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ナマステに笑顔を添えて  (第七章・時の止まった町)

ネパールのキョウト


 カトマンズ空港に到着した我々は、滑走路に待っていたバスに乗り込んだ。
 しばらく待っていると荷物を積んだリヤカーが連結され、それをガタガタと引っ張りながら、バスは滑走路を進んだ。
 荷物の受取りはターミナルビルの中ではなく、空港の外にあるバス停のような場所でおこなわれた。
 リヤカーにある自分の荷物を指差すと、それを係員が取り上げ、引換証の番号をじっくりと確認した後に荷物が手渡された。
 人々の流れに沿って、長い開放廊下を進む。
 廊下の終点には大勢のタクシーの客引きたちが待ち構えており、自分はすぐに取り囲まれてしまった。
 
 「ぽからさ〜ん! こっち!こっち〜!」
 自分の名前を叫びながら、走り寄って来る見慣れた顔があった。
 ナレスラマ君だ。
 彼は客引きたちから自分を守るようにして、荷物を持って車へと案内してくれた。 
 フジ・ゲストハウスで手配をしたので飛行機の到着時刻が分かっており、それで迎えに来てくれていたのだった。
 
 フジ・ゲストハウスで少し休んだ後、ナレスラマ君の運転でバクタプルとナガルコットへ向かう。
 カトマンズから車で40分ほどの場所にあるバクタプルは、15〜18世紀に栄えた地で、当時のままの町並みがそのまま残されている町である。
 「押し付けガイド≠ノは気をつけて下さいね」
 そう忠告をしてくれたナレスラマ君を駐車場に残し、一人で町の見学に向かう。
 ここは史跡保存区になっており、外国人は入場料10USドル (約1,040円) を支払わなければ入れない。
 ネパールの物価からすると相当に高額であるが、町に一歩入ると充分過ぎるほどその価値はあった。
 レンガの家は隣との隙間がほとんど無く、密集した中世の世界を造り上げていた。
 クネクネと曲がった道には多くの地元民が行き交い、路地裏では子どもたちの歓声や井戸端会議をする主婦たちが見られた。
 中世の町がそのまま現代の生活の場でもある、何とも不思議な光景だ。
 まさにタイムスリップをした… いや、時が止まってしまった町に自分はいるようだった。
 
 中世の町を1時間ほどさまよい歩いた。
 現代へは戻らずに、この町にいつまでも残りたい気分だった。
 「ネパールのキョウトね」
 ナレスラマ君はそう言うと、ナガルコットへ向けて車を走らせた。



ナガルコットはジャロジャロ


 車は段々畑の道を行き、やがて急カーブの続く山道になった。
 目の前にバスがゆっくりと走っている。
 車内は満員の乗客で、乗り切れない人たちは屋根の上や窓枠にぶら下がっていた。
 すると、ナレスラマ君はバスに向かってけたたましくクラクションを鳴らし続けた。
 「トモダチ、トモダチ」
 彼の友だちがバスの屋根に乗っていたのだ。
 その友だちはこちらに気付くと大きく手を上げ、走っているバスの屋根から飛び降りた。
 カトマンズでの仕事を終えた友人は、このバスで家まで帰る途中とのことだ。
 ナガルコットへの途中に彼の家があるので、そこまで便乗させてあげることにした。
 彼も少しは日本語を話すことができ、3人で話しをしながら快調に車を走らせた。

 バクタプルから約1時間でナガルコットに到着した。
 ここはカトマンズ近郊で、最もヒマラヤの山が美しく望める丘なのだ。
 公共の展望台は軍によって閉鎖をされているので、その手前にある高級リゾートホテルの展望台に車を停めた。
 しかし、ポカラ同様に美しい山の姿を見ることはできず、ボンヤリと薄い輪郭が見えるだけだった。

 ちょうどカトマンズの街に太陽が沈もうとしていた。
 それはそれで美しいのだが、この展望台は風が強くて寒さが身に染みる。
 「ジャロ、ジャロ」
 と自分が言い、
 「さむいね、さむいね」
 とナレスラマ君が言った。
 
