前 編 へ     [旅行記TOPへ

インドネシアで熱出した!  (後編)

山口のOLさん


 10時近くなってくると流石に観光客が増えてきた。
 多くの大型バスが到着し、欧米人たちが大量に吐き出されていた。
 観光客のまったくいない裏口を回り、静かな遺跡を木々の間から眺めて駐車場に向かう。
 途中で象を飼育している場所に寄る。
 ここでは象に乗って遺跡公園を一周できるのだそうだ。
 「ぽからさん、象に乗りますか?」
 とブディさんに訊かれたが、
 「いや〜、象はもういいですよ。あっちこっちで乗ってますから」
 と断った。
 いくら象に乗ることが好きな日本人でも (「ゆるり、ゆるゆる、ラオス旅」参照)、そうそう各国で乗りたいものではない。
 
 タダで遺跡の案内をしてくれたガイド氏もいつの間にかいなくなってしまい、次にパオン寺院に向かう。
 パオン寺院は村の中にちょこんとある遺跡で、気を付けていなければ通り過ぎてしまう。
 それでもしっかりと入場料は徴収されるが、特筆するようなことは何も無いつまらん遺跡だ。
 その遺跡の近くで砂糖を作っている民家に立ち寄り、チャイをいただいて休憩。
 続いてムンドゥッ寺院を訪ねる。
 こちらはやや大きな寺院遺跡で、見応えもそれなりにあった。
 しかし、駐車場から遺跡までのわずかな間に、土産を手に持った売り子たちの激しい攻撃に遭う。
 これにはいささか閉口だ。
 「安いよ! 見るだけ!」
 「いらん! いらん!」
 「じゃ、こっちは?」
 「そっちもいらん!」
 「なぜ買わない?」
 「なぜ??? いらんからいらんのだ!」
 「じゃあ、帰りに買うね」
 「帰りも買わない!」
 「なぜ買わない?」
 「だ・か・ら、いらんからいらんのだ! ええ〜い、ほっといてくれ!」
 商魂たくましいと言うか、しつこいと言うか、人間のできた私でさえも最後はキレてしまった。

 遺跡の上から広々とした公園を眺めていると、木陰でブディさんが日本人らしき女の子をナンパしていた。
 「ブディさん、ナンパなんかしちゃダメだよ」
 「違いますよ。 どんだけ〜」
 相変わらずのノリのブディさんだ。
 「あ、こんにちわ。こちらの方 (ブディさん) は私たちが今日泊まるホテルの方だったんですよ」
 彼女たちは山口県からやってきたOLで、エミさんとチエさんだ。
 ジョグジャカルタには昨夜到着し、明朝には友人が住んでいるスラバヤ (ジャワ島) に行くとのことだ。そして、昨夜はボロブドゥールに宿泊し、今日は私と同じホテルを予約してあるそうだ。
 わずか1日しかない滞在にもかかわらず、今日は路線バスで遺跡巡りをすると言う。
 「ちょうど良かったじゃないですか。もしよろしかったら一緒に観光しますか? どうせこっちは1台でチャーターしてるから、何人乗っても同じなんですよ」
 と誘うと、とても恐縮をしながらも、
 「ぽからさんさえ迷惑でなければ…」
 と、行動を共にすることになった。
 
 5人が乗ってやっと地球にやさしくなったワゴン車は、プランバナンへ向かった。
 女の子が加わってブディさんのギャグも最高潮に達した。
 
 プランバナンはヒンドゥー教と仏教が融合した寺院で、いくつもの巨大な遺跡が残る寺院群となっている。
 ボロブドゥールと並ぶ、ジョグジャカルタの二大観光名所だ。
 到着した頃にポツポツと雨が降り出し、傘をさしながらの観光となった。
 ビルのような巨大な遺跡が建ち並ぶ光景には圧倒されたが、相次ぐ近年の大地震で倒壊の危険があるため、遺跡には近付くことができなかった。
 修復作業も所々はおこなわれているようだが、思うようには進んでいないようだった。
 瓦礫の山と化した寺院もあり、それはそれで歴史の無常さを感じるものでもあった。

