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ナマステに笑顔を添えて  (第一章・カトマンズの歩き方)

懐かしい国・ネパールへの旅立ち



 いささか言い古された表現だが 「初めてなのに懐かしい国」 、それがネパールの印象だった。
 では、そこに昔の日本の風景があったのかと言えば、それは違う。
 街を構成する建物はレンガ造りが主体のアジアとヨーロッパの混合様式だし、街行く人の顔も肌の色も違う。言語だって文化だって彼らの感性だって、もちろん日本とはまったく違う。
 であるにもかかわらず、入国から出国するまでの間、異国を旅しているという緊張感≠熈構え≠煌エじることはなかった。
 空港を出た途端から、すっかりその国に馴染むことができたのだ。
 そんな不思議な感覚を文字や言葉で表すことは、今の自分の表現能力には持ち合わせていない。
 これは訪問した者にしか実感できないと言ったら、生意気なヤツと思われるかもしれないが、それだけ不思議な感覚を与えてくれたのがネパールだった。

 ネパールには昔から漠然とした憧れを抱いており、これまでに2回ほど訪問しようとして、航空券の手配が出来ずに断念した経緯がある。
 自分のハンドルネームも、これから訪れる中央ネパールの地名からいただいたほどに、相当に期待を持っての訪問なのである。

 しかし今回の旅でも、出発のギリギリになって中止にするかもしれないおそれがあった。
 それは現在のネパール国内の情勢が悪化しているからだ。
 ネパール王家のお家騒動が落ち着いたと思ったら、今度はマオイスト (ネパール共産党毛沢東主義派) による反政府ゲリラ活動が盛んになり、昨年の秋から暮れにかけて各地で大規模なゼネストや銃撃戦、公共機関の爆破や占拠事件が相次いだ。
 日本のニュースではそのほとんどが報じられることは無かったが、インターネットでネパール情勢をチェックすると、毎日のようにこのような事件が起きていることが分かった。
 でも、クリスマスを過ぎた頃から事態は沈静化したようで、危険であることに変わりなかったが、旅に支障をきたすほどのことはなくなってきた。
 そこで正月気分のまだ抜けない時期だったが、憧れのネパールへと旅立つことになったのだ。

 ネパールまではタイ国際航空の経由便を利用したので、初日はタイ・バンコクまで飛び、ここで1泊する。
 インド洋大津波の関係でバンコクもやや混乱した状況かと思いきや、いつもと変わらないパワー溢れる、そしてどことなく気が抜ける光景が展開されていた。
 街の中心部には地下鉄も開通し、タイの留まるところを知らない勢いを目の当たりに見た。
 (この地下鉄が数日後に大事故を起こして多くの負傷者が発生するとは、このときは夢にも思わなかったが…)
 新交通システムや地下鉄が開通しても、一向に解消されないバンコク名物の交通渋滞に巻き込まれながら、国立競技場周辺の中級ホテルに転がり込む。
 最近のこのエリアは欧米人バックパッカーを中心に人気があり、今回も4軒目のホテルでやっと空室を見つけたほどだ。
 部屋は大通りに面しており車の騒音が激しく、また窓のカーテンを開けるとすぐ目の前にはBTS (新交通システム) の駅の階段が、手を伸ばせば届きそうなくらいに近い。
 「ん〜、バンコクの喧騒に包まれたな〜」
 と前向きに考えて、ここを初日の寝場所とした。



気の抜けた入国



 翌朝にバンコクを飛び立った飛行機は、雲の上を順調に飛び続けた。
 やがて、雲海の向こうにヒマラヤ山脈の峰々が姿をあらわした。
 いよいよネパールに到着だ。

 カトマンズ・ドリブバン国際空港に向けて機体は降下を始め、窓の外にはカトマンズ市街が一望に見えた。
 「茶色い…」
 ネパールの最初の印象がこれだ。
 首都・カトマンズには高い建物がなく、家々は茶色のレンガで造られている。
 そのため、街全体が茶褐色に染まっている感じだ。

