオヤジにそう言って椅子にへたり込む。 ほどなくして出されてきたのは、緑色のラベルが鮮やかな 『ミャンマービール』 だ。 汗をたっぷりかいたので、喉を流れる冷えた炭酸の刺激が全身を振るわせる。 「うんめぇー」 冷蔵庫があまり普及していないミャンマーで、ほどよく冷えたビールを飲めるのはラッキーなことだ。 2杯目はじっくりと味わって飲む。 『ミャンマービール』 は昔のビールそのもので、その深いコクと苦味に懐かしささえ感じる。 ミャンマーでは2種類の国産ビールが製造されており、もうひとつは 『マンダレービール』 だ。 こちらはスッキリとした味わいで、若い人に人気があるそうだ。 落ち着いて店内を見回すと、周囲で酒を飲んでいるのは軍人ばかりだ。 こんな時間から、テーブルの上には数本のウイスキーやビールビンが並んでいた。 中には、堂々と賭けトランプをおこなっている者もいた。 この店は軍の御用達のようだ。堕落した軍人たちに改めて腹立たしくなった。 でも、道を尋ねたら親切に教えてくれた。 喉を潤して元気回復。再び炎天下を歩き出す。 ゴージャスな丘の上 丘の上に建つシュエダゴォンの金色の仏塔が見え始めると、さらに足取りは軽くなる。 狛犬の役目を果たしているような、巨大な龍の石造が2体鎮座している間に、シュエダゴォンパゴダへの入口があった。 ここは丘への登り口にあたり、ここから石段を104段行った所が本堂になる。 靴を脱ぎ、それを預かり所に預けてから素足で登り始める。 東南アジアでは寺の建物内部が土足厳禁なのは知っていたが、ミャンマーではそれが徹底されており、敷地内はすべて素足にならなくてはいけない。 それは遺跡でも同様で、寺である以上はそれがいにしえのものであっても、仏陀の住まいに変わりはない。 ミャンマー人の信仰の深さが伺える。 本堂への階段は幅が10メートルほどあり、その両脇には仏具屋が建ち並んでいた。 御影石で造られた足下はひんやりとしていて気持ち良い。 参拝に訪れた多くのミャンマー人が行き交い、アーケードの商店街を歩いているような雰囲気だ。 中間くらいに小屋があり、外国人だけはここで入場料 (5ドル) を支払わなくてはならない。 仏具屋を眺めながらの登り道は、何の苦もなく頂上に到達することができた。 境内の一面に敷かれた白いタイルが、強い太陽の光を反射して眩しい。 しかし、もっと眩しいものが境内の中心にあった。それは本堂となる金色の大きな仏塔である。 高さ約100メートルの仏塔はそのすべてが金に覆われており、煌びやかな先端を青い空に突き刺すが如くそびえ建っていた。 この仏塔のてっぺんには、1個が76カラットもあるものを始めとし、5451個のダイヤモンドと1381個のルビー、その他ヒスイなどの宝石が散りばめてあるのだ。 それらが金箔に負けないくらいにキラキラと輝いていた。 仏塔の周囲には数多くの小さな寺院や楼が建てられており、その中でミャンマー人たちは弁当を食べたり、昼寝をしたりしていた。 そんな彼らに混ざり、金色の仏塔を仰ぎ見る。 「ん〜、ゴージャス!」 とても贅沢な仏塔、結構な金額だろうな… 「立派でしょ? コンニチハ。ニッポンの方ですね?」 向こうからやって来た若い女性が日本語で話し掛けてきた。 「あっ、はい、こんにちは。・・・日本人? じゃないですよね?」 顔立ちはどこから見ても日本人のように見えた。 「アナタは、なぜ階段を登って来たデスカ? ワタシ、上からずっと見てました」 「なぜって言われても、あそこが正面の入口じゃないの?」 「日本人はみんな、エレベーターを使います。だから、ワタシはエレベーターの降り口にいつもいます」 「へぇ〜 エレベーターがあるんだ」 「アナタみたいに、階段を登る日本人は珍しいョ」 「ところで、お姉さんは何者?」 