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素顔のダッカ |
貧困、飢餓、水害、砒素汚染… 勉強不足ではあるが、この国でおおよそ知っていることと言えば、これくらいの単語しか思い浮かばない。 「首都は?」 と訊かれれば、日本赤軍が起こしたハイジャック事件=ダッカ事件でその名を知っている程度だ。 日本語のガイドブックもわずか1冊しか刊行されていない。 それも、かなりマニアックな出版社 (旅行人) から今年初めて発行されたものだ。 それほどまでに情報の少ない国 『バングラデシュ』 。 でも、何故か惹かれるんだよな〜 この国。 ならば 「自分の目で見てこよう!」 と言うことで、未知なる国・バングラデシュへの放浪旅が急遽決まった。 会社の休暇は5日しか取れなかった… いや、夏休みでもないのに5日もいただけた。ん〜ありがたや、ありがたや… この短い…もとい、この与えられた日数を有効に使うため、今回はパッケージツアーを利用することにした。 パッケージツアーと言っても航空券とホテル、それに半日だけの市内観光がセットされたもので、それ以外はまったくのフリーになっているものだ。 申し込みもいたって簡単。 Eメールで照会をしたら申込書が送付され、指定された口座に代金を送金したら終了。 後は当日に成田空港の指定されたカウンターに行くだけだ。 パスポートのコピーなども不要で、実にあっさりと申し込みが完了した。 小金持ちの家 バングラデシュは事前にビザ取得が必要な国。 旅行社に依頼すると8千円ほどの費用がかかるが、自分で大使館に行けばタダ。 そこで、バングラデシュ大使館のホームページから申請書をプリントアウトし、写真を持って目黒にある大使館を訪ねた。 JR目黒駅からバスで10分ほどの閑静な住宅地に大使館はあった。 「こんな場所に大使館があるのか?」 と疑いたくなるような、ごく普通の住宅地だ。 そのごく普通の住宅地にある、ごく普通の小金持ちの家のような建物がバングラデシュ大使館だった。 緑地に赤丸の国旗が掲揚されていなければ通り過ぎてしまいそうな、ごくごく普通の家だ。 玄関のドアには、ビザ申請の受付時間などが書かれた手書きの張り紙があった。 ドアを開ける、 「おっ!」 思わず小さく叫んでしまうくらいドアのすぐ向こうに、職員のおねえさんが座っていた。 まさに玄関先での申請だ。 申請書類を提出すると、おねえさんはその書類に素早く鉛筆で丸印を付け、 「ここが記入漏れですよ」 と返してきた。 その作業の早さは神業的だ。 「奥の部屋の机に記入例とペンがありますから…」 と、応接間に通してくれた。 広々とした涼しい応接間に、日本語で詳しく記載された記入例があった。 申請書はすぐに受理がされ、受領書が渡された。 受取りは翌日の午後3時〜4時の間。 受取り時間がわずか1時間しかないのが難だが、受領書を玄関のおねえさんに渡すとビザスタンプの押された自分のパスポートが返された。 その間、わずか3分。 じつに簡単にビザが取得できた。 トランジット 出発日の成田空港第2ターミナルは閑散としていた。 こんなに空いている成田空港は初めてだ。 全日空が第1ターミナルに移転した影響か? って、そんな訳ないか… 出国審査の窓口はわずかに2つだけしか開いていないのに、人がほとんど並んでいなかった。 今回利用した航空会社はマレーシア航空。 まずは成田からクアラルンプール (マレーシア) まで飛び、そこで乗り換えてダッカまでだ。 クアラルンプールまで約7時間、さらにダッカまでは約4時間のフライトである。 マレーシア航空は初めての利用だが、機材やサービスはかなり良い。 座席ごとにモニターが付いていて、好きな時に好きな映画やゲームが楽しめる。 さらに機内食も美味いし、フライトアテンダントの気配りもこまめだ。 米系航空会社の大雑把、いやいや、おおらかな対応とはかなり違う。 これで合計11時間のフライトも苦になることはなかった。 定刻の午後1時に成田空港を飛び立った飛行機は快調にフライトを続け、すでに日が暮れた午後7時にクアラルンプール新国際空港に到着した。 マレーシアはおおぜいの日本人が訪れるリゾートの国とあって、この空港の案内表示は日本語での表記がある。 ダッカへの乗り換えの飛行機は、到着したターミナルとは別の建物のようだ。 その建物へは、成田空港第2ターミナルにもあるような新交通システムの電車に乗って行く。 電車の雰囲気は成田空港のそれとほとんど変わりがないが、走り始めて驚いた。 かなりのスピードで走るのだ。 一緒に乗っていた日本人のカップルも 「ドヒャ〜早っ!」 と騒ぐほどだ。 