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ゆるり、ゆるゆる、ラオス旅 (第一章) |
サラリーマンは苦労する 「そうだ、ラオスへ行こう!」 脈絡もなく突然に、JR東海のCMのように頭に浮かんだ。 8年前にラオスに行ったとき、人々がとても親切で、ゆったりと流れる時間の中で生活をしている印象がとても強く、ぜひまた訪ねてみたい国のひとつだった。 だが、ここで大きな問題が… 『肝心の金が無い…』 そこで、航空会社のマイレージを使って旅をすることにしよう。 ところが、ここでもっと大きな問題が… 『マイレージが貯まっていない…』 うっ、困った… 困ったときは妻頼み≠セ。 「その健やかなるときも、病めるときも、マイルが無いときも、共に慈しみ〜 」 とか何とか、20年前に教会で神に誓った仲だ。 妻のマイレージはたっぷりと貯まっている。 そこで、 「マイルをサマリーしたらたくさん貯まってるんだけど、俺の口座にトランスファーマイレージしていい?」 と訊くと、 「…??? なに言ってるのか判らないけど、いいわよ〜☆」 と、山内一豊の妻のように、快くマイレージを譲ってくれた。 専門用語は並べてみるものだ。 さて、手に入れたマイレージだがこれがクセもので、無料航空券は希望の日に予約を入れることがなかなか難しいのだ。 特に有効期限の無いノースウエスト航空のマイレージは、人気路線になると半年以上も前から予約が必要となる。 しかし、サラリーマンの自分にとって半年後のことは、まったくもってどうなっているのか分からない。 わが社では半年ごとの4月と10月に人事異動があり、その異動に当たってしまうと業務引継ぎと残務整理、場合によっては単身赴任の住居探しと、長期休暇どころではなくなる。 はたまた、半年後にはクビになっているかもしれない。 まぁ、クビになっているのならば毎日が休暇みたいなものだから、心置きなく超長期の旅が楽しめるのではあるが、いずれにしてもサラリーマンの半年後は未知の世界だ。 だが、航空券がタダで手に入る魅力は絶大なもので、ここは一か八かの勝負で、半年前の3月に予約を入れた。 人事異動が発表される前には内示というものがある。 これは上司に 「ちょっと、ちょっとちょっと」 と ザ・タッチ のように応接室に呼ばれ、本人だけにコソコソと異動先を言い渡されるのだ。 もちろん異動発表日までは秘密にしなくてはならないのだが、なぜか内示を受けたその日には周囲のみんなに知れ渡っているという、摩訶不思議な制度なのだ。 ラオスへの出発日までに、幸いにも自分の内示は無かった。 半年もの間、ラオスの旅を楽しみにしていた自分の気持ちを知った人事部が気を利かせ、きっと、重役への昇進を来春に延期してくれたのだろう、と勝手に思い込むことにしたが、「重役になる前に数多くのステップがあるではないか!」 とのツッコミはここでは放っておく。 自分の異動は今回なかったが、直属の部下が異動になってしまった。 自分の部署に異動者がいるということは、上司としては引継ぎの段取りや引継ぎ中のフォローをしたりなど、それはそれで大変なことで、ウキウキとラオスなどに行っているわけにはいかないのだろうけれど、 「引継ぎ資料、ちゃんと作っておいてね」 と部下の自主性と創造性、そしてやる気を起こさせる適切な指示をして旅立つことにした。 出発日は夜のフライトなので、昼まで仕事をして職場から出発することにした。 特に仕事が忙しいというわけではないが、半日でも職場にいたほうが目立たないからである。 気持ちは朝からラオスに飛んでいたが、午前中に忙しいフリをして動いていれば、 「ギリギリまでよく働く真面目なヤツだ」 と評価も高くなるはずだ。 目立たぬようにたくさん休みを取るために、サラリーマン・パッカーはこのような涙ぐましい努力をしているのだ。 