「ワタシは、日本語ガイドです」 と、彼女はガイド許可証を見せながら、石段に座っている自分の隣にちょこんと腰を降ろした。 「ガイドか・・・ ごめんね。金がないからこれを頼りに自分で見学するから・・・」 と、入口で貰った英文の案内書を広げて見せる。 「そうですか・・・ いや、イイですよ。タダで案内しますョ」 「いや、タダって訳にはいかないでしょう?」 「ダイジョウブです。どうせ、他に日本のお客さん、来そうにないから」 「本当にタダでいいの? 後で金出せって言われても出せないよ」 「途中で別のお客さんが見つかったら、そこで終わりですョ」 彼女は日本語を学ぶ大学生で、夏休みの期間中にここで日本語ガイドのアルバイトをしているのだ。 今年から全日空が直行便を廃止したため、日本からの観光客が激減したそうだ。 よって、彼女の今年の収入も、昨年の半分以下になってしまったとのこと。 そんな彼女にタダでガイドをして貰うのは少々気が引けたが、好意に甘えることにした。 主要な建物の由来や歴史・伝説などを、手を抜くことなく分かりやすい日本語で案内をしてくれた。 甘えついでにカメラのシャッターも押して貰う。 1時間ほどかけて仏塔の周囲を一周する。 「ヤンゴンで困ったことがあったら、ココへ来て下さい。ワタシが力になってあげます」 彼女は最後にそう言い残して、再び客を待ち受けるべく、エレベーターの出口へ戻って行った。 まだ見残したところがあったので、今度は一人でブラブラと歩き始める。 白いタイルは灼熱の太陽に照らされ、足の裏が火傷をしそうなほどである。 「あなた、黒いタイルの上を歩きなさい」 今度は小柄な人の良さそうなおじさんが、英語で声を掛けてきた。 「白いタイルはミャンマー人でも熱いのですよ」 今まで気付かなかったが敷地内のタイルには白と黒があり、黒いタイルは道のように敷かれてあった。 さらによく観察するとミャンマー人は黒いタイルの上しか歩いていなく、白いタイルの上を熱そうにヒョコヒョコ歩いているのは、欧米人の観光客だけである。 「案内してあげますよ」 と申し出てくれた小柄のおじさんは、20歳と18歳のお子さんを持つヤンゴンに住むミャンマー人だ。 毎週このパゴダに参拝に来ているとのこと。 「ひととおりは見学したんですけど・・・」 「仏陀の足、聖水は見ましたか? お勧めです」 「では、そこへ連れて行って下さい」 おじさんについて行くと、薄暗い建物の中に仏陀の足跡を型取った金色に輝く台座があり、そこには水が満々とたたえてあった。 その水が聖水で、指に取って額につけるとご利益があるのだそうだ。 さらにこの水を飲めば、どんな病気も治ると言われているらしいが、飲むと逆に病気になりそうなので額につけて終わりにする。 「昼メシを食べたいので、食堂の場所を教えて下さい」 時計の針も12時を過ぎ、腹も減ってきたので昼食にしようと思った。 「よろしかったら一緒に食べましょう。ミャンマー料理で良いですか?」 ミャンマーの食べ物がどんなものかまだ知らない自分にとって、この一言はとても心強い言葉だ。 喜んでおじさんと食事に向かう。 敷地の外れに大きな食堂があった。 テーブルにつくとおじさんが店の女性に一言何かを言って、注文は終了。 ミネラルウオーターを飲みながら待っていると、ほどなくして小皿がたくさん運ばれてきた。 漬物のような物やカレーのような汁の入った皿が10枚ほど並べられ、最後に大きめのボールに山盛りになったライスが運ばれた。 「さぁ、食べましょう」 おじさんがボールのライスを皿に取り分けてくれた。 小皿のおかずは酸っぱいものや辛いものが多く、とても美味いとは言えなかった。 