成田空港のトロトロ走る電車に慣れている身には、相当のスリルが味わえる。 滑走路の中をアップダウンしながら、隣のターミナルまで約2分間のお楽しみだ。 先ほどのターミナルの賑わいとは打って変わり、乗り換え便のターミナルは閑散としていた。 この時間に発着する飛行機の便がほとんど無いようで、通路にも店にも人影はほとんど無かった。 自分の乗る飛行機のゲートは、長い通路のはるか先のほうだった。 静まり返った通路に、動く歩道のモーター音だけが響く。 ゲートに近付いていくと、数人の人たちがベンチに座っているのが見えてきた。 自分と同じ飛行機に乗る人たちのようだ。 褐色の肌にギョロッとした目、それはバングラデシュの人たちだ。 そのベンガル人の中に混ざって飛行機の出発を待つと、すでに気分はバングラデシュ〜 両替のし過ぎにご用心 日付が変わる頃、ダッカの街の灯りが見え始めてきた。 大きな建物が少ないせいで、それは蛍かクリスマスイルミネーションのように見えた。 香港のようにビル群の夜景を上空から眺めるのも美しいが、このように小さな灯りが無数に集まっているのも実に美しい。 快適な空の旅を終え、ダッカのジア国際空港には定刻より若干遅れた24時30分に到着した。 案内表示と人の流れに従い、薄暗いターミナルビルのイミグレーションへ向かう。 イミグレーションではバングラデシュ人用の窓口には長い列ができていたが、外国人用はかなり空いている。 しかし、その流れる速度がだいぶ違う。 外国人の入国には、ひとりひとりにかなりの時間をかけて審査が行なわれていた。 これまでの経験から、泊まるホテルが決まっていない場合、入国カードの滞在先には「HOTELS」と記入すれば通してもらえていたが、バングラデシュではダメなようだ。 自分の前に並んでいたバックパッカー風の欧米人は、 「HOTELS」 と記入して提出したら、 「ホテル名を書きなさい」 と、入国カードを返されていた。 散々待たされて、やっと自分の番がやってきた。 幸いにも自分の場合はホテルが決まっており、ホテル名はしっかりと記入していたので特に問題はなかった。 係官は入国カードの記載内容をすべてパソコンに入力している。 流石にこれでは時間もかかるはずだ。 質問は、 「バングラデシュは初めてですか?」 とキツイ訛りの英語で訊かれたが、それは極めて事務的に訊いただけで、こちらの返答は何も期待していないといった表情だった。 仮に 「何百回と来てます」 と答えたとしても、何も疑われることなく入国できそうだ。 それくらいに入国審査の事務は淡々とおこなわれた。 イミグレーションの先には銀行の窓口が3つほど並び、ここでバングラデシュの通貨である『タカ』に両替ができる。 外貨から 『タカ』 への両替は空港の他に街中の銀行や両替屋でも簡単にできるが、問題は 『タカ』 から外貨への再両替である。 帰国の際の空港には両替の窓口は無い。 入国の際の銀行の窓口はイミグレーションの先ではあるが、荷物をピックアップする前 ―― つまり、税関審査を通過する前なので自由な立ち入りができない場所。よって、この窓口は使えない。 最初の寄港地であるクアラルンプール新国際空港にあるいくつかの銀行窓口では、 「Sorry! We can't accept TAKA!」 と断られてしまった。 空路の場合、『タカ』 は海外に持ち出して… いや、空港まで持って来てしまうと、お金そのものをお土産にするしかないようだ。 この時にはそんなことは知らなかったので、バングラデシュでの旅予算も分からずに40米ドル(2,752タカ)も両替をしてしまった。 荷物のピックアップ場所では、bPとbRの2ヶ所のベルトが動いていた。 案内表示を見ると、自分の乗って来た飛行機はbQのベルトになっている。 しかし、荷物が出てきたのはbRのベルトからだった。 このあたり、東南アジアにありがちなアバウトさである。 税関はフリーパス。 フリーパスと言うよりも、係官が誰もおらず、気付いたら外に出ていた。 この辺も東南アジアらしいアバウトさだ。 提出する場所の無かった税関申告書を握り締めたまま、歩いて行くと、 「ぽからさんですね?」 とすぐに声を掛けられた。 「お疲れさまでした。私はガイドのレザーと言います」 今回はパッケージツアーなので、空港からホテルまでの送迎付きだ。 いつもの旅ならここで客引きに取り囲まれるのがパターンだが、今回は心強いガイド付きなので、気を引き締めることなく空港を出られる。 この旅でお世話になるガイドのレザーさん (36歳・♂) は、ダッカに事務所を構えるベンガルツアー Ltd.の社員で、東京・東十条に12年間住んでいたことがあり、日本語がペラペラだ。漢字はダメだが、ひらがなとカタカナなら字も読める。 