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タイ ぐうたらひとり旅  (第四章・ボッタクリの片棒)

バンコクの高校生


 「今日は遺跡公園に行こうと思う」
 早番で朝から勤務していた南沙織にそう告げると、
 「トゥクトゥクは高いから、乗合ソンテウで行くといいわよ」
 と乗り場を教えてくれた。
 乗合ソンテウとは、トラックの荷台を改造して座席にしたバスである。
 ただそのトラックはかなりの骨董品である。
 
 ホテルから10分ほど歩いた所に、それらしき広場があった。
 おんぼろのトラックがたくさん駐車していたのですぐに分かった。
 「ムアンカウ (古い町という意味 )に行きますか?」
 運転手らしきおじさんに、南沙織に教わったとおり尋ねる。
 「ああ。 終点まで10バーツ (約30円) だよ。」

 乗り込んだトラックには誰も居なく、しばらく待っていると一人の高校生が乗ってきた。
 「こんにちは」
 真面目そうな彼が英語で話し掛けてきた。
 「学校へ行くの?」
 「いいえ。遺跡公園の見学です」
 彼はバンコクの高校生で、父親の実家がこのスコータイにあり、そこに遊びに来たと言う。
 しばらく彼と話していると彼は突然ソンテウを降り、手に何かを持って再び乗ってきた。
 そして、
 「どうぞ」
 差し出された物はストローの付いたビニール袋に入った、透明の液体である。
 ちょうど、縁日の金魚すくいでもらう、金魚を入れるビニール袋にストローが刺さっている状態を想像していただければ良い。
 中味は普通の炭酸飲料で、この飲み方 (販売の仕方) がタイ式なのだそうだ。
 さらにお兄ちゃんはバンコクの古い絵葉書を差し出し、それをプレゼントしてくれた。
 
 お兄ちゃんにご馳走してもらったジュースを飲みながら、ソンテウは満員の乗客 (大半が学生) を乗せて出発した。
 遺跡公園までは延々と一本道を進んで行くのだが、ソンテウの速度は10キロくらいで、なお且つ途中で何回も乗り降りがあるので、公園まではたいした距離でもないのに30分もかかってしまった。
 
 入口ゲートで入場料 (40バーツ = 約120円) を支払い (支払わなくても分からない…) 中へと入る。
 公園内はとてもきれいに整備されており、芝生の中に遺跡が点在すると言った感じである。
 ここは今から800年前、タイの起源となる王国が開かれた地で、その遺跡のすべてが世界文化遺産に指定されている。
 建物はほとんど崩壊しており、柱や土台を残すだけのものが多いが、その数々を眺めていれば当時の栄華を推測することは容易なことであった。
 遺跡を守るかのように鎮座している仏像たちはそのどれもが穏やかな顔をしており、800年後の今の世に何かを伝えようとしていた。
 観光客のほとんどいない、迷路のような遺跡の中を独りで歩いているうち、何かとてつもなく大きなモノに見つめられている錯覚に陥ってしまう。
 それは長い歴史のほんの一点に過ぎない現代人をあざ笑っているのか、それとも、このスコータイ王朝が我々に何かのメッセージを伝えようとしているのか、遺跡は何も語らないので定かではない。
 ただ感じることは、この石の中をさまようことに不思議な安らぎを覚えることである。

 いくつかの石の迷路を抜けると芝生の広場があった。
 そこには涼し気な木陰がたくさんあったので、腰をおろして休憩した。
 遠く離れた所に同じように休憩している女の子が4人いた。
 しばらくすると、その子たちがこちらに近付いてきて、
 「あのぉ〜、一緒に写真に入ってくれませんか?」
 と言ってきた。
 「えっ、こんなおじさんと?」
 自分を指差し日本語で答える。
 当然、日本語は理解していないが 「Yes」 と言うので、彼女たちのカメラで数枚の写真を一緒に撮った。
 そのあとは木陰に座りながら話しをした。
 4人のうち1人だけ英語が喋れ、彼女が残りの3人にタイ語で通訳をしながらの会話となった。
 彼女たちはバンコクの高校生で、先ほどのお兄ちゃん同様、遺跡見学に来たそうだ。
 そして今日の午後にはバンコクへ帰ってしまうらしい。
 そんな彼女たちから、タイ語のレッスンを受けた。
 タイ語の文法は比較的簡単なのだが、5種類ある声調によってその意味が全く異なってしまうのだ。
 彼女らと同じように発音しているつもりでも 「違う、違う」 とケラケラと笑われた。
 しかし、数字だけはなんとかマスターすることができ、合格点をいただく。



う・ど・ん


 遺跡公園のちょうど真ん中に、お土産屋や食堂の集まっている建物があった。
 適当な店に入って昼食にした。
 おじさんからメニューをもらったが、タイ語で書かれてあるためにチンプンカンプン。
 さっきの高校生たちと一緒に行動すれば良かったことを後悔しつつ、値段から判断して食べ物らしき一行を指差した。
 「飲み物はどうする?」
 と、おじさんの一言に、
 (当たり!)
 うまく食べ物を差せたようだ。

 テーブルに出てきたものは麺類であった。
 短いきしめんのようなもので、食べた感じも日本のうどんとあまり変わらなかった。
 「日本ではこれをうどん≠ニ言います」
 と、理解するまで何回も店のおじさんに日本語で教えてあげた。
 「ウ・ド・ン、ウ・ド・ン」
 と言って、おじさんは喜んでいた。
 きっと、次に日本人を見た時、得意気に 「うどん」 を連呼することだろう。