全体的には脂っこく胃がもたれる感じだ。 食後のバナナだけが美味いと言えるものだった。 「どうでしたか、ミャンマー料理は?」 「なかなか美味しかったです。他にはどんな料理があるのですか?」 おじさんの手前、お世辞を述べる。 「代表的なものは、モヒンガー (米麺)、ヒン (カレー煮込み)、フライドライス (炒飯) などです」 (次回は別のものを食べよう・・・) さて、勘定をしようと思ったら、 「ご馳走しますからイイですよ」 と、おじさんはさっさと支払いを済ませてしまった。 このシュエダゴォンではタダガイドにタダメシだ。 通りすがりの観光客にここまで親切にしてくれるミャンマー人が、とても不思議でならなかった。 おじさん、そしてエレベーター前でまだ客を捕まえられないガイドのお姉さんに、丁重なお礼を述べて丘を下る。 日本語学校の少年(その2) 先ほどまでの抜けるような青い空は、いつしかは一面の黒雲に覆われていた。 雨季ならではの空模様で、この時期は突然のスコールが日に1〜2回ほど訪れるのだ。 パゴダ前からタクシーで市場へ向かおうとしたが、どのタクシーも無視して通り過ぎてしまう。 「おい、おい、みんな乗車拒否か?」 と思っていると、何人かの運転手はこちらを見ながら遥か前方を指差し、何事か言いながら走り去って行った。 「ここではタクシーに乗れません。あの先まで行けば乗れますよ」 事情が分からずに困っているところを、通りかかった人に教えられる。 理由は知る由も無いが、どうやらこのエリアではタクシーの乗降が禁止されているようだ。 ポツポツと雨が降り始める中、言われた地点まで歩き車道の端に立ち止まると、すぐに一台のタクシーが横付けされた。 「どこまで行く?」 窓から運転手が尋ねる。 「市場へ行きたいんだけれど、後ろのおばちゃんはいいの?」 タクシーにはすでに先客として、荷物をたくさん抱えたおばちゃんが後部座席を占領していた。 「400チャット (約120円) で行ってやるよ」 「200チャット (約60円) にしてよ」 「OK、乗りな」 と、簡単に値切り交渉に応じた運転手は、助手席を指差した。 「失礼しま〜す」 先客のおばちゃんに気を使い低姿勢で車に乗り込む。 おばちゃんはムッとした表情で笑顔ひとつ浮かべない。 そして、助手席に腰を下ろしてビックリした。 「ドヒャ〜 なんだよ、この車!」 あまりの驚きに日本語が口をつく。 なんと、背もたれがブッ壊れているではないか。 座った途端にいきなり180度のリクライニング状態だ。 後ろのおばちゃんは相変わらずの無表情だったが、運転手は笑いながら 「壊れているから寄りかかるな」 と手で背中を押した。 「笑い事じゃねえよ」 こんなボロ車ならもっと値切れば良かった。 乗用車に背中を浮かせて乗ることは結構辛いものがある。 特に発進の時は、背中を後ろに引っ張ろうとする慣性の法則≠ニの戦いだ。 中国人街の一角でおばちゃんが先に降り、その後に市場まで行って貰う。 ボージョーアウンサン・マーケットはヤンゴンで一番大きく、2階建ての巨大な建物の中と周囲にはビッシリと小さな店が入っている。 一歩中へ足を踏み入れるとそこは迷路の世界だ。 食材を扱う新館と日用品を扱う旧館に分かれている。 ここには、買い物をするためにやって来たのだが、まずやることは今朝ほど知り合ったミヤーウを探すことだ。 彼に買い物を付き合って貰えば、こんなに心強いことはない。 しかし、この迷路の世界のどこを探せば良いのだろうか? とりあえず、建物のド真ん中を貫いているやや広めの通路を端から端まで歩いてみる。 流石は鉱物資源に恵まれている国だけあって、市場内には宝石商がたくさん軒を連ねていた。 ミヤーウを見つけられないまま通路の外れまで来ると、2人の少年が近寄ってきた。 