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迷宮の異邦人  (第七章・迷宮の異邦人)

踊る巨像


 午後3時過ぎ、路線の終着駅であるカシュガルに到着した。
 駅前からは相乗りのタクシーに乗り込み、町の中心を目指す。
 カシュガルは新疆の西の外れ。
 キルギスやタジキスタンとの国境も間近で、アジアとヨーロッパを結ぶシルクロードの中継地点として栄えた町だ。
 ここに生活する人々は9割がウイグル族の人々とのことである。
 今までの町は漢民族とウイグル族が半々に暮らしており、中国化が進んでいた場所だった。
 よってこのカシュガルの町には、エキゾチックなシルクロードを堪能できる期待をおおいに抱いていた。
 (でも、結構、都会じゃん)
 きれいに整備された広い道路の両脇にはビルや住宅が建ち並び、丘の上の公園には巨大な観覧車が回っていた。
 期待を持っていたためにそのギャップが大きく、タクシーの中から見るこの現代的な町並みにショックを感じた。
 しかし、カシュガルは裏切らなかった。
 タクシーが裏道を入ると、そこにはシルクロードの交易で栄えたかつての町並みが広がっていたのだ。
 銅製品、綿、瓜やスイカなどの生活用品が道一杯に広がって売られていて、その間を人々とロバ車がぶつかり合いながら進んでいた。
 その中をタクシーは申し訳なさそうに ―― いや、クラクションをブーブーと鳴らしながら進行するのであった。
 道端で焼くシシカバブの煙が、香ばしい匂いを町中に充満させていた。

 そんな町並みの中に目指すホテルはあった。
 『其尼瓦克賓館 (チニワク・ホテル) 』 は、自分にとって立派過ぎるほどのホテルだった。
 広い敷地内には幾つかの建物が建っており、客室のレベルによって分けられている。
 フロントにはロシア系の女性がおり、テキパキとした対応でチェックインの手続きをしてくれた。
 ボーイに案内された部屋は、吹き抜けを眺めるシースルーのエレベータに乗った3階にあり、明るい窓からはホテルの正面入口や噴水が見えて眺めが良かった。
 室内も大変に清潔で広々としていた。
 この部屋が一泊260元 (約3,900円) で朝食付きだ。
 バックパッカーには贅沢な部類に入ってしまうが、カシュガルの町をのんびりと歩き回る拠点としては申し分ない。
 荷を解くとすぐに外出した。
 先ほどタクシーで抜けて来た活気溢れる場所を、すぐにでも自分の足で歩きたかったのだ。
 さらに活気を満ちてきた通りを散策し、シルクロードの雰囲気に思う存分浸った。

 ホテルには、異様に速度が遅いが日本語のできるインターネットもあり、一週間ぶりのメールチェックをここでする。
 また、民芸品売場には日本語の達者なお姉さんがいて、冷やかしながら商品を見るのが楽しかった。
 「ジュータン、買いませんか?」
 「いくら?」
 「1枚1万円です」
 「この、ちっこいのが?」
 「ウルムチでは2万円します」
 「…いや、それは分かるケド…」
 「じゃあ、2枚で1万円にしてあげます」
 「はぁ? いきなり半額?」
 「奥さんのお土産に。喜びますよ」
 「いや… こんな物買ったら、喜ぶどころか逆に怒られるよ」
 「なら、仏像はどうですか?」
 …延々と続くのだが、強引さの無いセールスと久し振りに聞く日本語に、こちらもついつい買う気も無いのに長居をしてしまった。

 敷地の中心にある噴水は、夜になるとカクテル光線でライトアップされ、コンピュータで制御されたショーが始まる。
 さらにその隣にある 『踊るウイグル人カップル』 の巨大な白い像が、やかましい音楽と共に回り出した。
 あまりの派手さに驚いたが、なかなかきれいだったのでしばらくは部屋の窓から眺めていた。
 しかしこの大音響のショーは、夜の12時になるまで終わらなかった。

 明朝も、踊るウイグル人カップルのショーで目が覚めた。
 日本の観光地でも、客が到着した時や出発する時に太鼓や踊りで歓迎を表すイベントをおこなう大型ホテルがあるが、大方そんなものなのであろう。



老城区の住人たち


 この日と翌日はとにかく歩き回った。
 腰痛を忘れ、足が棒のようになるまでカシュガルの町を歩いた。
 ウイグル人が昔のままの住居で生活しているエリアが、ホテルから40分ほど歩いた場所にあった。
 『老城区』 と呼ばれるそのエリアは、小高い丘の斜面に家が隙間無く建ち並んでいる所だった。
 少々足を踏み入れ難いその一角だったが、ウイグル人は見た目は怖そうに見えるけど、声をかければ気さくにカメラに応じてくれるやさしい人々であることを知っていたので、その狭い路地に入って行った。

