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タイ ぐうたらひとり旅  (第二章・シルク工場には行きません!)

人と車の洪水の中で…


 バンコクの朝は喧騒に満ちていた。
 空が明るくなってきた頃から、30階のこの部屋にも車の騒音が聞こえ出していた。

 バイキング形式の朝食を済ませ、9時過ぎにチェックアウトをする。
 夕べは廃墟だと思っていた所は、すでに屋台と人で溢れかえっていた。
 狭い路地の両脇には屋台が二重に並び、その間を人々がぶつかり合いながら往来していく。
 そこにバイクやリアカーが邪魔だと言わんばかりに走行し、まさにアジアの一風景を作っているのである。
 屋台では電化製品、食べ物、Tシャツ、雑貨… ありとあらゆる物が売られ、サラリーマンやOLたちが普通に買い物や食事をしていた。
 そんなタイの日常風景をキョロキョロと眺めながら、路地から大通りに出る。
 大通りも路地裏同様に屋台が占拠しており、歩道を行くのも侭ならない状況だった。
 その向こうの車道に目をやると、多くの車やバスで長い駐車場と化していた。
 やがて交差点に行き当たった。
 この道は片側三車線の大きな道路で、立体交差もあるバンコク市内の主要幹線である。
 けれども、交差点に横断歩道が無い!
 信号はあるものの、日本では何気なく渡っているシマウマ模様の横断歩道が無いのである。
 かと言って、近くには歩道橋がある訳でもなく、一体どうやって向こう側へ渡るのであろうか?
 しばらく周囲の人々を観察して、その答えを見つけた。
 車のスキを見て渡るのである。
 コツは一気に渡ろうとしてはいけない。
 一車線ずつ、ゆっくりと渡って行くのである。
 交差点には数人のタイ人がスキを狙っていた。
 自分も仲間に混ぜてもらい、みんなに合わせて渡り出す。
 一車線進んだところで止まりさらにスキを伺う。
 車が歩行者を譲るなどと言ったことが無い国なので、車線のド真ん中にこれだけの歩行者がいても、車やバスは決して速度を落とさない。
 目の前と背中をスレスレに車が通過していくのだ。
 まさに命がけの横断である。
 
 そごうデパートのある交差点の角に人だかりができていた。
 柵で囲まれたその一角には小さなお堂があり、中央に仏像が祭られていた。
 ここはプラ・プームという祠で、信心深い老若男女で一日中賑わっている場所だ。
 特に熱心に祈りを捧げる若者の姿が多い。
 仏像に線香や花をあげ両膝と額を地面に押し当てて祈る姿は、彼らの仏陀に対する深い思いがこちらにもひしひしと伝わってくる。
 敷地の奥には小さなステージがあり、奉納のダンスが踊られていた。
 お布施の金額によって踊り手の数が変わるらしいのだが、こちらとしてはタダで民族舞踊が見学できることは、大変に喜ばしいことであった。
 煌びやかな民族衣装の女性数人がゆったりとしたリズムで舞う。
 これを観光客相手のレストランなんかで観ようものなら、相当に高い金を取られてしまうだろう。
 「ラッキー!」

 ノースウエスト航空バンコク支社で帰国便のリコンファームを済ませ、書店にてバンコク市内のバスルート地図を購入する。



ドロ水運河をクルージング


 近くには小さな運河があり、その船着場には乗合ボートが頻繁に発着していた。
 一隻の船に近付いて行くと、派手なヘルメットにスパッツをはいた、どう見ても自転車ロードレーサーのスタイルをしたお兄ちゃんが船を必死に押さえていた。
 彼が船の係員のようだ。
 「この船はドコへ行くの?」
 拙いタイ語で尋ねる。
 「バンファー橋までだよ」
 と、愛想のない答えが返って来た。
 「それってどこ?」
 今買ったばかりの地図を広げると、お兄ちゃんはそこを指差した。
 バンファー橋はバンコクの西側に位置し、観光名所が集中している場所であった。
 
 早速乗り込んだ船は6人ほどが座れる木のベンチを15列ほど並べた細長いもので、座ってみると水面ギリギリの高さであった。
 景色を楽しみながらの優雅なクルージングをと、端の席に陣取ってカメラを構えた。
 次第に乗客も増え、ほぼ満席の状態で出発した。
 が、次の瞬間、これは優雅なクルージングどころではないことを、身を持って知ることとなった。
 この運河 (センセーブ運河と言うらしい )は幅が20メートルほどで、両岸をコンクリートの壁で覆われている。
 ドロ水の水面は常に波立っており、その狭い運河を船は猛スピードで走るので乗客は思いっきり水しぶきをかぶるのである。
 さらにこの狭さとスピードで、対向の船とすれ違う時は大型台風の直撃と言った感じである。
 客席の所々にあるヒモを引っ張ると、船のへりに付けられたビニールシートが持ち上がり、気休め程度ではあるがドロ水を避けることができた。
 これでは景色を楽しむどころではない。
 ビニールシートのわずかな隙間から外を覗くと、運河の両岸には民家がビッシリと建ち並んでいた。
 当然のことながら、我々の船が立てる水飛沫をザブリとかぶっていた。