「オニイサン、絵葉書買わない?」 「君達も日本語できるのか? しかも市場で絵葉書を売っている。ミヤーウを知ってるか?」 「オー、ミヤーウはトモダチ」 「本当に知ってるのか?」 東南アジアにおいて友達≠ニ言う言葉ほどあてにならないものは無い。 「友達、友達」 と言いながら親しげに付きまとうヤツにロクな者はいないし、「彼とは友達」 と言いながらこちらを安心させてボッたくるのは常套手段だ。 「ミヤーウもニホンゴ話す。同じ学校の2年生」 「どこに住んでる?」 「川の向こう。田舎」 「彼に会いたい。どこにいる?」 「ミヤーウは今イナイ。家に帰った」 「そうか・・・」 どうやら彼らは本当に友達のようだ。 しかし、ミヤーウがいないのであれば仕方ないので、一人で買い物をしようとしたが、彼らが市場を案内してくれると言い出した。 彼らはいとこ同士で、8歳くらにしか見えないチビのパッレは15歳、しっかりしているモンモンは18歳。 共にミヤーウと同じ日本語学校の2年生で、こちらも日本語がペラペラだ。 この市場で、パッレは絵葉書をモンモンは自分で描いた絵を売って小遣い稼ぎをしている。 「あちゅし、ナニが欲しい?」 「マンダレーやバガンでも雨は毎日降るのか?」 「雨季だから毎日降る」 「軽くて小さな傘が欲しい」 雨季をあまり考えなかったものだから、傘や合羽を持たずに来てしまった。 これから向かう場所でもヤンゴンのような雨が降るのなら、折りたたみ傘が必要だ。 狭い市場内の迷路道を彼らは右へ左へさっさと進み、一軒の傘屋へ連れて行ってくれた。 品揃えは少ないが折りたたみの傘が何本かあった。 「とにかく、軽くて小さいものじゃないと駄目だ」 パッレが店主に通訳をしてくれると、店の奥から一本の傘を持ってきた。 それは確かに軽くて小さく、材質もしっかりしているものだった。 「コレ、ニホン製。だから、軽い、小さい、丈夫」 パッレが店主のミャンマー語を日本語に直してくれる。 その傘をよく見ると、柄の部分に大きく 「TOYOTA」 と書かれてあった。 「TOYOTA」 「NISSAN」 「味の素」 「SONY」・・・ 外国における日本の代名詞になっているが、何も折りたたみ傘の商品名にしなくても良いではないか。品質表示マークには、富士山と桜の写真が使われてあり、思い切り日本製を誇示している傘だった。 「5000チャット (約1,500円) と言ってるよ」 「高っけーよ。パッレ、値切れ。ディスカウント!」 パッレとモンモンの2人が店主に交渉を始めてくれた。 店主は幾度か首を横に振っていたが、最終的に3500チャット (約1,050円) に下がった。 それでも高いと思ったが、陳腐なミャンマー製を買うよりはマシなので妥協して購入する。 「次は、目覚まし時計」 日本から電卓兼用の時計を持って来たのだが、荷物の中から取り出してみると壊れていたのだ。 「メザマシドケイ・・・ってナニ?」 「あっ、時計、時計」 「OK。トケイならこっちこっち」 このようにして市場内を彼らに引っ張られ、ひととおりの買い物を終える。 突然、外は激しいスコールが降り出した。 そこで、人々でざわついている食堂でビールを飲むことにする。 ミャンマーでは彼らの年齢でも酒とタバコは認められているらしい。(未確認) この頃になると彼らとはすっかり打ち解け、パッレなんぞはいつも自分のソバから離れずにいた。 「ところで、闇両替はどこでできるか知ってるか?」 周囲の目を気にしながら、声をひそめて尋ねた。 「レートのイイ店、案内する」 やはり彼らも声をひそめてそう答えた。 闇両替をおこなっている店は、表向きは普通の服屋だった。 女主人に手招きされて店の奥へと入る。 ―― 奥と言っても、3歩も進めばそこが店の最深部だ。 女主人が電卓に330と示した。つまり、1ドル = 330チャットのレートとのことだ。 その電卓を400と打ち直して返す。 女主人は、 「馬鹿言ってんじゃないわ」 みたいなことを言いながら、350に引き上げて再度提示した。 彼女の表情から推測しても、これ以上のレート引き上げは不可能に思えたので交渉決裂だ。 まだ止む気配の無いスコールの中、パッレたちと別れてホテルに戻る。 丁度、夕方のコーランが町中に鳴り響き出した。 日が暮れると暑さもひと段落する。 すると、どこからともなく行き交う人々の数が増え、さらに歩道の屋台が店を開き始めるので、ホテルの前は祭りのような賑わいとなる。 人々にぶつかりながら路地裏を入ると一軒の食堂があった。 客の数も多く、清潔そうで明るかったのでここで夕食をとることにした。 「誰か英語を話せる人はいますか?」 店には唯一、一人だけ英語を理解できるお兄ちゃんがいた。 メニューはすべてまん丸文字のミャンマー語だったので、このお兄ちゃんに解説を頼む。 しかし、この店で扱っているのはすべてがカレーだった。 しかも、本場インドのカレーだ。 そう言えば周りの客は皆インド人で、しかも手掴みでカレーを食べている。 チキンカレーがあまり辛くないと言うのでそれを注文したが、インド人の甘口≠ヘ日本人の大辛≠ノあたることが良く分かった。 TATOO 男でも女でも、ほとんどのミャンマー人は 『ロンヂー』 と言う巻きスカートを着用している。 袋状になった一枚の布地で、これを器用に体の正面で結ぶだけでスカートが出来上がる。 男女では若干だが巻き方が違う。 ズボンを履いているミャンマー人は、制服の軍人か警察官くらいのもので、一般の人は9割9分がロンヂーだ。 「あちゅし! おはよう!」 翌朝、昨日注文しておいたメガネを受け取るために市場へ向かう途中で、パッレとモンモン、ミヤーウの3人と出会う。 「あちゅし、見て、今日はロンヂーだよ」 パッレが自慢気に自分の履いているロンヂーを広げて見せた。 昨日の彼はGパンだったのだ。 「変な質問していい? それって、中にパンツ履いてるの?」 「若い人は履いてる」 「オシッコはどうやってするの?」 この質問に彼らは顔を見合わせて笑った。 「シンパイない。こうやるの」 と、パッレがロンヂーの前を一杯に引っ張って前屈みになった。 そう言えば、そんな格好をして道路の隅にいるおじさんを何人か見た。 あれは用をたしていたのか。 「あちゅしもロンヂー買うか?」 「要らねーよ」 「ロンヂー涼しい。それに、ロンヂー履けばミャンマー人に見えるから、ワルイ人寄って来ない」 日本人とミャンマー人は顔立ちがそっくりだから、ロンヂーを履けば区別がつかなくなるのは確かだ。 「でもロンヂーは要らねーよ。もうひとつ教えて。ミャンマー人の腕にタトゥーあるでしょ。あれは文字なの?」 「入れ墨ね。ボクタチにもあるよ」 多くの男性の二の腕には、文字の様な入れ墨が彫ってあるのが目立った。 そしてミヤーウの腕と、パッレは両手の甲にそれが彫ってあったのだ。 「コレハ、ミヤーウって書いてある」 ミヤーウの腕には自分の名前が彫られてある。 「ボクのはお父さんとお母さんの名前だよ」 パッレの手の甲は、右手に父親、左手に母親の名前だった。 「入れ墨、キライ」 2人は声を揃えて言った。 自分の意思ではなく、小さい頃に彫られてしまったらしい。 少しお金持ちの家に育ったモンモンにはそれが無かった。 今日は昼過ぎまで、彼ら3人と市場周辺をブラブラして過ごす。 「また、ヤンゴンに戻ったら、ボクたちを探してよ。ヤクソクだよ」 彼らと別れ、夕方のマンダレーへ向けての出発準備のために一旦ホテルへ戻る。 