 到着した空港はだだっ広く、国内便のちっちゃな飛行機が頻繁に離発着している。
 タラップを降り、これまた茶色のターミナルビルに徒歩で行く。
 ここから硝子張りの長い廊下を行くのだが、外は有刺鉄線のフェンスが幾重にも設置されており、なんとなく刑務所にいる感じだ。
 乗客が黙々と列をなして歩いて行くので、余計にそう感じる。
 廊下の突き当たりは広いスペースになっており、ここがどうやら入国審査場のようだ。
 ネパールではビザ (査証) が必要なのだが、この空港でも簡単に取れると聞いていたので、日本では手配せずにここまでやってきた。
 「Without VISA」 (ビザなし )と書かれた看板の列に並ぶ。
 並んでいる間にホッチキスを持ったおじさんが巡回してきて、顔写真をビザ申請書に留めてくれた。
 それほど混んではいなかったので、すぐに順番がやってきた。
 まずは手前のカウンターでビザ代30USドル (約3,120円) を支払う。
 ここは銀行のカウンターで、金と引き換えに手書きの領収証を発行してもらう。
 次のカウンターでは入国審査をおこなう。
 パスポートを確認し、顔をジロッと見られたあとにパソコンで人物照会をおこなう。どこの国でもおこなわれている一般的な光景だ。
 しかし、ここの審査場は暗い。
 係官のキャラクターとかではなく、照明が少ないのだ。いや 「無い」 と言っても良いくらいだ。
 こんな暗がりで、申請書やパスポートがよく見えるな? と思うほどだ。
 どうやらネパール人は、かなり目が良いようだ。
 日没時間にカトマンズ市内を車で走っていても、ライトを点けているドライバーは少ない。
 辺りが真っ暗になるまではスモールライトさえも使用しないのだ。
 また、森の木々にカモフラージュされている小動物を、いとも簡単に見つけ出すことができるほどで、メガネ猿の日本人にとっては、羨ましい限りである。

 さて、入国審査は何も聞かれることもなく、パスポートにビザのシールが貼られ、カウンターの出口にボーッと立っているおじさんがそこにサインをし、晴れてネパール王国への入国が完了である。
 
 続いて、ターンテーブルの荷物を持って税関に向かう。
 ネパールはとにかく荷物検査が厳しいと聞いていた。
 「英語で説明が難しい物は持ち込むな!」と言われたほどである。
 電子機器の制限も厳しく、カメラは一人1台まで。
 自分はデジカメを2台所持していたので、もし問いただされたら、
 「1台はカメラ。もう1台はビデオ」
 と言い放って、動画機能を披露しようかと準備していた。
 ところが…
 「申告なし」 のカードを係官に渡すと、
 「ウエルカム! ネパール!」
 と言われ、それだけで税関検査は終了。
 「あれっ…?」
 と一気に気が抜けた状態ですべての手続きが終わった。
 
 これまた薄暗い銀行窓口でアメリカ・ドルをネパール・ルピーに両替し、空港ビルを出た。



客引きたちの歓迎



 ビルを出た途端、大勢の男たちに一気に取り囲まれた。
 「タクシー、ワン・ダラー!」
 男たちはこの言葉を口々に叫びながら、腕や荷物を引っ張ろうとする。
 みんなが思い思いの方向に引っ張り合うので、砂糖に群がった蟻のような塊は、豆鉄砲を喰らった鳩のような顔をした日本人を中心に、ビルの前を右へ左へフラフラと動いた。
 「ちょっと待ってくれ〜ぃ!!」
 うかつにも、「空港を出た後にどうするか?」 などまったく考えていなかった自分は、そう空しく叫ぶのが精一杯だった。
 しばらくの間、収拾がつかずに揉みくちゃにされていると、長い警棒を持った二人の警備員 (軍人? 警察官?) が、こちらに走り寄って来た。
 そして、何事かを叫びながらその警棒を振り回し、客引きたちを追い払ってくれた。
 かなり強引だが、こちらとしてはひとまずは助かった。
 しかし、客引きたちは警備員のスキを見ては、こちらの腕を引っ張ろうとする。
 すると警棒で追い払う。
 ついには警備員が自分の両脇をがっちりとガードしてくれ、客引きたちをけん制し始めた。
 なんだか異様な感じだ…
 警備員にガードされながら、「さて、どうしようか…?」 と改めて周囲を見回す。
 そこで、2メートルほど離れた客引きたちの人垣の中に、1枚のプラカードを持った男に目が留まった。
 プラカードには 『Wellcome! Fuji Gest House』
 「Fuji… ふじ… 富士か… よし、それ!」
 泊まるかどうかは行ってから決めても良いとの約束で、彼のオンボロ車に乗り込んだ。
 