さて、職場でTシャツ、短パン、サンダルに着替え、バックパックを背負うと、同僚たちからは 「探検に行くみたいだな」 と言われたが、今どきこんなスタイルで探検に行くヤツはいない。 しかも探検≠ニいう言葉そのものが古いのではないか。 成田空港までは職場の真ん前から高速バスが出ており、自分にとっては好都合の職場環境なのだ。 寒いぞ! スワンナブーム空港 タイ・バンコクに飛行機が到着したのは、夜中の0時を少し過ぎた頃だった。 1年前にオープンしたスワンナブーム国際空港はかなり巨大で、遠くから見るとイモムシのようなターミナルビルがキラキラと輝いていた。 飛行機からこのイモムシまでの移動はバスで、朝の通勤電車のように客が押し込まれた。 目の前の白人のお姉ちゃんは <機会> と漢字で書かれた刺青を肩にしていた。 英語で <chance> ならカッコいいけど、それを漢字にして <機会> はないだろ… しかも刺青で彫っちゃってどうするの? と思っていたら、その斜め前のおやじは、 <タヌキもおだてりゃ木に登る> とデカデカと書かれたTシャツを着ている。 「それはタヌキじゃなくてブタだろ」 とつっこむ気力すら失わさせる脱力系だ。 白人の感覚はわからん… バスを降り、イモムシの中のショップを横目に見ながらイミグレーションへ向かう。 イミグレーションは広々としているので、到着客が多い割りにはスムーズに流れていた。 さらに、荷物のピックアップはもっとスムーズで、指定のベルトコベアに着いたときには、すでに我が相棒のバックパックは、 「遅いぞ! いつまで待たす気だ!?」 と、沢尻エリカのように不機嫌な態度でベルトの上をクルクルと回っていた。 通常はご主人様をいつまでも待たせておいて、 「悪ぃ〜、悪ぃ〜、待った?」 と、平然とした顔で床の下から現れる我が相棒なのだが… さて、本日の旅はここで終了。 こんな時間に市内まで行ってホテルにチェックインしても、早朝には次の目的地であるノーンカーイに向けて出発するため、宿泊費も時間も無駄になってしまう。 そこで、空港のロビーで夜明けを待つことにした。 「ビールでも飲んで寝るか〜」 と、ターミナルビルの中にあるコンビニに行ったが、 「夜の0時以降、アルコール類は売れません」 と、店の女の子から日本の自動販売機みたいなことを言われ、 「いいじゃん、いいじゃん、そこを何とか1本だけ。お願い!」 と頼んでみたが、 「ダメ!」 と冷たくあしらわれてしまった。 やむなくミネラルウォーターだけを購入し、クーポン制のフードコートで腹を満たす。 すでにこの時間のフードコートに旅行者の姿は無く、空港で働く人々の休憩所と化していた。 寝床を求めてターミナルビルを徘徊する。 到着ロビーは賑やかで落ち着かず、ベンチの数も少なかった。 そこで、ベンチが多く、この時間は静かな出発ロビー階に上がった。 数少ないフカフカのベンチはすでに先客に占領されていたので、スチールの固くて冷たいベンチを確保。 次世代の電動歩行車・セグウエーのような三輪車に乗った警備員が頻繁に巡回しているので、安心して眠ることができる。 念のため我が相棒のバックパックはワイヤーでベンチにくくりつけ、さらにそれを枕にして眠る。 久々の野宿は思ってた以上に快適だ。 体も伸ばせるし、寝返りも打てる。 すぐに夢の世界へ… ZZZ… が、しばらくしてあまりの寒さに目が覚める。 寒い、寒すぎる… 閑散としたロビーは冷房が効き過ぎている。 地球にやさしくないぞ、スワンナブーム空港! 長袖のシャツに着替え、肩にはタオルを羽織ってみたが、それでも寒い… ロビーの外に引越した。 外はモワ〜ンと蒸し暑かったが、冷え切った体にはそれが心地良かった。 タクシー乗り場の前にベンチがあり、早朝便の到着を待つタクシー運転手たちが仮眠をしていた。 