ホテルに戻る途中の路上で、一人の男性から流暢な英語で声を掛けられた。 「君は日本人か?」 「そうだ」 「俺の父親は日本軍と戦った」 (あらら、来たよ・・・) アジアの諸外国において、できることならこの話題だけは避けて通りたいといつも願っているが、必ずと言って良いほど出される話しだ。 彼の話しは幸いにも父親の武勇伝に終始していた。 小さな船で日本軍に戦いを挑み、一隻の戦艦を撃沈させたこと、しかし父親の船も沈没して命からがら逃げ帰ったこと… 彼は身振り手振りを交えて我が事のように雄弁を振るった。 こちらとしては、 「はあ。そうですか。それはスゴイですね」 と言う他はなかった。 戦争の後は経済進出 (浸出?) で悪評の高い日本に、少しばかりの嫌気を感じる時だ。 ドルが怖い? ヤンゴン中央駅の前に、一番館という日本料理の店があった。 列車の出発までをこの店で待つことにし、早めにホテルをチェックアウトした。 準備中の札が下がっていたが、従業員が 「どうぞ、どうぞ」 と招き入れてくれた。 日本食の店にありがちなケバケバした間違った日本文化が無いこの店内は、東京のそば屋にいるのかと勘違いをするほど落ち着ける空間だった。 店の広さの割には従業員の数が多すぎる気がしたが、ついついビールを大瓶で2本も空けてしまった。 最後には美味い日本茶も出されるなど、サービスも充実していた。 降り出したスコールの中、駅へ向かう。 昨日見た駅は人っ子ひとりなく不気味だったが、今は多くの人々と大量の荷物が忙しそうに往来していて活気溢れていた。 「あちゅし〜! こっち! こっち!」 聞き慣れた声がした。 (えっ?) 声の方向を探すと、パッレたちが駅構内から手を振りながらやって来るではないか。 「ナニやってんだ、おまえたち?」 「あちゅしの見送り」 「よく列車が分かったな」 「ボクが切符手伝った」 そうだ、ミヤーウが駅員と交渉して切符を手配してくれたのだ。 彼らは日本語学校の同級生2人を連れ、総勢5名で見送りに来てくれていた。 しかも1人500チャット (約150円) の入場券を買って、駅構内に入っていたのだ。 これには感動した。 「あちゅし、お酒臭い」 ミヤーウに指摘される。 「ゴメン、ゴメン。おまえたちが見送りに来るとは思わなかったから、そこで酒飲んでた」 「あちゅし、マンダレーで気をつける」 パッレが心配そうにTシャツの裾を引っ張りながら言う。 「あちゅし、お酒スキ。ワルイ人、お酒に誘う。あちゅし、たくさん飲む。あちゅし、酔っ払う。ワルイ人、お金盗って逃げる。ボクたち、とってもシンパイ」 「みんな、ありがとうね。でも心配いらないよ」 この子たちにこんなに心配されているとは思わなかった。 「あちゅし、マンダレーでも言う。 『高っけえ〜よ (高いよ)、いらん (要らない)、いらん』 そうすれば、問題ない」 ヤンゴンの町中では口癖のように言っていた言葉だ。 こう言いながらしつこい物売りを追い払っていたことを、彼らはしっかりと見ていたのだ。 当然、彼らにはこの言葉の意味は分かっていないだろうが、悪い人を避ける言葉の一種であることは感じていたようだ。そして、このときに思った。 彼らの前で、変な日本語を使ってはいけない・・・と。 乾いた大地が水分を吸収するように、彼らもあらゆる日本語をすぐに自分のものにしてしまうからだ。 「ミヤーウ、パッレ、今、絵葉書を持っているか?」 「あるケド・・・」 「ひとつずつ売ってくれ」 この子たちとは金銭の関係を持ちたくないと思っていたので、この2日間 「君らの絵葉書は一切買わないぞ」 と言い張っていた。 それだけに彼らはとても不思議な顔をしながら、カバンの中から1組ずつの絵葉書を取り出した。 