 その後、場違いな雑誌の写真撮影がおこなわれていたサンビ・サリ寺院遺跡を見学し、町の食堂で遅い昼食をとる。
 ブディさんがお勧めするフライドチキンが美味い店で、昼食とも夕食ともつかない半端な時間なのに、多くの客で賑わっていた。
 料理名はなんだかよく分からないが、インドネシアらしい物をつまみにしながらビールをグイグイ飲む。
 ん〜、至福のひとときだ。
 「あ〜、良かった!」
 とエミさんとチエさん。
 「何が?」
 「ぽからさんがお酒飲める人で… 食事のときのビールって美味しいけど、ぽからさんが飲めない人だったら私たちだけ飲む訳にはいかないですから〜」
 「そうかな… 仮に私が飲めない人だとしても、それは別にいいんじゃない、飲みたければ飲めば」
 「いや、そうはいかないですよ、女性として…」
 なかなか古風なところがある彼女たちだ。

 今日の観光はこれで終了だが、彼女たちがバティック (織物) を買いたいと言うので、ブディさんにお願いをしてバティック工房に連れて行ってもらった。
 住宅街の中にある間口の小さな店だったが、奥行きが驚くほどあり、どんどんと店の中を進んだ先には中庭を配した工房になっていた。
 品数もものすごい量があり、値段もピンからキリだった。
 特にバティックには興味の無い自分は、ブディさんと店の応接で腰を掛けて待つことにした。
 彼女たちは目の色を変えて、商品をあれこれと引っ張り出しながら品定めをしている。
 「ぽからさ〜ん! これとこれ、どっちがいいですか〜?」
 時折アドバイスを求める声がする。
 「ん…そうだね…右の方がいいかな…」
 「え〜、私は左の方がいいと思うんですけど…」
 だったら訊くな!

 ブディさんの交渉もあり、かなり安くお土産を購入できた彼女たちは大満足し、ホテルに戻ることにした。
 ホテルで彼女たちを下ろし、私とブディさんはバイクに二人乗りをして市場へ向かった。
 両替をしたかったので、レートのいい店をブディさんに案内してもらうためだ。
 夕方の市場は買い物客で人も車も混雑していた。
 市場のほぼ中心にある店で両替を済ませ、ホテルに戻る。
 中庭に出されたいかにもやぶ蚊にさされそうなテーブルで、エミさんとチエさんがビールを飲んでいた。
 また飲んでいるのか!?
 そして私を目ざとく見つけると、
 「ぽからさ〜ん!」
 と遠くから声を掛けてきた。
 「ぽからさん、今日は本当にありがとうございました。ラクさせていただいた上に、とっても楽しかったです。」
 「こちらこそ。二人と観光できて楽しかったよ」
 「… あの… 良かったら今夜……」
 「… えっ!? へっ!? 今夜?…」
 「はい、今夜…、影絵芝居を一緒に見に行きませんか?」
 「…あっ、影絵芝居ね…」
 紳士の私としたことが、良からぬ想像をしてしまったではないか。
 影絵芝居はジャワの伝統芸能で、古代インドの叙事詩を題材にした物語を人形影絵で演じるものだ。
 「行く気になったらロビーで待ってるね」
 と約束し、いったん部屋に戻って休んでいるうちに眠ってしまい、目覚めたら約束の時間をとうに過ぎてしまっていた。
 もちろん彼女たちは私を置いて二人で影絵芝居に出掛けた。



寒い高原


 3日目も早起きをし、昨日と同じく6時にホテルを出発した。
 今日はジョグジャカルタの町から車で2時間半ほど離れたディエン高原へ向かう。
 ディエン高原はいにしえの時代から土着信仰の聖地であり、さらに8世紀頃にはヒンドゥー教信仰の中心地とされた場所だ。

