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タイ ぐうたらひとり旅 (第七章・難行苦行のマッサージ) |
トコトコと列車は行く おばちゃんにお礼の挨拶をしてこの町を去る。 おばちゃんは 「ご飯、食ってけ〜」 と勧めてくれたが、これ以上ここにいると沈没してしまいそうで怖かったので、振り向かずにそのまま歩き出した。 駅の切符売り場は閉まっており、時刻表を見ると12時41分にバンコク行きの普通列車があった。 まだ1時間半以上も時間があったので、早い昼食をとりながら待つ。 列車は30分遅れで到着した。 線路から高いステップを登り、自分で扉を開けて車内へと入る。 4人掛けの座席に1人で座れるほど3等車は空いており、足を伸ばしての快適な列車の旅であった。 窓が全開になっているので気動車から吐き出される灰に服が汚れてしまうが、それも情緒と思えばまた楽しいものである。 午後2時40分、終着のファランポーン駅 (バンコク中央駅) に到着した。 流石は首都の中央駅だけあって立派な造りである。 タクシーやトゥクトゥクなどのうるさい客引きを振り切って、路線バスでホテルに向かう。 今日の宿は、初日に宿泊したホテルの近くで目を付けていた 『オペラホテル』 である。 住宅街の静かな路地に、こじんまりと佇んでいるのがそのホテルであった。 1泊590バーツ (約1,770円) で部屋には窓が無かったが、モーテル形式で気軽に出入りでき、静かな環境が気に入った。 スタッフも明るく気さくだったので、このホテルに荷を解くことにした。 荷物を置くとすぐさま外出し、そのままバンコクの夜で酒に浸った。 マッサージは苦痛! あまりの苦痛で目が覚めた。 昨日、少し調子が悪かった左足がついに動かなくなっていた。 ベッドの中でどうしようかと考え、あることを思い出した。 それは、どこかの寺にタイ式の治療院があったことだ。 パンフレットで探し出したのが 『ワット・ポー (ポー寺) 』 である。 やっとの思いで洗面を済ませ、跛を引きずりながら外出した。 屋台で朝食をとりながら、 (ただ真っ直ぐにワット・ポーへ行っても能が無い) と思い、バンコクのシンボルでもあるチャオプラヤー川までバスで行き、そこから乗合船で向かうことにした。 チャオプラヤー川は褐色の水を満々と湛えた大きな川で、数多くの船が往き来していた。 桟橋で待っていると、乗客を満載した船が近付いて来た。 乗員の笛を合図に、客が一斉に乗り始めた。 痛い足にムチ打って船に飛び乗るが、船室やデッキには人が溢れ、ラッシュアワーとなっていた。 しばらく進むと、対岸に暁の寺として有名なワット・アルンが見えてきた。 これが見えたら下船だと分かっていたので、人々をかき分けて船を降りる。 ワット・ポーは船着場の目の前にあった。 大型観光バスがたくさん停まっており、この寺の一番の見所である金色に輝く寝釈迦仏には多くの観光客が訪れていた。 自分の目的はただ一つ、治療院を目指すことである。 治療院と言ってもそこは現代医術を施すところではなく、伝統的な古式タイマッサージをする所なのである。 ここはそのマッサージの総本山で、痛いところを言えばたちどころにその部分を直してくれるそうである。 そこは寺院の裏手にひっそりと建っていた。 小さな入口を入ると4〜5人でいっぱいになるような待合所があり、地元のお年寄りが順番を待っていた。 奥のカウンターで、 「ここが痛い、ここが痛い」 と左足全体を差しながら必死に訴えると、番号札が渡された。 30分ほど待っていると番号が呼ばれ、おばちゃんの後について中へ入る。 畳敷きの大きな部屋にはたくさんの患者 (?) がマッサージを受けており、少し異様な光景に見えた。 左足の痛みを訴え、おばちゃんの指示どおり仰向けになって横たわった。 するとおばちゃんが足元でお経を唱え出した。 (まだ、死んでないよ) と思っていると、本題のマッサージが始まった。 左足を中心にあちらこちらを揉んだ末、おばちゃんが突然別の女性を連れてきた。 「足、どうされました?」 その女性は日本語が話せた。 