「それは、もういらないです」 手に握り締められた税関申告書を目ざとく見つけ、そう言った。 ガイドのレザーさん レザーさんの後に付いてターミナルビルを出る。 ビルから一歩外へ出ると、モワ〜ンとした蒸し暑い空気に包まれた。 それは毎回感じる、旅の始まりのメッセージだ。 ビルの外には物凄く多くの人と車でごった返していた。 警棒を振り回すガードマンと言い争っているような人たちも多く (実際には何と言っているのか分からないので、そのように聞こえるだけかもしれないが…)、その熱気に圧倒された。 「飛行機の到着する時間は人でいっぱいになります」 レザーさんはそう言いながら、人々をかき分けて駐車場まで誘導してくれた。 待機していた自家用車に乗り込みホテルへ向かう。 車窓から眺めるダッカの街 (と言っても、空港があるのは中心地からかなり外れた場所だが) は、思っていたよりも整然と整備された近代的な街だった。 交差点の所々にある広場には、すでに夜中の1時を過ぎていると言うのに大勢の人々が集まっていた。 「街頭テレビです。ワールドカップをみんなで見てます。昭和30年代の日本みたいでしょ」 とレザーさんが笑いながら教えてくれた。 『三丁目の夕陽』 の世界まで精通しているとは、レザーさん恐るべし。 到着したホテルは住宅街の一角にある、小さいながらもちゃんとした(?)ホテルだ。 ロビーのソファーに座って、レザーさんと滞在中の打ち合わせをおこなう。 「今、バングラデシュではダッカを中心にデモがおこなわれています。明日は大規模なデモが予定されていますので、ダッカの交通機関は自家用車も含めて全面運行禁止となります。店もすべて閉まっています」 レザーさんからそう告げられた。 そして、 「予定では明日にダッカ市内を観光することになっていますが、日程変更して明後日に観光をします。それでよろしいでしょうか?」 「まぁ、何も予定がないから、そのようにお願いします」 「では、明後日の朝8時にここに迎えに来ます」 「…じゃ、明日の自分はどうしたらいい? 交通機関が動いていないんでしょ?」 「規制は9時から15時ですから、それ以外の時間なら大丈夫です。時間内でもリキシャなら動けます。でも、オールドダッカ (旧市街) へ行くのは危険なのでやめて下さい。死者が出たり放火されたりしますから…」 「どの辺なら安全ですか?」 「このホテルの近所は大使館の集まる地区です。ここは警察がしっかりガードしてますから安全です。明日はホテルの周辺だけにして下さい」 バングラデシュでは選挙があるたびに大規模なデモが起き、それが暴動へと発展するそうだ。 今回も来月に選挙を控え、その影響で連日のように街が騒然としているらしい。 しかし、このデモはもともとは合法的なものなので、ちゃんと警察の許可を得ておこなわれているものだ。 だから暴動が起きるであろう日時がしっかりと分かるのだ。 毎回のようにデモ行進が暴徒化するのなら、警察がデモ行動を許可するのも不思議なものだ。 そこにはきっと、労働者層と経営者層、そして政府の力関係のようなものがあるのだろう。 ひとりになれないダッカ 「オハヨー、ゴザイマス」 明朝、ホテルの1階にあるレストランでバイキングの朝食。 日本人がたびたび訪れるので、ウエイターも挨拶程度の日本語ができる。 バイキングといっても料理の数は少なく、辛い煮豆やナンなどのバングラデシュの家庭料理だ。 コーヒーはインスタント。紅茶が主流のこの国では、一般人はあまりコーヒーは飲まないらしい。 地図を片手に、カメラを持って外に出た。 本日の天気は快晴。風がかなりあるが、暑そうな一日になりそうだ。 ホテルの周囲は緑が多くて静かな住宅地だが、少し歩いて大通りに出るとその喧騒に圧倒された。 通りを行く車は少ないが、代わりに人力自転車のリキシャ、そして三輪トラックのようなバイクタクシーが怒涛の勢いで走っていた。 バングラデシュでは天然ガス (CNG) が豊富にあり、ほとんどの車とバイクがこの天然ガスで走っている。 だからこれだけのバイクが走っていても、空気が汚いと感じなかった。 ひと昔前まではダッカの空気の悪さは有名だったらしいが、国が積極的に天然ガス利用を進めたために、このように排気ガスの少ない街に生まれ変わったそうだ。 天然ガスならガソリンに比べて値段も格段に安く、庶民にとっても良いことが多い。 レザーさんが安全だと言っていたこの地区 ―― ボナニ、グルシャン、バリダラ地区は南北3km、東西1.5kmほどの小さなエリアだが、ここは新市街と呼ばれ、モデルタウンとして政策的に造られた街だ。 各国の大使館や銀行などの企業が集中した、日本で言えば麻布と大手町が一緒になったような地区だ。 