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イラワジの虹を越えて  (第二章・強制両替と闇市場)

タイの微笑み


 残暑の厳しい日本を飛び立ち、まずはバンコクへ向かう。
 タイ国際航空は機材も綺麗でサービスも満点だ。
 エコノミーの割には食事も立派なものが提供され、ワインもなかなか上等なものがグラスに注がれて給仕された。
 そして何よりもフライトアテンダントが美男美女揃いである。
 
 さて満席のTG641便は、ほぼ定刻の午後3時半にバンコク・ドンムアン空港に到着した。
 イミグレーションへ向かう多くの客の流れから外れてトランジットのカウンターへ出向くと、タイ国際航空の女性職員が笑顔で迎えてくれた。
 すでに成田でヤンゴンまでの搭乗手続きが済んでいるので、ここではゲートと時間の案内だけである。
 
 それにしてもタイ人の笑顔はいつ見ても良い。
 気持ちがおおらかになる。
 『微笑みの国、タイ』 とはよく言ったもので、ミャンマーへ向かうのを止めて、このままタイへ入国してしまいたい気分である。
 まぁ、このタイ人の微笑みには色々と奥深いものがあり、それを知れば知るほど 「ヘラヘラしてるんじゃない!」 と怒りたくなってくるものなのだが、そのことはいつか記することとし、今日のところはお堅い軍事国家へ向かう直前の 『天使の微笑み』 として受け止め、しばしの心の休息である。
 
 次の出発までは2時間半もあった。
 空港内をブラブラするのにもすぐに飽きてしまい、ただひたすら待合室でじっと待つのみであった。
 
 ミャンマー行きのゲート前待合室は閑散としていた。
 搭乗時間が迫っていても、一向に乗客が増えることはなかった。
 
 機内に乗り込んでも、数えるほどの乗客しかいなかった。
 横1列に8名分の座席があるのに、平均してそこに1人と言った具合である。
 (これでは赤字路線だな・・・)
 着席するとすぐに、ミャンマーでの入国カードと税関申告書が配られた。
 ヤンゴンまではわずか1時間20分のフライトである。
 よって、もたもたしていられないのだ。
 そして機内サービスも然りだ。
 機体が水平飛行に移ると同時におしぼりと飲み物が配られた。
 そして、おしぼりの回収と同時に軽食が配膳される。
 軽食と言っても食事に近いもので、プレートの上にはシーフードカクテル、生ハム、コールスロー、パン、メロン etc・・・ が乗せられている。
 そして、またまた上等のワインが注がれる。
 そのワインをグラスの半分ほどまで飲むと、すかさずアテンダントがやってきて、
 「お代わりは白ワインになさいますか、赤ワインになさいますか?」
 と、天使の微笑みで尋ねてくるのだ。
 こちらもいい気になり勧められるままに飲んでいると、すぐにほろ酔い気分になってしまった。
 
 食事を片付け終えるや否や、機体は最終着陸体制に入って高度をぐんぐんと下げ始めた。
 アテンダント達も慌てて着席し、乗客よりも頑丈なシートベルトをガッチリと締める。
 この飛行時間でこれだけのサービスは無理があるのではないか?
 
 外はすっかり暗くなり、灯りがほとんど無いジャングルのような所を飛行している。 ―― と思っていたが、ヤンゴン国際空港のすぐ近く、つまり市街地だった。
 機体は無事に地面へ車輪を下ろし、滑走路をターミナルに向けて走行中だ。
 「お客様にお願いします。機体が完全に停止し、サインが消えるまでは決してお座席をお立ちにならないで下さい」
 アナウンスの流れる中、アテンダント達は忙しそうに動き回り、生花のコサージュを乗客に配り歩いていた。
 (アナウンスを聞いてないのか?)
 とも思ったが、それよりも何より、こんなに一生懸命に働くタイ人がいることに驚きを隠せなかった。
 


強制両替


 飛行機を降りると、もわぁ〜んとした暑い空気に包まれた。
 「あっぢぃ〜」
 思わず独り言がこぼれる。
 
 歩いた方が早いのではないかと思われる距離を、バスに乗ってターミナルビルへ向かう。
 バスを降りるとすぐにイミグレーションがあった。
 しかし、それはいたって質素なもので、薄暗いフロアーに木の机がポツンポツンと4個ほど並んでいるものだった。
 ゲートの様なものは無く、その気になれば簡単に突破できそうである。
 軍事国家だから物々しい警戒ぶりかと思いきや、少々気が抜けてしまった。