 ジョグジャカルタの町を走っていると、かなり派手なバスを多く発見する。
 日本ではアートトラックとして車体にエアブラシで竜神やらなまめかしい女性やらをペイントしているものがあるが、そのバス版≠ニいったところだ。
 ブディさん曰く、これらのバスは個人所有のバスで、派手にペイントをすることがインドネシアでは流行っているらしい。
 インドネシアではバスを持っていれば簡単に営業ができ、車体も目立つように自由にペイントできるらしい。

 さて、我らの車は町を抜けると、山あいに畑がどこまでも広がる風景の中を進んだ。
 道は1.5車線とそれほど広くはないが、対向車はほとんどない。
 青空が広がる絶好のドライブだ。
 しかし、高度が上がるにつれ空には黒い雲がかかり、やがては雨が降り出してきた。
 「ディエン高原はいつも雨が降っています」
 ブディさんによれば、この高原はほとんど天気が悪く、半日でも晴れていればラッキーなのだそうだ。
 まずはジャワ島最古の寺院群であるアルジュナ寺院群を見学する。
 車を降りた瞬間、
 「さ、寒っ!!」
 この場所の標高は2千メートル。さらに激しい雨である。
 日本から持参したセーターを着てもまだ寒い。
 ところがこの寒さの中、ブディさんは半袖に薄いジャンパーだ。
 「ブディさん、寒くないの?」
 「う〜、寒いです…」
 そりゃそうだよな。
 この寒さでは凍死しちゃいそうなので、駐車場にあった茶店で体を温めることにした。
 入れたてのチャイをかじかむ手で飲む。
 暖かなものが体の中心に向かって流れ落ちていくのがよく分かる。
 「腹ごしらえもしておきましょう」
 とブディさんはテンペを注文してくれた。
 そういえばブディさんはどこへ行ってもテンペを食べている。
 「私はテンペが大好物です〜」
 それはいいが、そんなに毎回食べていて飽きないのか?

 さて、少し体が温まってきたところで遺跡見学に出発だ。
 遺跡は高原の中に点在し、遊歩道を歩きながら巡っていく。
 ところが、目の前が真っ白で何も見えない… 濃霧に包まれているのだ。
 寒い上に激しい雨、そして濃霧…
 濃霧の中から突然に姿を見せる遺跡は神秘的ではあるが、あまり楽しくないぞ!
 いくつかの寺院遺跡を義務的にサッサと周り、泥湯がボコボコと煮えくり返っている池を見学、そして、バケツをひっくり返したような豪雨の中で湖を見学した。
 「インドネシアでは人気の避暑地です」
 と、このワルナ湖についてブディさんが説明してくれたが、今は避暑地よりも避寒地に行きたい。
 あまりの霧の深さに車も道に迷ったりし、どうにかこうにかツライ観光を終え、我々はそそくさとディエン高原を後にした。



客のいない影絵芝居


 昨夜に行き損なってしまった影絵芝居を観に行くことにした。
 ホテルの前からベチャ (自転車タクシー) に乗り、王宮広場にあるソノブドヨ博物館で観ることにした。
 劇場は学校の体育館のような場所で、客席にはパイプ椅子が適当に並べられていた。
 スクリーンは1畳分ほどの大きさのもので、その裏手にはガムラン奏者のおばさんとおじさんが8名ほど談笑していた。
 「上映まで時間があるので、影絵人形の製作現場を案内する」
 と係の人に言われ、博物館の敷地内にある工房について行った。
 製作現場と言っても机が1つあって、そこでおやじが影絵人形を作っているだけだった。
 展示されている影絵がいくつかあったが、それは売り物≠セった。
 案の定、「土産に買っていけ!」 としつこく迫られた。

 いよいよ影絵芝居の開幕の時間となった。
 なんだかメリハリの無い始まり方で、ダラダラとしているうちにいつの間にか物語りがスタートしていた。
 鐘や太鼓、木琴で奏でるガムラン音楽に合わせ、
 「アイヤ〜!」
 みたいな掛け声とともに影絵の人形が動く。
 何人ものキャラクターが登場するが、すべての操作と語りはおやじが一人でやっていた。
 おおまかなストーリーは分からないでもないが、現地語での話しなのですぐに飽きる。
 しかも、影絵なので背景は変わらないし、人形の大きな動きもないので、すぐに眠くなってしまった。
 ところが、客は私一人だけだ…
 居眠りする訳にはいかないし、途中で帰るなどとは到底できる訳もなし。
 2時間の上映時間をただただ睡魔と闘うのであった。
 そんな苦痛を受けている私を尻目に、自分の演奏が終わったおばちゃんたちは大声で談笑しながら、スクリーンの真ん前を堂々と横切って帰って行った。
 何たる大胆さだ。