「これから先、絵葉書を日本へ送るつもりだから、おまえたちから買った方がイイだろう」 「あちゅし、お金、要らない。お別れにあげる」 「そうはいかない。おまえたちが、これを350チャット (約110円) で仕入れて1700チャット (約510円) などという暴利で売っていることも知っている。 だから、これは絵葉書代<vラスここの入場券代≠ウらに夕飯代≠ニして渡すからな。言っていることが分かるか?」 「アリガトウ。じゃあ、これもプラスするね」 彼らはさらに数枚の絵葉書を追加して手渡してくれた。 「だけど、チャットをあまり持っていないから、アメリカ・ドルで支払うけどいいか?」 ヤンゴンを離れるとチャットの交換レートが非常に悪くなると聞いていたので、できる限りチャットを使うわけにはいかないのだ。 そこで、5ドル紙幣を2枚差し出すと、彼らは一歩後退りをし、 「ドルはダメ。コワイ」 と頑なに拒否をした。 「怖いってどういうこと?」 「ミャンマーの普通のヒト、ドルを持っていると捕まる」 この国では許可を持っていない人が外国人から外貨を受け取ると逮捕されるそうだ。 「なんじゃ、そりゃ? とんでもない国だな・・・ よし、OK。パッレ、ちょっと来い」 パッレだけを一人連れ出し、ホーム外れの資材置き場の陰に連れて行く。 周囲に充分な注意を払ってから、 「パッレはドルを捌けるよな。すぐにこれを市場で両替して半分をミヤーウに渡せよ」 と、彼の手に小さく折り畳んだドル紙幣を握らせた。 彼も周囲を気にしながら、ボロボロになった手帳にその紙幣を隠した。 みんなの所に戻り、雑談をしているうちに列車の出発時刻が迫って来た。 「今日の記念に写真を撮ろうよ」 と、リュックの中からカメラを取り出す。 すると、彼らはまた一歩後退りした。 カメラを向けるとピースサインを出すいつもの表情とは様子が少し違う。 「どうしたの?」 「あちゅし、カメラはダメ。ここは駅」 モンモンが血相を変えて叫んだ。 軍事国家では、駅・空港・橋などの写真撮影はご法度であることを、うっかり忘れていた。 これらの撮影をすれば即刻スパイ容疑で逮捕され、軽くても国外追放になる。 「あっ、ここでは駄目か。やっぱり」 すぐに2名の兵士がやって来て、無言のままこちらを睨むように我々のすぐ背後に立ち尽くした。 「何だコイツら。用があるなら何か言えよな」 独り言のようにつぶやいてみるが、日本語が通じる訳がない。 「あちゅし、もう列車に乗ろう」 この気まずい雰囲気を破るために、モンモンが口を開いた。 ディーゼル機関車に牽引された8両編成の列車には、号車番号がミャンマー文字で表記されていた。 彼らに導かれるまま、指定された号車の座席につく。 リュックを運んでくれたモンモンがそれを網棚に載せながら、 「ニモツから目を離してはいけません。盗まれマス」 と注意をした。 「大丈夫だってば。そんなに子供扱いするなよ」 まるで、自分の子供を初めての一人旅に出す親のようだ。 「あっ〜 あちゅし、アレ見て!」 突然、パッレが窓の外を指差しながら叫んだ。 「何、何、どうした?」 指差す方向を見るが、何だか分からない。 「あれだョ、あれ!」 なおも遠くを指差す。 「どれだよ?」 「あちゅし…」 今度は冷静な声で言う。 「とてもシンパイ。ワルイヒト、そうやって荷物を盗む」 パッレにまんまと試されてしまった。 「馬鹿! おまえが指差すから、そっちを見たの! でも心配いらないよ。こんな時のために、ワイヤーを持っているから」 盗難対策の必需品、ワイヤーロープと鍵を取り出して自慢気に彼らに見せびらかす。 彼らは 「OK」 と親指を立てた。 |
(第三章 終) ≪前ページへ [目次へ戻る] 次ページへ≫ |