 この過酷な状況の中、自転車スタイルのお兄ちゃんが、わずか数十センチの船べりを伝いながら切符を売りに来た。
 片手で器用に金と切符を受け渡ししながら移動する様は、まさに曲芸の世界である。
 「お兄ちゃん、すごいね」
 と言ってあげたが、日本語では通じなかった。
 でも、すごいのはお兄ちゃんだけではなかった。
 船は頻繁に途中の船着場に寄り、そこで客を乗り降りさせるのであるが、船着場で完全に停止することはない。
 船着場に寄る≠セけなのである。
 そのため、自分の下船する所が近付いて来たら、自転車お兄ちゃんのように船べりに立ち、船着場に飛び移るのである。
 老いも若きも、ハイヒールの女性でさえも同様である。
 乗るほうはもっと怖い。
 なにせ着地点が数十センチの船べりだからだ。
 船が1メートルほども離れているのに、一人のおやじが駆け込み乗船をしてきた。
 彼はなんとか飛び乗れたが、勢い余って客席に転げ落ち失笑をかっていた。
 運河に落ちることを密かに期待していたのだが… 残念。

 ビニールシートを押さえる手が疲れ始めた頃、船は終点に到着した。



トゥクトゥク兄ちゃんとの攻防


 船着場の階段を上がった橋のたもとには、小型オート三輪を派手に改造したトゥクトゥクと言う、タイのキッチュな乗り物が屯していた。
 「どこ行くの?」
 早速、一人のドライバーが流暢な英語で話しかけてきた。
 「まだ、決めていないけど…」
 どこが観光名所なのか聞き出そうと思い、敢えてそう答えてみた。
 するとトゥクトゥクお兄ちゃんはとても嬉しそうに、この近所の名所を解説してくれた。
 彼の話しを聞き、王宮へ行こうと決めた。
 「お兄ちゃん、サンキュー。王宮へ行ってみる。徒歩で…」
 「…王宮は今、外国人は入れない」
 彼曰く、今日は何かの式典があり午後2時までは外国人は立入禁止だとのこと。
 しかし、これは彼らの常套句で、このように言っておいてそれまでの時間を他の観光に連れ出そうとしたものだ。
 だが、この時はそのような知識を自分には持ち合わせていなかった。
 「あっそう、困ったな…」
 「別の観光名所を巡ってから王宮に行きましょう」
 彼の提案はこうだ。
 この近所に有名な寺が2つあるのでそこを巡り、次にタイシルクの工場を見学するとちょうど王宮に入れる時間だ。
 しかも、このコースでたったの10バーツ (約30円) 。
 (安い! 彼はなんて親切なんだろう。でも、シルク工場は時間の無駄だな…)
 と思い、
 「シルク工場は行かなくていいから、5バーツにまけてよ」
 と持ちかけた。
 すると、
 「大丈夫。シルクが安くなるクーポンを持っているので、それをあなたに差し上げます」
 この一言で読めた。
 シルク工場に連れて行くことでバックマージンがもらえるのだ。
 だからこんなにも安く観光ができるのだ。
 その確証を得るため、
 「じゃあ、倍の20バーツを出すからシルク工場以外を廻ってよ」
 と持ち掛けてみると、それではダメだと言う。
 読みどおりだ。

 交渉が決裂したので、当初の予定通りこの近所の観光名所を徒歩で廻る。
 民主記念塔、市庁舎 (職員がストライキの集会をしていた)、大ブランコ、スタット寺… など、約2時間かけてブラブラと歩いて廻ったが、その間に3人のトゥクトゥク兄ちゃんと全く同じ会話を交わした。
 流石に4人目が近付いてきた時には、
 「シルク工場には興味はありません!」
 と先制の一言を発した。



結局、トゥクトゥクに…


 王宮は入れないと信じていたので、やって来たバスに適当に飛び乗った。
 バスの車体はボロボロで錆びだらけ。
 車内は運転手の好みでタイの歌謡曲がガンガンと流れていた。
 窓もドアも全開状態なので、吹き込む風がとても気持ち良い。
 座席につくと、女性の車掌が手に持ったブリキの筒をガシャガシャと振りながら、切符を売りに来た。
 料金は市内均一で3.5バーツ (約10円) 。
 バーツの下の単位はサターンと言うそうだが、今やこのバス以外にサターンを使うところは無いようだ。
 