 タメル地区に位置するゲストハウスに向け、舗装はされているがデコボコの道を行く。
 途中でドライバー氏が片言の英語ながら、
 「ここは王宮です」 「ここはスタジアムです」
 などとガイドをしてくれ、初めて見るネパールに興奮しながらゲストハウスに到着した。
 
 ゲストハウスは袋小路になった路地裏にあり、表通りから少し離れているのでとても静かだ。
 フロントの男性スタッフは、
 「ネパールは初めてですか?」
 と、日本人かと思うくらい流暢な日本語で話してきた。
 ここのオーナーはかつて長野県のペンションで研修を受けたことがあり、日本語はほとんど普通に話せ、館内にも富士山の写真が飾られたりと、かなりの日本びいき≠フ宿だ。
 フロントに置いてあった『地球の歩き方』最新版でも、このゲストハウスはしっかりと紹介されていた。

 部屋は3階のシングルルームで、シャワー、トイレ、それにテラスもあって、税込みで14ドル (約1,460円) とのことだ。
 通常は税別で15ドル (約1,560円) らしいのだが、それを割引きしてくれた。
 部屋には暖房が無いので朝晩はかなり冷え込むが、予備の毛布も常備されているのでほぼ快適に過ごせる部屋だ。

 部屋に荷物を置き、これからのネパールでの予定をフロントに相談する。
 いつもは行き当たりバッタリの旅ばかりをしているが、今回は限られた滞在日程の割には行きたい場所が多いので、明日から最終日までのスケジュールをすべて組んでもらうことにした。
 このゲストハウスでは公共バスのチケット手配が可能で、USドル、日本円、もちろんネパール・ルピーでも支払うことができるので大変に便利だ。



タメルの喧騒



 今日の午後はネパールに慣れるために、ホテル周辺を徒歩で散策することにした。
 歩き始めてまず圧倒されたのが、狭い路地に車とバイクとリキシャー、そして人がグチャグチャに入り乱れて通行していることだ。
 人も車も譲る≠ニか待つ≠ニいうことを知らない。
 歩行者は気を抜いて歩いていようものなら、すぐにけたたましいクラクションの音を浴びる。
 ネパール人は総じて温和≠ネのだが、交通≠ノ関してはまったく別のようだ。
 
 タメル地区はカトマンズのほぼ中心にあり、外国人を対象とした安宿が集中しているエリアだ。
 旅行会社や土産物屋、両替商、インターネットカフェなど、旅行者にとって便利な店がたくさんある、アジアで最大のツーリストエリアである。
 英語やハングル文字、そして日本語の看板が入り乱れるその中を、車と人を避けながら歩く。
 建物はほとんどすべてがレンガで造られており、これがネパール建築様式なのか、2階が1階よりも大きくて不安定そうな構造をしている。
 窓にはガラスは無く、精密で美しい彫刻を施した木枠がはめられていた。
 
 町を歩いていて感じたのだが、ネパールにはその国特有の臭いが無い。
 ヨーロッパ諸国は香水=Aアメリカはオレンジ=Aタイはドリアン≠フ薄い臭い、中国は… と、各国にはその国特有の臭いがあるものだが、ネパールに関してはそれをまったく感じなかった。
 地方の村では鶏や牛などの家畜を飼っているが、これも臭くなかった。
 ネパールは乾燥しているから臭いが少ないのかな…?
 玄関先でお香を焚いている家が多いので、強いて言うならば、その心を落ち着かせてくれる香りがネパールの匂いかもしれない。