症状を話すと、それをタイ語に直しておばちゃんに伝えた。 そして、 「ここでは完全に治すことができません。足ではなく腰に異常が診られますので、後日、病院へ行った方が良いです。 今日は、痛みを和らげるマッサージをおこないます」 と言われた。 日本に帰国後、病院で椎間板ヘルニアと診断されたが、レントゲンも使わずに腰に異常があることが分かるとは、流石は古式マッサージである。 さてマッサージであるが、最初のうちはソフトに揉んでいくので気持ち良いのだが、段々と過激になり、骨をポキポキ鳴らすのは序の口で、足を押さえつけられて腕を引っ張られたり、首をこれでもかと言うくらいの力で捻じ曲げられたりと、まるでプロレスの技のようであった。 そのたびに、 「イテテテテ〜!」 と声をあげてしまうのだが、おばちゃんは容赦しなかった。 最後に腰のツボなのだろうか、ヘソの周りを指で押され、息もできず声も出ない。 このまま死んでしまいそうな極限状態まで追い込まれた。 この荒治療で放心状態になっていると、 「終わったよ」 とおばちゃんがニコッと笑い、「どうだ?」 と左足を軽く叩いた。 不思議と痛みが薄れていた。 もしかすると、マッサージの痛みで足の痛みを感じなくなっていたのかもしれないが・・・ なにはともあれ1時間半の苦痛の結果、どうにか普通に歩けるようになった。 (治療費200バーツ = 約600円) トゥクトゥクを値切りカオサンロードへ向かう。 前回にも増して欧米人の姿が増えていた。 メールを打ったり土産を購入したりして、最後のシンハービールと夕食を楽しむ。 時間が遅くなるほど活気を増すカオサンをあとにし、大渋滞の中をバスにてホテルまで帰る。 そして現実へ… 「ピピピピピ〜〜〜」 けたたましい目覚ましの音で目が覚めた。 時刻はまだ午前2時半。 今日は帰国の日だ。 相変わらず痛い足を引きずりながら荷物をまとめる。 リュックの中から時計を探し出し、腕にはめる。 9日振りの腕時計は違和感を覚えた。 この旅行中、目覚し時計は当然の如く、腕時計も持たなかった。 食べたい時に食べ、寝たい時に寝る。 バスが来たら乗って、列車が来なければ来るまで待つ。 そして疲れたらビールを飲む。 時間とは無縁に過ごしてきた9日間であったが、それも今日で終わり。 日本という現実の世界に戻らなくてはならないのだ。 フロント係は3人ともイビキをかいて眠っていた。 かわいそうだと思ったが、1人を起こしてチェックアウトする。 ホテル前の路地は大通りの抜け道となっていて、タクシーが頻繁に通行するために空車をつかまえるに5分とかからなかった。 来た時と同じようにオレンジ色の道路を疾走し、ドン・ムアン空港に到着した。 往きは一律で650バーツ (約1,950円) もしたのに、今回はわずか130バーツ (約390円) であった。 早朝の空港は人影もまばらで、出発の早いアメリカ系航空会社のカウンターがわずかに開いているだけであった。 チェックインを済ませ、空港使用料 (500バーツ) を支払ってから出国・搭乗ゲートへと向かうのであるが、この国は入る時はやさしく、出る時は厳しい国≠ナある。 空港内を少し進むたびに出入国管理官がやって来て、 「この荷物はあなたのですか?」 「誰かから荷物の依頼を受けていませんか?」 「武器は持っていませんか?」 と質問してくるのである。 そして質問に答え終わると 『セキュリティー』 と書かれた小さなシールを貼るので、水の入ったペットボトルと手帳を持っていたら、そこにまでシールを貼られてしまった。 (これらのどこに武器や麻薬を隠すんじゃい!) 東の空が薄っすらと明るくなり始めた頃、少ない乗客を乗せたノースウエスト機は、現実の世界に向けてタイランドを飛び立った。 帰国後、タイ文字で手紙を書いた。 この旅で出会った人たちにお礼状を出すためだ。 もちろんタイ文字など書けないので、本の例文を丸写しするだけである。手紙を書いていると言うよりも、図形を写している感じで少しも心がこもらなかった。 次回タイを旅行するまでには、会話はもちろんだが、多少の読み書きもできるように勉強しようと決意した。 |
(完) ≪前ページへ [目次へ戻る] |