外国人も多く住んでいるので、政府としてもここでデモによる暴動を起こさせるわけにはいかない。 街のいたる所に自動小銃を構えた警察隊が警備をおこなっていた。 だからその他の地区の緊張感をよそに、車やバイクが何事も無いかのように普通に走っている。 ダッカの中でも特別な地区 ―― だから、バングラデシュらしさは少ないのだろうが、危険を冒してまでもこの地区を出る必要もなく、今日はこの地区だけを歩いて回ることにした。 すぐに大きな市場に出くわした。 まだ開店前の準備中のようで、人もまばらで活気がいまひとつ無い。 何枚かの写真を撮っていると、いつの間にか自分の周囲に人垣ができてしまった。 「ギョッ!」 一瞬ビビる。 客引きや物売りに囲まれることには慣れているが、日本人がただ物珍しくて集まってくる彼らには、こちらもどう対処して良いものか困ってしまう。 「え、え〜 じゃ、写真撮ってあげよっか」 カメラのレンズと集まっている人々を交互に指差す。 この仕草を何回か繰り返していると彼らもすぐに理解してくれたようで、ニコニコしながらカメラの前に集まった。 デジタルカメラなので、液晶画面で撮った写真をすぐに見せてあげると、 「オ〜!!!」 と、どよめきがあがった。 しかし、それからが大変だった。 「今度はオレを!」「次は私一人で撮って」 と、カメラの前に並び始めた。 「オレのボスも撮ってくれ」 と、自分の働いている店に連れていこうとする者まで現れた。 彼らは写真を撮られることに喜びを感じるようで、「プリントアウトした写真をくれ」 とは言わなかった。 街を警備する警察官からも、 「撮ってくれ〜」 と声がかかる始末だ。 今回は、つくづくデジタルカメラで良かったと思った。 デジタルカメラでなかったら、すぐにフィルムが底をついてしまうだろう。 あてもなく街を歩いていても、ヒマそうな人たちが後から付いてきた。 チンドン屋に付いていく昔の日本の子どもたちのようだ。 そして立ち止まってシャッターを切っていると、すぐに人垣ができる。 散歩はこの繰り返しだ。 有名人になったような心地良い錯覚さえ覚えてくる。 そんな彼らを従えて、気が向くままに足を進める。 地区の中心地には大きなモスクがあった。 礼拝に訪れていた母と2人の子どもも、こちらの姿に気付くと近付いてきた。 イスラム教の女性の写真はご法度と思っていたが、意外にもそのお母さんから、 「撮って〜」 とジェスチャーされたのには驚いた。 その親子の上の子は6歳くらいの少女で、見慣れぬ日本人に興味津々のようだ。 そして、ベンガル語で話し掛けてきた。 「☆▲∞£#☆○§◇∋◆∠…」 「ゴメン、何を言っているのかサッパリ分からない」 大げさな困惑顔をするが、 「☆▲∞£#☆○§◇∋◆∠…」 少女の話しは一向に止まらない。 仕舞いにはこちらの手を引っ張って、どこかへ連れて行こうとしている。 「おいおい、ドコへ連れて行きたいの???」 「☆▲∞£#☆○§◇∋◆∠…」 日本語も英語も通じるわけなく、彼女に引っ張られるままに歩き出す。 少女は先のほうを指差しながら、ベンガル語での話しを止めない。 民家の軒先の狭い道をしばらく行くと、いきなり視界が開けた。 そこには大きな池が広がっていた。 池のほとりには牛がのんびりと草を食み、その向こうにはビル群が見えた。 そして、一気の汗を引っ込めてくれる、爽やかな風が吹いていた。 「あ〜、君はここを見せたかったんだね?」 そう言うと気持ちが通じたのか、少女は大きくうなずいて満面の笑みを浮かべた。 ボナニ、グルシャン、バリダラ地区には2つの細長い湖があり、ここはその1つのボナニ・レイクだ。 ヒマそうにくっ付いてきた大人たちも、 「レイク、レイク」 と口々に言っていた。 だが、湖と言うよりは ため池 と言ったほうが正確かもしれない。 水は決して清くなく、大きさも幅の太いドブ川と言った感じだ。 しかし、この湖を外国人に見せたかった少女のやさしい気持ちは、痛いほどに嬉しかった。 ロッテレア 街中を散々歩き回り、気付いたら午後2時を過ぎていた。 ビッショリと汗もかき、休憩を兼ねて昼食にすることにした。 できれば冷房がガンガンにきいている店がいい。 しかし、このあたりにはそのような店は無く、人々は薄暗い食堂の中や炎天下の屋台で、汗をかきながら食事をしていた。 しばらく店を探して歩いているとベーカリーを見つけた。 看板には 『ロッテレア・ベーカリー』 と英語で書かれてある。 『ロッテリア』 のパクリか? しかし、店構えは日本に普通にあるパン屋のようで、 「一緒のポテトもいかがですか〜?」 とは言われなさそうだ。 全面ガラス張りの店は入口の扉もしっかりと閉まっている。 