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イラワジの虹を越えて  (第一章・国籍不明の女)

ビルマの竪琴


 「ビルマの竪琴だね」
 今年の夏休みはミャンマーを放浪すると言うと、ほとんどの人がこの一言を発した。
 そして次に、
 「ところで、ミャンマーってどの辺にあるの?」
 と続く。
 さらに少し詳しい人になると、
 「スーチー女史の軟禁問題はどうなっているの?」
 と会話が進むのであるが、所詮そこまでで終わってしまう。
 我々の持っているこの国の知識はこんなものだ。
 2週間も放浪しようとする自分ですら、どんな国なのか良く知らなかった。

 『知られていないからこそ、行って見て感じたい』 ―― 今回の旅の動機はそこにあった。
 
 ミャンマー (旧ビルマ) はタイとパキスタンに挟まれた場所に位置し、インドとも国境を接している。
 長きに渡りイギリスの植民地になっていた国で、1948年に独立を果たしたもののそこからは内乱の幕開けで、現在に至ってもまだ内戦は完全に終結していない。
 今のところは、国軍が政治を掌握する社会主義体制にあり、表向きは安定しているかのように見えるが、都市部ではアウンサン・スーチー女史の率いる国民民主党による民主化運動が激化し、地方では政府による少数民族弾圧がおこなわれているらしく、武装衝突が頻繁に起きているようだ。
 そのため、これらの内戦地域への外国人の立ち入りは許可が出ず、我々が自由に訪問できるのは、国土の1/8ほどの狭いエリアに限定されている。
 そして、タイ・ラオス・中国・インド・パキスタンのいずれの国境地帯もこの内戦地域となっているため、陸路での越境ができず、すべて空路による首都ヤンゴンからの出入国に限られているのである。
 
 日本からヤンゴンへの直行便はなく (1999年までは全日空が大阪・ヤンゴン間を週数便運行していた)、ほとんどの場合がタイのバンコク経由で入ることになる。
 そのため自分も 『成田 ― バンコク ― ヤンゴン』 のルートで、自分にとっては贅沢なタイ国際航空を予約した。
 毎度おなじみ、格安のアメリカ系航空会社ではバンコクまでしか行けないので、結局はチケット代がほとんど変わらなくなってしまうのと、乗り換えが面倒で日数が1日余計にかかってしまうのだ。



品川・御殿山へ


 さて、ミャンマーに渡るためにはビザ (査証) が必要である。
 ラオスのように現地では簡単に取得できないとのことなので、事前に日本で用意することになった。
 
 8月のとある猛暑の日、品川は御殿山の裏手にあるミャンマー大使館を訪ねた。
 そこは緑多きお屋敷街の一角にあった。
 静まり返った館内の1階に幾つかの小さな窓口があり、そこで申請書を貰って記入をする。
 しかし、このビザ申請書には記入すべき項目がやたらと多かった。
 氏名やパスポート番号は当たり前のことだが、勤務先の住所や電話番号、親の氏名、身長、髪や目の色など、英語でびっしりと質問事項が記されてあるA4用紙が2枚と、入国報告書 (アライバルリポート) なる用紙を1枚、さらに誓約書を記入しなくてはならないのである。
 誓約書の内容は、
 (1)民主化運動組織とは接触いたしません。
 (2)ミャンマーの法律と秩序を厳守し、それを犯した場合はミャンマーの法律によって裁いても結構です。
 (3)300ドルの強制両替(後述)をおこないます。
 という3項目であり、これに署名をするのである。
 
 ひととおり記入をし、書類がやっと出し入れできる小さな窓から申請書を提出する。
 窓口はスモークガラスに覆われており、中の様子がまったくわからないが、そのガラスに顔を思い切り近付けると辛うじて中を見ることができた。
 申請書を点検しているのは、国籍不明の若い女性だった。
 その女性はひとつひとつ慎重に記載事項のチェックを進め、あるところでその手が止まった。
 そしてすぐに、申請書が小さな窓口から突き返された。
 (えっ?)
 と思っていると、次に小さな窓口からボールペンの先だけが現れ、ある質問項目をトントンと叩き出した。
 そう、記入漏れがあったのだ。
 しかし、それはうっかり忘れたのではなく、自分の英語能力では質問内容が理解できなかったのである。
 Color of Face ―― 直訳すれば 「顔色」 だ。
 (青くなったり赤くなったりするんだけどな…)
 「Color of Face って何ですか?」
 恐る恐る英語で尋ねてみた。
 すると、国籍不明の女性係官は軽蔑したような上目遣いで、
 「イ・エ・ロ・ー と書きなさい!」
 と、日本語で言い放った。
 顔色≠ナはなく肌の色(人種)≠フことだったのだ。
 それにしても頭に来る対応だ。
 普通だったら喧嘩になるところだが、ここはビザを貰うためにグッとこらえて我慢をし、
 「あっ、失礼しました」
 と愛想笑いを浮かべつつ、慌てて再記入をする。
 さらに無言でチェックが進む。
 またボールペンの先が小さな窓から現れ、用紙の端がトントンと叩かれた。
 「ここに署名」
 「どこにですか?」
 ボールペンの示す先に記入欄は無い。
 「ら・ん・が・い (欄外) 」
 国籍不明の女性係官は、半ば怒っているような口調で淡々と言った。
 (テメェー、喧嘩売ってんのか? 欄外に記入するようなことなら、記入例くらい作っておけ!)
 と思いつつ、こちらもムッとした態度で突き返す。
 
 こんなやり取りを4回ほど繰り返して申請は終了。
 最後に小さな紙切れが渡され、
 「その用紙を良く読んで、3日後の3時から4時の間に受け取りに来なさい」
 と、相変わらずの口調で言った。
 その紙切れはパスポートの預り証と手数料の支払い方法が記されたものだった。
 
 大使館を後にすると、どっと疲れが出た。
 (軍事政権だからな・・・)
 妙な納得の仕方をしながら、蝉時雨の御殿山を下って行った。



ビザは無事に発給


 3日後、指定された時刻に憂鬱な気分で出向く。

 小さな窓口の前では、先客である欧米人のおじさんが何事か言い合っていた。
 スモークガラスの中を覗くと、今日は日本人のお姉さんだ。
 どうやらこの欧米人のおじさんは、何らかの理由でビザ発給を拒否されたようだ。
 しばらくの間、このお姉さんとおじさんとのやり取りは続いたが、そのうちに奥の方から事務責任者らしきおばさんが登場した。
 どこにでもいる普通のおばさん (日本人) なのだが、この大使館ではお偉いさん≠フようだ。
 そして、おじさんを別室へ連れて行ってしまった。
 「お待たせしました」
 スモークガラスの中から声が掛けられた。
 申請時の対応とは随分と違う。
 パスポートの預り証と手数料の払込み証を小さな窓口から提出する。
 「問題なくビザは発給されました」
 と、すぐにパスポートが返された。
 開いて見ると、査証欄には大きなビザスタンプが押されてあった。

(第一章 終)



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