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回廊の女神たち (第七章・ウイスキーロード ― 地雷原を越えて) |
おやじ二人旅 シェムリアップの町はすでに目覚めていた。 5時半、ホテルの1階にあるレストランで朝食を摂り、そのままチェックアウトをして旅行社へ向かう。 ここからミニバスに乗って国境の町ポイペトへ行き、タイへ入国。 さらにそこから車に乗り換えて一気にバンコクまで行く。 予定では、夜にはバンコクのホテルに転がり込めそうだ。 ミニバスを運行している紅龍旅行社 (ニャック・クロホーム・トラベル) の前には、すでに欧米人のパッカーが3人ほど出発を待っていた。 彼らと同じように、外に出された椅子に腰を掛けて待っていると、3人組の日本人らしき若者もやって来た。 「おはようございます!」 旅は道連れ。 元気に挨拶をすると、彼らは少々戸惑った表情を浮かべた。 そして、 「アンニョンハセヨ」 と、挨拶が返ってきた。 (あれ、韓国の方だったの・・・) 1時間ほど待たされて、やって来たマイクロバスはすでに旅行者や地元民でギュウウギュウ詰めであった。 しかし、係員のお兄ちゃんは手際よく欧米人に指図をし、無理やりに乗せてしまった。 自分と韓国の若者は次のバスだと言う。 ほどなくして目の前に停車したもう一台のマイクロバスには、我々4人分の座席がちょうど空いていた。 リュックを運転手に預けてバスに乗り込む。 「ここ空いていますよ。」 最後部に座っていた日本人男性が、その前の席を指差しながら教えてくれた。 「あっ、おはようございます。 珍しいですね。日本人…」 「そう言うあなたも… ハハハハ…」 東京で針灸院を開業している白浜さん (51歳) は、毎年夏に3ヶ月ほど医院を休業して放浪の旅に出るそうだ。 お地蔵さんのようなやさしい顔立ちで、ニコニコした目が印象的な方だ。 今回もタイマッサージを習うと言った大義名分の下、3週間ほどバンコクのマッサージ学校に通い、その後カンボジアへ観光。 再びタイへ戻ってからラオスへ行く予定とのことだ。 自分としては、難所と言われているポイペトの国境を越える道連れができ、嬉しい限りだった。 さらに白浜さんは、カンボジアに入国する際にこのルートを使っていたので、国境の状況は知っており頼もしい存在だった。 自分の知っていたポイペトの情報は、 「地雷も数多く残っており、治安も極めて悪い。 国境特有の混沌とした状況でトラブルが多数報告されている。 昼間でも不良兵士がぶらついており雰囲気が良くない。 観光客が興味半分で訪れる場所では決して無い」 と言ったもので、さっさと通過したい町だった。 「ポイペトってどんな町でした?」 「ああ、ガイドブックにあるような危険な町ではないですよ。行ってみれば分かるけど、とても賑やかな町ですよ」 白浜さんは笑いながらそう答えた。 さらに、 「それよりも、途中の道が悪路で結構大変でしたよ。周囲は地雷原だし・・・」 と、やはりニコニコしながらそう付け加えた。 町を抜けると忠告どおりの悪路に変わった。 未舗装の道路には至る所に巨大な穴ぼこが口を開け、そこを通るたびに乗客全員が一瞬だけ宙に浮いた。 そして次の瞬間、バスの椅子に思いきり尻を叩きつけられるのだ。 初めのうちはそのたびに車内に笑い声が響いたが、幾度となく繰り返されるたびに、笑う余裕すらなくなっていった。 この道は通称 『ウイスキーロード』 と呼ばれている。 あまりの悪路に酔ってしまうからそう呼ばれるようになった。 「かつては国境まで車で25時間かかったんですって。それが今ではたったの5時間程度ですから、道は相当に改良されたんですね。ハハハハ…」 舌を噛みそうになりながらも、白浜さんが説明をしてくれた。 改良されてもこの悪路なのだから、かつてはどんな道だったのだろうか。 途中、あまりの悪路でタイヤがパンクをした。 運転手と助手は日常茶飯事の如く、素早くスペアタイアを取り出して交換作業を開始した。 この間、乗客はバスを降りて体を伸ばす。 「丁度いいトイレ休憩ですね。」 と、荒地に向かって立ちションをしようとすると、 「地雷! 気をつけて!」 白浜さんが慌てて叫ぶ。 そうだ、ここは地雷原。 不用意に道路を外れることは禁物である。 シェムリアップから走ること3時間。 途中の町、シソポンで食事休憩となった。 このシソポンは、各国の地雷撤去チームがベースキャンプを設置している町で、それだけ周囲に地雷原が多いと言うことでもある。 1時間の休憩の後、バスは再出発をした。 周囲には水墨画のような岩山がそびえ、美しい風景を見せてくれた。 激しい揺れにも慣れ、乗客たちにはウトウトと居眠りをする余裕が出てきた。 