ん〜、見るからに涼しそうだ。 扉を開けると、予想どおり店内は生き返るような涼しさ。 このときの外の気温は35度。 思わず、 「す、涼しい〜☆」 と、大きなひとり言を漏らしてしまうほどだ。 トレーに自分でパンを乗せ、奥のレジで精算をする。 おしゃれなパンを3個とコーラ2本で、わずか200円程度。安い! だが、待てよ… 買ったまでは良かったが、一体これらをどこで食べるか… 店には客が食べるスペースがどこにも無い。 かと言って、炎天下の外で食べるのは結構ツライ… レジの周囲を見渡すと、店員が焼き上がったパンをビニールに入れる作業台のテーブルがあった。 焼きたてのパンと途中まで詰め終えたパンがテーブルに置かれていたが、作業をしている店員はいなかった。 レジを打っていた店長らしき男に、 「ここで食べてもいい?」 と、真剣なジェスチャーを試みる。 その意図はすぐに伝わり、店長がさらに奥にいた店員のお兄ちゃんを呼びつけ、テーブルの上を片付けてくれた。 店のすぐ前ではリキシャとバイクの追突事故が発生し、人々が大騒ぎをしていた。 そんな光景を眺めながら、涼しい店内でパンとコーラのランチタイム。 客もなくヒマそうな店員たちからは、 「どこから来たの? マレーシアか?」 と、片言の英語で聞かれた。 (え? マレーシア人…) 「ノー! ジャパ…」 まで言いかけると、 「なら、シンガポールか?」 と矢継ぎ早の質問。 中国人や香港人に間違われることはしょっちゅうあるが、マレーシアやシンガポールは初めてだ。 「ノーノー! ジャパン!」 「オー、ジャポン、ジャポン」 彼らにしてみれば、飛行機を乗り継いではるばると日本から、一体こいつは何をしに来たのだろう、と思っていたことだろう。 続いて、ここでも写真撮影大会になったことは言うまでもない。 彼らは自慢の携帯電話をかけているポーズをとったり、売り物の細長いフランスパンを振りかざしてみたりと、あらゆるポーズを楽しんでは液晶画面を覗き込んで歓声を上げていた。 心意気 歩き疲れて、夕方にホテルの部屋に戻った。 テレビをつけると、バングラデシュの放送局ではニュース番組が始まったところだ。 トップニュースは今日のオールドダッカでのデモの様子だ。 アナウンサーが何を言っているのかサッパリ分からないが、映像を見る限りではかなり激しいデモになったようだ。 次々と流れるビデオ映像は、路上で炎を上げる自動車、警官隊に向かって投石をするデモ隊、何故か石を投げ返す警官隊、激しい殴り合いをする警官隊と市民、そして発砲する警官、逃げ惑う市民、そして死体… 相当に衝撃的な映像が流されていた。 そんなニュースを呆気にとられて見ていたら、部屋の電話が鳴った。 「ハロー?」 「あ、ぽからさんですね。レザーです」 ガイドのレザーさんからの外線だ。 「今日はこれから外出されますか?」 「いや、ホテルにいますよ」 「じゃあ、後ほどそちらへお邪魔します。オールドダッカの状況が悪化しているので…」 レザーさんに言われるまでもなく、テレビのニュースでそのことは感じていた。 1時間ほどしてレザーさんがホテルのロビーにやって来た。 「今日のデモでは、死者が3人も出てしまいました」 「なんかすごかったみたいですね… さっきニュースで見ました」 「この分だと、明日はバングラデシュ全土で大規模な抗議デモが起きると予想されます」 「全土で?」 「そうです。そうなると、自動車を動かすことがまったくできなくなりますので、どこへも行くことができません」 「へっ、じゃあ、市内観光も無理なの?」 「はい。でも、私はボス(上司)と話しをしました。せっかく日本からやって来たぽからさんを、このままどこへも案内しないで帰すわけにはいかないと。そして、ボスから許可をいただきました。ぽからさんは残りの2日間の予定はありますか?」 「明日は市内観光で、明後日はブラブラと気の向くままに歩こうかと思っていたけど… 明日の観光がダメなら、それを逆にするだけかな…」 「もしよろしければ、2日間を私に任せて下さい」 「え? でも、車で動けないんでしょ?」 「リキシャに乗って市内観光をしましょう。しかし、リキシャは遅いです。だから、2日間かけてゆっくりと市内観光をしましょう。もちろん、お金は一切要りませんし、食事代もうちの会社で負担します。ボスもそうしなさいと言ってくれました」 「こんな状況だし、レザーさんがいてくれるのならとても心強いので、ぜひともそのようにお願いしたいです。その分のお金は払いますから、ちゃんと言って下さい。レザーさんを1日余分に拘束してしまうんですから…」 「最初に約束した場所を巡るだけで、何も特別なことではないですよ。