 入国審査は淡々とおこなわれ、何ひとつ訊かれることなくスタンプが押された。
 
 そして数歩進むと、バックパッカー達には悪名高い 『強制両替』 である。
 この国の経済は外国人にとっては複雑で厄介な構造になっている。
 貨幣の単位は 『チャット』 で、これが一般的に使われている通貨なのだが、それ以外に 『FEC』 と 『USドル』 が流通しているのである。
 『FEC』 とはミャンマー政府が政策的に作った単位で、日本語に直すと外貨兌換券。
 1FECが1USドルと等価なのであるが、もちろんミャンマーを一歩出ればただの紙切れである。
 そして、チャットとFEC (またはUSドル) の使える所ははっきりと分かれている。
 長距離の交通機関やホテルの宿泊代など、高額な外国人料金が設定されている場所ではFECでしか支払いができず、それ以外の場所ではチャットでしか支払えないのだ。
 よって、ホテルの部屋にある冷蔵庫の飲み物を飲むと、精算の際にFEC (宿泊代) とチャット (飲み物代) の両方が必要になるのだ。
 チャットからFECおよびUSドルへの再両替はできないし、FECからUSドルへもできない。
 常に使う額を計算しながらチャットへ両替していかなければ、最終的に膨大な紙切れを背負うことになる。
 しかも、これらチャットとFECは海外への持ち出し禁止なので、空港で没収されてしまうのだ。
 
 ミャンマー政府は外貨獲得に躍起になっているので、個人旅行者に対し200ドル分のFEC両替を義務付けている。 (大使館での誓約書やガイドブックには300ドル分となっていたのだが、200ドルに値下げされていた。)
 これは成田に到着したばかりの外国人に、1人2万円の両替を強制するようなもので、日本であればその価値はたかが知れているが、このミャンマーでは物価から考えてその10倍、約20万円近くの価値があるのだ。
 今回の自分の日程は12日間の滞在なので、何とか使い切ってしまうだろうが、多くの旅行者は使い切れずにミャンマー政府の大きな収入源となっている。
 
 自分としてはどうもこの政府の方針が納得できず、日本を発つ前から強制両替の検問は突破しようと考えていた。
 そして入国審査を待っているあいだじゅう、前方でおこなわれている両替検問のスキを伺った。
 しかし、ここの守りは鉄壁を極めていた。
 銀行職員によって三重のガードが敷かれ、ひとりひとりのパスポート (ビザ) を厳重にチェックしていた。
 ビザの種類によって強制両替の免除があり、旅行社を通じて手配した場合は、それなりの料金をとられるが 『ツアービザ』 となって免除される。
 しかし、自分のようにすべて自前の手配となると 『個人ビザ』 になり、この強制両替が課せられるのだ。
 
 素知らぬ顔をして銀行職員と目を合わさぬよう、まっすぐ前を向いて出口へと向かう。
 すると、他の客に気を取られていたようで、第1の人垣はすんなりと通過できた。
 
 そして第2の人垣。
 幸いにも、直前の欧米人のおばちゃんが検問にひっかかった。
 2人がかりでそのおばちゃんのパスポートチェックをおこなっている隙に、見事にこの人垣もクリアした。
 (やった。あと少し。ゴールは目の前だ・・・)
 と思った次の瞬間、
 「ハロー」
 屈強そうな2人の男に進路を阻まれた。
 「あっ、あー、サワッディークラッ…」
 意味も無くタイ語で挨拶をする。
 「パスポートを見せて下さい」
 「はぁ・・・ どうしても、見たいの?・・・」
 のらりくらりと答え、ゆっくりとパスポートを示す。銀行職員はビザスタンプを目敏く見つけ、
 「両替をしなさい」
 と手前のカウンターを指差す。
 「市内でおこないますから・・・」
 と言ってみたが、
 「ここでしなさい!」
 と呆れた顔をした。
 そして両脇を抱えられ、カウンターへ強引に連れて行かれてしまった。
 さすがは軍事政権の国だ。
 