 レンガを積上げてできた家々は、一軒一軒の間隔がまったく無く、ビッシリと軒を連ねていた。
 路面は石畳となっており、所々にトンネルのように家が道路を覆っている場所もある。
 道は不必要に直角に曲がりくねっており、さらに狭い路地が幾つも伸びていて相当に町が複雑になっていた。
 もちろん道標などある筈も無く、足の向くままに石畳の狭い路地の坂道を登って行った。
 おばさんたちが道端で雑談や洗濯をしていたり、ロバ車が荷物を満載にして通り過ぎる光景に出くわす。
 客の一人が入ったら一杯になってしまう床屋では、カメラを向けるとヒゲ剃りの途中の店主も客も笑顔で応じてくれた。
 包丁研ぎの職人は、「オレの仕事振りもカメラに収めろよ」 とばかりにアピールすると、民家の前で熱心に砥石を回転させて包丁を光らせる。
 自分たちの生活の場に見知らぬ異邦人がさ迷い歩いていても、彼らは決して警戒するわけでもなく、快く迎え入れてくれているようだった。

 狭い路地で子供たちがサッカーに興じていた。
 見慣れぬ外国人に当初は戸惑っていた彼らも、こちらが笑顔を見せると 「ハロー」 と近寄ってきた。
 言葉は通じるはずも無かったが、炎天下の路地裏で彼らとしばしのサッカーを楽しむ。
 彼らの中で一番の年長者と思われる男の子が、しきりにこちらの腕を引っ張っている。
 どうやら彼は、自分の家にこの異邦人を招きたいらしい。
 腕を引かれるままに、路地裏のさらに路地を入った家までやって来た。
 塀に囲まれた小さな木戸を開けると、そこには外の世界とは異質な緑の多い中庭が広がっていた。
 その中庭を取り囲むように開放的な部屋があった。
 彼は母親らしい女性に話しをすると、自分を日陰の涼しい軒先に座るように指示した。
 勝手に突然入り込んで、ご両親は迷惑なのではないだろうかと戸惑いながらも待っていると、母親らしいおばさんが笑顔でスイカを運んで来てくれた。
 この家族との会話はもちろん無い。
 辛うじて筆談が通じるだけだ。
 しかし、彼らは満面の笑みで突然の来訪者をもてなしてくれた。
 それは、ここで食べたスイカの甘さが何よりも物語っていた。

 イスラムの国では、女性は人前で素顔を晒さないと聞いていたが、ウイグルではそうでもないらしい。
 町中では黒いベールでスッポリと顔を覆った女性を数人は目にするものの、ほとんどの女性はそのままの格好で歩いていた。
 写真撮影をお願いしても、戸惑うことなくすぐにポーズをとってくれた。
 この家族にも若くてきれいな女性がいた。
 男の子のお姉さんなのだろうか? ただし既婚者のようで、すでに小さな子供を抱っこしていた。
 カメラを向けると嬉しそうに子供を抱え、笑顔で応じてくれた。

 ウイグル人の居住区はまるで迷路のようだった。
 子供たちと会話にならない話しをしながら歩いていると、急に 「じゃあね」 と彼らは家に入ってしまう。
 ポツンと取り残された自分は、来た道を引き返すのも悔しいのでさらに先に進むと、完全に迷子になってしまうのだ。
 家の壁に阻まれた路地はそのどれもが同じ景色に見え、方向感覚さえもマヒしてしまうのだった。
 しかし、こんな迷い方もこのエリアでは大変に楽しいものである。
 久保田早紀の 『異邦人』 の歌を口ずさみながら、直感を頼りにさ迷い歩く。
 さして広くない老城区だけに、2日目にさ迷った時には顔見知りの子供やおばさんもいて、
 「あら、あんたまた来たの?」
  と笑われる始末だった。

 この老城区の表通りは道端でバザールが開催され、生活用品を売る露店がひしめいていた。
 特に2日目は日曜日だったので、カシュガル名物のサンデーバザールが開かれていた。
 カシュガルじゅうのウイグル人が集結したのではないかと思われるほどの人々で賑わうバザールは、植木や金物に始まり、生きた鳩や羊、肉、果物、音楽テープ、雑貨… あらゆる生活用品が道いっぱいに広げられていた。
 そこにウイグル人たちとロバ車、羊、バスと車が入り乱れ、真っ直ぐに歩くのが困難なほどである。
 車道に大きくはみ出せばクラクションを思い切り鳴らされ、それを避けるとロバ車や羊にぶつかりそうになる。歩道と思しき道は店に占領されている。
 結構、疲れた。
 特にこの日は暑かったので、余計に体力を消耗したようだ。