1日余分にかかってしまうことは、バングラデシュが悪いのですから…」 とても嬉しく、そして心強いレザーさんの申し出に感動だ。 観光客が少ない国の旅行会社としては、少しでも客から金を出させたいと思うのが本音だろう。しかし、このベンガルツアー社では、一個人旅行者にバングラデシュを心ゆくまで楽しんでもらおうと、これほどまでにしてくれたのだ。 温かで親切なバングラデシュの人々の心を、このとき改めて実感した。 そして、約束した場所は余分な日数がかかっても、また余計な経費がかかっても履行する旅行社のプロ意識には敬服だ。 日本人の大好きな場所 翌朝7時半、ホテルのロビーでレザーさんと待ち合わせた。 「おはようございます。デモによる規制が変わりました」 レザーさんの第一声はそれだった。 「規制が変わった?」 「はい、今日は車で自由に動けます。だから車を用意しましたよ。さあ、行きましょう」 予想されていた抗議デモは今日おこなわれないようで、大規模なデモは明日におこなわれるとのことだ。 車がオールドダッカに近付いてくると、車とバイク、リキシャ、人の数がものすごく多くなってきた。 各所にあるロータリーでは、それらがグチャグチャに入り乱れて大渋滞を起こしていた。 踏み切りを通過した列車には、屋根の上まで大勢の人が乗っていた。 「屋根の上の人は、半額の運賃を払います」 レザーさんは通り過ぎて行く列車を指差して、そう教えてくれた。 「へ〜、半額を支払えば屋根の上に乗っていいんだ」 「いえいえ、彼らは違法なタダ乗りです。でも、タダで乗るのは悪いから、気持ちとして半額払う慣習になってます」 バングラデシュの人は、かなり律儀な性格のようだ。 「ところでレザーさん、多くの家や建物に他の国の国旗が掲揚されてるけど、あれ何なの?」 「サポーターです」 「サポーター?」 「はい、ワールドカップで応援している国の旗を挙げているのです」 バングラデシュでのサッカー人気はかなり高いようで、ほとんどの家や建物にブラジルやフランス、ドイツ、イタリアなどの大きな旗が掲揚されていた。 大きな建物では屋上から巨大な垂れ幕が掛かり、そこには 『Brazil』 (ブラジル) などと国名が書かれていた。 この風景を見るとここがどこの国だか分からなくなるくらい、いろいろな国の旗や垂れ幕が掲揚されている。 「私の家も日の丸を揚げてましたが、負けたから下ろしました。本当は負けた国の旗はすぐに下ろさなくてはいけないのに、この辺りではいつまでも出てますね」 負けた国はすぐに国旗を下ろすのが暗黙のルールのようだ。 「バングラデシュではクリケットとサッカーの人気が高いです。サッカーは弱いですが、クリケットは強いですよ」 バングラデシュではイギリスの歴史的な影響を受けている。 市内観光の最初は 『スターモスク』 。 ここは金持ちが建てたモスクで、モザイクのタイルが美しい。 すべてが白いタイル貼りでできているので、銭湯のようでもある。 さらに銭湯らしいものがここにはあった。 富士山のタイル絵だ。 「これは日本のタイルで作られてます」 このモスクが造られたのは今から約50年ほど前。その頃から富士山のタイル絵がここに飾られていたそうだ。 「フジサン、フジサン!」 やはりここでも、礼拝に来ていた男たちや子どもたちに囲まれた。 続いて、日本人が最もダッカで好きな場所である 『ショドル・ガット』 へ向かう。 「その前に、カメラの好きなぽからさんのために考えた場所へ寄ります」 そう言うと、レザーさんはベンガル語で運転手に細かな道を指図した。 やがて車は、ダッカの海運の要であるブリゴンガ川に架かる大きな橋にやってきた。 橋のちょうど中間地点で車を停めると、 「すごいでしょ、この眺め!」 と、川を行く大小無数の船を指差した。 足元には手漕ぎの小さな舟、そしてかなりの高さのある橋の上からは、遠くを行く大型船までもが見渡せた。 絶景だ! クラシカルな外輪船も停泊している。もちろ現役で活躍している。 川の岸辺には沐浴をしているこれまた多くの人たちが見えた。 この橋は有料橋なのだが、徒歩や自転車で渡って行く人も多く、もちろんここでも人垣ができた。 バイクを停めて輪に加わる者もいて、プチ渋滞を起こしてしまった。 「どこに行っても人気者ね〜」 レザーさんにそう言われながら、橋をあとにする。 『ショドル・ガット』 とはオールドダッカにあるダッカで一番大きな船着場のこと。 運河の国とした発展したバングラデシュは、鉄道や道路よりもフェリーや貨物船などの交通機関が主流だ。 この港には多くのフェリーや貨物船が発着し、そのたびに人々と貨物が行き交って賑わいを見せる。 その人や貨物を運ぶために、陸ではリキシャとバイクタクシーが集まってきて、船着場の活気をいっそう大きいものにしている。 