初のフィリピンである。
特にフィリピンに行きたかった訳ではないが、使わないと無効になるANAのマイレージがあったので、無料特典の航空券をゲットしてマニラに飛んだ。
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満席の全日空機は定刻どおり羽田を離陸。
好天気の中のフライトで、富士山がはっきりと見えた。
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沖縄の島々が眼下に広がったと思ったら、すぐにフィリピンの上空になった。
意外と日本から近かったことに少々驚き… |
係員が機械的にスタンプを押し、すんなりと入国ができた。
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ニイノ・アキノ国際空港はターミナルが4つもあり、全日空機はターミナル3に到着した。
荷物もほとんど待つことなく、スムーズにピックアップできた。 |
出迎えの人波を抜け、ターミナルの外へ。
両替は羽田空港で済ませていたが、日本では1日に 1万ペソ (26,000円分)
までしか両替ができない制限があった。
レートはマニラの方が少々良いようだ。
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ターミナル3を出て右の方へ行くと行列が出来ていた。
並んでいたのはフィリピン人ばかりで、きょろきょろしていたら、
「エドゥサに行くならここで待ってなさい。すぐにバスが来るわよ」
と、並んでいたおばちゃんが親切に教えてくれた。 |
ほどなくしてバスが到着した。
ターミナル3とエドゥサのトラモを結ぶエアポートループというバス。
「料金は20ペソだよ」
前に並んでいたお兄ちゃんが、20ペソ札を広げて教えてくれた。
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空港からエドゥサのトラモまでは2キロほどの距離だが、空港を出た途端に大渋滞でバスは遅々として進まず…
トラモに着くまで40分もかかった。
このガラス張りの小屋で明日のバスチケットを予約する。
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ジェネシス・トランスポート社が運行するJOYバスは、バギオへ1日6便が走っている。
9時00分発のバスを予約した。 (730ペソ) |
マニラは人が多い… 多過ぎっ!
さらに路上で寝ている人がいたり、店を広げていたりして、歩くのに一苦労である。 |
■ カバヤン ホテル パサイ (Kabayan Hotel Pasay) |
バスターミナルから大通りを渡った反対側にある、カバヤンホテルを今夜の宿にした。
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表通りから入ったら、そこは併設されているレストランの入口だった…
中を抜けてホテルのフロントへ。 |
部屋はとても清潔だったが、窓のすぐ外にある室外機が夜中にうるさかった… |
■ エドゥサからユナイテッドネーションズへ (高架鉄道) |
ホテル前のエドゥサ駅から高架鉄道 (Line1) に乗った。
日本の駅のように目立つ看板が無いので、駅の入口が非常に分かりにくい。
改札口では空港並みの手荷物検査とボディチェックがおこなわれていた。
改札にもホームにも警備員が多数おり、全員がサンタクロースの帽子をかぶっていた。
緊張感があるのやら、無いのやら… |
切符は自販機か窓口で購入し、自動改札を抜けてホームへ。
路面電車のような車体の高架鉄道。 |
ルーズベルト行きの電車がやってきた。
5分間隔くらいで運転されているようだ。 |
日曜日の午後でこの混雑。
人が乗り降りしている途中でも、時間になるとすごい勢いで扉が閉まる…
扉に挟まれる人を何回も見た。 |
車内では停車駅のアナウンスが一切無いので、駅の数を数えておくか、到着した駅の名前を確認しなくてはならない。
スペイン統治時代の城塞都市が残るイントラムロスへの最寄り駅 「ユナイテッド・ネーションズ」
で下車。
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駅前にあるリサール公園。
国立図書館や子供の広場、日本庭園などがあり、多くのフィリピン人がくつろいでいた。 |
かなり広大な公園を抜け、街のド真ん中にあるゴルフコースを横目に見て進む。 |
■ イントラムロス (スペイン統治時代の城塞都市) |
イントラムロスの入口に着いた。
シクロの客引きがかなりしつこいが、この門を過ぎたら誰もついて来なかった。 |
第二次世界大戦でかなり破壊されてしまったらしいが、それでもスペイン統治時代の建物が多く残っている。 |
このパレードが想像以上に長かった…
パレードが通過する際は通行規制がされ、さらに多くの見物人で身動きがとれなかった。
先頭は厳かな軍人の列。
続いて、民間人が陽気に踊りながらその後に続いていた。 |
パレードから外れ、脇道からマニラ大聖堂を仰ぎ見る。
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北の外れにある広場には、まだ出発していないパレード参加者たちが屯していた。 |
城塞の所々に広場のような要塞があり、大砲が備えられている。 |
エドゥサに戻った頃には、すっかり暗くなってしまった。
相変わらず人混みがすごく、食事をする店、屋台がどこも満員だった。 |
仕方なく、ホテル近くのセブンイレブンで肉まんにサンドウィッチ、ビールを買って夕食とした。 |
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