 結局、客は最後まで私一人だけで、やはりメリハリの無い終わり方をして空しい拍手が館内に響いた。
 ちなみに、エミさんとチエさんも同じ博物館で観たのだが、そのときは欧米人観光客がたくさんいて盛り上がっていたそうだ。
 昨日行けば良かったと後悔…



発熱と帰国


 インドネシア滞在の最終日。
 夜のフライトでジョグジャカルタを発つので、今日は丸1日自由に使える。
 ジョグジャカルタの町中の観光スポットは王宮の近辺にあるだけだ。
 このエリアはホテルから歩いてもそれほど遠くない。
 町の風景をカメラに納めながら、まずはガスン市場へ向かった。
 ガスン市場は別名 「鳥市場」 と言われており、とある大きな一区画がすべて (飼い) 鳥を扱う店になっていた。
 インドネシアでは鳥を飼ってその鳴き声を楽しむ習慣があり、店には大小様々な鳥が売られていた。
 カラフルな鳥を楽しみながら散々市場を歩き回った後に思い出した。
 インドネシアでは鳥インフルエンザ≠ェ蔓延したことを…
 そういえばブディさんも言っていた。
 「インフルエンザ騒動の後、日本人は鳥市場には行きません」
 と…
 慌ててタオルで口と鼻を覆って市場を出たが、すでに後の祭りだ。

 この市場の近くは昔ながらの密集した住宅街となっており、東京の下町みたいに路地裏を行く。
 しかしこの路地裏がかなりの曲者で、すぐに迷子になってしまうのだった。
 路地裏といっても人ん家の中に道があるようなもので、家族団欒で食事をしているそのすぐ脇を通るのである。
 私が向かっていたのは王室の離宮である 「タマン・サリ」、別名を 「水の宮殿」 と呼ばれる御殿だ。
 何度も地元の人たちに親切に道を教えてもらいながら、やっとのことでタマン・サリに到着した。
 本来は正面から入ってくれば何ら迷うような道ではないのだが、市場方面からやってくると、これは地図を持っていても役立たない道順になる。

 タマン・サリは屋敷の中央に石造りの豪華なプールがあり、その周囲の小部屋にはスルタンが夜床を共にする美女が大勢いたそうだ。
 今ではプールの噴水が見た目に涼しいだけの観光地だ。
 木陰に座ってぼんやりとプールを眺める。
 この時から突然に私の体調がおかしくなってきた。
 意識が朦朧として地に足が着いていない感じだ。
 「何じゃ、こりゃ!?」
 自分でもいったいどうなってしまったのかが分からない。
 熱射病? 風邪? 祟り? それとも鳥インフルエンザか?…
 私は日本では年2回しか風邪をひいて熱を出さない。
 自分では健康体だと思っているが、平成になってから2回しか発熱したことのない我が妻に言わせれば弱っちぃ≠フだそうで、特に熱い国では体力の消耗も激しいので体調を崩しやすくなる。
 とは言え、今回はわずか5日間の旅。
 しかも、全部手配済で通訳付きの楽チン旅行だ。
 考えられることは、昨日のディエン高原での寒さで風邪をひいたか?
 でも、風邪にしては咳や喉に痛みなどの症状がまったく無い。
 なんとか立ち上がって歩こうとするが、フワフワして足元がおぼつかない。
 そんな状態なのに、
 「安くガイドするよ」
 と制服を着たタマン・サリの係員がしつこく付きまとってくる。
 「いらん!」
 と断る元気もなく黙っていると、勝手にガイドを始め、ほんの少し説明しただけで
 「金よこせ!」
 ととんでもないことを言ってきた。
 いつものように元気ならば
 「バカこけ!」
 と言い放つところだが、このときは 「ノー」 と言うのが精一杯だった。