4タカ (約7円) の入場料を払い船着場に入る。 まずはターミナルビルから街と港の賑わいを眺める。 「ここは、日本人が最も好きな場所です」 街側のテラスからはリキシャとバイクタクシーの洪水、そして港側のテラスからはフェリーと小舟のひしめき合う光景が見える。 これは絵になる風景だ。 「こりゃ、いい風景ですね〜!」 「そうですか? 何で日本人はこんな風景が好きなんでしょう」 と、レザーさんは不思議そうな顔をしていた。 言うまでもなく、ここでもヒマそうな人たちを従えて、レザーさんは船の中へ案内をしてくれた。 船の甲板から眺める川が、これまた素晴らしい風景なのだ。 無数の小舟が眼前に迫り、川を行く人々の表情が手に取るように分かる。 望遠レンズを構えているこちらに気付くと、ほとんどの人がにこやかに笑って手を振ってくれた。 これらの小舟は、対岸との渡し舟の役割を果たしているのだった。 甲板の上から見える風景を、レザーさんが詳しく案内をしてくれた。 「対岸には工場がたくさんあります。そこへ働きに行く人たちが小舟に乗っています」 「工場って、主に何を作っているの?」 「ニセモノです」 「へっ? ニセモノ?」 「はい、安いロレックスの時計とか作ってます」 折りしも、国際的な圧力や北京五輪の開催予定などによって、中国・上海の偽ブランド市場が閉鎖されるとのニュースを見たばかりだった。 「国際的にマズくないの?」 「バングラの人たちは喜んでます。本物は高いですからね。ロラックス≠ナも性能はいいですよ」 気持ちは分かるが、バングラデシュが国際社会に進出するには、偽ブランドは排除しなくちゃね… (^^; 千葉県旭市 港の近くにある市場へ足を向けた。 国内でたくさん収穫される多くの種類の果物を売る店、女性が着るサリーに使う色鮮やかな生地を売る店、ありとあらゆる日用品を所狭しと並べた雑貨店、「何じゃこの魚は!?」 と驚くようなグロテスクな巨大魚を並べた魚屋… 目に飛び込んでくるすべての物が興味の対象となる。 多くの店の人たちからも 「写真を撮ってくれ」 と言われ、レザーさんの通訳を介して仲良くなった。 すると、 「チャイ飲むか?」 と、小さいカップにミルクティーを注いで差し出してくれた。 そんな楽しい市場散策をしていると、 「あれ? あんた日本人か?」 と、流暢な日本語で聞かれた。 聞いてきたのは生地屋の若い店主、ウザルさん。 褐色の肌にギョロッとした目、どこから見ても生粋のベンガル人だ。 「日本語、喋れるんですか?」 「おう、オレは10年ばっかし千葉にいたんだよ」 「千葉ですか?」 「旭≠チて知ってっか?」 「九十九里海岸の方ですよね…」 「そ、海っぺりの方。そこでビニールハウス作ってたんだよ」 「それにしても日本語が上手いですね」 「まあな、でもオレは田舎にいたし現場仕事だったから、汚い日本語なんだよ。漁師言葉も入っちゃってるしな」 (…確かに) レザーさんの丁寧で綺麗な日本語とは大違いで、このウザルさんは田舎のおやじと喋っているようだった。 「いや〜、でもそれだけ話せれば大したもんですよ」 半年前にダッカに帰国した彼は結婚し、日本で働いた金を元にしてこの市場に3軒もの店を構えたそうだ。 「まだ時間あっか? ならチャイ飲んでけ。バナナも食うか?」 久々に日本語が話せてご満悦のウザイさんから、おもてなしを受けた。 レザーさんとウザイさんも日本語で話しをするので、何か変な感じだった。 我々の周囲を取り囲んでるヤジ馬たちは、 「コイツら、いったい何を話しているのか?」 と、思っていたことだろう。 ボコボコの理由 博物館になっている『ピンクパレス』を見学した後、スコールの中を大渋滞に巻き込まれながらバングラデシュ料理の店に到着した。 大通りが見渡せるビルの4階にある小奇麗な店だ。 ベンガル語のみのメニューなので、レザーさんにお任せして数種類のカレーとサラダ、飲み物を注文した。 料理がひととおり運ばれてくると、 「失礼します。手で食べますね」 と、レザーさんは一言断ってから手掴みで食事を始めた。 バングラデシュの人は、通常はフォークやナイフを使わずに右手で食事を食べる。 バングラデシュのカレーは思っていたほどに辛くなく、また油っこさも少なかった。 そのような味のカレーを選んでくれたのかもしれないが、これなら毎日食べてもそれほど飽きることはないだろう。 チキン、豆、ロブスター、野菜…etc 諸々のカレーを腹一杯に堪能した。 食事のあとはダッカで一番有名な市場である 『ニューマーケット』 を見学。 決してニュー≠ナはないが、何でも揃う市場だ。 6歳の息子がいるレザーさんは、玩具屋の店先で自転車の値段を交渉していた。 