 ネパールを歩く時は車やバイクに注意をしなくてはならないが、もうひとつ、歩いている人にも注意しなくてはならない。
 それは、手鼻をかんでいる人が多いからなのだ。
 今や日本人で手鼻をかむ人、いやかめる人≠ヘ少なくなったが、ネパールでは道を歩きながら 「フンッ」 としている人がまだ多い。
 前を歩いている人が急に止まったら、また、道端にしゃがんでいる人がいたら要注意だ。
 彼らの鼻から出る粘液をかけられないよう、距離をおいたほうが良い。 
 
 主要通りが交差する四つ角は 「チョーク」 と呼ばれ、そこは広場になっていた。
 チョークには幾つかの寺院や水汲み場があり、野菜などを売る露店が出ていて人々の交流の場になっている。
 タメル地区の中でも有名なのがインドラ・チョークだ。
 色鮮やかな衣類を売る店が多く、軒先に吊るした商品がこの一帯を明るい色に変えている。
 人々が慌しく行き交うその光景とは反対に、中世の雰囲気をそのままに残したバザールは、時がゆっくりと流れている感じがした。



ダルバール広場の子どもたち



 インドラ・チョークのすぐ先は、旧王宮のあるダルバール広場だ。
 広場には数多くの大きな寺院が建ち並び、人々がのんびりと寺院の縁側に腰を降ろして休んでいた。
 この広場に入る外国人は200ルピー (約300円) を支払わなくてはならず、路上の係員が道行く人混みの中から目敏く外国人を見つけ、チケット売り場に誘導していた。
 広場に入るとすぐにガイドが声を掛けてきた。
 また、物売りの子どもたちやおばさんが商品を手に寄ってきた。
 ネパールでは、有名な観光地や空港、バス停では客引きや物売りが寄ってくるが、その他の場所ではほとんど声を掛けられることもなく、静かに歩くことができた。
 子どもたちも 「ハロー!」 と言いながら寄ってくることはなく、こちらから声を掛けない限りは無関心のままだ。
 外国人に媚びを売らないその態度は、慣れているのか冷めているのか定かではないが、東南アジア諸国から比べると少し寂しい気もする。
 
 ネパールの多くの寺院は 「基壇」 と呼ばれる高い雛壇の上に建てられており、人々が腰を降ろしている縁側は、とても眺めが良かった。
 ダルバール広場に到着した時にパラパラと雨が降ってきたので、自分もネパール人に混ざり、寺院の縁側に腰を降ろして雨宿りをすることにした。
 縁側からは広場が一望でき、小雨の中を慌てることもなく、多くの人々が往来していた。
 それをぼんやりと眺めるだけなのだが、それがとても至福な時でもある。

 自分の近くで二人の男の子が遊んでいた。
 彼らとは目が時折合うのだが、こちらに関心を示すことはない。
 ニコッと笑ってみると、彼らもニコッと微笑み返す。
 しかし、それで終わりだ。
 『ネパールでの挨拶は何だったかな?… あっ、確か 「ナマステ」 だったな…』
 そこで、
 「ナマステー!」
 と声を掛けながら微笑んでみた。
 彼らは少し驚いた表情をしたが、すぐに 「ナマステ!」 と、今まで以上に大きな笑顔で応えてくれた。
 そして自分の隣にやって来た。
 「☆▲∞£#☆○§◇∋◆∠…」
 ネパール語で話し掛けられたが、何を言っているのかまったく分からない。
 「ごめん、ごめん、何を言っているのか分からんよ〜」
 そこで、デジタルカメラの液晶画面を示し、これまで撮ってきたカトマンズの風景を見せてあげた。
 「オ〜!」
 彼らはかなりカメラに関心を持ったようで、自分たちも撮ってくれとポーズをした。
 満面の笑みを浮かべた彼らは、とても良い被写体だ。
 撮ったその場で見せてあげると、歓声を上げて彼らは喜こんだ。
 
 しばらくの間、会話にならない会話を彼らと楽しんでいると、雨はいつの間にか止んで、雲の切れ間から太陽も顔を出して来た。
 基壇を降りて周囲をブラブラしていると、すぐにガイドが寄ってくる。
 でも 「ノー!」 と言えばすぐに退散してくれるのが、ネパールの良いところでもある。