 ほんの10分ほど休憩しただけで、カトマンズに戻ることにした。

 カトマンズの市街に入る頃には陽もとっぷりと暮れ、帰宅を急ぐ車の渋滞が始まっていた。
 外はこんなに暗いのに、ほとんどの車がライトを点けていない。
 改めてネパール人の目の良さに脱帽である。
 そしてまた、運転のすごさにも改めて驚かされる。
 隙間を見つけてはそこに車体をねじり込むような運転を、ほとんどのドライバーがするのだ。
 こんな暗闇の中でも…

 ネパール最後の夕飯は日本食=B
 結局この旅では、日本食レストランに3回も通ってしまった。
 ネパール料理の印象よりも、熱燗≠フ味のほうが強く心に残る旅になった感じだ。
 自分を弁護するわけではないが、ネパールの日本食はなかなか美味かった。
 米は日本のものに近く、味噌汁やサラダの味付けも日本人の口に良く合う。
 無理して現地のものを食べなくても、食べたいものを食べて元気≠養ったほうが、旅のストレス解消にはいいのかな…



駄菓子屋


 今朝はベッドから起き上がるのに苦労した。
 ふくらはぎやモモが強烈な筋肉痛になっていたからだ。
 着替えや階段を降りるのも、まるで老人のようにゆっくりと行わなくてはならなかった。

 午前中は時間が空いているので、タメル地区を散策することにした。
 やはり道に迷いながらの散歩である。
 タメル地区の外れの方に、駄菓子のまとめ売りをする店が軒を連ねていた。
 日本で言うならば 「駄菓子屋横丁」 ってところだろう。
 「職場のお土産にちょうどいいな…」
 安くて数があってネパールらしい土産≠ェなかなか見つからず、職場へは何を買って行こうか困っていたのだ。
 メイド・イン・ネパールのビスケットの束が目に入った。
 「おじさ〜ん、これいくら?」
 店のおじさんは人差し指を1本立てて、首を傾げた。
 つまり 「1個の値段か?」 と聞いているようだ。
 「いやいや、これ全部で」
 と大きなビニール袋の全体を手で示す。
 すると、おじさんは驚いた表情をした。
 外国人がこのような駄菓子を大量に買うことは、この界隈では無いようだ。
 「スーベニア フォー マイ フレンズ (友だちへのお土産) 」
 と言うと、おじさんは納得をして大きく頷いた。
 そして電卓をたたいて金額を示してくれた。
 「ジャパン?」
 ニコニコしながらそう聞くと、
 「アリガト」
 と、日本語でお礼を言ってくれた。



厳しい審査を終えて…


 荷物を整理して、正午前にナレスラマ君の車で空港に向かう。
 空港の入口では検問渋滞が起きていた。
 
 ターミナルビルの入口でナレスラマ君と固い握手を交わして別れる。
 彼には本当に世話になった。
 その感謝の気持ちでいっぱいだ。

 厳しい荷物検査と身体検査をしてターミナルビルに入る。
 ここでは搭乗のチェックイン手続きをする前に、空港利用料を支払わなくてならない。
 銀行の窓口に長蛇の列ができており、ここで支払いをおこなう。
 ガイドブックには 1,100ルピー (約1,600円) と書かれてあるが、実際は1,695ルピー (約2,500円) もした。
 話しによれば、料金の改定があったようだ。
 自分の所持しているルピーは1,300しかなかったので、それを窓口に出して計算をしてもらい、不足額をUSドルで支払った。

 ここで受け取ったレシートを持って、航空会社のチェックイン・カウンターに並ぶ。
 こちらもかなりの長い列ができていた。

 出国審査に次いで、かなり厳しい手荷物検査と身体検査がおこなわれた。
 検査はこれだけではなく、飛行機に乗る直前のタラップの前で、全員がボディーチェックを受けなければならなかった。
 入国はスムーズだったのに、出国する時は相当に念入りなチェックをされたのだった。

 茶色の街並みがだんだんと小さくなり、雲の上に頭を出したヒマラヤの峰々が、
 「また来いよ〜!」
 と、見送ってくれた。

(完)



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