 この様子の一部始終を見ていた両替カウンターのおばちゃんは、周囲をチラッと見回した後、前かがみになり、
 「5ドル出せば、100ドルでいいわよ」
 と小さな声で囁いた。
 「えっ、何ですか?」
 おばちゃんの言っていることがとっさに理解できずに訊き返す。
 おばちゃんはもう一度周囲に目をやりながら、
 「だから、5ドルくれれば100ドルの両替でOKよ」
 と、「私が言っていることが分かるでしょう」 というような顔をしながら、さらに声をひそめて囁いた。
 つまりワイロを出せば100ドルに負けると言うことなのだ。
 「いえ、200ドルを両替します」
 言っていることとやっていることが矛盾しているように思えるが、無駄なワイロを払うくらいなら200ドルを両替しようと思った。
 「FECは使い切れなくても、再両替はできないのよ」
 小遣い稼ぎをしたいおばちゃんはなおも食い下がるが、200ドルを差し出すと、諦めてそれを両替してくれた。
 玩具のような紙幣のFECと両替証明書が手渡された。
 この証明書が両替検問の通行手形なのだ。
 そして出国するまで、大切に保管していなくてはならないとのことだ。 
 
 「この証明書が目に入らぬか!」
 とばかりにちらつかせながら、先ほど捕まってしまった検問を堂々と通過する。
 
 次に待ち構えていたのは税関の厳しいチェックだ。
 申告するものがあろうが無かろうが、全員が徹底的に荷物を調べられている。
 もちろん自分も同様だ。
 ここでの検査は、もっぱら外国製品の持込みを調べている。
 この国は外国製品が統制されているため、外国人がこれらの品々を闇市場に流通させることを厳しく取り締まっているのである。
 ここで申告させられた外国製品は申告書に細かく記載され、出国の際にその品物を所持しているかが照合される。
 不足物があれば多額の罰金が課せられるそうだ。
 また、所持金についても申告が必要だった。
 申告金額は証明書に記載がされ、パスポートにホッチキス留めされた。
 
 これらの厳しい検査もなんとか終え、無事に入国を果たす。
 イミグレーションからここまではほんの数十歩の距離なのだが、検問だらけでイヤになった。
 「やれやれ、やっと入国か・・・」



金が無い…


 空港のロビーも閑散としていて寂しい限りだった。
 唯一活気があるのは、エアポートタクシーのカウンターだけである。

 空港から町までは車で30分ほどの距離なのだが、乗合バスは乗り換えが多く複雑で、その利用は現実的ではない。
 よってタクシーを使うのが一般的なのだそうだ。
 2ヶ所あるカウンターでは半身を乗り出しての客引き合戦だった。
 どちらに行こうか一瞬迷ったが、若くてかわいい女の子のいる方に足を向けた。
 「ホテルは決まっているの?」
 とカウンター嬢は言いながら、ホテルリストを広げた。
 「サンフラワーへ行こうと思っているんだけど・・・」
 世界の112エリアが発刊されている 「地球の歩き方」 の中で、3〜4番目くらいに薄い本であるミャンマー編でホテルは調査済みだ。
 「サンフラワーは良いホテルよ」
 かわいい女の子の隣にいたおばちゃんが、しゃしゃり出てきた。
 「でも2ヶ所あるのよ。どっちのサンフラワーなの?」
 と地図を指差す。
 おばちゃんによれば、駅の近くに 『サンフラワーイン』 が、そして町の中心に 『サンフラワーホテル』 があるそうだ。経営者は兄弟同士らしい。
 「どちらがお勧め?」
 かわいい女の子に尋ねた。
 「そうね、値段はインのほうが少しだけ安いけど設備が悪いわ。ホテルのほうがお勧めよ。ぜひ行ってみなさいよ」
 と、答えたのは隣のおばちゃんだった。
 「OK。では、そこへ行ってみるよ」
 5ドル (約600円) のタクシー代を支払うと、どこからかおじさんが現れて手招きをした。
 「えっ、えっ、このおじさんについて行けばいいの?」
 状況が分からず、日本語でかわいい女の子に尋ねると、「そうよ」 と隣のおばちゃんが大きく頷いた。
 