その中に混ざって再び夢の世界へ… ZZZ… zzz… レゲエの兄ちゃんと… 『地球の歩き方』 最新刊によれば、スワンナブーム空港のバスターミナルから、ラオス国境の町・ノーンカーイまで長距離バスが出ているらしい。 出発時刻は、6時発と21時発の2本があるとのことだ。 空港ターミナルからバスターミナル (=パブリック・トランスポーテーション・センター) までは、無料の巡回バスに乗って向かう。 空港にあるバスターミナルだから、ターミナルビルから近いのかと思っていたが、これがかなりの距離をシャトルバスに揺られることになる。 バスターミナルは大きくて、長距離バスや市内バスのプラットホームが数多くあった。 まだ陽も昇らない朝の4時過ぎなのに、すでに多くの乗客たちでターミナルは賑わっていた。 ノーンカーイ行きのチケット売り場はすぐに見つかった。 しかし、窓口は固く閉ざされており、 <次のノーンカーイ行きは21:00> と看板が提げられていた。 近くにいた係の人らしきおじさんに尋ねてみたが、やはりノーンカーイ行きはこの1便しかないようだ。 ここで私は 『地球の歩き方』 を恨んだりしない。 ガイドブックの情報など、所詮こんなものだ。 フフフ… 流石は大人の私、心に余裕がある。 さて、ほんの少しムッとしながら、巡回バスで空港ターミナルまで戻る。 そしてタクシーに乗って市内にあるバスターミナルへ向かうことにした。 この時間の道路はほとんど車が無く、タクシーは快適に市内まで走行した。 市内北部に、モーチット・マイと呼ばれるタイ東北部へ向かうバスのターミナルがある。 モーチットでもうちょっとに着く… あっ、いや … もうちょっとでモーチットに着くという場所まで来ると、驚くほどの数のタクシーが道路を埋め尽くしていた。 4車線ほどある道路はその3車線がタクシーに占領され、その列は延々とどこまでも連なっていた。 バンコク中のタクシーがここで集会を開いているのかと思うほどの数である。 タイは長距離バス網が発達している。 夜行バスで地方からバンコクに到着した客を狙って、タクシーがここに集結していたのだ。 空港から30分ほどで北バスターミナルに到着した。 こちらは先ほどのバスターミナル以上に活気があり、多くの乗客や係員が忙しそうに動き回っていた。 行き先別に分かれたチケット売り場は数多くあり、窓口に書かれた行き先の表示はすべてタイ語で表記されていた。 これでは自分が向かうノーンカーイ行きの窓口が分からない。 キョロキョロしているとすぐに係のおばちゃんA が近付いてきて、 「どこ、行く?」 と日本語で声を掛けてきた。 しかも、タメ口だ。 「おばちゃんと私は友だちではないぞ! 初対面ではないか!」 と言いたいところをグッとこらえ 「ノーンカーイ! ノーンカーイ!」 と行き先を叫ぶ。 すると、おばちゃんA は自分の腕を引っ張って、はるか彼方の窓口まで連れて行ってくれた。 そして窓口の中にいる係員に向かって、 「この人、ノーンカーイに行きたいんだって」 と伝えてくれた。 もちろんこれはタイ語だ。 窓口のおばちゃんB もタイ語で何かを言っているのだが、さっぱり分からん。 紙に書いてもらうよう、ペンとノートを差し出すと、 <5:40 350bt VIP OK?> と殴り書きをして返してくれた。 「5時40分発のVIPバス、350バーツだがいいか?」 と言うことである。 よれよれのTシャツに短パン、サンダル、そして、汚いバックパックを背負っていても、私のあふれ出る気品は隠せないようで、おばちゃんはひと目見て 「この人はVIPだ」 と判断したようだ。 ん〜、もっと安いローカルバスでもいいのだが、タイ国警察の警備の関係もあるのだろうから、ここはVIPバスに乗ることにしよう。 「うむ、良きに計らえ〜」 おばちゃんはチケットを出しながら、 「この人に付いて行きなさい」 と、別のおばちゃんC を指差した。 そのおばちゃんC はチケットを受け取ると、私の腕を勢いよく引っ張って小走りに走った。 