 バスはグルグルと路地裏を経由し、気が付くとかなり遠くまで来てしまっていた。
 景色が住宅街へと変わった辺りでバスを降り、反対車線のバスを待つ。
 しかし、バスは一向にやって来る気配が無く30分ほど待っていたものの、目の前を空車のトゥクトゥクが通り過ぎて行くのを見ると、ついつい手を上げて停めてしまった。
 「カオサンまでいくら?」
 今日の最終目的地はバンコクの西側、王宮近くにあるカオサン地区と決めていた。
 「80バーツ (約240円) 」
 人の良さそうなおじさんが答えた。
 この辺は住宅街とあって、シルク工場見学の抱き合わせもなければ、ボッたくってくることも無かった。
 80バーツは高いように思えるが、すでに相当の距離をバスで来てしまっていたので、妥当なところであろう。
 しかし、
 「50バーツ (約150円) にまけてよ」
 ダメもとで交渉。
 するとおじさんはしょうがないなと言った顔をしながらも、「よし乗れ」 と指で合図をした。
 
 こうして、ホントは乗ってみたかったトゥクトゥクに初乗車したのである。
 バンコクの町を風を切って気持ち良く走りそうなこの乗り物だが、実のところはそれほど快適なものではなかった。
 まず、屋根に頭があたるほど座席が高いので、景色が全く見えない。
 見えるのは運転をしているおじさんの後ろ姿だけである。
 そして、前述のとおりの交通事情。
 後ろのトラックから煽られたり、隣の車から幅寄せをされたりと、ヒヤヒヤしながら乗らなくてはならないのである。



無国籍地帯・カオサン


 バンコクは東南アジアの交差点と呼ばれるほど、世界各地からの航空機の乗換え地としてその役割を果たしている。
 そのバンコクのカオサンロードはわずか500メートルほどの小さな通りであるが、ここには安宿が集中しているために、世界中のバックパッカーが集まってくるところなのである。
 よって、旅行に必要なありとあらゆる物が手に入る。
 旅行代理店、洗濯屋、格安国際電話、不要品の売買、偽造身分証明書…  最近ではインターネットカフェが急増しているらしい。
 
 まずは本日の宿探し。
 カオサンから大通りを挟んだ反対側の路地に、『90ホテル』 というモーテル形式のホテルがあった。
 早速フロント ―― と言っても駐車場の料金所のようなところへ。
 1泊340バーツ (約1,000円) でシャワー、エアコン付き。
 部屋には窓が無くて薄暗くシャワーも水しか出なかったが、他を探す元気も無かったので1泊分の宿泊費を支払ってキーを受け取る。

 時計の針はすでに午後2時をまわっていた。
 今日の寝床も確保でき、ホッとしたら腹が減ってきた。近くの屋台で遅い昼食をとる。

 腹が落ち着いたところで、改めてじっくりとカオサン見学をおこなう。
 道の両側には小さな店が密集しており、その前の歩道には屋台が軒を連ねるといった構造になっていた。
 車道にはトゥクトゥクが客待ちをしており、人の顔を見るたびに声をかけてきた。
 店の従業員を除いてはすべて外国の旅行者ばかりで、何をするでもなくブラブラと歩いていたり、カフェの大画面に写し出されるビデオを食い入る様に観たりしているのであった。
 あまりの外国人 (自分も含め) の多さに、ここがどこの国なのか分からなくなった。
 
 ネパールとカンボジアの航空料金を調べようと思い、旅行代理店へ足を運ぶ。
 代理店と言っても机が1つにイスが2つほどの、それはそれは小さな事務所だ。
 「こんにんちは。 エアー (航空券) ですか?」
 店の主人とおぼしき人物が流暢な日本語で話し掛けてきた。
 「日本語、お上手ですね」
 一応、お世辞を言う。
 「ええ、日本人ですから…」
 「あッ… ネパールのチケットはいくらですか?」
 主人は電卓をたたきこちらに見せた。
 「15,000… って、これはバーツですよね?」
 愚問であった。
 今の自分にとっては問題外の金額なので、
 「じゃあ、カンボジアは? できれば陸路で」
 と質問を変えた。
 「陸路は危険ですしかなり遠いですよ。それにいつ国境が閉鎖されるか分かりませんのでお勧めできません。飛行機なら…」
 とさらに電卓をたたき、8,000バーツ (約24,000円) だと言う。

 今回の旅は、タイだけを巡ることに決定!
 そこで、あきれ顔で留守番をしている妻にインターネットカフェからEメールを送る。

 夕食はオープンエアーのカフェでとった。
 まずは何と言ってもビール。
 ポピュラーな国産ビールのシンハービールで喉を潤す。
 傾きかけた太陽を眺めながらの一杯は、また格別なものである。
 味はややライト。
 スッキリした味わいである。 (大ビン = 90バーツ・約270円)

 ビールのお代わりをしながらささやかな夕飯。
 
 すっかり暗くなり、ホロ酔い気分でホテルに帰る。
 が、水シャワーで酔いが一気に覚めた。 

(第二章 終)



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