 空港ビルの外に出ておじさんが合図を送ると、おんぼろ車のタクシーが目の前に停まった。
 後で分かったことだが、この車は結構立派なほうなのだ。
 また、タクシーと言っても自家用車の屋根に TAXI のサインが付いているだけで、ミャンマーのタクシーは日本のような認可制ではなく、車を持っている人なら露店で売っている TAXI サインを買えば、すぐに営業ができるのである。
 運賃も交渉によって決めるので、高価なメーターを取り付ける必要が無い。
 よって、町中にタクシーが溢れていた。
 
 タクシーの運転手はなかなかうまい英語で、ヤンゴン市内のことを色々と説明してくれた。
 観光名所はどこにあるか、食べ物は何がうまいか、物価はどれくらいか、土産物は何が良いか…などなど。
 これら、ひととおりの説明を終えた後、
 「何か質問はあるか? 何でも教えてやるぞ」
 と言った。
 こちらとしては、観光名所や土産物なんかの説明よりも知りたいことがあった。
 それは、ドルからチャットへの両替のことだ。
 
 FECやドルでは宿泊費は支払えても、モノを買ったり食べたりすることができないので、チャットを手に入れる必要がある。
 空港ではFECへの両替は前述のとおりイヤでもできるが、チャットへの両替はできない。
 「町まで行って銀行を自分で探せ!」 と言わんばかりの構造になっているのだ。
 もちろんこの時間だから銀行は開いていないのだが、仮に銀行が開いていたとしても、そこで両替する気はさらさら無かった。
 この国ではレート≠ノ大きな問題が存在しているのだ。
 FECに輪を掛けてさらに経済構造を厄介にしているのが、ドルからチャットへの交換レートである。
 ミャンマー政府が決めている 『公定レート』 は、1ドルが6チャットだ。
 銀行や公認両替所ではこのレートで両替をおこなっているのだが、これがまた曲者で、このレートで両替をしてしまうと、缶ビール1本が6,500円、日本への国際電話は1分間で33,000円などと言う、とんでもない物価になってしまうのだ。
 ミャンマー政府の方針が、「外国人からはどんな手段を使ってでも金を搾り取る!」 ようなので、このように実態とかけ離れた通貨レートが存在してしまうのだ。
 これではいくら金持ちの日本人でも、数日で旅行資金が底をついてしまう。
 
 しかし、捨てる神あれば拾う神ありで、我々のとても強い味方 『ブラックマーケット (闇市場 ) 』 ―― 通称 『闇チェン (闇両替) 』 が広まっているのだ。
 闇チェンのレートは相手によって千差万別だが、ヤンゴン市内では 『1ドル = 360チャット』 前後が相場のようだ。
 つまり、公定レートの実に60倍で、先述の缶ビールが1本110円、国際電話は1分間460円、と適正価格になる。
 もちろん闇両替の店には看板は掲げられていないし、見つかれば店も客も逮捕される。
 しかし、60倍ものレートは危険を侵してでも価値あるものだし、ほとんどの外国人がこの闇両替を利用しているとのことらしい。
 「チャットはどこで手に入るの?」
 「正規の両替? それともブラックマーケットか?」
 「もちろん、闇両替」
 「そうだよな。政府公認の銀行で両替するヤツなんかいないからな」
 どうやら、闇両替は極めて一般的な方法のようだ。
 「アウンサン・マーケットに何軒かの店がある。だけど、朝は行ってはダメだ。なぜなら、警察官が両替に来ているから。彼らはどこからか違法に手に入れたドルを、ここでチャットに替えるんだ。出勤前にね」
 変な話しである。
 泥棒に泥棒呼ばわりされるようなものだ。
 違法な両替をしているヤツに、違法な両替で逮捕されるとはとんでもない話しだ。
 「今の時間に替えられる所は?」
 「スーレーパゴダの近くを歩いていれば、必ず声が掛かるから心配無い」
 スーレーパゴダとは町のほぼ中心にある寺で、これから向かうホテルから歩いて行ける距離だ。
 
 車と人の数が徐々に増えてきて、やがてタクシーはヤンゴンの中心部に入ってきた。
 道路は人を満載にした車の波で、なかなか前に進まない。
 その合間を縫って人々が車道を歩いて行く。
 車は歩行者が横断していても速度を落とすことはなく、クラクションをけたたましく鳴らしながら突進する。
 信号はあってもみんな無視だ。
 アジアらしいと言えばアジアらしいのだが、かなり怖い。
 「前!前! 人!人! 自転車!自転車!」
 後部座席でついつい騒いでしまったが、
 「ノープロブレム」
 と運転手のおじさんは、いたって冷静だ。
 