「コラ! わしはVIPだぞ!」 おばちゃんに引っ張られながら時計を見ると、すでに発車時刻の5時40分を過ぎている。 東南アジアはのんびりしているので、時間どおりに物事がいかないと思っていたが、ここバンコクではずいぶんと変わってきたようだ。 バス乗り場の近くでさらにおばちゃんD にバトンタッチされ、多くのバスが停車しているプラットホームに降りて行った。 連携プレーでバスの前に待っていた運転手がバックパックを受け取ると、車掌が車内の座席まで案内してくれた。 タクシーを降りてから多くのおばちゃんたちに腕を引っ張られ、怒涛の勢いで目的のバスに乗り込むことができた。 車内はすでに満席状態で、私が乗り込むとすぐに出発した。 座席は2人掛け席で、隣にはタイ人のレゲエのお兄ちゃんが座っていた。 少しくたびれた大型バスでTVも設置されているが、とてもVIP≠ニ呼べるほどのものではない。 バスチケットをよく見ると、 <2nd VIP BUS> と書いてある。 VIPバスでも2等と言うことだ。 VIPに1等と2等があることがおかしいのではないか? さて、ターミナルを出発したバスは、途中の路上からさらにVIPのみなさんを乗せていく。 座席は満席なので、通路にプラスチックの椅子が並べられ、後から乗車してきたVIPの方々はそこへお座りになられた。 車内が完全にVIPだらけになったところで、いよいよノーンカーイへGO〜! と思ったら、バスはVIPを乗せたまま、いきなりガソリンスタンドに入った。 セルフのスタンドのようで、運転手はエンジンも切らずに、しかも、くわえタバコでガソリンを補給しはじめたではないか。 おいおい、引火したらどうするんじゃ! 我々が熱いではないか! ヒヤヒヤしながらその様子を見守っていたら、 「食いな」 と隣のレゲエのお兄ちゃんが、車内に乗り込んで来た物売りからスティック状になったもち米のご飯を2本買って、私に1本くれた。 「あっ、あ、ありがと〜☆ コープクンマーク!」 人は見かけによらないもので、このレゲエのお兄ちゃんはとても親切だった。 その後も、キャンディーやガムをくれたり、ゴミが出ると 「こっちによこしな」 と、走行中の窓の外にポイっと投げ捨ててくれた。 まぁ、ポイ捨ては感心しないが、外国人の自分に対する配慮には感謝である。 ノーンカーイがだいぶ近付いてきたと思われた頃、バスは大きなターミナルに到着した。 多くの乗客が下車の準備を始め、レゲエのお兄ちゃんもここで降りるようだ。 「ノーンカーイ?」 と尋ねると、 「ここはウドーンターニーだ。 あなたは終点まで乗ってなさい」 と言って、軽く手を振ってバスを降りて行った。 目指すノーンカーイまでは、まだ1時間ほどバスに揺られなくてはならないようだ。 『讃岐』 や 『稲庭』 『きしめん』 を想像してしまうような町・ウドーンターニーから先は、女子高生たちがたくさん乗ってきた。 レゲエのお兄ちゃんよりもこちらのほうが断然良い。 これならどんなに混んでも大歓迎だぞ! 「ノーンカーイだよ」 運転手はVIPのみなさんにそう告げるとエンジンを切った。 時刻は午後4時過ぎ。10時間半のバス旅がやっと終わった。 「80バーツ」 と吹っかけてきたトゥクトゥクを 「何を言っているのだ!」 と20バーツに値切り、町の中心にあるホテルまで行く。 いくつかの部屋を見せてもらい、そのうちの一つに荷を降ろした。 メコン川のほとりにいくつかのレストランがあり、真っ赤に沈む夕陽を眺めながら夕食にした。 対岸にはラオスが見える。 明日はノーンカーイから橋を渡ってラオス入国だ。 ところで、ノーンカーイでは制服を着た小学生がバイクを運転する姿を何回も見たが、タイではバイクの運転が何歳でもできるのか? 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