 この広場は旧王宮があるので、国軍によって厳重な警備がされている。
 ネパールでは、マオイストによる政府施設や王室関係施設が襲撃される事件が頻発しているので、それらの建物では国軍が機関銃を構えて警備しているのだ。
 有刺鉄線や土嚢のバリケードを組んで、兵士が銃口をこちらに向けて怖い顔をして仁王立ちしている。
 その合間を縫っての観光である。
 
 小さな寺院の軒先に10歳くらいの女の子が3人いた。
 こちらに気付き、手招きをして呼んでいる。
 「ジャパニーズ?」
 「そうだよ」
 「おッ兄さ〜ん、これ買ってぇ〜」
 バッグから取り出したのは、鮮やかな刺繍を施した小さなポシェットだった。
 「な〜んだ。おネエちゃんたちこれを売りたいのかぁ〜」
 「安っすいよ〜」
 「ごめんね。要っらないよぉ〜」
 と二言三言の攻防を交わすと、すぐに彼女たちはあきらめて
 「チャー飲む?」
 と、自分たちが飲んでいたものと同じミルクティーを差し出してくれた。
 「これ飲んでも買わないよぉ〜」
 と言うと、
 「しょーばい (商売) しないよぉ〜」
 と、誰から教わったのか商人(あきんど)のような事を言って、クスリと笑った。
 少し冷めたミルクティーだったが、ほど良い甘さが心を和ませてくれた。
 ネパールの人々は一見冷めているように見えるが、実はとても温かくて親切だということを実感した。
 
 彼女たちは家に帰ると言うので、ミルクティーをご馳走になったままその場で別れ、再びタメル地区の喧騒の中に足を進めた。



モモとビール



 タメルの道はかなり入り組んでいて、路地裏に入ると地図なんぞはほとんど役立たずだ。
 気の向くままに歩いていると、いつしか迷子になってしまった。
 今日は予定があるわけでもなく、帰れなくなったらリキシャー (人力車) をつかまえてゲストハウスに戻ればいい。そう思えば、この迷子状態は実に楽しい。
 
 散々道に迷っていると腹が空いてきた。
 考えてみれば、今日は朝食 兼 昼食≠フような機内食のカレーを食べただけだ。
 すぐにビルの2階にあるネパール料理のレストランを見つけたが、店の入口がわからずに建物の周囲をグルグルと回る。
 これはこの店に限らず、多くのネパールの建物の構造がそうであるように、上階へ行く階段は非常に分かりにくく、建物内にある狭くて暗い通路を入らなければならないのだ。
 勇気を振り絞り、恐る恐る通路を進んで階段を見つけた。
 2階にあった店は通路や階段とは正反対で、明るくて広々とした店だった。
 小さいながらもテラス席があったので、カトマンズの喧騒に浸りながら食事をすることにした。
 まずは定番の 「ビール」、そしてネパール名物 「モモ」 を注文した。
 ネパールの国産ビールは 「ヒマラヤ・ビール」 と 「カトマンズ・ビール」 の2種類があり、ネーミングは安易だが、どちらもコクのあるしっかりとしたビールだ。
 その他にも、ベルギーのビールが広く一般的に飲まれているようだ。
 「モモ」 は一口餃子で、蒸し≠ニ焼き≠ェある。
 これがビールにはなかなか合った。
 一皿が70ルピー (約100円) ほどの安さなのだが、量がかなりあり、これだけで充分に腹一杯になった。
 
 ネパールは日中と朝晩との温度差がかなりあり、冬でも日中は長袖のシャツ一枚で過ごせる。しかし、太陽が傾いてくると急激に冷え込んでくるのだ。
 レストランのテラス席も、日没が近付いてきて急に寒くなってきた。
 ビールよりも熱燗が飲みたくなる寒さだ。
 
 日が暮れてさらに喧騒を増したタメルの雑踏を、地図を頼りにゲストハウスに戻った。

(第一章 終)



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