 「この町には中国人街とインド人街がある。これから行くサンフラワーホテルは、インド人街のド真ん中だ。あまりお勧めできないホテルだ」
 運転手はそう言った。
 「なぜ?」
 ホテルの設備か治安にでも問題があるのかと思い、尋ね返した。
 「オーナーがインディアン (インド人) だからだ」
 「インディアン、嘘つかない… 別に構わないよ」
 「それに、モスクがすぐ近くにあって早朝からうるさい。俺が知っている中国人のホテルがあるからそこへ行かないか?」
 (この運転手は客引きを兼ねているのか)
 とこの時は思っていたが、実はミャンマー人はインド人をあまり良く思っていないらしい。
 商売上手であることとヒゲ面の風貌が、怖い存在に映っているようだ。
 しかし、ホテルは行ってみなければ分からないし、気に入らなければ他のホテルに移れば良い。
 「とにかく行ってくれ。それから考えるから」
 「あなたの部屋が決まるまで何軒でもホテルを案内しますので、安心して下さい」
 運転手は親切にもそう言ってくれた。
 
 やがて、青色のモスクの斜め前にタクシーは停車した。
 どうやらホテルに到着したらしい。
 運転手が 「こっちだ」 と手で合図をしたので、その後について行く。
 
 タバコ屋の狭い隙間に2階へ上がる階段があった。
 運転手はその階段を上がって行く。
 階段は人ひとりがやっと通れる程度の幅だ。
 2階へ上がるとフロントがあった。
 どこから見てもインド人≠フオヤジが、フロントからギロリとこちらを見た。
 運転手がミャンマー語で何かを言うと、インド人のオヤジは、
 「1泊15ドル (約1,800円) 。 シャワー、エアコン、朝食付だ。 部屋を見るか?」
 と手際良く部屋の鍵を持って、さらに階上へと導いた。
 「ここで待っていますから、気に入らなければ次を案内しますよ」
 と、運転手はロビーのソファーに腰を下ろした。
 なぜタクシーの運転手がこんなにも親切なのかは、後になって分かった。
 それは、連れてきた客が宿泊をすると5ドルのマージンをホテルから貰えるのである。
 だから、チェックインの手続きをおこなうまでは、帰る訳にはいかないのだ。
 
 部屋はツインベッドにシャワー、トイレ付で、写りは悪いがテレビもあった。
 窓はあるものの、すぐその向こうは隣のビルの壁面だ。
 これは都市部では仕方ない。
 まあまあ条件は良かったので、この部屋に落ち着くことにした。
 
 フロントに戻り、運転手に礼を言ってからチェックインの手続きをおこなう。
 値切り交渉はまったく駄目だったが、ホテルのスタッフも親切で居心地が良さそうだった。
 
 部屋に荷物を置き、息つく間もなく外に出る。
 タクシーから眺めたアジアの活気溢れる光景に、やたらと血が騒いでいるのだ。
 (この活気の中に早く溶け込みたい!)
 そんな気持ちで、あても無く歩き始めた。
 
 路上には所狭しと食べ物の屋台が並んでおり、風呂場で使うような小さな椅子に腰掛けた人々が、美味そうに食事を楽しんでいる。
 湯のたっぷり入った鍋では麺類が茹でられており、串揚げ、カルメ焼きのような食べ物、果物、コーヒーなど、どれを覗いても食欲をそそられる屋台ばかりだ。
 しかし、ここで使える金は持っていない。
 庶民にはドルやFECは通用しないのだ。
 店のおばちゃんやお兄ちゃんと目が合うと、必ず手招きをされる。
 「食いたいんだけど、金が無いの・・・」
 闇両替の人よ、早く声を掛けてきてくれ! ―― そんなことを思いつつ、 フラフラとスーレーパゴダの近くまで来てしまった。
 時刻は夜の9時前で、多くの屋台が店じまいを始めた。
 結局この夜は両替をすることができず、1時間程度の散策をするだけでホテルに帰ることとなった。
 そして小腹を空かせながら、旅の初日の夜はふけていった。

(第二章 終)



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