 食後に周囲のお土産屋を見てまわった。
 ここの土産物屋はどこも商売気がなく、散々見て廻っていても決して声をかけてくることはなかった。
 一軒の店先に木彫りの象が並べてあった。
 バンコクで 「80バーツ」 と言われた物と全く同じものである。
 飾りっ気の無い素朴な置物で、荷物にならない大きさだったので土産にちょうど良かった。
 「すいません。これいくらですか?」
 店のおばちゃんに尋ねた。
 「30バーツ」
 バンコクの半値以下である。
 しかし、いつものクセで、
 「ちょっと安くしてよ」
 とふってみた。
 おばちゃんは大きな電卓を持ってきて、いくらならいいのかキーを叩けと言う。
 20とキーを叩くと、少し間を置いてからOKしてくれた。
 なんとバンコクの1/4の値段、20バーツ (約60円) で買えてしまった。
 包み紙などは無くタイ語の新聞紙に丸めて包み、それをビニール袋に入れてくれた。

 店の前には大きな池があり、その周囲には芝生が広がっていた。
 午後になり気温も上がってきたので木陰で休憩をすることにした。
 この公園は地元の人々の憩いの場になっているようで、家族でお弁当を広げたり、カップルがデートをしたりと、思い思いにくつろいでいた。
 池を越えて流れる風はとても涼しく、あっと言う間に眠りについてしまった。

 あまりの暑さで目が覚めた。
 時間の経過とともに木の陰が移動してしまっていた。
 すっかり寝入ってしまった。



乗合ソンテウのおばちゃん


 町に戻るために正面ゲートまでやってきたが、ソンテウの乗り場が分からなかった。
 ウロウロしていると、遠くの方から自分を呼ぶ声がした。
 声の方を見ると、ソンテウの運転席からおばちゃんがこちらに向って手を振っていた。
 「町まで行く?」
 おばちゃんはニッコリと笑い大きく頷いた。
 ソンテウには他に乗客が無く、周囲にも人影はまったく無かった。
 ソンテウは適度に乗客が集まると出発するものなので、この分だと当分出発しない様子だった。
 
 しばらく待っても他に乗客が来ないので、おばちゃんは諦めてエンジンをかけた。
 「おばちゃん、ごめんね。オレひとりじゃ赤字だね」
 運転席に乗り出して、日本語で話し掛けた。
 「☆▲∞£#☆○§◇∋◆∠…」
 日本語が通じたとは思えないが、おばちゃんは笑いながら返事をしてくれた。
 お互いが一方通行の会話をその後も交わしながら、ソンテウはのどかな一本道を町へ向って走っていった。
 おばちゃんと唯一の会話として成立したのは、
 「どこに泊まっているの?」
 「リバービューホテル」
 だけであった。
 
 5分ほど行くと、道端に多くの欧米人観光客がたむろしてた。
 「おばちゃん、オレが呼びこんであげるね」
 そう言って、徐行したソンテウの上から欧米人たちに英語で叫んだ。
 「スコータイ市まで行くよ! 乗りませんか〜?」
 すると欧米人たちが乗り込んできて、ソンテウは満員になってしまった。
 そしてこちらに向って、
 「料金はいくら?」
 と尋ねてきた。
 「おばちゃん、よかったね。で、料金はいくら?」
 呼び込んだ責任において、タイ語でおばちゃんに通訳をする。
 「10バーツよ」
 おばちゃんの言ったとおり欧米人たちに伝える。
 このソンテウは終点から終点まで乗って10バーツ。
 それ以外の区間はすべて5バーツなのだ。
 それは今朝来る時に見ていて分かった。
 「おばちゃん、それってボッてるよ ハハハハ…」
 「☆▲∞£#☆○§◇∋◆∠…」
 おばちゃんも嬉しそうに笑いながら何か言っていた。
 
 町の終点に着き、欧米人たちは何の疑いも無く10バーツづつを支払って降りて行った。
 最後に自分も降りようとしたが、おばちゃんが手振り身振りで 「あんたは、まだよ」 とやった。
 おばちゃんの厚意によりホテルまで乗せてくれたのだ。
 まぁ、ボッタクリの片棒を担いだのだから、これくらいしてもらってもイイか…
 欧米人の皆さんには少々悪いことをした。

 ホテルの部屋には戻らず、そのまま昨日の食堂へ向う。
 昨日と同じテーブルに座り、同じように夕暮れの町を眺めながらのビールである。
 今日も目の前のバス停から、満員の地元客を乗せたバスがピサヌロークへ向けて出発した。
 その光景をぼんやりと眺めているうち、無性に自分もそこに行ってみたくなり、頭の中でプランを練った。
 (…ピサヌロークには駅がある。 …そこから鉄道に乗ってバンコクへ戻ろう。 …その途中でアユタヤ遺跡に寄ろう…)
 今後の旅のプランを一気に思い描いた。
 そして、
 「私は明日、ピサヌロークへ行きます」
 相変わらず鼻歌を唄っている店の娘さんにそう告げると、
 「バスは2時間おきくらいに出発よ。乗ってから1時間ほどでピサヌロークに着くわ。途中には町が無いから着けばすぐに分かるはず」
 と教えてくれ、メモ用紙に何かを書いてくれた。
 「その表示のあるバスがピサヌローク行きよ」
 メモにはタイ語でピサヌロークと書いてあった。

(第四章 終)



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