 ベチャに乗ってホテルに戻った。
 今日はホテルのご厚意により、夜までチャージなしで部屋を確保してもらっていた。
 ベッドの上に倒れ込み、そのまま深い眠りに堕ちた。
 かなり高い熱が出ているようで、うなされるような夢を見ては目を覚まし、そしてまた眠る… そんな繰り返しをしているうちに夕方になった。
 体も軽くなり、熱も下がったようだ。
 ビールと一緒に夕食をしっかり食べる元気も戻ってきた。
 「さっきの熱は何だったんだ?」

 ホテルをチェックアウトし、タクシーで空港に向かう。
 今日はブディさんは朝から遠くに行っているので、お礼をすることができなかった。
 帰路はバリ島経由ではなく、ジャカルタ経由で成田に向かう。
 空港はとても空いていて、チェックインもスムーズに行なわれた。
 搭乗を待っている間にまた高い熱が出始めた。 
 先ほどと同じ症状だ。
 ところが、1時間もするとピタッと熱が下がってしまった。
 「あれ?」
 と思っていると、また1〜2時間後に発熱、そしてまた下がる…
 これを繰り返しながらジャカルタで飛行機を乗り換え、チャラ男とチャラ子のいない静かな便で翌朝に成田に到着した。
 機内では熟睡したので着陸時には熱は下がっていた。
 「疲れで風邪をひいたのだろう…」
 くらいにしか思っていなかった私は、成田の健康センターに立ち寄ることもなく、そのまま帰宅の途についた。
 サーズが流行していた5年ほど前だったら、到着客の一人一人がレーザー体温計みたいな機械でチェックされ、熱が少しでもあれば別室へ連れて行かれるところだった。



で… 病名は?


 翌日になっても39度の発熱と平熱の繰り返しは続いた。
 流石に怖くなってかかりつけの医者に行った。
 事情を事細かに話すと、
 「何で成田を通過しちゃったんですか! そういう時は健康センターに寄らなきゃダメですよ!」
 と怒られてしまった。
 粘膜検査や血液検査を行ない、しばらくして主治医に再度呼ばれた。
 「どうでしたか? 結果は?」
 「占いの結果、ぽからさんの病名は…」
 「へっ!?占い=H」
 「ははは〜っ 冗談です」
 いくらかかりつけの医師と言えども、このシチュエーションで冗談はないだろ!
 「検査の結果、インフルエンザではないようですね」
 「そうですか…鳥≠ナもないですよね?」
 「それではないです。風邪でもないようですし…」
 「じゃあ、何ですか?」
 「何だか解りません」
 「へっ!?」
 「…マラリアの可能性もあり、デング熱の可能性も捨て切れず…」
 いつもはズバッと診断する主治医だが、今回は判断に困っているようだ。
 「とりあえず悪魔祓いでもしときましょうか?」
 「…」
 冗談はもういい!
 「まぁ、抗生物質を飲んで様子を見ましょ〜」
 「え、そんなんで大丈夫ですか?」
 「5日ほど様子を診て、変わらないようならすぐに来て下さい」
 「あ… はい」
 「いいですか、すぐに来て下さいね。保健所に届け出なくてはなりませんので!」
 「はぁ… 保健所ですか…」
 と言うことで、気休めのような薬を飲んで様子を診ることにした。

 その後も熱が1週間ほど続いたが、高熱と平熱の幅が少しずつ小さくなり、何とな〜く普通の風邪≠チぽくなってきたので、保健所に届け出られることにならずに済んだ。
 めでたし、めでたし…

 私が出勤した後の職場では、机の近い順から風邪らしき病気≠ナ順番に欠勤するようになってしまった。
 この忙しい時に何なんだ!
 日頃の健康管理が成っていないからだ。
 風邪なんか気力で乗り切れ!
 と、健康体の私は思うのであった。


(完)



前 編 へ     [旅行記TOPへ