そして自分もいつしか夢の世界へ・・・ 日韓合同越境 バスが渋滞にはまった。国境の町ポイペトに到着したようだ。 「ね、危ない雰囲気はないでしょう。」 白浜さんの言うとおり、往来する人々と車が多く、危険の「き」の字も感じ取れない。 降り出した雨の中、国境ゲート前のロータリーでバスを降りる。 近くには大きなカジノが3軒ほどあり、金持ちそうなタイ人や中国人がそこに吸い込まれて行った。 リヤカーやトラックに大量の物資を満載し、入国と出国の人々が忙しそうに行き交っていた。 ここはカンボジアとタイを結ぶ大動脈のボーダーだ。 日本のガイドブックに書かれてあるような、寂しくて危ない場所ではない。 カンボジアの出国手続きのため、イミグレーションオフィスへ行く。 出国窓口は1ヶ所しかなく、その前には大勢の人が並んでいた。 我々も蒸し暑い中、それらの列に入る。 列は遅々として進まず、じっと汗を流しながら耐える。 やっと窓口が見え始めた頃、列の進み方が遅い理由が分かった。 カンボジア人とタイ人がどんどんと割り込んで来ていたのだ。これには温和な白浜さんもキレた。 割り込み兄ちゃんの首根っこを掴み、 「割り込むんじゃない! みんなちゃんと待っているんだから、後ろに並びなさい!」 と、思い切り日本語で恫喝した。 「いや、白浜さん。気持ちは分かりますが、日本語じゃ通じないのでは?」 「言ってやらなきゃ分からんのですよ、こいつらは」 怒られた兄ちゃんたちはスゴスゴと後ろの方に下がって行ったが、他の人たちはなおも平然と割り込みを続けていた。 次が我々の番と言うのに、彼らはカウンターの前にサッとやって来て、係官にパスポートを素早く渡していた。 すぐ後ろに並んでいた筈の韓国人の若者も、いつの間にか遥か後ろの方になってしまっていた。 「お〜い、韓国人。こっちに来いよ!」 白浜さんが大声で叫び、彼らを手招きする。 人を掻き分けてやって来た彼らに、 「パスポート出して」 と、彼らの手に握られた韓国旅券を集める。 そして、割り込みカンボジア人を物凄い勢いで押し退け、我々のパスポートと一緒にドカンとそれらを差し出した。 その勢いに係官はビックリした表情で固まっていたが、すぐに韓国お姉ちゃんが援護射撃。 「この人たちが割り込んでいるから、いつまで経っても私たちの番が来ないじゃないの! あんたからもちゃんと並ぶように言いなさいよ! まったくカンボジアは何をやっているのよ!」 と、激怒しながら英語で捲くし立てた。 これを後ろの方で聞いていた欧米人たちからは拍手喝采。 今にも暴動が起きそうな徒ならぬ雰囲気を係官も感じたのか、 「お前らの手続きは後回しだ。後ろに並べ!(意訳)」 と、割り込み兄ちゃんたちのパスポートを投げ返した。 こうして、日韓合同の割り込み阻止は成功。 出国手続きを無事に終え、5人で握手を交わす。 「このようにワールドカップも成功させようね」 と言いながら。 タイスキを目指して カンボジアとタイの境目には小さな川が流れていた。 その橋の上からふと下を見ると、大きな荷物を背負った人たちが川を渡っていた。 彼らは密輸品の運び屋だ。 多額の税金を逃れるために、彼らのような職業が必要とされているのである。 それにしても、税関のすぐ裏でこのようなことが堂々とおこなわれていようとは・・・ 係官たちは組織ぐるみで賄賂を受け取っているんだろうか? 聞いたところによれば (正確な情報ではないが)、このような密輸品を取り締まることが流通経済を停滞させてしまうため、ある程度の違法行為には目をつぶっているとのことらしい。 テキトーと言うか、大らかと言うか・・・ 橋を渡るとすぐにタイのイミグレーションがあった。 こちらも相当に混んでいたが、そこでブラブラしていたタイ人のお兄ちゃんに、 「向こうの窓口のほうが早いよ」 と、道路の反対側にある建物を指差された。 ところが、そちらへ行ってみると地元民用≠ニ書かれた看板が出ていた。 やはりそこでブラブラしていた別のタイ人のお兄ちゃんに、 「ジャパニーズ、OK?」 と尋ねると、 「マイペンライ!(大丈夫)」 と元気なタイ語が返ってきた。 恐る恐る窓口にパスポートを差し出すと、 「ウエルカム タイランド」 と、女性係官は何の問題も無く入国スタンプを押してくれた。 こちらも、テキトーと言うか、大らかと言うか・・・ タイの国境の町、アランヤプラテートはとても賑やかな町だった。 国境のすぐ近くには巨大な市場もあり、高級そうな観光バスが何台も停車していた。 「やっと着きましたなぁ、タイ」 しかし、ここから天使の都、バンコクまではまだ240キロもある。 「バンコクに到着したら、タイスキを食べながらシンハービールを飲みましょうね」 おじさん2人の珍道中はタイへその舞台を移動し、まだまだ続くのであった。 |
(完) ≪前ページへ [目次へ戻る] |