 日曜日は夕方早々にホテルに戻り、荷造りをしながらゆっくりと休む。
 夜にはウルムチへ向けて出発しなくてはならないからだ。



なにわのおばちゃん


 フロントのソファーでくつろいでいると、日本人のおじさんとおばさんのグループに遭遇する。
 通訳を伴ってのお大名旅行のようだったので、こちらから声をかけることはしなかった。
 その中のおばさんがフロントでトラブルを起こしていた。
 聞き耳を立てたところによればこうである。
 土産として割れ物を購入したおばさんが、部屋にあるタオルにそれを包んで持ち出し、チェックアウトをした。
 それがホテルにばれて、タオル代として多額の罰金を徴収されたのだ。
 中国のホテルでは驚くほどに備品の管理がしっかりとしている。
 タオルの一枚からテレビ、扇風機に至るまで、その値段が部屋案内のファイルにしっかりと明記されているのだ。
 ホテルによっては、備品そのものに値札が付いている所もあった。
 そして、チェックインの際には宿泊料金にデポジット (預かり金) が加算され、チェックアウトの際には部屋が徹底的に調べられ、備品に不足があった時にはデポジットからその額が引かれるのだ。
 不服そうな面持ちで仲間の所に戻って来たおばさんは、
 「ややわぁ〜 タオルを持って帰っちゃいけないんだってぇ」
 と、大阪弁で不満をタラタラと漏らしていた。
 「やっぱ、中国ねぇ。がめついやん」
 それは日本でも同じである。
 タオルを持って帰って良いのは、温泉旅館の薄い名入れタオルだけだ。
 がめついのはおばさんの方だ。
 「イイ勉強になったわぁ」
 おばさんは数十年間、日本で何を勉強してたの?
 「まぁ、これも良い旅の思い出話ねぇ。ガッハッハッハァ〜」
 それは非常に恥ずかしい思い出話だ。
 豪快な笑いと共に、待ち受けていたマイクロバスに乗り込んだ一行は、どこへともなく去って行った。

 カシュガル最後の食事は、ホテル内に併設されている中華レストランで肉片炒飯と良く冷えたビールだ。
 肉片炒飯はスチームライスに干し肉をまぶしただけの寂しい食べ物だった。
 本来はこれに、おかずとなる菜≠注文するのであるが、それでは量が多過ぎてしまい食べ切ることができない。
 質素だがご飯とビールで夕食を済ませる。



それでも、スケールの大きい中国


 ホテル前で待機していたタクシーを値切り、空港まで行く。
 午後8時半、バスターミナルのように小さな空港に到着した。
 一つしかないカウンターでチェックインがすぐに始まったが、差し出したチケットに問題があると言われ、無造作に突き返された。
 「どこに問題があるんじゃ! リコンファームだって済ませてあるぞ!」
 と、迫力をもって抗議すると、
 「これはクーポン券だ。正規のチケットに交換しなければ搭乗はできない」
 と係官は言って、発券窓口へ行けと指差した。
 普通はどこの空港でも、チェックインカウンターでクーポン券からの搭乗手続きができるものである。
 しかし、ここは辺境の空港だからなのか、それとも中国特有のお役所仕事だからなのか定かではないが、無人の発券窓口で相当に待たされるハメとなってしまった。

 あまりに係員がくる様子がないので、先ほどのチェックインカウンターの男に日本語で文句を言うと、彼は携帯電話で係員を呼んだ。
 やっとのことで姿を現した発券窓口の係員は詫びの一言も無く、スイカを食べながらベタベタの手でクーポン券を受け取ると、種を床に吐き出しながら発券の手続きを始めた。
 最後までイライラさせられる対応だ。

 ウルムチから飛んで来た飛行機は、砂漠の滑走路に静かに車輪を降ろした。
 タラップを降りる乗客の数もまばらで、すぐに離陸の準備が始められた。
 この小さな空港では、到着した飛行機がすぐにそのまま折り返す運航となっていた。
 夕暮れに赤く染まる機体は給油をすることも無く、定刻よりも30分ほど遅れて、新疆の西の果てカシュガルの町を飛び立った。

 何日にも分けて延々と走ってきた荒地も、飛行機で飛び越えてしまえばわずか1時間半ほどの短い距離でしかなかった。
 その後は夜の12時過ぎにウルムチに到着し、すぐに近くのエアポートホテルに転がり込む。

 翌朝は北京に向けてのフライトだ。

 北京の市内が近付いてくると、万里の長城が飛行機の窓から良く見えた。
 どこまでも山々に沿って延びるその姿は、「流石はスケールの大きい中国」 と、これまでのイラ立ちを忘れての感動である。
 さらに天安門広場を見て
 「テレビと同じだ!」
 とありきたりの感想を漏らし、中国の旅を締めくくるのであった。

(完)



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