「子どもが自転車を欲しがってるもんでね…」 すっかり父親の表情をしたレザーさんだった。 ダッカの街の名の語源になった 『ダケシュリ寺院』、今やアベックのデート場所となった 『ラールバーグ・フォート』、世界的に有名なデザイナーの建築による、バングラデシュらしくない建物『国会議事堂』を見学し、市内観光のすべての日程を消化した。 「バングラデシュのお土産って、何がありますか?」 ダッカの街中には、どこを観光していてもお土産屋が無かった。 「お土産ねぇ…」 レザーさんは少々困った顔をした。 「なんなら、空港のお土産屋でもいいんだけど」 「いや、空港には何もありません… なら、これからちょとお店に寄っていきましょう」 そう言ってレザーさんが連れて行ってくれた店は、家具や衣類、日用雑貨を売っている大きな店だった。 「ダッカの一般の人が買い物に来る店です」 確かに、店内はバングラデシュの家族連れやアベックばかりで、売っている商品もごくごく普通の日用品だった。 「バングラデシュはまだ観光産業がありません。だから、お土産を売っている店などはありません」 それが存在するのか否かは定かでないが、バングラデシュでは絵葉書1枚を買うこともできなかった。 ホテルに戻る夕暮れの車中から、渋滞した街をぼんやりと眺めていた。 ダッカの路線バスはどれもボロボロだった。 車体には無数のボコボコした凹凸があり、 「ずいぶんと物にぶつけてきたんだな」 と思っていた。 ところが、どうやらそれは違っていたようだ。 バスやトラックがバックするときに車掌や助手は車を降りて誘導するのだが、その誘導の仕方は、棍棒で車体をボコボコと叩きながら合図を送るのであった。 日本で観光バスが笛の合図でバックするように、バングラデシュでは 「ボコン!ボコン!」 と車体全体に伝わる音を合図にバックをするのだった。 これではあのように車体がボコボコになるのが理解できる。 納得! 夕方5時前、ホテルに到着。 しかし長い時間の停電があり、部屋ではエアコンも停まり、シャワーも浴びることができないので、1階のレストランへ夕食を食べに行く。 ホテルの自家発電で照明だけは確保されているのだ。 バングラデシュの料理であるビリヤ二 (炊き込みご飯) とラッシー (ヨーグルト・ドリンク) を夕食とし、今日の一日が終わった。 快適な空の旅で帰国 ダッカ滞在の最終日。 飛行場へ向かう夜10時半までは自由時間だ。 しかし、昨日にレザーさんから言われたとおり、今日は夜6時まで全土で大規模なデモが発生するので交通機関はまったく動かない。 安全のためにホテルの近く以外には行かないようにと言われている。 しかも、朝目覚めると外は激しい雨。 昼近くまでベッドでウダウダとし、昼食を兼ねた朝食をホテルのレストランで食べる。 それから雲の様子を伺いながら、ホテルの近くの市場をフラフラとする。 昨日のオールドダッカの喧騒があまりに面白過ぎて、おしゃれなボナニ地区では物足りなさを感じていた。 旅をしていて、時間をこれほどまでに長く感じたのは初めてだ。 やっと夜の10時半になり、レザーさんに空港まで送ってもらう。 ここで素朴な疑問。 「もし、空港に向かう時にデモの交通規制になっていたらどうなるの?」 「2時間くらいかけて、歩いていきます」 明瞭簡潔な答えだった。 「でも…」 と、さらに続いた。 「それは地元の人だけです。外国の方は警察に届け出て、パトカーで護衛をしてもらって空港に車で行きますよ」 そのような仕組みになっているそうだ。 荷物を持って暑い中を2時間も歩かされるのは、たまったものではない。 出国は入国と異なり、実に簡単だった。 空港内には、少ない種類だが洋酒のみを売っている免税店があった。 しかし、店はそれだけで、あとは軽くコーヒーが飲める売店があるだけだった。 定刻の25時20分、ガラガラの乗客を乗せてバングラデシュを飛び立った飛行機は、朝7時20分にクアラルンプール (マレーシア) に到着。 3時間40分のトランジットの後、さらにガラガラの機内で成田空港に向けてテイクオフした。 機内の乗客はほんの数えるほどの人数。 これくらいの乗客数だと、機内食の準備が早いし、飲み物のサービスが実に細やかになる。 とても快適な空の旅だ。 首都ダッカでも人々の温かな心に触れることができたバングラデシュ。 レザーさん曰く 「日本と同じで、地方はもっともっと人々が親切で温かいですよ」 その言葉を聞いてから、バングラデシュには近いうちにまた訪れようと思った。 「必ずまた行くよ、バングラデシュ!」 |
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